7月8日午前11時半頃、奈良市内で演説をしていた安倍晋三元首相が銃撃され、死去した。67歳だった。事件を受け、昭恵夫人は都内の自宅から急遽奈良に向けて出発し、17時すぎ、安倍元首相が治療を受けている病院に到着している。
「昭恵夫人の心痛はどれほどのものか。想像するだけでつらいものがありますね。お互い、どんな批判にさらされてもかばい合ってきた夫婦ですからね」
と語るのは2人の関係に詳しい政治部記者だ。
1962年、昭恵夫人は森永製菓創業家の長女として生まれた。良家のお嬢様が通う聖心幼稚園に入園し、エスカレーター式で聖心女子専門学校英語科へ。電通に就職したあと、上司の紹介で父・晋太郎氏の秘書を務めていた晋三氏と出会った。
「最初の待ち合わせに30分遅刻したそうで、安倍さんも『ずいぶん待たせるなと、第一印象はあんまりだった』と語っています。しかし話は盛り上がり、その場で意気投合したそうです。その頃の安倍さんは、美脚がお好きだったようで『彼女はすらっとして脚がきれいなんだよね』とノロケていたとか」(同前)
2人は1987年に結婚したのち、2006年には “首相夫妻” となった。
「昭恵夫人は、当初ファーストレディとしての振る舞いに悩んでいましたが、ブッシュ大統領夫人に『自分が得意なことをやればいい』とアドバイスを受けてからは、のびのびしていましたね。神社をめぐったり、NPOやNGOの活動に熱をあげたり、2012年には居酒屋『UZU』までオープンさせました。
自由気ままな振る舞いは、首相夫人としてたびたび批判されてきました。しかし、夫である安倍さん当人が、昭恵さんの天真爛漫でお嬢様然とした振る舞いが好きでしたからね。側近がいくら諫めても『俺が言っても聞かないから』ととぼけて、夫人を守ったそうです」(同前)
昭恵夫人も「家庭内野党」を自負する一方、実際には安倍元首相いちばんの “支持者” だったという。
「特に2007年、体調不良で第一次安倍政権を終えることになった際は、ずいぶん取り乱していましたよ。当然、昭恵さんにとっては安倍さんの体調が最優先。『政治家を引退しましょう』とすすめたそうですが、安倍さんは断固として断りました。
昭恵さんはスピリチュアルな世界に傾倒することをたびたび批判されてきましたが、それも安倍さんのためだったんです。総理を辞職し体調も悪いという、まさに “どん底” の夫を見て、『神社でお祈りするしかない』と考えたんです」(同前)
多くの批判にさらされ続けながら、それでも互いにかばいあった夫婦愛。残念ながら、昭恵夫人の “祈り” は通じなかった――。
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