「母も高齢で、昨年10月に倒れて入退院を繰り返して、今はケアホームにいます。送迎のほか、持ち物全てに名前を書いたり、細々とやることがいっぱいあります」
函館を舞台に始まる『北の家族』(’73年4月〜’74年3月)で佐々木志津役を演じた高橋洋子(68)。昨年10月に38年ぶりに監督、脚本、主演を務めた映画『キッド哀ラック』を公開。94歳の実母との関係をベースに書いた脚本で、老いていく姉妹と母の物語だ。
プライベートでは一人娘も独立し、現在は夫婦水入らずに暮らす。意外にも麻雀が強いという。
「子供のころから父や叔母に仕込まれて賑やかな家庭で育ちました。平幹二朗さんは家に全自動卓があって、よく呼んでくれました。一度日色ともゑさんともご一緒したことが。平さんは下手なのよ(笑)」
朝ドラの1年間は「山あり谷あり吊り橋あり」と振り返る。
「初回放送の前に左幸子さんのご自宅のパーティに招かれたことがありました。ところが途中で左さんとスタッフが別室に行って『どうして一番手が高橋洋子なの? 女優の格だったら私が最初でしょう!』と声が聞こえてきて。ゾ〜ッとした出だしでした(笑)。
でもあるとき『セリフは覚えたら本番前に全部忘れちゃいなさい』って。気持ちを作れてないと目や表情に表れるって大事なことを教えてくれたんです。強烈でしたが、同時にすごい女優さんでした」
今後は「演じる場を増やす」と、49年前と同じ目の輝きだった。
■藤田三保子は膠原病闘病を経て俳句の先生に
「私のころと比べるとヒロインが随分洗練されているなと感じました」
こう苦笑いするのは、『鳩子の海』(’74年4月〜’75年4月)でヒロイン・鳩子役を演じた藤田三保子(69)。撮影中は、メディアとの摩擦に苦しんだという。
「斉藤こず恵ちゃんが鳩子の少女時代を演じましたが、こず恵ちゃんのあまりの人気に、私が登場すると日本中ががっかり。それでマスコミからたたかれて。ヒロインなのに人気が出なくて、NHKも誤算だったでしょうね(笑)。『紅白歌合戦』も、私は呼ばれず、呼ばれたのはこず恵ちゃん。人気なほうが出るというのは今となっては納得できますが、当時の私は『どうして?』と感じていました」
24歳の結婚後は夫の連れ子2人を育てた藤田。20代後半での闘病を経て現在舞台女優として活躍する外園ゆう(34)を出産。
「病気でも、子どもを抱えていても、朝ドラの経験があったからこそ、『負けちゃダメだ!』と乗り越えられましたね」
友人の画家や俳人に勧められ、40代から絵や俳句を始めた藤田。現在は俳人・山頭女として俳句講師としても活躍している。
「未経験でも始めようと思ったのは“一度断ったらおしまい”と役者をしていて学んだから。実は、『鳩子』のヒロイン候補だった6人のうちの1人が辞退したんです。そのとき、『こんな大きなチャンスを断る人がいるんだ』と驚きました。だから絵も俳句も断らないことにしたんです」