社会貢献としての活動にもかかわらず、善意としてやっていることが必ずしも称賛されるわけではない。
2011年に起きた東日本大震災では被災地に赴き、2泊3日の車中泊で炊き出しを行った。
カレーを温めていたとき、TVレポーターから「それってやっぱり売名行為ですか?」と投げ掛けられ、「売名に決まってるじゃないですか。あなたも売名でいいからやりなさい」と返し、注目を集めた。
自らの私財を投じ心を尽くしても、感謝されるどころか非難も浴びてきた。それでもなぜ、杉は今なお活動を続けるのか。
1995年の阪神淡路大震災や2004年の新潟県中越地震を含め、これまで何度も被災地へ支援物資を届けたり炊き出しを行ったりするなど、ノウハウは熟知していた杉。
しかし、経験値のある杉でも被災状況を知ったときは、ショックのあまり言葉を失ってしまったという。
「東日本大震災が起こったときは、都内の事務所で、大事な会合の準備をしている最中でした。これまでに経験したことのない大きな揺れに『大変なことが起きている』と冷や汗をかきながら柱につかまりました」
車も渋滞し、自宅に帰ることができたのは夜中だった。テレビ報道で津波が町を襲う様子が映し出されているのを見て、ぼうぜんと立ち尽くしてしまったという。
「普段であれば『すぐに現地に行かなきゃいけない。そして行くための用意をしなくちゃいけない』と頭が回るのですが、このときばかりは被害の規模が大き過ぎて、妻と無言でテレビ画面を見つめ放心状態でした」
「東京から離れていないと頭の中の整理がつかず、数日間大阪に行き、気持ちを落ち着かせる中で、できるだけ支援の手が届いていないところへ行こうと決めました。そこで3月24日、三浦宮城県副知事(当時)に『支援の手の届きにくい市町村を挙げてほしい』と電話を入れたのです」
4月1日から2泊3日にわたり、壊滅的な被害を受けた同県石巻市雄勝町で炊き出しと物資の支援を行うことに決めたが、準備は思いの外難航した。
その原因のひとつが東京での混乱だ。都内でも大きな地震の揺れを観測、福島第一原発の事故も相まって、社会は一種のパニック状態に見舞われた。食料不足の懸念から買い占めが起こり、スーパーマーケットからは商品が"消失"。
杉はつてをたどって知り合いの農家やJA、企業に直接交渉し食材やごはんパックを手に入れ、仕事の合間を縫って、深夜まで事務所のスタッフや手伝いを申し出てくれた仲間らと準備に取り組んだ。
「とにかくカレーは持っていこうと話していたのですが、生野菜を食べていないだろうからサラダを、おなかいっぱいに温かいものを食べてほしいから具沢山の豚汁を、デザートには杏仁豆腐を…と妻と相談していたらどんどん増えていってしまい、結局数万食分は作りましたね」
準備が整い現地に向かう道中も、一筋縄ではいかなかった。
4月1日の夕方5時すぎ、石巻市雄勝町に到着すると辺りは静まり返っていた。
頰をはたくように冷たい風が吹き付け「こんな寒さの中、避難されているのか」と現実を突き付けられた感じがしたという。
到着するや否や、作業をするために発電機を使い、照明器具で周辺を明るくした。煌々と照らされる中、カレーを温め、豚汁やサラダを作ったという。
近くで活動していた自衛隊の協力を得て大きな鍋とお湯を借り、パックのごはんを温め、カレーをよそって、1人ひとりに手渡していった。その様子を、被災者たちはただただ眺めていた。
杉は「その声を聞いて、ああ本当にここに来られて良かった…と心から思いました」と話す。
「突然、津波によって家が奪われるショックは計り知れないもの。そんなときに『ありがとう』などお礼を言っている余裕はありませんし、言う必要もありません」
「1年後また訪問したときに、町の人たちから『あのときは来てくれてうれしかった』と声を掛けられたときは、改めて皆さんが当時本当に緊張状態にあったんだと感じました」
炊き出しを終え、東京から走らせてきたキャンピングカーに戻ると、杉は自分たちの食事の用意を忘れていたことに気付いた。
「車内には誰かが買っていたウインナーが数本と、チーズのかけらみたいなものと、ビールが数本だけ。ものすごく空腹でしたが、その夜はそれだけで終わりました」
着の身着のまま横になるが、夜中に車内の暖房が何度も切れ目が覚めた。横になっていてもどういうわけかベッドから転げ落ちそうになり、ほとんど寝られず夜が明けた。
「朝起きて車の外に出てびっくりしました」と杉は振り返る。
「車を坂の途中に停めていたんです。辺りが真っ暗なので、まったく分からなかった。車が傾いているからベッドから転がり落ちるのは当然だな、と思わず納得してしまいました」
病棟のロビーにてアカペラで歌を歌った後、被爆者の方々と握手をした。差し出された手を握ろうとした杉だったが、その手を見た瞬間、ハッとしたという。
