1960年代、都民の足であった「都電」を撮り続けた鉄道写真家の諸河久さんに、貴重な写真とともに当時を振り返ってもらう連載「路面電車がみつめた50年前のTOKYO」。今回は、路面電車が「ちんちん電車」と愛称される由来について解説しよう。
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路面電車は、手軽で便利な交通手段として庶民の生活の中にとけこんできた。市電や都電の略称の他に「ちんちん電車」という愛称で乗客から親しまれてきた。
いつのころから「ちんちん電車」と呼ばれるようになったのか、その理由(わけ)を考察した。
■獅子文六による「ちんちん電車」の由来
作家・獅子文六(本名:岩田豊雄/1893~1969)は路面電車が「ちんちん電車」と呼ばれるようになった由来を、著書「ちんちん電車」(朝日新聞社刊・1966年4月/現在は河出文庫に収蔵)の文中でこう語っている。
「動きまァすチン、チン……」
昔の市電の車掌は、発車する時に、そんなことをいった。もっとも、チン、チンというのは、紐でひっぱる信号のベルの音だが、動くという言葉だって、ほんとに用いたのである。(中略)
そして、“チン、チン”の方であるが、車掌台に、白い、太い紐が下がっていて、車掌さんが力をこめて、グイ、グイとひっぱると、運転台の上部に、とりつけたベルが、引いた数だけ、鳴る仕掛けになってる。二つ鳴れば発車、一つ鳴れば停車である。(中略)
とにかく、“チン、チン”の歴史は古く、この音を聞かなければ、電車に乗ったような気がしなかった。そこで、“チン、チン電車”という語ができた。(中略)
しかし、異説があって、“ちんちん電車”のチンチンは、紐信号のことでなく、運転手が足で踏鳴らした、警鐘の音だという、専門語で、フート・ゴングというそうだが、やはり、これも、チン、チンと聞こえた。(中略)
昔は、線路の上を、平気で歩く人物が多かったので、断えず、鐘を鳴らす必要があったのだろう。まるで、チン、チン鳴らさなければ、電車は走れないもののように、頻繁にならした。だから、“ちんちん電車”フート・ゴング説というのは、大いに有力であるが、“動きまァすチン、チン”の方を否定するまでには、至ってない。事実としては、その両者の“チン、チン”が一緒になって、子供の心の中に、“ちんちん電車”の観念を、形成したのだろう。(引用終わり)
筆者も、獅子文六の「ちんちん電車」由来説に大いに賛同するところだ。
獅子文六は1893年の横浜生まれだから、物心がついた1900年代初頭には横浜市も東京市も路面電車の開業を迎えている。創成期の路面電車を体験した岩田少年の記憶を記述した「ちんちん電車」の文脈からは、車掌が引く信鈴や運転手が踏鳴らす警鐘「チンチン」の点打音が鮮やかに蘇ってくる。
■東京市電400型は「ちんちん電車」のイメージにジャストフィット
獅子文六が幼少時代に親しんだ「ちんちん電車」のイメージにフィットするのが東京市電の400型だ。
400型は1924年から翌年にかけて200両が量産された木造四輪単車。警鐘はフート・ゴングを装備。紐で鳴らす信鈴とともに「ちんちん電車」の風情にぴったり符合し、壮年期の獅子文六も市内の往還で一度は乗車したことだろう。
冒頭の写真は戦前の東京市電400型で、宮松金次郎氏の作品をご子息・宮松慶夫氏からお借りできた。撮影日は1934年8月26日と記録されている貴重な一コマだ。当時の8系統(浜松町一丁目~四谷塩町)に充当された572号を、浜松町一丁目停留所の折返し間合いに撮影したものと推察される。
この時代、東京市電の架線は複線架空式で、集電用の2本一組のポールを 車体中央に装架していた。終点に着くと運転手と車掌がトロリーコードを担いで「ポール回し」をしていた光景が連想できる。
次のカットが信鈴の紐を握る都電の車掌さん(東京都交通局の現職名は乗客整理員)。「一球さん」と愛称され荒川線で活躍した6000型車掌台のスナップショット。この6152号は1949年日本車輛で製造され、半世紀にわたり稼働したレジェンドだった。2002年に退役して、沿線に所在する「荒川遊園(リニューアル工事のため休園中)」で保存されている。
次のカットは前号で掲出の、とさでん交通「維新號」運転台天井に取り付けられた信鈴で、レプリカとしては凝った造りをしている。車掌台から客室内天井を這わせてきた紐と直結されている。
■戦後生まれの筆者が体験できた「ちんちん電車」
最後のカットが名古屋鉄道岐阜市内線のモ10型。戦後生まれの筆者が体験できた現役最後の「ちんちん電車」で、1914年名古屋電車製の高床式木造単車。戦前は前掲の市電400型と同様のオープンデッキ仕様で、戦後になって乗降扉を増設されている。手用ブレーキにフート・ゴング、大きな救助網を装備する古色蒼然とした「ちんちん電車」だった。
ワンマン運転になって久しい都電荒川線に乗ると、「発車します」の音声と共に「チンチン」と二点打の信鈴音が聞こえてくる。獅子文六も聴いた「ちんちん電車」の点打音は、現代に脈々と息づいている。
■撮影(宮松金次郎):1934年8月26日
◯諸河 久(もろかわ・ひさし)
1947年生まれ。東京都出身。写真家。日本大学経済学部、東京写真専門学院(現・東京ビジュアルアーツ)卒業。鉄道雑誌のスタッフを経てフリーカメラマンに。著書に「都電の消えた街」(大正出版)、「モノクロームの軽便鉄道」(イカロス出版)など。2021年4月に「モノクロームの国鉄情景」をイカロス出版から上梓した。
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