私は1990年代に警視庁に入庁し、およそ20年間、警察官として勤務してきた。その大半、私が在籍したのは公安部である。そんな公安人生に転機が訪れたのは、入庁して10年が過ぎた頃だった。外務省に出向して、アフリカ某国の日本大使館に赴任せよとの辞令を受けたのだ。
そして、帰国後、配属されたのが、警視庁公安部外事課の「公館連絡担当班」というセクション。読んで字のごとく、各国が東京に置いている公館(大使館、総領事館、政府代表部など)との連絡・調整にあたるのが主な任務だ。
公館連絡担当班は、警視庁と日本に存在する157の大使館を含む公館をつなぐ架け橋だ。大使はどこの国でもエリートだから、素晴らしい人間関係を築けそうに思えるが、必ずしもそうとは限らない。裕福とはいえない国から来た外交官の中には、日本にいる間に何か “内職” をして金儲けをしようと目論ろんでいる者もいるからだ。
2013年秋、在日ルーマニア大使館で開かれたレセプションに出席した際のことだ。歓談の会話が弾んでいた時、私のところにツカツカと歩み寄ってくる男性がいた。
欧州アドリア海沿岸の某国の駐日大使だった。ものすごい剣幕で「新聞社に情報を売ったのは君だろう。なんで私に先に言ってくれなかったのだ。おかげで私たちの名誉は地に堕ちたぞ!」と言ってきた。
「大使、あなたは誤解しているようだ。私は新聞社になどまったく関係はありませんよ」。私はまだ事情がよく呑み込めないまま、とにかく身の潔白を訴えた。後日改めて大使館に説明に出向くことを約束して、その場はなんとか収めることができた。
大使が問題にしたのは、その半年ほど前に日本の新聞に載った一本のスクープ記事だった。
「大使館カジノの闇 一等書記官名義の一室 実態はバカラ部屋 内偵中 突然の閉鎖」――こんな大見出しで、ある国の大使館に勤めている一等書記官が賃借した東京都港区赤坂のマンションの一室で、違法なバカラ賭博が開帳されていたと伝えた記事だった。
記者が潜入した際の内部の様子なども書かれており、このカジノを摘発するため警視庁生活安全部保安課が内偵捜査を進めていたところ、カジノは突如閉鎖されたと伝えていた。
後日、大使館を訪ね、私はその記事と無関係だし、賭博事件を捜査する保安課とはセクションが違うので内偵捜査のことも知らなかったと説明すると、大使はようやく理解してくれた。
だが……私は、大使には保安課の内偵のことを知らなかったと説明したが、実際は知っていた。問題の赤坂のマンションの一室が外交特権の適用される「不可侵」な場所なのかどうか確かめてほしいと保安課から照会されて、現場のマンションを見に行ったことがあったのだ。
その部屋のドアの横には「○○大使館」と国名を書いたプレートが掲げられていた。ここは夜になると、金回りのいい台湾人や香港人、日本人などが集まって高額の賭博をしているということだった。
記事は一等書記官がこの部屋の名義人だと書いていたが、保安課が調べたところ、実際の賃貸契約者は日本人だった。ただし一等書記官はこの部屋をよく訪れ、胴元のように場を取り仕切る様子も見られたという。
「外交関係に関するウィーン条約」で、大使館や大使公邸、外交官の住居として認められた敷地は「不可侵権」を持ち、捜索、徴発、差押えなどは執行を免除されると規定されている。
こうした不可侵権を持つ物件についてはすべて、外務省が各国の大使館から申請を受けて承認済み物件のリストを作っており、これに載っている場所であれば警察は踏み込むことができないのだ。
調べたところ、この部屋はもちろん大使館ではなかったし、一等書記官の自宅でもなかった。つまり、警察が踏み込んで捜索を行うことが可能な場所だった。
入口に掲げられたプレートは、いわばまやかしの魔除けの札のようなもので、これを貼っておけば警察も簡単には踏み込めないだろうと考えたのかもしれない。だが、大使館ではない場所に大使館の看板を出す行為も条約に抵触する違反行為なのだ。
「外務省に確認しましたが、やはりあの部屋は外交施設として承認された場所ではありませんでした。つまり、あそこはガサ(家宅捜索)が可能です」
私は保安課の担当者たちに説明した。あわせて、家宅捜索に踏み込む際の注意事項についてレクチャーした。
「踏み込んだ際、現場に一等書記官がいた場合は、彼の体に触らないよう注意してください。もしも一等書記官がその場を立ち去りたいと希望したら、捜索に立ち会うよう求めることはできますが、腕をつかんだりして動くなと命じることはできません。それをやったら条約違反になります。あくまでここに留まってくれと説得を試みるだけにしてください。
もう一つ注意が必要なのは、所持品の扱いです。バッグなどを押収する前に、一等書記官に『あなたの所持品はどれですか』と確認してください。一等書記官のバッグは押収できないし、開けて中を見てもいけません。逆に言うと、外交官の持ち物でなければ、すべて押収可能だということです……」
このように外交官の扱い方についてレクチャーするのも私の役目なのだ。こうして保安課は強制捜査に向けて着々と準備を進めていたが、刑事たちが踏み込む前にカジノは突然閉鎖され、捜査は水の泡となった。カジノの噂がかなり広がっていたらしく、相手は警戒して急きょ閉鎖したのだろう。
このような “大使館カジノ” の事例は、このケースより10年ほど前から散見されるようになっていた。いずれも中央アジア、アフリカなどのあまり裕福とはいえない国の外交官が絡んでいた。
外交特権という強力な “魔除け” に目をつけた日本の暴力団が、そうした国の外交官たちに近づいて、1000万円単位の謝礼金をエサにして賭博の場所を提供させる――そんな図式が毎回繰り返された。謝礼金に目が眩んだこともあるが、特に、カジノが合法化されている国の外交官は賭博行為にあまり抵抗を感じないのかもしれない。
2005年、東京・南麻布のビルの一室にあった闇カジノが警視庁に摘発された。この部屋はコートジボワール大使館の外交官が、自分の名義で賃借して暴力団に提供していたものだった。
外務省はこの外交官にPNG(ペルソナ・ノン・グラータ=滞在拒否)を通告して、外交官は出国した。しかし、4年後に再来日した。この時、外交特権はすでに消滅していたので、警視庁に逮捕されている。
2014年には、ガーナ大使が自分の名義で賃借した東京都渋谷区と福岡県福岡市の部屋で賭博が行われていることがわかり、警視庁に摘発されている。大使自身はカジノに姿を見せておらず、単に部屋の賃貸契約に名義を貸していただけのようだった。こちらも部屋に「ガーナ大使館」と偽りの看板が掲げられていた。
ガーナ大使は警察の手入れがあったと知るや、勤めを放り出して出国した。そのまま日本に残っていたら、9年前のコートジボワールの外交官の二の舞で、PNG通告を食らうかもしれないと恐れたのだろう。
それからしばらくガーナ大使館は大使不在の状態が続き、やっと着任した後任の大使は「ガーナの名誉を回復するのが私の務めだ」と話していた。
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以上、勝丸円覚氏の新刊『警視庁公安部外事課』(光文社)をもとに再構成しました。元公安が明かす、外国人によるスパイ・テロ・犯罪行為を水面下で阻止する組織の実態とは?
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