「本当に大切な場所。ずっと一緒に歩んでいきたい」
そんな想いを随所で口にする彼女とこの街の関係は約10年に及ぶ。
「私にとっての第二のふるさとですから」
久慈市とのんが出会うきっかけとなったのはNHKの朝の連続テレビ小説「あまちゃん」(2013年4〜9月放送)だ。
劇中で東日本大震災を描いたこの作品で主演に抜てきされたのんは、震災発生から約1年後の2012年夏、ロケで初めて久慈市を訪れた。
それから時を経てもなお、のんは変わらず足を運び続けている。
「のんちゃんが帰ってきてくれるからみんな頑張れるんだよ」
久慈市の人たちもまた、その姿に勇気をもらっていると口にする。
東日本大震災、そしてその後の台風被害やコロナ禍といった試練を共に乗り越えてきたのんと久慈市。その道のりと絆を追った。
「本当に、あっという間に飲み込まれてしまったんだろうな…」
モニュメントを見上げたのんは静かに手を合わせた。
「抗えない、どうすることもできない自然災害の怖さ。突然、大切なものを奪われてしまう理不尽さを改めて目の当たりにしたような気がします」
2011年3月11日14時46分ごろ発生した地震で久慈市は震度5弱を観測した。14時49分に大津波警報が発表され、その約40分後、市の沿岸部を津波が襲う。
海辺の建物は壊滅的な被害を受け、全壊355棟を含む1248棟が被害を受けた。
人的被害は久慈市で死者4人・行方不明2人、岩手県全域の死者・行方不明者は合わせて5794人に及んだ。
久慈市で大きな被害を受けた施設のひとつが水族館「もぐらんぴあ」だ。沿岸部にある同館は津波により全壊した。
宇部修館長は「大津波警報が発表されたものの、"津波が来る"という実感が当時はなく、とりあえず避難しようというくらいの気持ちだった」と振り返る。
宇部館長
避難後も詳しい情報が入ってこない中で、「大丈夫、館内を整えればすぐに再開できるはず」と思い込もうとしていました。
翌日、スタッフと共に現場を目の当たりにした宇部館長は言葉を失う。
津波に襲われたもぐらんぴあはガレキの山と化し、200種3000匹以上いた生き物のほとんどが命を落としていた。
市の指定管理者であった館長ら職員は全員、仕事を失った。
宇部館長
それからは毎晩、夢にうなされるほどつらかった。
しかし、家族や友人を失い悲しんでいる人が多くいる中で、その苦しさを口にすることはできませんでした。
震災で負った心の傷はなかなか癒えず、街が元の姿に戻っても「自分は大丈夫」と思えるまで3年はかかりました。
同年5月、緊急雇用創出事業として久慈駅前の空き店舗を利用した水族館の開館が決定。8月に「まちなか水族館」がオープンした。
それから2年後の2013年、この小さな水族館に多くの観光客が押し寄せることになる。
久慈市でロケが行われ、のんが主演を務めた連続テレビ小説「あまちゃん」が全国で大きな注目を浴びたのだ。
「ひとつだけ置かれた仮設小屋を待機場所にしながら撮影は進んでいきました。その時、話しかけてくれた地元の人たちがみんな優しくて温かくて。
震災の爪痕が残る中で、逆にこちらが元気をもらうくらいの力強さを感じました」
翌2013年、久慈市をモデルとした架空の街を舞台にのん演じる主人公の成長を描く同作品が放送されると、久慈市を訪れる観光客は急増した。
岩手経済研究所の試算によると、同年度の岩手県内への経済波及効果は約33億円にのぼる。復興への大きな一歩となった。
徐々に街のにぎわいは戻り、2016年にはもぐらんぴあも元の場所に再建された。
宇部館長
あの時から久慈と歩み続けてくれたのんさんの存在があったからこそ、市は復興を果たすことができました。
震災を生き延びたアオウミガメの「かめ吉」が元気に泳ぐ水槽の前で宇部館長はほほ笑んだ。
「あの時は駅周辺の市街地が水と泥に浸るなど被害が大きくて…。本当に心配でした。
お気に入りの居酒屋『ひさご』のご夫婦から、お店が浸水して、浮かんでいた畳に乗ってなんとか助かったという話を聞いた時は衝撃を受けました。
いつも久慈に来た時はたまごサンドを食べに訪れる喫茶店『モカ』も浸水被害に苦しんでいて…。
