ヨーロッパからアジアまで、いま知るべき世界のビスポーク・テーラーを紹介する連載。第8回はイタリア・中部、フロレンティーンスタイルを代表するリヴェラーノ&リヴェラーノ。男がスーツに求める要素を完璧に備えたそのスタイルは、世界のウェルドレッサーから熱く支持されている。【世界最高の注文紳士服店案内~THE WORLD OF BESPOKE STYLE】
世界のウェルドレッサーに支持されている理由
イタリアの3大スタイルの中で、前回紹介した北部のミラネーゼスタイルに続き、今回紹介するのは、中部フィレンツェを発祥とするフロレンティーンスタイルである。
フロレンティーンスタイルの名を知らずとも、このスタイルを代表するサルトリア、LIVERANO&LIVERANO(リヴェラーノ&リヴェラーノ)の名を知っている方もきっと多いことだろう。このように世界のウェルドレッサーにリヴェラーノ&リヴェラーノが支持されている理由はなんだろう?
おそらく、このスーツは、男がスーツに求める要素を完璧に備えているからにちがいない。つまりフォーマルでありながら堅苦しくならず、イタリアの仕立ての柔らかさがあるが軽過ぎることはない。エレガンスを感じるが決して華美ではない。それこそが全世界であらゆる状況において着用できる、リヴェラーノ&リヴェラーノのスーツの強みなのだ。
アントニオ・リヴェラーノは南部イタリアのプーリア生まれ。7歳から修業をはじめ、兄ルイジと1960年代にフィレンツェでリヴェラーノ&リヴェラーノを開く。それから60年近い歳月を経た現在、フィレンツェのみならず、イタリアを代表するサルトリアとなった。
今も週に5日はワークルームで働くというアントニオ・リヴェラーノ氏は、サルトリアという仕事に対してこう語っている。
「プーリアから来て、何もない白紙の状態から始めて、ここまで来れたことを誇りに思っている。この仕事に飽きたことはいちどもない。美しいスーツを作ること、人に会うこと、教えること、そのすべてに大きな情熱を持っているから」
フロレンティーンスタイルの仕立ては、通常の仕立てでは前身頃の中心にあるフロントダーツを、あえて作らないのが特徴だ。ダーツを取らないため、その分、高度なカッティングとアイロンワークが必要となる。その結果、上着の前身頃はクリーンで端正な表情となる。
こうしたフィレンツェ伝統の仕立てを踏襲しながらも、アントニオ・リヴェラーノ氏の感性が生かされた、独自の仕立てとなっている。リヴェラーノ&リヴェラーノのハウススタイルはシングルブレスティッドの3つボタン、低めのラペルノッチ、ナチュラルでクリーンなショルダーライン、胸部を柔らかなキャンバスで強調した男らしいライン、反対にラペルからフロントにかけて開いたカーブの優美さのコントラストが均整の取れた美を作りだす。
海外の顧客に向けてテーラー自らが足を運んで出張採寸を行うトランクショー。1930年代にサヴィル・ロウのテーラーが開始し、幾つものトランクに仮縫いのスーツを入れて運んだことから、トランクショーの名がついたとされている。
リヴェラーノ&リヴェラーノも、ニューヨークや香港のTHE ARMOURY、東京のソブリンハウスをはじめ、世界各地でトランクショーを行っている。そこで重要な役割を果たしているのが大崎貴弘氏だ。
同時に、他ブランドとのコラボレーション企画や商品開発、インスタグラムなどのSNSを通じて、スーツスタイルに留まらないリヴェラーノ&リヴェラーノの魅力を世界に発信している。
世界でも有数の美しい都市として知られ、中世にはルネッサンスが花開いたフィレンツェ。この華やかな都市のどこにも街の景観を壊すような突出した色は見当たらない。それはリヴェラーノ&リヴェラーノのスーツのコーディネートと同様に、全体がしっくりと馴染んでいる。この芸術の都こそが彼の色彩感覚を育んだのだ。
男性のスーツはネイビーにグレー、ブラウンといったベーシックなカラーが主流だが、そこに馴染むオレンジやマゼンダ、イエローを加えることで男の着こなしに華やかさが生まれる。
