新庄剛志「彼を殴ったことは一度もなかった」阪神入団当初を知る鬼寮長が明かす真面目すぎる若手時代
「いろんな子供が入ってきたから、それは大変でしたよ。昔は鉄拳もやりましたよ。選手にナメられたらいかんし、怒らなあかん。ほとんどの子供を殴ったんちゃうかな」
「手のかかるコが多かったなか、新庄は寮では行儀のええコやった。皆さんは新庄といえば、チャランポランなイメージがあるかもしれんけど、練習は真面目やったし、門限も守る。彼を殴ったことは一度もなかったな」
「部屋がな(笑)。暖簾をかけたり、オーデコロンの匂いが充満しとった。洋服もすごかったな。ベルサーチが好きで、部屋はまるで衣装部屋みたいやったよ。一軍で試合に出るようになると、人気はものすごいことになった。ファンレターは毎日100通以上が届く。
「彼女は何人かいたみたいやけど、交際を長く続けるというのはなかったんと違うかな。ファッションモデルとつき合ってる時期もあったけど、それよりも野球やったやな」
「彼は若いころから夢を持ち続けていたね。日本でプレーを続けていたら大金を稼げたのに、それでも年俸の低いメジャーに行ったでしょ。お金の問題ではなく、とにかく若いころからメジャーでプレーしたいというのが口癖やった。その夢を追い求めて実現させたわけやけど、その夢が今度は監督になるという情熱に上り詰めたんやと思いますね」
「(阪神時代)俺が一方的にぐいぐいいってたけど、かわいがってもらっていたのは確かです。野村さんが監督に就任した際、『ミーティングが長すぎるから短くしてください』って言ったんです。みんな驚愕してたけど、野村さんは受け入れてくれた。だって、人間の集中力は2時間も保てないですし、学校の授業も50分じゃないですか(笑)。
「まず思ったのは、日ハムも思い切ったことしたなと(笑)。ただ、彼は割り切りが早いし、アイデアマン。今後は、アイデアを出して自分なりに組閣をやって、選手の補強もやると思う。スタッフを含め、阪神OBから1人でも2人でも入らんかなあ。亀山(努)とかどうやろう(笑)。