日本人の多くが大型連休を心待ちにするこの季節は、中森明菜(57)にとって一年でもっとも大事な時期だ。
1982年5月1日にデビューした彼女。1989年4月29・30日には東京・よみうりランドで、デビュー8周年の記念コンサートをおこない、デビュー40周年の2022年4月30日には、その映像がNHK BSプレミアムで放送され、大反響を呼んだ。
そして、2023年4月28日には「伝説のコンサート」が、全国映画館で上映される。
「昨年の『NHK紅白歌合戦』への出場がなく、活動再開は不透明な状況に戻りました。しかし、今回の上映では終了後に、明菜さんの肉声メッセージが流れると発表され、ファンのみならず大きな注目を集めています」(芸能記者)
そんな世間とは、正反対の反応を示した人物がいた。
「再始動は、そんなにすごいことなんですか? 私は彼女を、今まで『芸能人』として見てきたことがありません。とても身近な存在でした――」
そう語ったのは、都内在住の女性Aさん。明菜と近い間柄にあったのは、彼女の叔父が20年近くマネージャーを務めてきたK氏だからだ。
休養中の明菜を私生活でも親身になり支えてきたK氏は、かつて恋人と報じられたこともある。だが2022年8月、明菜がK氏から離れ、個人事務所「HZ(エイチゼット) VILLAGE」を設立したことで、破局がささやかれていた。
K氏にとって姪のAさんもまた、明菜と家族同然のつき合いをしてきた。Aさんに話を聞くと、こう明かしたのだ。
「私は、明菜さんがまさに人気絶頂のころに生まれました。なので、彼女の歌手としての第一線の活躍を知らないんです。(K氏との恋仲については)2人のことなので、私には本当のことはわかりません。
明菜さんはずっと日本と海外を行ったり来たりしていて、(休養中も)普通に生活していましたし、元気でしたよ。私もよく2人で出かけました。半年前までは、一緒に買い物に行ったりしていたんですが……」
そこまで話し、Aさんは重たい口調に。それには2023年1月、明菜の個人事務所の監査役にAさんの母(K氏の姉)C氏が就任したことも関係する。
「K氏から離れて心機一転、復帰を探った明菜さんですが、思ったように事が進まなかった。恩師と慕っていた音楽プロデューサーが昨年逝去し、頼れる人がいなくなりました。
すると、年明け早々にC氏が監査役に就任。再び明菜さんは、芸能界にも顔が利くK氏のもとに舞い戻ったのでしょう」(前出・芸能記者)
C氏は「女性自身」の取材に対して、「私と明菜さんの関係は、長年一切変わっていませんよ」と答えていたが、娘のAさんは違う認識を持っている。
「今も復帰の話を進めていると思いますが……私はなぜ母が、明菜さんを復帰させたがっているのかわかりません。私は、明菜さんをめぐるゴタゴタに関わりたくなかった。そして疲れました。もう半年ほど、母とは連絡を取っていません。
携帯番号も変えたんです。なので、明菜さんとも連絡を取っていませんし、向こうから連絡が来ることもありません」
明菜の “心の友” だったAさんには、周囲が無理やり復帰に動いているように見えたのだろうか。
具体的な時期は明かさなかったが、Aさんは昨年秋ごろにC氏と「親子断絶」をしたと話す。それは実母の死後、実家と絶縁状態にある明菜にとって、“第2の家族” が崩壊したことを意味している。
「父(C氏の夫)も復帰に関心がありません。その話なら母に聞いてください」と話すAさんの声は、どこか寂しそうに思えた。
明菜の個人事務所に具体的な復帰時期などについて尋ねると、「対応を控えさせていただきます」と返答した。
明菜の身辺での大きな変化を窺わせるAさんの告白だが、メッセージ公開など着実に復帰へのステップは踏んでいる。
「じつは現在、明菜さんはファンクラブ内でラジオ番組を配信しているんです。そこで、表舞台への復帰として、番組出演のオファーをかけているラジオ局が複数あります。
しかし、楽曲制作で制作関係者にお声がかかったという話は聞いていません。まだ、歌手としては何も動いていないようです」(音楽業界関係者)
5月1日に、41度めのデビュー記念日を迎える彼女の決意とは――。
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