クラシックでありながらタイムレス、スーツ自体が強く主張することはないが、着る人の存在感を際立たせる仕立てには、アントニオ・リヴェラーノ氏のフィレンツェで育んだ美意識が生きている。
[長谷川喜美/Yoshimi Hasegawa]
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棋士・羽生善治が27年ぶりに無冠となった。そこで本人が選んだ肩書きは「九段」。7つの永世称号をもっているのに、単なる段位を選ぶのは、なぜなのか。インタビューを重ね、『超越の棋士 羽生善治との対話』(講談社)を書き上げたルポライターの高川武将氏が分析する――。
自ら選んだ肩書
27年ぶりに「無冠」になった将棋界の王者・羽生善治が、自ら選んだ肩書は、単なる段位の「九段」だった。
タイトルを持たない棋士が段位を名乗るのは当然のことだが、羽生だからこそ、そこには彼の決然たる意志が如実に表れている。
永世七冠を達成した2017年の竜王戦直後に話を聞いた際、羽生が実感を込めてこう言っていたのを思い出す。
「自分がどこまで第一線でやっていられるかは、1年1年やってみないとわからない。その感覚はかなり強くあります」
プロ棋士として一兵卒になることで、できるところまで第一線で闘い続けるのだという強い覚悟を明確にしたのだ。
33年に及ぶ棋士人生で獲得したタイトルは通算99期を数える。歴代2位は大山康晴(15世名人)の80、3位が中原誠(16世名人)の64。年間平均3つのタイトルを持ち続けてきた羽生の実績は群を抜いている。だが、昨年末、通算100期を懸けて臨んだ竜王戦で、羽生は挑戦者の広瀬章人に3勝4敗で敗退。大記録は達成できず、逆に竜王位を失冠し、保持タイトルがゼロになってしまった。
初タイトルは平成元年
19歳で初タイトルの竜王を獲得したのは1989年、平成元年のことだった。その後、羽生が無冠だったのは、90年11月に竜王防衛に失敗してから翌91年3月に棋王を奪取するまでの4カ月間のみ。以来、七冠全冠制覇をはじめ途轍もない実績を積み重ね、常にタイトル名やその数で呼ばれてきた。平成と共に時代を築いてきた羽生が、48歳にしてついに無冠になり、どんな肩書を選ぶのかに注目が集まっていたのだ。
8大タイトル中、竜王と名人は失冠した翌1年間「前竜王(名人)」を名乗れる規定がある。また、「永世七冠」という空前絶後の大偉業を達成している羽生に敬意を表して、永世称号で呼ぶべきではないか、という声も将棋界にはあった。永世称号は引退後に名乗るものだが、実際にかつて大山、中原が無冠になり永世称号を肩書としたことがある。ただそれは、2人とも棋士生活の晩年に入った時期のことであり、羽生が名乗るとすれば相当「現役感」が薄れることを私は少なからず危惧していた。
だが、それは杞憂(きゆう)だった。竜王戦敗退後、日本将棋連盟から意向を問われた羽生は、前竜王でも永世称号でもなく、九段を希望したのだ。それは私が長年追いかけてきた羽生らしい選択でもあった。
世代交代を迫られる中で
昨年9月、私は『超越の棋士 羽生善治との対話』(講談社)という書籍を上梓した。2010年の竜王戦から足掛け8年、9回にわたって行ってきた羽生へのロングインタビューを中心に、稀代の人物の実像に迫ったノンフィクションである。
取材を始めた10年当時の羽生は、14歳下の渡辺(当時竜王)に世代交代を迫られている状況にあった。だが羽生は、死闘を繰り広げながら、勝つことでその渡辺との差を徐々に広げていった。やがて、14年には3度目の名人復位を果たし、43歳にしてタイトルの過半数を占める四冠王となる。加齢による衰えを感じさせない羽生に、私は、これまでの将棋史にあるような世代交代の図式は当てはまらないのではないか、とさえ思った。
ところが、40代後半に入った16年の春から異変が生じていく。棋士人生初の公式戦6連敗を喫し、名人位を当時27歳の佐藤天彦に奪われ、その後も20代の若手棋士にタイトルを奪われることが続いた。それだけでなく、常に7割前後を誇っていた年度の勝率が16年度に初めて6割を切ってから、3年続けて5割台に落ち込んでいる。年齢からすれば5割をキープしているのはすごいことだが、羽生にしては「低迷」が続いているのだ。