そのつらさを自分がどう受け止めて、どういう言葉を発していいのか悩みました」
のんは慰問当時の葛藤をそう口にするが、地元からは感謝の声があがる。
「大変な時にのんさんが来てくれて、うれしかったね。つらくてももうひと頑張りしようと元気をもらいましたよ」
居酒屋「ひさご」の奥山清一さん、紀代子さん夫婦はそう言って笑顔を浮かべる。
奥山さん
のんさんは娘みたいな存在。「また来るからね、元気でね、お父さん」っていつも言ってくれる。本当に久慈を愛してくれているんだなって思いますよ。
のんさんをはじめ、いろんな人が久慈を応援してくれたから俺らは今も商売を続けることができています。
喫茶「モカ」の樋澤正明さん・あけみさん夫婦は「のんさんは何かあれば必ず久慈に来てくれる。本当にうれしいよ」と話す。
樋澤さん
東日本大震災の後は街が静まり返っていたし、台風被害の時はうちも店の中が泥だらけで、もう営業できないんじゃないかとつらかった。涙が出そうになりましたよ。
でも、そんな時にのんさんが励ましてくれる。たまごサンドが大好きだっていつも食べに来てくれてね。
津波でダメになって、今度は水害でダメになっても、その応援に応えて復興してやろうという気持ちにみんななるんです。本当にすごい人だね。
「最初にドラマの撮影で訪れた時は計2カ月以上、久慈に滞在しました。時間を共有する中で、地元の人たちはどんどん私を受け入れてくれて。
お気に入りの場所やご飯も増えて、第二のふるさとのような存在になっていきました」
「何があっても帰ってくれば、いつも"のんちゃん、おかえり"と言ってくれるんです。
そんな久慈、そして岩手のことが私は大好きだし、皆さんに支えてもらっているという感謝の気持ちがすごくあります。
だからこそ、大切なこの場所にお返しができればと思っています」
2021年3月には描き下ろしの絵画作品「よむのむし」を久慈市の複合施設「YOMUNOSU(よむのす)」で展示。今年2月には寄贈した作品「王様のマント」をNFT化してデジタル販売し、その収益を市への寄付に当てることを発表した。
「YOMUNOSU」のカフェで店長を務める青松慶一さんはそんなのんの姿に「みんなが勇気をもらっている」と力を込める。
青松さん
被災直後の久慈市は本当に何もない虚無。恐ろしく寂しい雰囲気にあふれていました。
あれから11年、のんさんが何度も足を運んでくれたおかげで、みんな苦難を乗り越えることができました。
青松さん
次は僕たちの世代が震災の記憶を風化させないために、行動で示していかないといけない。
市にとって特別な存在であるのんさんと一緒に前に進んで行きたいです。
「本当に力強いと思います。震災も台風10号の被害も大きかったけれど、それに負けずにお店の方が頑張って再オープンを果たしたり、YOMUNOSUの開業や小袖海女センター、もぐらんぴあがきれいな姿で再建されたりする姿を見てきました」
「あんなにすさまじい経験をしても一人ひとりが何とかしようと前を向いている。
私は岩手や東北にいつも、"元気を届けたい"という気持ちで伺うのですが、あのパワーに触れると私の方が勇気をもらって笑顔になっちゃいます」
10年。
その歳月を通して知ったのは「足を運ぶこと」「通い続けること」の大切さだ。
「通い続けることで交流が深まるたびに、自分の心が豊かになっていくことを久慈との関係を通して知りました。
だからこそ、その場所に行って、その土地の空気だったり、歩いてる時の地面の感触だったりを感じることが大切だと感じています」
のんにとって久慈市や岩手県はありのままの自分を受け入れて、支えてくれる大切な街。
だからこそ、これからもずっと一緒に歩んでいきたいと願う。
「久慈市も岩手県も、東北地方も本当に素敵な場所です。おいしいものがたくさんあって、人が温かい。
一度でも足を運んでいただければ、その良さを感じることができる場所だと思っています。
だから、一人でも多くの人に久慈や岩手、東北に来てほしい。私はそんなこの街の魅力をこれからも伝え続けていこうと思っています」