ドジャースと歴史的な契約を結んだ大谷翔平。ユニフォームはドジャーブルーに変わるが、背負う番号はエンゼルス時代と同じ「17」。ドジャースの17番といえば、日米で剛腕を奮った左腕がかつて付けていた。日本人MLB選手のパイオニアと夢の競演も果たした石井一久だ。
第1話:MLB人気低迷を救った日本人選手のパイオニア「NOMO」
昨年まで東北楽天の監督を務め、今年から球団取締役シニアディレクターに就任した石井一久が海を渡ったのは2002年だった。
ヤクルト(現東京ヤクルト)で最高勝率(1回)、最多奪三振(2回)、最優秀防御率(1回)のタイトルを獲得し、10年間で78勝、1277奪三振を記録した左腕を獲得したのがドジャースだった。
2001年9月に起きたアメリカ同時多発テロ事件の影響で一時はMLB移籍を断念したものの、2002年1月にドジャースと契約した石井。2001年にレッドソックスでMLB2度目のノーヒッターを達成した日本人MLB選手のパイオニア、野茂英雄が4年ぶりにドジャースに復帰することになり、日本が誇る左右の剛腕の競演が実現した。
2002年は野茂が16勝を挙げると、1年目の石井も14勝を挙げた。与四球では石井が106でMLBワースト、野茂は101で2位を記録したが、2年目も野茂は16勝、石井も9勝を挙げた。
2004年の野茂は、オフに受けた肩の手術により4勝に終わったが、石井はチーム最多タイの13勝を挙げ、8年ぶりの地区優勝に貢献。この年には名投手ジェイク・ピービーからMLBで唯一となる本塁打も放っている。
さらにこの年には、タイガースから木田優夫も移籍しており、9月には野茂、石井、そしてダブルヘッダー2試合目で木田が先発し、3日連続で日本人選手が先発登板を果たした。
2005年の開幕直前にメッツにトレードとなったが、ドジャースでの3年間で36もの勝利を積み上げた。ブルージェイズの菊池雄星がMLBでの5年間で現在32勝と迫ってきているが、現在でも日本人左腕の勝利数は石井がトップを維持している。
そんな活躍から、2015年4月には始球式も行ない、当時の「17」をつけていた捕手のA.J.エリスに対して16年ぶりに投球を披露しドジャースファンから喝采を受けた。
今季からドジャースで大谷翔平と山本由伸が競演する。今季の大谷は打者に専念するが、来季からは二刀流が復活し、山本と共にドジャースの投手陣を牽引するだろう。2002年に野茂と石井のタッグが挙げたシーズン計30勝を超えることができるか。日本人選手最強タッグの競演はどのような化学反応を起こし、相乗効果を生み出すのか、しっかりと目に焼きつけよう。
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