「AIの影響を受けた戦術をつかみきれていない」
その要因について、拙著の中で羽生はこう自己分析している。
「現代将棋にきちんと対応できていない。どんどん変わる戦術に巧くマッチできていないところは、間違いなくあります。AI(人工知能)の影響を強く受けた新たな戦術をつかみきれていない。その根本にある発想や考え方を理解することが、簡単にはいかないんです」
また、圧倒的な強さを誇ってきた終盤の競り合いに負けることが増えた要因の一つにも、AIの影響を挙げた。
「以前よりも難易度の高い局面が増えているんです。全体のレベルが上がっていることと、難しい局面が増えて対局者にミスが増え、さらに難しくなっていることもあります」
若手棋士を中心に、AIの影響によって劇的な進化を続ける現代将棋への対応に苦闘しているのだ。
ただ、昨年の竜王戦で、シリーズを通して積極的で溌剌(はつらつ)とした指し回しをしていたのは、31歳の広瀬よりもむしろ羽生のほうだった。特に第5局は、常識外れの斬新な手を連発し、羽生マジックと言われた往年の強さを見せつけ圧勝していた。結局は第3、4局を逆転負けしたのが響き、シリーズは敗れ去ったが、羽生は明らかに何かをつかみかけているのではないだろうか。
「強くなっているかどうかも、わからない」
10代の頃から羽生は対局で「実験」を行ってきている。最先端の最新形の、さらに未解明な手を、大舞台でこそ試してみるのだ。
「目先の結果だけを考えて指せば戦術の幅が狭くなります。ただ、逆に未来の可能性を重視し過ぎれば目先の結果が伴わなくなる。そんなリスクマネジメントの難しさがあるんです。しかも、リスクを取ったからといって、将来必ず結果に結びつくわけではない。流行の戦術が次々と変わってしまうので」
そんな将棋に取り組む姿勢が羽生の強さの根源にある。だが、彼はこうも言うのだ。
「もう、自分が強くなっているかどうかも、わからなくなっているんです」
一体、羽生は何のために、そんな暗中模索を繰り返しているのか。誰も追いつけないような実績を残しながら、なぜ将棋を指し続けるのか。それが拙著に通底したテーマになっていて、何度もやり取りを繰り返した。
「それは突き詰めてはいけないと思っています。闘うものは何もない。勝つことに意味はないんです」
「忘れること、諦めることも大事。モチベーションはコントロールできない。普通に、自然にやってどうなるかだけです」
「自分に役割なんてない……」
そんな虚無さえ感じるセリフを、いつも朗らかに笑いながら話す姿に、私はいつしか「癒やし」さえ感じるようになっていった。
将棋の真理の追究
羽生の求めるものは何なのか。禅問答のようなやり取りを繰り返す中で、おぼろげながら見えてきたことがある。一つは、将棋の真理の追究である。
「将棋の真理はほぼわからないことがわかっている。(10の220乗とも言われる)指し手の可能性は膨大で、知覚できるのはほんの一かけらでしかない。到達点が見えないし、行けない……ただの幻です。でも、少しでもいいから前に進むことに価値や意味を感じることがいいんじゃないか。登る山が高過ぎて頂上までは行けないけど、途中の一里塚の景色を見るだけでも、ああ、やっていてよかったな、と感じられることもあると思うんです」
登る山が高ければ高いほど、その一歩は重みを増していく。若手に負けても、タイトルを失っても、羽生は歩みを止めない。その根幹を支えているのは、AIの影響を受け確率重視になり、皆が同じ戦法、戦術になっていく現代将棋へのレジスタンスである。
「不利なものにこそ可能性がある」
