ここまですべての公式戦に出場している。J1リーグ第3節の湘南ベルマーレ戦では、今季のリーグ戦初勝利に“ゴール”という花を添えた。
J2の大宮アルディージャから浦和レッズに加入した初年度ということを考えれば、まずまずどころか、上々のスタートと言えるだろう。
だが、馬渡和彰ははっきりと首を横に振る。
「満足は……全然していないですね。自分としてはチームに貢献できている実感は持てていない。自分の良さにしても、もっと出せるという思いのほうが強いですね。チームの成熟度も、ここからさらに高まっていくと思うので、チームの成長とシンクロするように自分の特徴も発揮できればと考えています」
選手としての馬渡をひと言で表現すれば、攻撃的なサイドバックとなるだろう。
加えて、両サイドで遜色なくプレーできるところも魅力のひとつになる。実際に自分自身もそこが強みだと語った。
「ビルドアップは苦手ではないですし、ランニングで相手の背後を取ることも得意にしています。外側のレーンだけではなく、内側に入っていくこともできる。それを両サイドででき、かつ両足でも蹴ることができる。
日本代表で活躍する三笘薫選手のように突出したドリブルがあるわけではないですけど、自分には右足での強いキック、プレースキックも武器としてあると思っています。いろいろとできることが強みだからこそ、戦術やチームメートのことをもっと理解して、自分にできることを増やしていきたい」
現状に満足することなく、自分を向上させようと、改めて頭のなかを整理したとき、目を向けたのが守備だった。
攻撃に色のある選手ならば、さらに攻撃を突き詰めようとするのがセオリーだろう。
ところが、馬渡は特徴を活かすために、あえて足りない部分に注視したのである。
「もっと試合に出るために、今、自分が何をやらなければいけないかを考えたとき、守備だと思いました。リーグ開幕からチームの結果がともなわない時期には、自分が失点に絡んでしまっていた。
過去にサンフレッチェ広島、川崎フロンターレ、湘南と3年間、J1でプレーしましたが、自分の課題は守備だと言われてきたし、感じてもいた。それもあってFUJIFILMスーパーカップでは守備もできるところを見せられましたけど、その守備をもっと突き詰めていかなければと感じています」
守備に目を向けられたのは、ここまでのキャリアが糧になっている証拠だった。
「リカ(リカルド ロドリゲス監督)のもとでプレーした徳島ヴォルティス時代は、自分も若く、リカも就任1年目だったこともあって、守備には多少、目をつぶってくれていたところがあったと思います。
その分、槍のように攻撃に力を注がせてもらった。そこで結果を残し、初めてJ1にたどり着いた広島は守備に重きを置いたサッカーをしていました。そのとき、監督だった城福(浩)さんに言われたんですよね」
J3からプロのキャリアをスタートさせ、J2、J1と駆け上がった2018年のことだった。
「守備と攻撃とでプラスマイナスを考えたとき、攻撃がスーパーでチームにとってプラスに働くならば起用することはできる。お前の攻撃は確かにいいけど、マイナスを消すほどのプラスにはなり切れていない」
翌2019年は、J1連覇を達成していた川崎に加入した。出場機会を得ていたが、3連覇を目指す過程で模索していたチームにおいて、鬼木達監督からこう言われた。
「カズ(馬渡)のプレーが決して悪いということではないけど、勝負を決める際(きわ)のところで、どうしてもカズのところからやられてしまっているイメージがある」
自分でも認識していた指摘だった。
「特に1対1に弱いわけではなく、極端に自分の背後を取られるわけでもない。でも、なんとなく僕のところでやられてしまうケースが多いんですよね。今季も開幕の京都サンガF.C.戦で(49分に)失点したときに足を滑らせていなかったら……、(第10節の)川崎戦で(64分に)逆転ゴールを決められてしまったときも自分がもう一歩寄せられていたら……、防げたんじゃないかって。
失点の流れを見れば、その前にチームとしてミスをしていたり、防げたりした場面もあるかもしれない。ただ、失点シーンを切り取ると、そこに自分がいる。DFだから、失点の場面に絡むのは当然と言えば当然で、むしろDFなのにそこに顔を出せていなかったら、そのほうが問題だとも思います。
でも、そこに自分がいたのであれば、もっとやれることがあったんじゃないかって。だから、鬼木監督から言われたことは、自分でもよく分かっていますし、永遠に向き合わなければいけない課題だとも思っています」
失点はチームとしての失点である。敗戦はチームとしての敗戦である。それでも馬渡は「絶対に止められたと思うし、絶対に寄せられたんですよ」と、繰り返した。
そこまでして、自分に矢印を向け続けているのは、レッズへの加入を決めた姿勢に起因している。
「自分にとってJ1で3年目となる2020年は、湘南でケガに苦しみました。ケガから復帰したと思ったら、またケガというのを繰り返して。当初は湘南で経験を積み、また川崎でチャレンジしたいと思っていましたが、結果を残せなかったこともあって、叶わなかった。
