「今までで、いちばんキツかったよ。福島刑務所は楽だと聞いていたのに、5回も懲罰を受けたからね」
と力なく笑う“マーシー”だが、血色はいい。
「収容前は、糖尿病で気絶するほど体調が悪かったけど、刑務所は粗食だし、運動時間に筋トレをしていたから、かなり健康になったんだ。でも、精神はすごく削られたよ」
というのも、服役中は刑務官にかなり苛められたという。
「ダルマを作る刑務作業中、細かい作業に向くからと爪楊枝を使っていたら『なんだこれは』と刑務官に見つかってね。『効率的なんです』と弁明したって『屁理屈言うなこの野郎』と一喝されて懲罰だよ。若い刑務官からは『年下にここまで言われて恥ずかしくないのか』とかイビられたりもした。顔を知られているから、ほかの受刑者から喧嘩を売られることもある。俺もやんちゃだから『いつでもやってやるよ』なんて言い返したりしてね(笑)。懲罰房はつらかったですよ。誰とも話せず孤独で、数日でキツくなる」
「つらかった。入院中の病院から『自分が代わりに死ねばよかった』とコメントを出したけど、そのとおり。でも笑い話もあってね。受刑者のなかに『志村さんが亡くなる直前までつけていた数珠を作ったのは俺だ』と自称する男がいてね。志村さんに『地位や健康』と『女と快楽』が上がる数珠、どっちがいいか聞いたら、迷わず後者を選んだってさ(笑)。前者を選んでいてくれればね……。早く東村山市にお墓参りに行きたいと思っています」
「刑務所では、模範的かどうかで等級が決まるんだ。俺はずっと最低ランクの5等のまま。差し入れが制限され、色鉛筆を受け取れなかった。月に二度ある貴重なお菓子すら、一度も食べられなかったよ……」
「韓国映画によく出てくるんだけど、向こうでは縁起物として豆腐の角を食べるんだって。黒い自分を豆腐のように白くする。豆腐が大豆に戻らないように、自分もここに“戻らない”という意味があるんだってさ。これをやってみたくて、妻に用意してもらい、出所後に刑務所の前ですぐに食べた。でも美味しかったのは、帰宅して食べた妻の手料理。心に沁みたなあ」
「今の妻とは、2011年に府中刑務所に収容される直前に籍を入れました。『差し入れも面会も、身内だと便利だから』ってね。デビュー当時から俺のファンで、世界中探してもこれほど俺のことをわかってくれるのは、こいつだけですよ。今回はコロナ禍のせいで、雪の中わざわざ面会に来たのに追い返されたり、かわいそうな目にも遭わせた。息子はいろいろと理解があるんだけど、娘との関係が難しくて。嫌われたくないから、これまで再婚したことを自分の口からは話せなかったんだよね」
「保護観察官にも言われたんだ。『奥さんが監視役ですからね』って。たとえば取材を受けたり、会食に参加する際に、売人が紛れ込んでいないか気をつけてくれるし、なるべく一緒に行動することで、薬物に出会うきっかけが生まれなくなる。すごく助かるよ」
「俺ほど身をもって薬物の怖さを伝えられる人間、いないでしょ?(笑) 講演といったって、ボランティアみたいなものでいい。たとえば、お車代で5000円でもいいからもらえれば。自分で働いて、少しでも、娘や息子にお金を送りたいんだよ。ただ、華々しい芸能界に復帰しようとすると、必ず売人が近寄ってくるんだよ。だからなるべく一人でできる仕事や、薬物の怖さを伝える活動をしていきたい。でも本当は、鈴木雅之の隣で歌うのが夢なんだよな……。
“懲りない男”の闘いは、まだ7日めだ。