「今後さらにAIの影響が進んでいったとき、内容が画一的になるかどうかが将棋の世界の運命を決めることになる。例えば勝つ確率が8割と2割に分かれたら、人間は80対20には分かれずに、98対2くらいに分かれてしまう。確かに今、AIによって確率や統計の精度が強烈に上がっているので、ミクロ的に見れば、それに従うほうが正しい。でも、皆でそうするのは、将来的に非常にリスキーなことです。AIによって新たな課題は与えられているけれど、将棋の可能性を狭めてしまうことにもなる。やっぱり、2のほうの人がいないと、廃れてしまいます。多様性は本当に大事で、少し不利とか、ダメと言われるほうにこそ、私は可能性があると思っているんです。
ただ、負けますねぇ(苦笑)。将棋以外のあらゆるジャンルでもそうなっていくでしょうけど、恐ろしく精度の上がった確率や統計に下手に抵抗すると、大変な目に遭います」
そう話したときの羽生の楽しそうな笑顔を私は忘れることができない。
無冠だからこそ、より自由に
羽生の真の敵は人間ではなく、AIに強く影響された現代将棋そのものなのだろう。それを深く理解し解明するための壮大な実験は、これからも続いていく。目の前に次から次へと差し出される新しい課題に、全力で取り組んでいくのみ……。その意志を表明したのが「九段」の肩書なのだ。加齢による衰えとも闘いながら、やがて実験の「答え」が出てきたとき、羽生がまたタイトルを冠する日はきっと来るはずだ。
「私は過去を振り返りません」
永世七冠達成直後に話を聞いたとき、羽生はきっぱりとこう言っている。
守るものはない。無冠になったからこそ、より自由に将棋を指せる。だから私は、羽生九段の今後の闘いぶりが楽しみになっている。
名人挑戦を懸け、現在5勝1敗の2位につけているA級順位戦7回戦(1月11日、対三浦弘行九段)が、羽生の再スタートの場となる。
[ルポライター 高川 武将 写真=時事通信フォト]
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韓国海軍の駆逐艦が海上自衛隊のP-1哨戒機に火器管制レーダーを照射した問題で、韓国国防部は自衛隊の公表した動画に対する「反論ビデオ」を公開した。防衛ジャーナリストの芦川淳氏は「こんな『恥の上塗り』をするのは、文在寅政権が北朝鮮による国連制裁違反を恒常的にアシストしているからではないか」と指摘する――。
韓国側の立場をさらに悪くする内容
2018年12月20日に起きた海上自衛隊哨戒機に対する韓国軍艦艇からの火器管制レーダー照射事案について、韓国軍当局は1月4日、昨年末に防衛省が公開した映像への反論にあたる動画を公開した。当初からつじつまの合わない説明を続けてきた韓国軍当局は、今回の反論動画でさらに恥の上塗りを重ねたように思える。
韓国側の反論動画の趣旨は以下の通りである。まずは「海上自衛隊のP-1哨戒機は、人道的救難任務にあたる韓国艦艇に対し、不用意な威嚇ともとれる低空飛行を行った」とし、これについて抗議するとともに謝罪を要求している。加えて彼らは「海上自衛隊のP-1哨戒機に対して、わが方は火器管制レーダーの照射を行っていない」と言明。さらに「海上自衛隊は、韓国艦艇に対してレーダー照射の理由を問う無線での連絡を行ったとしているが、わが方では無線のノイズがひどく聞き取れなかった」と釈明している。
筆者が、この韓国側の反論動画を見て落胆したのはいえうまでもない。韓国側が新たな事実と筋の通った明快な論理で検証を行った結果、双方の「誤解」を解くきっかけが産まれるかもしれないという淡い期待があったからだ。しかし、実際の反論動画はBGMも含めあまりに稚拙で、韓国側の立場をさらに悪くしかねない残念なものになった。いったいどのような経緯でこうした反論動画が出来上がったのか、不思議でならない。
一般的に軍事的要素を多分に含んだ情報を一本化するには、軍や政府の最高レベル(韓国でいええば国防部や大統領府)の強力なリーダーシップが必要になる。もちろん動画の素材については現場からの収集が可能であるし、そこに専門的な見地から解説を加えることは軍当局の当然の任務だろう。ただ、それを国として発表する際にどのようなスパイスを加えるかについては、高度な政治的判断が求められるはずだ。
