松本明子 放送禁止用語発言、コロナ禍も “体当たり” …ピンチのときも “楽しんで” 乗り越える
「四国出身なので魚にはうるさいのですが、お刺身もプリプリですごく美味しい。季節に合ったメニューも多く、冬にはお鍋や肉豆腐でおなかいっぱいになっています」
「とにかくテレビの中に入って歌いたいという気持ちが強かったです。でも、父親が東京に行くことに大反対。最後は母親が『娘の夢を応援してあげて。そうでないと離婚するわよ』と説得してくれて、上京することができました。
「1年先輩が、松本伊代ちゃんや中森明菜ちゃんら “花の ’82年組” と呼ばれるスター揃いの年。まったく売れない私との格差をすごく感じました。仕事がないから高校は “皆勤賞” 。生徒会の役員にもなり、しまいには(将来を考えた)先生から大学進学を薦められる、と芸能人とは思えない学園生活でした。忙しくて学校に来られない同級生の所属事務所にテスト範囲のノートをFAXしたり、仲がよかった堀ちえみちゃんの上履きが盗まれたら、こっそり購買部で買って補充したりと、売れっ子のお世話ばかり……。もちろん、悔しかったです。
「(片岡)鶴太郎さんと(笑福亭)鶴光さんに、『この言葉を言ったら有名になれるかもしれないぞ』と言われ、売れたい一心で言ったんですよ。お二人は冗談のつもりでおっしゃったのですが……。言った瞬間、スタッフに羽交い締めにされてスタジオから出されました。次の日には一般紙でも『新人歌手が放送にふさわしくない言葉を発言』と記事になっちゃって。前代未聞。こんなことになるとは想像もしていませんでした」
「泣きながら電話をしたら、母親に『有名になれてよかったじゃない。歌手というカテゴリーにとらわれず、いろんな仕事をして名前を覚えてもらいなさい』と言われて。これには驚きました、心強かったです。それでまだやめられない、タレントを続けようと思いました」
「中山さんらしく、シャレを言って私を励ましてくれたり、慰めてくれたり、笑わせてくれたりして。本当に中山さんがいなければ今の自分はいなかったと思います。バラエティ番組に出るようになったきっかけも中山さんです。当時、歌手班にいた私を、『新曲も出さないし、居心地悪いでしょ。バラエティ班に移ってきたら?』と声をかけてくれて。そこからレポーターをやったり、ものまねをするようになりました」
■ “アポなしロケ” で最強バラドルに
「(電波少年は)3カ月間の穴埋め番組としてスタートしたのですが、松村(邦洋)くんの『渋谷のチーマーを更生させたい』という企画がウケて。私も『PLOのアラファト議長とデュエットしたい』とガザ地区に行ったりと、体当たりでアポなしロケをしました。コンプライアンスゼロ時代で、めちゃくちゃでしたが楽しかったです」
「当時はとにかく使命感を持ってやっていました。松村くんもですが、まだ大化けする前の出川哲朗さんや山崎邦正さんやキャイ~ンさんなど、戦友ともいえる芸人さんたちがおもしろいVTRを撮ってくるんですよ。それを観ては負けたくないと思って。いいライバル関係でしたね」
「スーパーで野菜を買ったポイントで、衣料品売り場でワンピースを買うのが大好きなんです。そんな私なりの楽しい節約術をまとめました。趣味感覚で楽しむ節約のコツが詰まっています」
「仕事でロケが全部なくなりました……。先が見えずに不安な毎日を過ごしていたとき、山登りにハマりました。
「10年くらい前に、大沢逸美が番組で『同期に会いたい』と言ってくれて、それをきっかけにつながりました。あのころのみんなとまた一緒にできるのは楽しいです。
まつもとあきこ
1966年4月8日生まれ 香川県出身 1983年に歌手デビュー。『ものまね王座決定戦』(フジテレビ)では “ものまね女四天王” と呼ばれるなどバラエティ番組に積極的に出演。また、情報番組やドラマなどでも活躍。7月13日に『この道40年あるもので工夫する 松本流ケチ道生活』(アスコム)を上梓した
【やなぎ亭】
住所/東京都杉並区方南2-13-11
営業時間/17:00~23:30(L.O.22:00)
定休日/日曜
写真・木村哲夫
ヘアメイク・桜井章生