作家、阿部智里。2012年、『烏に単は似合わない』で、阿部智里は松本清張賞を受賞した。史上最年少の20歳での快挙だった。「八咫烏シリーズ」は累積155万部のベストセラー。阿部の描く世界は、和風ファンタジーとしてファンに支持される。子どものころから、想像力豊かだった。今でも、その空想は健在。登場人物と脳内会議をしながら、作品を描き出す。
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高校生の娘を持つ友人からこんな話を聞いた。娘が風呂に入ろうと服を脱いだところ、近くにあった本に気づき手に取った。すると娘はあられもない姿で立ったまま、微動だにせず読み耽っている。数時間後、パタンと本を閉じると愉悦の笑みを浮かべ、バスルームに向かった。友人は半ば呆れながらその本を手にしてみると、阿部智里著「八咫烏(やたがらす)シリーズ」の一冊だったという。
思春期の女性から羞恥心を奪い、寒さを感じさせないほど夢中にさせるストーリーテラーの阿部智里(あべちさと)(29)とはどんな人物なのか。俄然興味が湧く。
目の前に座る女性は、どこかまだ少女の面影を残し、ティーカップを握る手は子どものように小さい。だが一旦口火を切るとマシンガントークが始まった。講談師のような口調の滑らかさで、自身にボケとツッコミを交えながら相手を飽きさせない。彼女の頭の中には、文字だけでは表現しきれないほどの話の泉があることを感じさせた。
2012年、『烏に単(ひとえ)は似合わない』で史上最年少の20歳で松本清張賞を受賞した阿部智里。受賞作を第1巻とする「八咫烏シリーズ」を年に1作ずつ発表し、6巻で構成される第一部は17年に完結。『楽園の烏』を20年9月に上梓し、八咫烏シリーズの第二部が開始した。外伝などを含めたシリーズ全8冊の累積部数は、21年2月現在で155万部を記録(文藝春秋調べ)。
文芸書が読まれなくなったと言われ久しい。10万部を超えればベストセラーといわれるが、20年に発行された文芸書で10万部を超えたのは『少年と犬』(馳星周著)、『半沢直樹 アルルカンと道化師』(池井戸潤著)など10作ほど。阿部の作品がどれだけ人気を得ているのかが分かる。
異世界ファンタジーである「八咫烏シリーズ」は、人間の姿に変身することができる八咫烏の一族の物語。平安王朝風の異世界・山内(やまうち)を舞台に、皇子・若宮と側近の青年・雪哉を中心とした個性豊かなキャラクターたちの后選びや政争、天敵・大猿とのバトルなどを描きつつ、日本神話にも通じる壮大な世界観を色彩鮮やかに創り出している。読者は推理したり予想したりしながら読み進めると、ことごとくどんでん返しの憂き目に遭い、口惜しさと同時に爽快感を味わう。
「和風ファンタジー」と銘打って売り出されたことから当初は読者の多くが10代、20代だった。だがシリーズが進むにつれ、異世界・山内で繰り広げられる物語にジェンダー、ミソジニー、国家分断、テロ、人種差別、国家権力、支配と被支配、あるいは神の絶対性まで問うような社会性が透視できることから、社会の前線に立つ30代、40代の女性ファンが増えだした。
阿部はテーマ性について語ると、マシンガントークがさらにスピードを増す。
「ファンタジーであれ歴史小説であれ、そこに現代の問題を問うテーマ性は必要だと思います。ただ私は、一巻ごとに異なるテーマを込めてストーリーを創作していますが、それが何かは言いません。読者はそれぞれ人生経験が違うので独自に感じ取ってほしい」
八咫烏シリーズは、際立ったキャラクターを持つ主役級が何人も登場し、場面によって主役が入れ替わることがある。読者は一瞬戸惑うものの、周到に計算し尽くされた上でストーリーが構成されているため、違和感はない。複数の視点で物語を展開するのは阿部の特徴の一つでもあるが、文藝春秋「オール讀物」編集長の川田未穂(48)は、この手法は実はベテラン作家でも難しいと語る。