だがこの動画には、そうした「高度な政治的判断」の跡が見受けられない。これまでの韓国側の主張と何ら変わらず、また新たな要素も加わらず、映像的にもデータ的にも韓国側を擁護できるいかなる要素も見つからない。
例えば、海上自衛隊機の低空飛行を示すシーンは、韓国軍の艦艇の上方を飛ぶ自衛隊機の姿を、救難作業中のボートから撮影したものだ。このわずかなシーンをもって韓国側は、海自機が威嚇的な飛行をしたと主張しているが、この時に海自機が韓国軍艦艇の直上を飛行していないことは、防衛省の発表した動画でも明らかにされている。その点を踏まえて韓国艦艇との距離を考えれば、海自機の飛行高度が極端に低いとはいえない。
防衛省の動画では、当初、海自機は警備艦に並走するように飛行し、その後、クァンゲト・デワンの後方を通過している。これは通常の監視活動ではセオリーともいえる飛行経路であり、相手に必要以上の圧迫を与えない配慮も感じる。海自機の高度変化はわずかで飛行速度も落ち着いたものだ。クァンゲト・デワンのマスト高は、おおむね40m~45mはあるので、海自機が最接近した際の映像からも、マスト高の3倍~4倍の高度は維持していることが分かる。もし、この飛行経路を見て威嚇的と感じるようであれば、軍人として問題だ。
ウソにも「つきよう」があったのだが
また、この後に発生したレーダー照射に対し、海自機からは再三にわたり韓国艦艇に無線での問い合わせを行っている。これを韓国側はノイズによって聞こえなかったとしていたが、韓国側の動画を見る限り、ノイズに重なって聞こえるジャパンネイビーという音声や、艦番号の呼びかけが判別できる。「脅威」を感じていたと主張する状況のなかで、海自機側の呼びかけを一切無視し返信も行わないという、韓国艦の奇妙な対応が明らかになった格好だ。
そして、話題の核となるレーダー照射については、韓国側は一切の照射を行っていないと言い続けている。実のところクァンゲト・デワンは、火器管制に使用可能なレーダーを2系統搭載しているのだが、そのうちひとつは水上・空中の目標を広域的にスキャンし、複数の目標をロックオンすることができる。ただ、それを火器管制に用いた場合、性能上の制約から動きの鈍い水上目標にしか対応できないとされる。
一方、今回、問題になっている方の火器管制レーダーは、単一目標をピンポイントでロックオンするタイプで、これはまさに航空機への対空ミサイル攻撃を専門に管制するものだ。
もし上手にウソをつくなら、前者のレーダー装置を引き合いにして「システムが誤って海自機を自動で捕捉してしまったようだ。こちらの責任ではないが、再発防止に努める」とでも釈明すれば事態は収まっただろう。防衛省としては、双方のレーダーの周波数がまったく違っても、はたまた前者のレーダーでは上空70度の高さまでしかスキャンできなかろうと、取りあえず韓国軍側が「すまぬ」といえば、後は外交案件として手を離すことも可能だった。
韓国側は、防衛省への反論のなかで「レーダー波のデータを見せろ」と主張しているが、これには国際的な問題が生じる可能性があり、簡単に応じることはできない。クァンゲト・デワンが搭載する火器管制レーダーは、ギリシャ海軍やインドネシア海軍など複数の国の艦艇で採用されており、データの公開は他国の安全保障リスクへと発展しかねない。防衛省は、レーダー周波数だけでなくレーダー波の成分、つまりそこに隠れている火器管制用の暗号コードまで含めて情報を握っている可能性が高いのだ。
ちなみに、今回の件で防衛省は、重要な情報をすべて米軍と共有しており、同時に事態の発生から時を置かずして、米軍に対して日韓の緊張を解くべく仲介の依頼を行っているはずだ。大きな目で見れば東アジアの安全保障にとって、日米韓の準軍事同盟的な枠組みは非常に重要であるし、アメリカも日韓のきしみを歓迎できる立場にはない。しかし韓国側が、日本による情報公開が困難であることを盾にレーダー情報の公開を執拗に迫るようだと、問題は深刻化し、やがて日韓のみならず米韓同盟にもヒビを入れかねない。
北朝鮮の違法行為をアシストしていた?
