子どもの頃のアイドルは田中達也だった。幼稚園生のときに達也のゴールパフォーマンスを真似ていた記憶が鮮明にある。
誕生日が同じ7月8日だと知ってからは、親近感を覚えた鈴木啓太を必死になって応援していた。
現在の浦和レッズのメンバーには伊藤敦樹や髙橋利樹など、生粋のレッズサポーターが少なくないが、今季のルーキーである堀内陽太もまた、レッズの育成組織に加入する前からレッズのことが大好きだった。
「家族みんながレッズのファンで、埼スタには数え切れないくらい連れていってもらいました。一番印象に残っているのは、2019年のACL(AFCチャンピオンズリーグ)決勝ですね。これは友だちと行ったんですけど、一体感、スタジアムの熱が凄くて。レッズサポーターの熱さは十分知っていたつもりですが、改めて圧倒されました。
大原(サッカー場)にも行ったことがあります。槙野(智章)選手、森脇(良太)選手にサインをもらいました。めっちゃ優しかったですね。サインは今も実家にちゃんと取ってあります」
嬉々としてそう語る表情はまだ幼く、高校1、2年生どころか、中学生に間違えられるのではないか、というくらいあどけない。
「(興梠)慎三さんには恐れ多くて、まだ自分から話しかけられていないんです。でもこの前、たまたまエレベーターで一緒になったら、慎三さんから話かけてくれました。『阿部(勇樹)コーチはどんな感じだったの?』って」
そんな愛くるしい青年は、しかし、ピッチに立つと豹変する。
相手がプロの大先輩だろうと、臆せずにガツガツとボールを刈り取りに行き、激しく体をぶつけることも厭わない。
「学校の友だちにもよく言われます。サッカーをやっているときは別人だねって。実際、普段はマイペースでふわふわしてます(笑)。でも、ピッチに入ると自然と声が出て、ガツンと行けるようになる。スイッチが入るんだと思います」
さいたま市で生まれ育った堀内が憧れのクラブの一員になったのは、高校に入ってからだ。Jrユースサッカー クラブ与野でプレーしていた中学3年の7月、レッズから「来てみませんか」というオファーが届いた。
嬉しかったのは間違いない。
しかし、諸手を挙げて喜んでもいられなかった。
そのオファーはスカウトではなく、セレクション参加の案内だったからだ。
その時点でジュニアユースからの昇格選手は決定済みで、スカウト枠の選手たちにもゴールデンウイーク前後に声がかけられ、内定が出ていた。
セレクションからレッズユースに加入できるのは、ひとりか、ふたり――。
「埼玉の街クラブから目ぼしい選手が集められて、セレクションを受けるんです。もともとレッズに入りたいという思いがすごく強かったので、燃えました。実は小6のとき、ジュニアユースのセレクションを受けるつもりだったんですけど、申し込みの期限が過ぎてしまって受けられなくて(苦笑)。そうしたこともあったので、なおさらユースに入りたかった」
当日はジュニアユースの選手たちと対戦した。堀内は、遜色なくやれるぞ、という手応えを掴んだものの、受かったという確信を得ることはできなかった。
「同じポジションで僕よりも点を取ってアピールしている選手がいたんです。だから、あまり自信はなかったですね」
合否の連絡がないまま、夏休みが進み、他のチームからも声がかかるようになる。
どうしようかな……。
そう思い始めた頃、所属チームの試合後にレッズの強化本部の田畑昭宏から合格を告げられた。
「めちゃめちゃ嬉しかったです。ただ、そういう経緯だったので、自分が一番最後からのスタートだということも分かっていました」
高円宮杯 JFA U-18サッカープレミアリーグでのデビューは、高校1年の2020年9月、横浜F・マリノスユース戦だった。1-4で敗れはしたが、その1点は堀内の仕掛けが起点となったものだった。
だが、続く横浜FCユース戦では1-1の場面で投入されたものの、堀内の仕掛けによってチーム全体のリズムが崩れ、1-3で敗れてしまう。
「1年のときからチャンスをもらえたんですけど、良かったり、ダメだったり、プレーに波があって。ちょっとネガティブというか、攻撃面で自分が通用するのか不安がありました」
そんな堀内のサッカー人生に転機が訪れるのは、高校2年になったばかりの頃である。
ある日、池田伸康監督(現トップチームコーチ)からアドバイスを授かった。
「陽太の強みは守備だから。今年はそっちのほうでも頼むぞ」
池田監督にしてみれば、なにげない言葉だったのかもしれない。