「視点がぶれてしまうからです。阿部さんにも当初はこの主語は誰?という指摘をしたことがありますが、頭の中に表現したいことがあまりにも多すぎて出力が追い付かない感じでした。ただ一作ごとにそれは整理され、複数の視点を用いることで、物語に重層感を与えることに成功しています」
阿部のキャラクター作りは独特だ。頭の中に複数の主役級を登場させ、まず阿部が質問を投げる。答えがそれぞれ違ったところで阿部が黙ると、キャラクターたちが勝手に議論を始め、その性格が徐々に露(あらわ)になる。さらに性格を際立たせるため、時には「人狼ゲーム」などゲームをやらせることもあるという。そうして魂を宿したキャラクターたちは阿部の脳内で勢いよく動き始める──。
だが、このキャラクターたちは執筆途中で阿部に異議を申し立てることもあるという。例えば皇子・若宮の側近として重要な役割を果たす明留(あける)は、中ボスくらいで負けていく設定だったが、ある時、阿部の脳内の扉がノックされた。
「失礼します……と物静かに入ってきて“この役はもうやめたいです”と訴えられた。話してみると思ったよりいい子だったんで、コンプレックスをこじらせるキャラは卒業するか?と聞いたら、“はい!”って」
リクルートスーツ姿でパソコンを抱え訪ねてきたのは、主人公役・雪哉の後輩の治真(はるま)。治真は当初、猿とのテロで殺すつもりだったが、やおらパワーポイントを取り出し、「死んだときと生かした時のメリットとデメリット」をチャートにしてプレゼンし始めたという。阿部は「なるほど。じゃあ、生かすね」と告げると、「ありがとうございます。では失礼します」と去っていった。
阿部はこのような登場人物との対話を“脳内会議”と称しているが、キャラクターたちと度々会議を繰り返しているからこそ、複数の視点でストーリーを展開させることに成功している。
阿部の空想の翼は時空を超えどこまでも自由だ。
1991年、群馬県前橋市で会社員の父・研一(63)、母・美智代(64)の一人娘として生まれた。幼児のころから空想豊かだった。母は2歳4カ月で発した娘の言葉をいまだ鮮明に覚えている。
「車を走らせていると、田んぼで焼かれた藁の煙を指さし『あ、煙がお散歩している』。煙がたなびく景色に『風にバイバイしているのね』と。こんな表現をする娘に正直驚き、この子の感性を大事に育てたいと思いましたね」
父と母は3歳から通う幼稚園選びに奔走した。市内に幼稚園はいくつもあったが、赤城山の麓にある自由教育を謳う木の実幼稚園を選んだ。自然豊かな環境は、幼い阿部の空想を膨らませる。「妖精が来た」「虹を食べた」「キノコの傘をさした」というような大人からすればありもしないようなことを度々口にした。往復のスクールバスの中では、空想した物語を友達に語り喜ばれた。
大人は、妄想癖のある子に接すると「それは違う」と諭すのが一般的。だが、阿部の周りの大人たちは誰一人として否定せず、むしろ面白がって話を聞いてくれたという。特に母は「そのあとどうなったの?」と話の続きを催促した。
一方の父は、哲学者・キェルケゴールが幼いころに暖炉の前で母と対話しながら思考を育んだことを知り、自分もそうやって娘を育てようと考えた。だが娘が3歳の時、その夢は破れた。
「幼稚園で覚えてきた3匹のクマがスープを飲む話をしてくれたのですが、時系列もしっかりし、細部の描写も生き生きしていた。私は俯瞰的な話はできるけど、細部の表現は苦手。この時に思いましたね、娘の成長の邪魔だけはしないようにと」
この時以来、「娘の成長の邪魔をしない」というのが夫婦の合言葉に。その一方父は、「虹を渡った」などと口にする娘を案じ、ホースで水を撒きながら虹の原理を教えることも忘れなかった。
(文・吉井妙子)
※AERA 2021年3月8日号より抜粋
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