大谷翔平、山本由伸の入団で注目を集めているMLB屈指の名門、ロサンゼルス・ドジャース。11年連続ポストシーズン(PS)進出中の常勝軍団が歩んできた軌跡を振り返る。その輝かしい軌跡には、日本人選手の活躍も欠かせなかった。
1994年から95年にかけてプロスポーツ史上最長のストライキが行われたMLB。232日にも及んだストライキで人気低迷に陥ったMLBだったが、その窮地を一人の日本人選手が救った。
日本人初のMLB選手となった村上雅則以来32シーズンぶりに誕生した2人目の日本人MLB選手、野茂英雄。日本から海を渡り、ドジャーブルーのユニフォームを身にまとった“英雄”は新たな歴史の扉を開けた。
当時は「MLBでは通用しない」という声が多く、不可能と思われていたMLB挑戦だったが、野茂はそれを可能に変えた。登板4試合目のパイレーツ戦では7回を投げ14奪三振、6月は6登板で2完封を含む6勝0敗、防御率0.89の好成績を挙げ、オールスター・ゲームではナ・リーグの先発投手に選ばれた。
ほぼ1カ月遅れで開幕を迎え、144試合に短縮されたシーズンだったにも関わらず、野茂は236個の三振を奪いタイトルを獲得。チーム7年ぶりの地区優勝にも貢献し、新人王にも選ばれた。この活躍で「ノモマニア」という言葉が生まれ、日米でMLBの人気を再燃させた。
翌1996年の日本時間9月2日にはMLB史上3人目となる1年目から2年連続200奪三振を達成すると、9月18日のロッキーズ戦で偉業を達成する。
「打者天国」と呼ばれる高地のクアーズ・フィールドで初のノーヒッターを達成したのだ。雨で試合開始が2時間遅れるなか、野茂は途中からトルネードを封印しセットポジションで投球し、与四球4、奪三振8、投球数110球で、日本人としてはもちろん、アジア人初の偉業を達成し、その人気を不動のものとした。
野茂はデビューから4シーズンをドジャースで送り、1998年からはメッツ、ブリュワーズ、タイガース、レッドソックスと渡り歩き、2002年にはドジャースに復帰。ドジャースでは計7年を過ごし84勝66敗、防御率3.74、奪三振は1200を記録した。
西海岸の大都市 ロサンゼルスを本拠地にし、現在は常勝軍団として毎年優勝候補に名前が挙がるドジャース。今シーズンからは大谷翔平と山本由伸が共闘するが、球団の歴史を紐解くと、日本人選手との深い繋がりが見えてくる。今シーズンも新たな歴史を刻むであろう西の名門球団は、どんな戦いを見せてくれるのだろうか。開幕が待ちきれない。
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