8月13日、新型コロナウイルスの感染拡大が収まらない中、コロナ禍で2度目となるお盆を迎える。今年も多くの著名人がこの世を去った。そこで2021年に逝去した方々の活躍とその人柄を、本誌の記事とともに振り返り、追悼したい。
■田中邦衛さん(享年88)
『北の国から』シリーズで黒板五郎を演じ、多くの人に親しまれた田中邦衛さん。今年3月24日、老衰のため88歳で亡くなった。
21年にわたる傑作ドラマのなかで、人間味に溢れ、二人の子供を深い愛情で育てるキャラクターは、世代を超えて愛された。最後に放送された『2002遺言』では、遺言を書いてみたり、孫を猫かわいがりしたりするなどユーモラスな姿で視聴者を楽しませた。
脚本家・倉本聰氏(86)は、田中さんが亡くなった後、完結したと思われていた『北の国から』の続編を執筆していると明かした。それは黒板五郎が死ぬ話――。今年10月ごろに行われる、富良野での放送40周年記念行事での公開を想定しているという。田中さんの後を追うようにして、五郎も天国へと旅立つことになる。
■古賀稔彦さん(享年53)
バルセロナ五輪の柔道男子71キロ級金メダリストである古賀稔彦さんは3月24日、がんにより53歳という若さでこの世を去った。
92年、当時24歳だった古賀さんはバルセロナ五輪前、靭帯をドクターストップがかかるほどに損傷。痛み止めの注射を何度も打って迎えた決勝では時間切れまで戦い抜き、見事世界一に輝いた。96年のアトランタ五輪では銀メダルを獲得。現役引退後は全日本女子のコーチを務め、また、川崎市内に道場「古賀塾」を開き、柔道の普及活動も行っていた。
「いつか死ぬんだったら、俺は畳の上で」と旧友に語っていた古賀さん。その言葉通り、家族といつものように夕食時を過ごし就寝した日の翌朝、自宅の畳の上で亡くなったという。葬儀にあたっては、息子2人が古賀さんに「古賀塾」の道着を着せた。柔道家としての精神を貫いた最期だった。
■田村正和さん(享年77)
4月3日、急性心不全のため亡くなった田村正和さん。77歳だった。
18歳でデビューした田村さんは、デビュー作『永遠の人』ではクールな二枚目を、『眠狂四朗』ではニヒルで危険な男、『うちの子にかぎって…』では二枚目半のパパ役など、幅広い役を演じ人々を魅了し続けた。風変わりな刑事を演じたドラマ『古畑任三郎』シリーズは12年にわたり放送されるヒット作となった。
89年に本誌が密着した際は、現場でも心配りを欠かさなかった田村さん。「めんどくさがりなんですよ」と言いながらも「スタッフのみなさんに」と田村さんの名でケーキが届けられていた。オフの日を過ごすゴルフ場では、集まったキャディーさんから握手にサイン、写真攻めにあう人気ぶりだった。
晩年、田村さんは本誌に「僕はもう、やり切ったから『静かに死にたい』っていう感じかな」と語っていた。告別式はひっそりと執り行なわれたが、彼のその人気ぶりや優しい人柄は今も人々の心に刻まれている。
■橋田壽賀子さん(享年95)
『おしん』や『渡る世間は鬼ばかり』などのヒット作を手掛けた脚本家、橋田壽賀子さん。4月4日、急性リンパ腫のため95歳で亡くなった。
83年から放送された『おしん』は当時のNHK連続テレビ小説史上最高の視聴率を記録するなど、国民的人気を博した。『おしん』の結末についてインタビューした際には「最後はスタッフを含めてアミダで決めようかしらー」などいたずらっぽい笑顔で語るなど、元気で明るい姿が印象的であった。
15年には、終活を始めたことを明かしていた橋田さん。これまでの仕事について、「日本がいちばんいい時代にテレビの仕事をさせていただいて、その時代、その時代に自分が書きたいと思ったものを存分に書かせていただきました」と感慨深げにコメント。私生活についても、「それはありがたい人生でした。『あれがあったらよかった』『あの人と結婚すればよかった』ということは皆無です」と満足した表情を見せていた。
■チャーリー浜さん(享年78)
吉本新喜劇の人気お笑い芸人、チャーリー浜さんは4月18日、呼吸不全と誤嚥性肺炎により亡くなった。78歳だった。
「ごめんくさい」や「君たちがいて、ぼくがいる!」などのフレーズで人気を博した。また91年には「…じゃあ~りませんか」で「新語・流行語大賞」の年間大賞を受賞、翌年には上方お笑い大賞も受賞している。
91年、共に吉本新喜劇を支えた、間寛平さん(72)、島木譲二さん(享年72)との座談会では、「なんせワタクシは流れのまんまに人生生きてますから」と明るく人生観を語っていた。その言葉を体現してか、4回結婚し離婚した。後輩も憧れるプレイボーイだったという。
晩年は吉本新喜劇の舞台に立つ機会は減ったものの、地方巡業にも出ていたという。「網走から小走りで」などチャーリー浜さんのギャグは地方でも健在。最後まで人々を笑顔にし続けた。
■小林亜星さん(享年88)
5月30日、心不全のため88歳で亡くなった作曲家、俳優の小林亜星さん。
レナウンCMソング『ワンサカ娘』で広い世代に親しまれたほか、都はるみ(73)の『北の宿から』、童謡『あわてんぼうのサンタクロース』など幅広く名曲を生み出した。さらに、ドラマ『寺内貫太郎一家』では頑固おやじを好演するなど、多岐にわたってその才能を発揮した。
72年、『ピンポンパン体操』が大ヒット。世間が石油ショックで暗くなっていたところに流れた明るいメロディーは人々の気持ちを動かした。小林さんは当時について、離婚寸前の状態で「僕自身は人生の中で一番暗い時期だった」と振り返り、「幸せっていうのは、自分が本当にそうだと表現できない。不幸のときだと、自分がよくわかるんですよ。これが幸せっていうものなんだと。だから表現できたんでしょうね」と語っていた。酸いも甘いも噛み分けた人生観が、ヒット曲を生み出し続けるコツだったのかもしれない。
さまざまな名作、名場面を私たちに残してくれた故人たち。その活躍は今後も多くの人の記憶の中で生き続けるだろう。初盆を節目に、心より冥福を祈りたい。