《この度、私たち夫婦の間に新しい命を授かりました! 暖かく見守って頂けると幸いです。今後ともよろしくお願いいたします》
10月13日、Twitterでこう報告したのは三浦祐太朗(37)。“理想の有名人夫婦”としてトップを走り続ける百恵さん(62)と三浦友和(69)の長男である祐太朗がついにパパに。
人気声優として活躍する妻の牧野由依(35)もInstagramで《この小さな小さな新しい命を夫婦で手を取り合いながら大切に守っていきたいと思っております》と決意をつづっていた。
出産は来年3月を予定しており、性別はまだ判明していないというが、祐太朗は生まれてくるわが子と偉大な両親の対面が楽しみでならないようだ。パーソナリティを務めるラジオ番組で13日にこう語っている。
「両親に(赤ちゃんを)抱いてもらうのを想像しただけでうれしい」
来春にはついに“おばあちゃん”となる百恵さん。その一方で結婚から41年にして夫婦は“転機”を迎えていた。
夫婦が住む地元住人は明かす。
「今年の春ごろから百恵さん夫婦はご自宅のリフォームを始めたそうです。順調に進んでいるようで、最近も大きなトラックから資材が搬入されているのをよく見かけますよ」
百恵さん夫婦が東京都国立市に建てた自宅に越してきたのは’88年。祐太朗が3歳、次男の三浦貴大(35)が2歳のときだった。芸能リポーターの城下尊之さんはいう。
■ローン完済&介護一段落で決断した自宅リフォーム
「鉄筋コンクリートの2階建てで、同じ敷地内に隣り合う形で友和さんの両親が住む家もあります。国立は東京でも有数の緑豊かな文教地区で、2人の息子たちをのびのび育てたいという百恵さん夫婦の思いから、決めたそうです。
転居は芸能界引退から8年後とはいえ、百恵さんの人気は根強く、取材攻勢が続き、自宅に不審者が侵入したこともありました。それでも国立を離れなかったのは、常に子供のことを第一に考えていたからなのでしょう」
そして大人になった祐太朗は歌手、貴大は俳優として旅立ち、実家から独立。昨年には“負債”も完済したようだ。
「’86年に組んだローンを昨年夏に払い終えたそうです。かつて俳優業がうまくいかない時期があり、友和さんは自宅の売却を考えたこともあるといいます。そんなときでも百恵さんは動じず、生活を切り詰めてピンチを乗り越えました。あえて長い年月をかけてローンを支払い終えたのも堅実な百恵さんらしいですね」(三浦家の知人)
実は百恵さん夫婦が自宅をリフォームするのは今回で2度目。このタイミングで決断した陰には友和の両親の存在があるという。
「息子さんたちが独立した’11年ごろ、百恵さん夫婦は1度目のリフォームをしています。友和さんの両親の介護を見据えて、一部をバリアフリー仕様にしたそうです。
それから百恵さんは仕事で自宅をあけることも多い友和さんに代わって、デイサービスなども活用しながら、“要介護1”の状態である義父母の身の回りの世話を完璧にこなす生活を送っていました。
少し前から友和さんのご両親は介護施設に入ったそうですが、ローンと介護が一段落したことで改めて2度目のリフォームを決断したのではないでしょうか」(前出・知人)
友和との“新たな日々”に向けてリフォームを進める百恵さん。そんななか、子供の誕生を控える祐太朗には叶えたい“夢”があるという。
■百恵さんがキルトに込めた“孫願望”
「祐太朗さんはリフォーム前から、いつかは実家に戻って両親と牧野さんと生活することを考えていたといいます。今回、牧野さんが妊娠したことでよりその思いが強くなっていると聞いています。
牧野さんと百恵さんはふだんからLINEで雑談するほど嫁姑仲が良好。そんな関係も実家に戻る後押しになっているといいます」(祐太朗の知人)
結婚後も声優の仕事を続ける予定だという牧野。共働き夫婦にとって百恵さんのサポートほど心強いものはないだろう。
さらに、祐太朗が故郷への“帰還”を望む背景には、三浦家の長男としての強い自覚があるようだ。
「祐太朗さんは昨年10月、国立市の観光大使に就任。以来、大使として、SNSを活用して国立市の魅力を頻繁に発信しています。それ以前からもバラエティ番組に出演した際は、国立にある三浦家行きつけのレストランを紹介するなど、その地元愛は筋金入りです。
両親が30年以上かけて築き上げてきた“国立との絆”を、実家に戻って自分が守りぬくという思いもあるのではないでしょうか」(前出・祐太朗の知人)
友和の姉である篠塚弘子さんはかつて本誌に《百ちゃんはよく『息子が結婚すれば、いつかは孫を連れてきてくれますから』と希望を持っています》と明かしていた。祐太朗にはそんな母のために叶えてあげたい“5年越しの宿願”もあるようで。
「キルト作家でもある百恵さんはこれまでキルトに亡き母や妹など家族への思いを込めてきました。’16年ごろから制作を始め、’17年のキルト展で発表したのは、子供部屋用のベッドカバー。これには、“そろそろ孫の顔を見たいな”という願いも込められていたといいます。今年のコンサートで『僕は結婚を諦められていたんで、完全に』と苦笑いして語るなど、祐太朗さんも百恵さんの思いをずっと痛感していました。
そして念願叶って結婚、子供も生まれることに。将来的には国立に戻り、3世代で生活することが、育て上げてくれた百恵さんと友和さんへの恩返しになると考えているのではないでしょうか」(前出・祐太朗の知人)
一線を退いた後は“普通の主婦”として昭和、平成の世を生きた百恵さん。令和ではおばあちゃんとして、その愛で3世代の家族を優しく包み込むことだろう。