「(妻に演技の)相手をしてもらって、セリフを覚えさせてもらって……」
20代のころの夫婦の思い出を阿川佐和子(67)に語ったのは役所広司(65)。
彼が無名時代のことを明かしたのは、2月13日放送のトーク番組『サワコの朝』(TBS系)だった。役所の古くからの知人はこう語る。
「役所さんは、すごくシャイなので、最近はプライベートのこと、特に家族のことはあまり語りたがりません。それがテレビ番組で、珍しく奥さんのことをかなり長く話していたので驚きました」
現在は主演映画『すばらしき世界』が公開中、そして7月にも主演映画『峠 最後のサムライ』の公開が控えている。
いまや日本を代表する俳優だが、'82年に妻・さえ子さん(69)と結婚したときは“稼げない役者”の1人だった。
さえ子夫人は当時、河津佐衛子として活躍していた先輩女優。結婚について役所本人は、雑誌のインタビューで恥ずかしながらも次のように語っていた。
《体も弱っていたし、気弱になっていたし、女房がそばにいてくれないとダメになっていきそうで、勢いで結婚を迫っていましたね。好きだったしね。
でも女房は迷ったでしょう。生活力はないし、将来のことはわからないし、酒飲みで酔うとだらしないし、年下だし。相当悩んだらしいですよ》(『週刊平凡』'86年7月4日号)
ブレークのきっかけとなった大河ドラマ『徳川家康』の織田信長役について、役所本人も「結婚祝いで役をもらったようなもの」と、語っている。
大抜擢だったが、本人はかなり重圧に悩んだという。『サワコの朝』では、こんなコメントも……。
「いやぁ僕は本当にものすごい緊張しいなんですよね。だから、セリフを覚えているときから緊張しちゃっているから覚えられない。うちのカミさんなんかは、『この人は向いていないかもしれない』って思ったみたいですよ」
どうやら当時はかなりダメ出しされたようだ。
自らを“緊張しい”と語る役所。女優を引退し、所属事務所の社長として夫のプロデュースに徹するようになった、さえ子夫人との関係も、いつも緊張をはらんでいるという。
■飽きないのは役者の仕事と妻だけ
前出の知人が続ける。
「若いころに苦労をかけたからか、役所さんはものすごい恐妻家なんです。奥さんは仕事には妥協は許さない人です。役所さんはいつも奥さんの評価に戦々恐々としています。
役所さんの現場マネージャーには、関係者の間で“日報”とも呼ばれているレポートの提出が課せられています。“何時、○○氏と打ち合わせ。その後、雑談”“何時、昼食。メニューは……”など、マネージャーがこと細かく1日の出来事をまとめて、社長である奥さんにメールなどで報告しているのです。
また不倫愛をテーマにした映画『失楽園』については、役所さん本人も“出演するかどうかを奥さんに相談した”と語っていました。日々のスケジュールから、どんな仕事を受けるかも、さえ子夫人がしっかり管理しています。役所さんの成功は、もちろんご自身の努力の賜物です。しかし半分は、さえ子さんの功績ともいえると思います」
キャンピングカーを衝動買いしたものの、結局一度もキャンプにはいかず……といった飽きっぽいエピソードにも事欠かないという役所。だがその彼が“飽きないこと”は2つだけあり、それが俳優という仕事と、さえ子夫人なのだという。
「'98年に『週刊文春』で阿川佐和子さんと対談したときの見出しが《飽きっぽいのに役者と女房だけは続いています》でした」(前出・知人)
冒頭で紹介した『サワコの朝』で、役所はこんなエピソードも明かしていた。
「乾燥しているから加湿器を2台くらい回しているんですけど、水が意外と重たいから、僕がけっこう替えていたんですよ。でも今朝かな、(妻から)替えてって言われていたのを忘れてたんですよ。替えようかなって思っていたら、(すでに)替わっていて、(妻が)『(私が)やりました』って……」
さえ子夫人の呆れた口調のモノマネまで披露した役所。
そのときの様子について、前出の知人は、
「似ているがどうかは置いておいて、奥さんへの深い愛情を感じました。さえ子さんについて珍しく語ったのは、長年支えてくれた彼女への役所さんなりの“ラブレター”なのだな、と思いました」
39年間に及ぶ結婚生活のなか、仕事や家事への、さえ子夫人のたゆまぬダメ出しが、名優の演技を磨き続けたのかもしれない。
「女性自身」2021年3月9日号 掲載