東京・池袋にほど近い住宅街に「高見」の表札が掲げられた “終の棲家” は、大きな体に似合わない小さな借家だった。
5月10日、NHK教育テレビの『できるかな』で「ノッポさん」を演じた、高見のっぽ(本名・高見嘉明)さんの死去が公表された。
2022年9月10日、心不全により享年88で亡くなっていたが、故人の意向で伏せられていた。
「孔子が好きで、その言葉を読んでは『人間の欲望はほどほどに』と言っていたんです。自宅についても『家なんかいらない』と、借家に住んで質素な生活を心がけていました」
こう話すのは、ノッポさんの所属事務所社長として、彼を40年間見続けてきた古家貴代美氏だ。彼女の左手首には、男性モノの腕時計が巻かれていた。バンドはボロボロになっている部分もある。
「これは、ノッポさんが文房具店で買った1000円ほどの時計。『時刻が狂わないからいいね』と言って、最後までずっと着けていたんです。それを形見としてもらいました。
ノッポさんは以前から自分の最期について、『僕は風のように逝くから見ていて』と話していました。まさにそのとおり。直前まで元気で、苦しむこともなくサッと亡くなりました。
最初は、喪失感と公表できないことでつらさもありましたが、半年ほどたち、それも薄れてきて落ち着いて話せるようになりました。この間の経験は、ノッポさんからのプレゼントだと思っています」(古家氏、以下同)
20年以上、いっさいしゃべらずにノッポさんを演じ、『できるかな』の最終回で初めてしゃべったことは語り草になっている。彼は私生活も、ほとんど明かすことはなかった。
「じつは愛煙家で、亡くなる直前までタバコを吸っていました。昔は『カンピー(缶入りのピース)』、晩年に吸っていたのは『ロングピース』です。ただ外では吸わず、家の中だけで吸っていました。
一方で、お酒は苦手。でも5、6年前から夕食時に、日本酒や焼酎をお猪口にほんの少し飲んでいました」
京都・太秦(うずまさ)で生まれ、芸能界に足を踏み入れた後は、大部屋俳優として過ごした時期もあったノッポさん。昔ながらの役者らしい嗜みもあった。
「若いころからパチンコが好きだったようで、近所の店舗によく行っていました。でも、最近のパチンコ台は『あんまりおもしろくないな』とこぼしていましたね。大当たりシステムが複雑すぎて、好みじゃなかったようです。
それ以上に好きだったのは、麻雀でした。同世代の方を家に呼んで卓を囲んでいました。ノッポさんは独特な打ち方をするそうですが、強いんです。本人は『NHKに出ている時代に鍛えられた』と話していましたね。ただ、コロナ禍で家に集まることが難しくなりました。
そんなときは『Mリーグ』の中継やダイジェスト番組を見ていて、放送が始まると誰もノッポさんに近寄れないほどの集中力でしたね(笑)。『今はこれしか楽しみがない』と、ぼやいていましたよ」
こうしたエピソードを表に出すこともなく、ノッポさんと自分自身を一体化させて生きてきた。
彼が子供のことを敬意をもって「小さい人」と呼んでいたことは有名な話だ。
「ノッポさんにはこんな思いがあったんです。『人間は5歳のときが頂点。それからは凋落の一途をたどっている』。よく、自身の小さいころのことを覚えていて、話してくれました」
けっして凋落などではなく、「高見嘉明」として幸せな晩年であったことは間違いない。
写真・祝迫力
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