NPBで実績を積みMLBに挑戦する選手が増えていくなか、すでにピークを過ぎたと思われたベテランが夢を叶えた。36歳で奇跡の復活を果たしたオールドルーキー、斎藤隆。彼もまた、ドジャースの歴史に名前を刻んでいる。
ドジャースの軌跡 第2話:名門球団の「17」を背負った元祖日本人左腕
1995年にドジャースで「トルネード旋風」を巻き起こした野茂英雄はマイナー契約からスタートしたが、2006年に同じくマイナー契約でドジャースのスプリングトレーニングに招待選手として参加したのが、NPBで13年の実績を持つベテランの斎藤隆だった。
斎藤は1991年のドラフト1巡目指名で横浜大洋(現・横浜DeNA)に入団し、1996年には最多奪三振で初のタイトルを獲得し、そこから3年連続で2桁勝利をマークするなど先発投手として実績を積み上げていた。1999年のオフに横浜の絶大的守護神 佐々木主浩がFAでマリナーズへ移籍すると、2001年にクローザーに転向する。その年に27セーブを挙げて実績を残し、翌年も20セーブをマークした斎藤は2002年のオフにMLB挑戦を模索する。しかし、結局は3年契約を結んで残留した。以降は先発に復帰したが往時の勢いは取り戻せなかった。
3年契約を終えた2005年オフ、斎藤はMLBで投げたいという夢に向かって自由契約になる。斎藤に興味を示す球団はなかなか現れなかったが、2006年2月にドジャースから声がかかった。
シーズンの開幕はマイナーで迎えたが、開幕直後に絶対的クローザーのエリック・ガニエが右肘を痛めで故障者リスト入りすると、入れ替わりで斎藤がMLBに昇格。そこから奇跡の復活劇が始まった
初めはセットアッパーとして起用され、4月は12試合に登板し13回を7安打1失点15奪三振の好成績を残すと、5月にクローザーに指名される。そこから15試合連続無失点を記録。終わってみればドジャース新人記録となる24セーブを挙げ、72試合の登板で防御率2.07、リリーフ投手ではMLBトップとなる107の三振を奪い、サイ・ヤング賞投票では8位となった。
翌2007年もクローザーとして起用され大活躍する。初セーブ機会から48回のセーブ機会で45度成功し、救援成功率で44/48の記録を持っていたガニエを抜き、MLB新記録を樹立するとオールスター・ゲームにも出場した。
ドジャースでの3年間では12勝7敗81セーブ、防御率1.95、奪三振245。奇跡の復活を果たしたオールドルーキーは、その後もレッドソックス、ブレーブス、ブリュワーズ、ダイヤモンドバックスを渡り歩き、2013年には東北楽天に入団してNPB復帰を果たす。故郷に戻った斎藤は、頼れるベテランとしてチームを引っ張り、球団初の日本一にも貢献した。
36歳から奇跡の復活を果たし、ドジャースの歴史に名を刻んだ斎藤。大谷翔平は今年で30歳、山本由伸は26歳。2人はこれからどのような形でドジャースの歴史に名を刻むのか、夢は膨らむばかりだ。
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