12月9日、お誕生日の祝賀行事後、上皇ご夫妻へご挨拶に向かう両陛下 /(C)JMPA
冬の青空の下、沿道から上がる祝賀の声。車の窓を開けて手を振られる雅子さまのほほ笑みには、これまで以上に自信があふれているように見えた――。
12月9日、59歳のお誕生日を迎えられた雅子さま。夕方には天皇陛下とともに、赤坂御用地にある仙洞御所を訪問され、上皇ご夫妻に挨拶された。
「雅子さまは50代最後の年となられ、これまでの人生を振り返り、未来に思いを巡らされているようです。国民と直接交流される行事も増えており、雅子さまはより真剣に、国民や皇室のために何ができるのかをお考えになっているのでしょう」(宮内庁関係者)
そうしたご心境は、お誕生日に際して宮内庁を通じて公表したご感想にも綴られていた。
《今回、50代最後の誕生日を迎えるに当たり振り返ってみますと、私が、当時の皇太子殿下との結婚により皇室に入りましたのが平成5年6月9日、ちょうど29歳半の時でした。本日の誕生日で、その時からちょうど29年半になります。いつの間にか人生のちょうど半分ほどを皇室で過ごしてきたことに、感慨を覚えております》
このお誕生日のコメントには例年と比べて“劇的な変化”があった。20年来闘い続けたご病気についての記述がなかったのだ。ある皇室担当記者は、この事実に驚きを隠さない。
「雅子さまは2003年12月に帯状疱疹で入院され、翌年7月に適応障害との診断が公表されました。
以来、お誕生日に公表されるご感想には、“快復に努めて”“快復に向けての努力を”という一節がほぼ必ず記されてきました。また、医師団の見解が添えられ、“ご体調に波がある”という記述が恒例となってきました。
ただ今年は、例年どおり医師団の見解には“御体調には波がおありです”という表現がありましたが、雅子さまのご感想には、“快復に向けて”といったご体調に関する記述が一切なかったのです。
言及がなかったのは、愛子さまの“登校不安”問題についてのご説明が多かった2010年以来、12年ぶりのこと。雅子さまご自身はご体調の快復にかなり自信を取り戻されているのです」
■文書に秘められた雅子さまのご決意
精神科医の香山リカさんによれば、今回公表されたご感想から、雅子さまが抱かれているご決意が読み取れるという。
「この内容からは、雅子さまが“自分は病気である”“今も快復の途中だ”という意識から離れようというご決意を抱かれていると感じました。皇后としてすべてを完璧にこなされるのではなく、“ご体調の波”と付き合いながら、要所要所のお務めを果たされていくスタイルを、肯定的に捉えられるようになっているのだと思いました」
雅子さまは今年の秋から、直接足を運ばれる形で地方でのご公務を再開させ、皇居の外へお出かけされる回数も増えている。しかしその一方で、国民からは見えないところで奮闘されていた。
「都内や地方で国民と交流されたり、海外からの賓客をもてなすような行事では、雅子さまは元気そうなご様子に見えます。しかし、そうしたお姿に見えるよう、そのタイミングに向けて必死に体調を整えられておられます。国民には伝わりにくいところですが、毎回大変な努力を重ねられていると理解しています」(前出・宮内庁関係者)
雅子さまが懸命に努力される原動力は、どこにあるのか――。長年、雅子さまのご体調を取材し続けてきた皇室ジャーナリストはこう振り返る。
「適応障害と診断される前の2004年3月から、雅子さまはご実家の小和田家が所有する軽井沢の別荘で1カ月ほどお過ごしになりました。その後東宮御所に戻られる際の雅子さまの沈んだご表情は、いまも忘れられません。
雅子さまもかなりおつらい状況だったといい、お部屋にこもりきりで、側近との会話もなく、お願いしたいことがあるとドアの下にメモを挟まれてお伝えになっていた時期もあったと聞いています。苦痛に満ちた日々の中で、天皇陛下の献身的なお支えや、すくすくと育たれる愛子さま、温かい声援を送る国民の存在は、雅子さまの心のよりどころとなっていたのでしょう」
温かく応援してくれた「国民に恩返しを」という雅子さまのお気持ちが、ご感想での“全快宣言”というべきメッセージにつながっていたのか――。
「今年は沖縄復帰50周年の節目でもあり、両陛下は10月に『美ら島おきなわ文化祭2022』などへ出席するため、1泊2日で沖縄県を訪問されました。雅子さまにとって25年ぶりの沖縄県へのご訪問でしたから、ご感想でも言及されています。
今回公開されたお写真のなかには、テーブルに置かれたシーサーが入ったカットや、両陛下で『美ら島おきなわ文化祭2022』の冊子を読まれるカットがありました。平和を願うお気持ちや、国民の安寧を祈られるご姿勢が現れていました。
さらに今年のご感想には、愛子さまについて言及される箇所がなかったことも特筆すべきことでした。文書の冒頭で愛子さまのご成年に触れておられた昨年の内容と対照的に感じました」(前出・皇室担当記者)
■文書に綴られていた“29年半”の総括
前出の香山さんは、雅子さまが文書で愛子さまに言及されていなかったことについて、次のような印象を持ったという。
「愛子さまを育て上げられたという自信を、雅子さまはお持ちになっているのでしょう。
愛子さまを自立した成年皇族として尊重され、いつまでも付き添われるのではなく、任せることはお任せになるということをお考えになっているのかもしれません」 お誕生日当日の報道に向けて、ご感想が書かれた文書は前日の12月8日までに宮内記者会に対して配布されるのが恒例となっているが、今年は――。
「内容は全体として、国際情勢からエリザベス女王の国葬参列、地方での行幸啓、国民が苦しむ物価高やサッカーW杯での日本代表チームの健闘など、多岐にわたって言及されています。
また、雅子さまはギリギリまで推敲を重ねられていらっしゃるそうで、そのせいか今年は予定よりも3時間ほど配布が遅れました。これまでも予定より遅れる年はありましたが、今回の内容から見ても、より思いを込めてまとめられたのかもしれません」(前出・皇室担当記者)
ご体調の快復と、強められた自信は、文書のほかの箇所にも現れている。雅子さまは、“29年半”という時間を総括するかのように、こう心境を明かしている。
《29歳半までの前半にも、また、皇室に入りましてからの後半にも、本当に様々なことがあり、たくさんの喜びの時とともに、ときには悲しみの時も経ながら歩んできたことを感じます》
“悲しみの時”に流した涙を、雅子さまは生きる糧と結びつけられたのかもしれない――。
「人生を振り返られるなかで、おつらく悲しい時期を客観的にご覧になることができるようになり、より皇后としてご自身のお務めを果たすという覚悟を固められていらっしゃるのではないでしょうか」(前出・皇室ジャーナリスト)
50代最後の1年にして、闘病20年目という節目に打ち出された“国母の全快宣言”。雅子さまのほほ笑みは、より一層輝きを増されていくはずだ――。