今回のレーダー照射案件を別の視点から眺めてみると、興味深い疑問点がいくつか浮かんでくる。まず、発端となった北朝鮮漁船の「救助」に、なぜ韓国の海軍の駆逐艦と海洋警察の大型艦が合わせて駆けつけたのか。
クァンゲト・デワンが国籍を示す旗を艦首にも艦尾にも、そしてマストにも掲揚せず、自分たちが何者であるのかの主張をしていなかったのはなぜか。公海上とは言え、わが国の排他的経済水域(EEZ)内、しかも日本の領海の近傍で活動するならば、国籍や船籍を示すのがマナーというものだろう。これで海自機の問いかけに応答もしないのでは、ただの謎の国籍不明艦である。さらに謎なのは、救助されたはずの北朝鮮漁船に関わる情報がまったく出てこないことだ。
筆者は、これをひもとく鍵を北朝鮮に求める。2017年11月29日の北朝鮮による大陸間弾道ミサイル発射に対して採択された国連決議2397号の制裁措置によって、現在、北朝鮮の経済状態はかなり悪化しているとされる。その結果、多数の北朝鮮漁船が日本海へと乗り出し、日本のEEZ内でも不法操業を行っている。さらに瀬取りによる制裁決議違反も繰り返されており、各国が監視体制を強めているという状態だ。
これはあくまでも推測であるが、従北姿勢を強める文在寅政権は、裏の国策として北朝鮮による国連制裁違反を恒常的にアシストしているのではないだろうか。
そもそも現場は日本のEEZ内であり、北朝鮮漁船はもちろん韓国漁船の操業も許されていない場所だ。そこに国籍を示す旗を掲げない軍艦と、5000tという大型の警備艦が出張って来ていること自体がおかしい。ところが、これを北朝鮮漁船の安全を間接的に確保するという点、そして北朝鮮船による瀬取りに対して見張りを立てるという点から考えると、彼らの動きが説得力を持つ。そして海自機に対する振る舞いも、「見られては困るものを見つけられた時の動き」と考えればつじつまが合うのだ。
日本側に証拠はいくらでもある
韓国軍の主張に対し、防衛省側は第2弾、第3弾と尽きぬ反論の証拠を持っているだろう。レーダー波のデータ公開がゴールラインだとしても、それまでに事案の発生した場所の正確な緯度・経度の数値、フライトレコーダーに記録された飛行データ、哨戒機の機首下に装備された赤外線前方監視装置の映像(これまで公開された手持ちのビデオカメラによる動画とは比較にならないほど高精度だ)などいくらでもある。
前回の原稿では、「韓国は、日本に対して何をしてもいいと思っている」と書いたが、今回はそれに「韓国は、日本を永遠に格下と思っている」と付け加えておこう。日本に謝罪することは彼らのプライドをズタズタに破壊するし、そんな日本から幾度となく経済援助を受けている事実も、むしろ恥をかかされたと恨みを買う材料になっている。日本に対するそうした精神的マウンティングが、本来対等の立場で行われるべき国家同士の対話をもゆがめてしまっている。
今回の件でも、日本が音を上げて諦めるまで反論を続けたいのが韓国側の本音だろうが、対する日本側は感情的にならず、努めて冷静に、粛々と誠実かつ紳士的に反証を重ねていく姿勢が必要だ。
[防衛ジャーナリスト 芦川 淳 写真=AP/アフロ]