しかし、そのひと言が堀内の頭の中を明るく照らした。
「自分では、仕掛けてゴールまで持っていく、チャンスを作るところが強みだと思っていたので、すごく意外でした。あ、そうなんだって。そこからですね、守備を意識するようになったのは。球際で強く行くようになり、DFの選手たちからアドバイスをもらいながらポジショニングも学んで。プレースタイルが変わっていきましたね」
従来の攻撃面だけでなく、守備においても貢献できるボランチとなった堀内は、2年生ながらチームの主力としてシーズンを通して起用されていく。
「自分に自信を持つタイプではないんですけど、高2の夏休み前ぐらいには、チームの中心としてやれているな、って感じられるようになりました」
高校3年生になると、キャプテンを任され、10番を背負うようになる。
しかし、堀内自身はトップチーム昇格が厳しいのではないか、と感じていた。
「高2の年末の試合で相手と接触したときにバランスを崩して、膝を重ねたまま膝から落ちて、後十字靭帯を損傷してしまって。3カ月くらい運動ができなくて、イチから体を作り直さないといけなくなったし、トップチームの沖縄キャンプにも参加できなくなってしまって……」
高校2年時はトップチームに呼ばれる機会も少なく、沖縄でのトレーニングキャンプはアピールの場だと考えていただけに、ショックは大きかった。
先輩たちを見れば、ふたつ上の鈴木彩艶やひとつ上の工藤孝太は年代別の代表に選ばれ、トップチームの練習に頻繁に参加し、トップ昇格を実現させている。
「ケガから復帰してからも、うまくいかない時期が続いたので、あまり自信はなかったですね」
だが、忘れもしない7月3日、高円宮杯プリンスリーグ関東2022の鹿島学園高校戦。試合後、強化スタッフから駒場スタジアムの別室に呼ばれた堀内は、「昇格させたい」と告げられるのだ。
「一番は、驚きました。正直、厳しいのかなと思っていたので。でも、もともとレッズのファンとしてずっと応援してきたので、嬉しさが込み上げてきましたね」
同期の中でトップ昇格が叶ったのは、堀内ひとりだけ。レッズのファンである家族や、これまで携わってくれた指導者への感謝を胸に、さらには同期の思いも背負って堀内は新体制発表記者会見と大原サッカー場での練習に臨んだ。
沖縄でのトレーニングキャンプでは、さっそくプロの洗礼を浴びた。
堀内が本職とするボランチは、岩尾憲、伊藤敦樹、平野佑一、柴戸海、安居海渡と実力者が揃う激戦区のポジションである。
キャンプ中に行われた練習試合では、サイドバックで起用されるゲームもあれば、出場機会すら得られないゲームもあった。
「試合に出られなかったときは、すごく悔しかったですね。ただ、いろいろなポジションでプレーすることによって、新たな発見もありました。サイドバックをやっているときに、ボランチがここにいてくれたら、って感じて。その感覚は自分がボランチをやるときに役立つと思います。酒井宏樹選手にも『そのポジションでしっかりやることが次に繋がるから』というアドバイスをもらったので、サイドバックだろうと、どこだろうと、全力でやっていこうと思っています」
ひとつ上の先輩である工藤、木原励は昨季、出場機会を掴むことができず、今季は試合経験を積むために期限付き移籍を果たした。その姿を見て、18歳には思うところがある。
「特に孝太くんとはユースで一緒にやっていたので、レベルの高さはよく知っています。その孝太くんでも試合に出られないなんて、プロの世界は厳しいな、と改めて感じました。でも、なんとしても今年1年でチャンスを掴みたいと思っています」
目指すのは、レッズの先輩である遠藤航のように、デュエルが強く、インテンシティが高く、攻撃でも貢献できる総合力を備えたボランチだ。
「レッズのボランチでは、守備面では柴戸さんと一番タイプが近くて。攻撃の組み立てでは岩尾さんのプレーをユース時代には参考にしていました。攻撃でも守備でも貢献できるボランチになりたいんです。キャンプを通して、ボール奪取はプロでも通用する手応えも感じました」
目下の目標は、子どもの頃に数えきれないほど通い、憧れた舞台に立つことだ。
「埼スタのピッチに立って、あの声援を浴びながらプレーする。ずっと憧れてきたので、それがまず実現したい目標ですね」
そう語った青年の表情からは、少しだけあどけなさが消えていた。
プロとして大原サッカー場でボールを追いかけ、先輩たちに挑む日々を重ねた1年後、どんな顔つきになっているだろうか。
(取材・文/飯尾篤史)