クマが人間を助けたという話は意外に多く残されている。そのなかでも感動的なのが、『北越雪譜』に収録されている『熊 人を助く』の挿話である。
『北越雪譜』(鈴木牧之編)は、1835年(天保6年)頃に刊行された越後塩沢の風俗を記録した民話集である。内地なのでヒグマではなくツキノワグマではあるけれど、その内容は非常に興味深い。現代語に改めた上で以下に抄出してみよう。
著者の鈴木が若い頃、魚沼に用事があって3日間逗留したが、そのとき、宿の主人がとある老人を紹介してくれた。
「この親父は若い頃、熊に助けられたことがある。危うい命を助けられて、今年82歳になるまで長生きできためでたい老人だから、お近づきになりたまえ」
老人が語るには、20歳の頃、雪車を引いて山へ柴刈りに出かけたところ、谷間にせり出した雪庇にはまり墜落した。幸い雪上を滑り落ちたのでケガはなかったが、落ちたところは谷底であった。
《四方を見るに、谷間のいきどまりにて甕(かめ)に鼠のごとく》と、完全に進退きわまってしまった。
そこで、かたわらを見ると、くぐれるほどの岩穴を見つけた。なかは雪もなくほんのりと暖かい。ここをねぐらにしようと、念仏を唱えながら手探りで這い進むと、手先に触ったのは、まさしくクマであった。胸が裂けるほど驚いたが、逃げようにも道はない。生きるも死ぬも神仏にまかせようと覚悟を決めて、クマに話しかけた。
「いかに熊どの わしは薪とりに来て谷へ落ちたるものなり。帰るには道がなく、生きているには食い物がなし。死ぬべき命なので、引き裂いて殺さば殺したまえ、もし情けあるなら助けたまえ」
そしてクマを撫でると、クマは起き上がった様子で、しばらくすると進み出て、尻で老人を奥へ押しやった。クマの寝ていたところに座ると、まるで炬燵(こたつ)のように暖かく、寒さを忘れるほどだった。
《熊が手をあげて我が口へ柔らかにおしあてる事たびたびなりしゆえ、蟻の事をおもいだし舐めてみれば甘くてすこし苦し。しきりに舐めたれば心爽やかになり喉も潤いしに、熊は鼻息を鳴らして寝るようなり》
かくして老人はクマと背中を合わせて眠った。しばらくしてクマの身動きに目を覚ますと、夜が明けたようであった。穴を這い出してあたりを見回したが、やはり逃げ道はなかった。
クマも這い出してきて滝壺で水を飲み始めた。そこで初めてクマを見ると、犬を7つも合わせたような大きなクマであった。それから何日も一緒に過ごすうち、まるで飼い犬のように馴れ、クマも人間の尊さを知った様子であった。
谷間の雪が少しずつ消え始めた頃、クマが穴から出て、しきりに袖をくわえて引っぱるので、どこへ連れて行くのかと思っていると、最初に滑り落ちた場所から、クマが雪をかき分けて一筋の道を開きはじめた。
老人がそれに続いていくと、ついに人の足跡のある場所に出た。そこでクマは四方を顧みると突然走り去ってしまった。老人は自分を導いてくれたものとわかり、クマの去った方角を拝んで何度も礼を述べた。
家に帰ると両親は驚愕し、「幽霊が出た」と大騒ぎになった。それもそのはずで、月代は蓑のように伸び放題、顔も狐のように痩せ細っていた。
大騒ぎはやがて大笑いに変わり、両親はもとより村人も喜んだ。薪をとりに出かけて行方不明になって以来、四十九日の待夜(忌日の前夜)の仏事も、にわかにめでたい酒宴となったという。
一方で、ヒグマへの恩を仇で返して、返り討ちにあった話もある。
大正2年(1913年)のこと、増毛町から6里(24キロ)ほどのゴギビリ山道奥で、雪解けの近い4月頃、ニシン漁場に向かった佐藤という者が、13里あまりの道中、空腹と疲労のため行き倒れてしまった。何時間か過ぎた頃に目を覚ますと、暗がりのなかで怪しい手が自分の唇を撫でている。ハッと見ればそれは一頭の大クマであった。
クマは行き倒れた佐藤を熊穴に連れて帰り、介抱していたのであった。佐藤は心からクマに感謝して夜明けを待って穴を出た。このとき、クマも一緒に穴を出てノソリノソリと山道を案内してくれたという。
昼頃になって、ようやく駅逓(宿屋)へ半里ほどのところまで来ると、クマ狩りに来た別狩村の猟師、泉田清六と行き会った。佐藤は昨夜の出来事を話し、クマを狩った収入を山分けにするという約束で、泉田を熊穴に案内した。
宮北繁『開拓秘録 北海道熊物語』にはこうある。現代語訳しておこう。
《ちょうどクマが穴から出たのと出合った刹那、猟師の狙った一弾は見事クマの腹部に命中。血まみれになったクマは猟師に向かわず、その背後に立っていた佐藤に肉迫し、怒りの一撃で佐藤を斃した。
猟師はこれまでのいきさつを佐藤から聞いているので銃を放って現場から一目散にのがれた。これ以来、猟師をやめたが、後日、駅逓の人の話を聞くと、佐藤は弾丸に撃たれたクマの血を満身に浴び、クマの下敷きとなってクマもろとも死んでいたという》
宥和的、そして敵対的な話と続いたが、最後に、その中間的とも言える話を紹介しよう。
あるアイヌが熊狩りに行き、偶然にも熊穴に陥ってしまった。穴のなかには重々しい獣の息づかいがいっぱいに詰まっていて、それだけではなく、背中のあたりに黙々とうごめく温かみを感じた。恐ろしい宿主の存在を疑う余地はなかった。
最初は一発のもとに仕止めようかと思ったが、クマとの距離があまりに近い。撃ち損じたことを考えると身動きもできなかった。相手はときどき「る、る、る」という低い唸り声をあげるが、ともかくも平穏な様子なので、じっと呼吸を殺して、いかに刺激せずに脱出できるかを考えた。
《この中にあって、彼は考えた慎重な計画を実行しはじめた。――それは相手が気づかぬほど徐々に、極めてかんまんな動き方で、一寸二寸と明るい方へ、身動きする方法である。
永い時間だった。熊は気づかぬらしい。ともかくソッと、彼の毛皮から身を離すことは出来たが、――兇暴なこの家主の目をさますには至らなかったらしい》(『北海道熊物語』寒川光太郎)
まるでコントのような「寸刻み」の動きを続けた男は、なんと5日もかけて熊穴から脱出したという。
中山茂大
1969年、北海道生まれ。ノンフィクションライター。明治初期から戦中戦後まで70年あまりの地元紙を通読し、ヒグマ事件を抽出・データベース化。また市町村史、各地民話なども参照し、これらをもとに上梓した『神々の復讐 人喰いヒグマの北海道開拓史』(講談社)が話題に。
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