僕自身はJ3からJ1へと駆け上がってきたこともあって、日本代表を目指したいと思えるくらい目標設定を高く持っていたのですが、あまりにケガを繰り返したこともあって、その目標設定を少しだけ下げたというか……」
そのとき考えたのは、自分にとって大切なこととは何か——だった。
「最初に思い浮かんだのは家族、その次は誰のもとで誰とやりたいか。他には選手としてのやり甲斐や選手としてキャリアを長く続けること、試合に出ている姿を子どもに見せることもそのひとつでした。
J1の他のクラブでプレーする選択肢もありましたけど、自分が考えた、“自分にとって大切なこと”が当てはまっていたのが大宮アルディージャでした。だから、自分から行かせてくださいとお願いしたんです」
捉え方によっては守りに入ったと見る人もいるだろう。
だが、筆者はそうは思わない。馬渡は目標設定を下げたと言ったが、下げたのではなく、変えた、もしくは押し殺したのではないだろうか。
大切な人たちの笑顔を見る、守るために——。
「大宮ではケガもなく、出場停止を除いて全試合に出場することができました。その結果、自信を取り戻すことができたら、浦和レッズからオファーをもらったんです」
目標設定を下げたというのであれば、現状維持を選択することもできただろう。
しかし、馬渡は前進することを選んだ。
「加入会見のときにも言ったんですけど、ここでチャレンジしなかったら、きっと後悔すると思ったんです。浦和レッズでプレーすることが、結果的にキャリアを縮める行為や判断だったとしても、きっと挑戦したことに後悔はしないだろうなと。
むしろ、挑戦しない人生を歩んだときのほうが、キャリアを終えたとき後悔する。そう思ったんです」
自分の心境や思いの丈を包み隠さず、大宮の強化部に伝えると、最後は「お前は挑戦してこい」と背中を叩いてくれた。
馬渡は泣きながら、「行ってきます」と答えたという。
そして何より、レッズには、自分が大切だと思っていることのすべてがそろっていた。
指揮官は徳島時代に指導を受けたリカルド ロドリゲス監督である。チームはJ1優勝を目指していて、激しいポジション争いを勝ち抜けば日本代表も見えてくる。
彼がしのぎをけずっているのは、日本代表の右サイドバックである酒井宏樹であり、U-21日本代表に名を連ねる左サイドバックの大畑歩夢である。
「宏樹くんの対人への強さはワールドクラスというか、日本のトップクラスの選手というのはこういう選手たちなのだろうなと感じています。相手との間合いの詰め方、駆け引き、ポジショニングはずっと見ています。紅白戦ではマッチアップすることも多く、少しでも盗めるところがあれば全部、盗みたいなと。
大畑くんは左足の持ち方がうまくて、常に左足のオープンなところにボールを置いているので、相手をドリブルではがすことができるんですよね。自分は右足にボールを置いてしまうことが多いのですが、両足遜色なく蹴れるので、左サイドバックをやったときには見習おうと思っています。それにプラスして守備を強化して、自分の特徴を攻撃で活かせるようになれば、今よりもっといい選手になれると思いながらやっています」
だからこその守備だった。
「日本代表を見れば、宏樹くんを筆頭に、長友佑都選手も山根視来選手も中山雄太選手も守備の部分が、まずはしっかりしていますよね。そこにプラスアルファして攻撃がある。攻撃だけを切り取れば、自分も負けてはいないと思えるのですが、守備を考えたとき、現状では彼らのほうが優れていることは自分でも分かります。だからこそ、サイドバックとしてはまずは守備が大事だなって余計に思うんです」
酒井と対峙する日々は自分が克服しなければならない課題に目を向けさせてくれているのだろう。その刺激こそが臨んでいたチャレンジになる。
今季のリーグ戦ホーム初勝利を飾った3月6日の湘南戦で、初ゴールを決めたシーンを馬渡はこう振り返った。
「あのスプリントは自分の特徴ですし、昔の自分だったらファーストタッチであそこにボールは置けなかったかもしれない。広島、川崎、湘南とJ1でプレーして、特に川崎で“止めて蹴る”の重要性を感じたからこそ決められたゴールだったと思います」
欠点に向き合ったJ1での3年間だった。だが、もがいた努力が決して無駄にはなっていない証でもあった。
そして、レッズの選手として埼玉スタジアムで初めてゴールを決めた瞬間についてはこう振り返った。
「やばかったです。鳥肌が立ちました。きっと声援があったら、もっとすごかったと思うんですけど、ゴールを決めた瞬間、スタジアムの雰囲気が変わったんですよね。それが分かって、ぶるぶるって震えました。
自分も点を取ってうれしかったですし、チームが勝ったこともうれしかったですけど、家族も、チームメートも喜んでくれたし、何よりファン・サポーターの人たちが喜んでいる表情を見るのが本当にうれしかった。これがスポーツ選手としての醍醐味というかやり甲斐というか生き甲斐だなって思いました」
馬渡が思い浮かべる大切なことには、家族やチームメートだけでなく、ファン・サポーターも含まれている。
大切な人たちの笑顔のために、彼は自分自身に矢印を向ける。
(取材・文/原田大輔)