原爆の熱線でやけどを負った彼女の手は、激しいケロイド状態で筋が引きつり、いくつも水膨れができていた。杉はとっさにたじろいでしまった。
「自分が手を出すまでほんの一瞬の間でしたが、本当にすごく長く感じました」
しっかりと握り返すと、彼女の手の水膨れがプチンと弾け、杉の手やスーツに飛び散った。杉は次々に患者たちと手を握り抱き合った。慰問を終える頃、杉が着ていた白いスーツには地図のようにシミができていた。
杉はトイレで手を洗いながら、一生懸命シミを落とそうとして、はっと我に返り「これでは偽善者ではないか」と自分自身に対して許せない感情が押し寄せたという。
「人間として生きていく上で大事なことを学ばせてもらった瞬間でもありました」
訪れた国はタイ、中国、アメリカなど数知れず。韓国での兵隊慰問に始まり、ブラジルでの病院建設、バングラデシュでの50カ所以上の学校建設、ミャンマーでは多くの孤児の食事の世話や救急車の寄贈など、その活動内容は多岐にわたる。
国連ユネスコ特使を務めたこともあり、中でもベトナムとは関わりが深く、里子が152人いる。
1989年、45歳の杉がベトナムを初めて訪れたときのことだ。
ド・ムオイ首相(当時)に面会し日本とベトナムの文化交流協会の設立に関して意見交換した後、国内の病院や孤児院を訪問した。
当時、日本にはベトナムへの直行便がなく、タイでも活動をしていたことから、杉は直前に滞在していたタイの百貨店で、チョコレートやキャンディーなどのお菓子や、おもちゃを自ら買っていた。
子どもたちが喜ぶだろうと配ったが、みんなが喜んでいる中、悲しそうな顔をしたまま食べない子がいた。ガーちゃんだ。
不思議だなと思い「おいしいよ」とお菓子を勧めると、彼女はぽつりと「お父さんとお母さんが欲しい」と答えた。
杉は、その言葉を聞いて思わず部屋の外に飛び出して泣いたという。
「人間に必要なのは、結局、物や金じゃない。愛情なんだ。そんなことも分からないで福祉活動をやる資格はないと思いました」
「部屋から飛び出して外で泣く私を、子どもたちは部屋の中から不思議そうに見ていました。子どもたちは今でもそのときのことを覚えていると話します」
その後すぐ、ガーちゃんをはじめとした4人きょうだいの里親になることを園長に伝えた。
園長と相談し、初めはより助けが必要な子から里子にしていったというが、そのうち「里子にしていない子どもたちがかわいそうだ」と、最終的には全員を里子にしたという。
当時30人程度だった施設の子どもの数は、今では5倍に増えて152人となった。その里子の数を知った人からは驚かれるが、「それでもまだ足りないと思っている」と断言する。
「里子の数がたとえ何万人いたとしても同じです。自分が何かしたくても、世界中の人を救えるわけではない」
「自分にもっと力があれば、もっと財力や人脈があれば、人を動かしてより多くの人を助けられるのに…と常日頃から思っています」
次第に「日本では、慈善活動は公にしてはいけない」と感じ、数十年間にわたり隠れるように活動を続けた。
しかし、40代のとき、大阪市に寄付をしたことを市議会が発表したことで「慈善活動がばれてしまった」という。
「しょうがないと思い、開き直るようになりました。世の中には何をしても理解する人としない人がいます。それに、突き詰めていくと、『善意』というものも、分からないものだなと思います。相手のためを思って何かをしても『頼んでいない』と言われることもありますから」
「私は物心ついたときから、母が疲れていそうだなと思ったときには肩をもんでいました。あるとき、母が今度は子どもの私の背中をさすってくれたんですね」
「そのとき私は『気持ちいいな。今度はこれをお母さんにしてあげよう』と思い、次に母が疲れていそうだなと思うときには背中をさすっていました。私はこうした愛情のやりとりをする経験がすごく大事だと思います」
「『人助け』をそんなに大ごととして考えなくていい。大切なのは『思い』です」と杉は語る。
「多くの方が人助けについて誤解していると思うのですが、自分の家の前にごみが落ちていたら、拾うことも立派なボランティアです。そして、その気持ちを持っているだけでも素晴らしいと思います」
「お金がある人はお金を、時間がある人は時間を、お金も時間もない人は、活動をしている人を理解するだけでも良い。それも立派な慈善です。例えば現地で活動ができなくても、『人への思い』が大事」
「思いによって救われることもあれば、傷つけられることもある。人の思いによって人生は大きく変わるもの。だから私は一生懸命、人のことを思いたい。そこからすべてが始まると思います」
自然災害は、いつ、どこで起きるか分からない。みな例外なく「明日は我が身」なのだ。
杉はこれからも人を思い、被災地にも駆け付ける。そして、その様子をメディアはニュースに取り上げるだろう。「売名行為」はこれからも続く。