片足を失っても自分らしさは失わない ハイヒールを履いた義足の女性が仲間に遺した思い
京都新聞
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  • 総評亀松太郎

    義足の女性たちが集まるグループ「ハイヒール・フラミンゴ」を立ち上げた、高木庸子さんのストーリー。記事のテーマは「障害とともにどう生きるか」だろうが、最も印象的だったのは、高木さんの義足の写真だ。 他の女性たちが自分の肌の色に近い義足を身につけ、あまり目立たないようにしているのに対して、高木さんはパラリンピックの陸上選手のように、銀色のパイプがはっきり見える義足をはいている。 膝下のふくらんだ部分にはクリムトの鮮やかな絵が描かれていて、「私の義足を見て!」と強烈に主張する。ファッションが大好きだったという彼女の個性と、障害に負けずに生きていこうという前向きな姿勢が伝わってきて、好感を持った。 45歳で骨肉腫のために左膝の下部を失い、その6年後、がんの転移によって亡くなった高木さん。この記事は、丁寧につづられた文章と豊富な写真・動画で、彼女が人生の最後をどう駆け抜けたかを鮮やかに伝えている。

  • 総評治部れんげ

    読者の中にも、病気と闘っている人や、身近な人の闘病を支えている人がいるだろう。そういう人たちに希望をくれる記事だ。 元気に働いてきた女性が突然の病で片足を失う。 前を向いて生きようとした時、義足ユーザーの集まりに女性がいないことに気づいたのを機に、同じ悩みを抱える人たちの人生を変えることになる。 自分が仲間を探しているのと同じ気持ちの人がいるはず――これは、多くの社会運動に共通する出発点だ。 そうして作られたグループ「ハイヒール・フラミンゴ」の初回会合は、安心して泣いたり笑ったりできる場だったという。 本当に良かった、と思い読み進めていく。グループ名になったフラミンゴを見に、ケニアへ行くんだな…と思っていると、ストーリーは思わぬ方向に展開する。 結末は悲しいが、暗くはない。

LINE NEWS編集部より

片足を切断し義足となった女性と、彼女の発案をもとに開かれた"女子会"がきっかけとなり、後にNPO法人化された義足ユーザーの集いの活動を追った記事。自分らしく生きるために、当事者や社会ができることは何かを訴えます。