「あー! そこには打っちゃダメだって!」
客席まではっきり聞こえる日本語の嘆きが、ウィンブルドン予選決勝のコートに響いた。
声の主は、本玉真唯。第2セットの第3ゲーム。リードを広げ、流れを掌握できるか否かの重要な局面だった。
本玉が自分を叱咤した原因は、バックハンドのミスショットにある。やや強引にストレートに打った強打が、サイドラインを割った場面だ。
このショット選択を悔いたのは、第1セットのタイブレークでも、同様のミスをしたためだという。
「セットポイントでも、バックをストレートに打ってミスをしたんです。それとほぼ同じボールを打ったので、なんで同じミスをしてるんだろうって」
痛恨のミスを、悔いの感情と共に蘇らせた一打。それは、負の連鎖に陥るトリガーにもなりえただろう。
だが、本玉のロジックは、そうではなかった。
「ちゃんと分析ができている。頭が冴えている」
それが、本玉が俯瞰した自身の内面だった。
第二セット、長いラリーでも終始攻めの姿勢を崩さずポイントを重ねた本玉
攻撃が生きる芝のコートで、相手に先んじてストレートに打つのは戦前からのプランではあった。だが打つべき状況を、正しく判断しなくてはいけない。
そのリスクとメリットの境界線を、本玉は2本のミスで見極めたのだろう。
結果的にこのゲームをキープすると、以降は長いラリーをことごとく制し、第2セットを奪取。
その姿勢を最終セットでも貫いた時、彼女は2時間28分の接戦の勝者となる。それは、ジュニア時代から期待を集めた本玉が、初のグランドスラム本戦出場を果たした瞬間でもあった。
ラリーを制して全英本戦初出場を決めた瞬間。かみしめるようなガッツポーズが印象的だ
「何も考えられないくらい、嬉しいです」
そう語る本玉は、予選を通じて「セットを取られたりミスしても、原因を見つけられていた」と振り返る。
「何も考えられない」ほどに嬉しい勝利は、考えに考えたがゆえに得られた、必然の対価だ。
本玉真唯(ほんたま・まい)
1999年8月30日、東京都町田市出身。16歳時に大阪市開催の国際ジュニア大会で優勝し、周囲の期待を集めた。
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