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ファーストリテイリングの柳井正会長兼社長は大学卒業後、ジャスコで9カ月間働いた。その時の面接官は、イオングループ創業者・岡田卓也の実姉・小嶋千鶴子だった。小嶋氏の評伝『イオンを創った女』(プレジデント社刊)を読んだ柳井氏は「今まで読んだ人事の本の中で最高の本。小嶋さんと僕は経営に関する考え方が全く一緒だ」と語る――。
人事の本では、これまでで最高の1冊
――本書をお読みいただいてありがとうございます。
著者の「東海さん」て、なんか聞いたことがあるなって思ったのだけれど、思い出しました。僕は大学を出て最初にジャスコに就職したのですが、そのときの面接官が小嶋千鶴子さんだったんです。その小嶋さんが「東海くん、東海くん」と呼んでいた。その声をね、読んでいて思い出しました。
それにしても、この本は久々の傑作だと思いました。経営とは人事のことなんです。この本は今まで僕が読んだ人事の本の中で最高の本です。だから最高の経営の本ともいえる。小嶋さんの言葉という素材が最高なのはもちろん、著者の東海さんがそれを実によくまとめている。小嶋さんは僕と経営に対する考え方が全く一緒。この本、全社員に配りたいくらいです。
小売業の経営者を越えている小嶋千鶴子
――小嶋千鶴子さんについてはどのような印象でしょうか。
これを読むと、やはり小嶋さんがイオンの実質的な創業者だなとよくわかります。小嶋さんは小売業の経営者を越えていますね。小嶋さんは実に見識が広い。その広い見識をもとに、教育者であり、クリエイティブディレクターでもあり、組織をまとめることもする。それこそ真の経営者なんだと思います。
人事というのは、人間そのものを理解しないといけないのだけれども、さらには組織と人間の関係、社会の成り立ち、未来予測といった全方位的なことを知らないかぎりできないものなんです。さらに、必要なのは厳しさと愛情ですね。小嶋さんにはそのすべてが詰まっている。
本では厳しさばかりを書いているけれど、僕の真意も同じです。読んでいて小嶋さんと僕は性格がすごく似ているんじゃないかと思います。やはり経営者はこうでないといけないと思いました。小嶋さんは本当にすごい人だと思います。
「退職する時、小嶋さんにだけ手紙を書いた」
――柳井さんがジャスコに就職したのはどういった経緯だったのでしょう。
家業の洋服屋(小郡商事)がダイワというショッピングビルをつくったんです。その共同経営者の長男がジャスコに就職するので、お前もいっしょに行かないかと言われて。僕は「できたら仕事をせずに一生を過ごそう」というタイプだったので就職についても特になにも考えていませんでした。でも親父がそういうのだったらしょうがないな、ということで、就職したんです。
5月に入社して2月まで。在籍していたのはわずか9カ月です。しかしこれを読んで思ったのは、僕はやっぱり小嶋さんの影響をものすごく強く受けたんだということです。
――小嶋さんと接触はあったのですか?
小嶋さんは人事部長でしたからね。何回かお会いはしました。具体的に言われたことや何かはほとんど覚えていなくて、「うるさい人やな」ということくらい(笑)。
しかし、退職するときは、小嶋さんにだけ手紙を出しました。こういう理由で退職しますという手紙を書いたんです。この人だったらひょっとして僕の気持ちをわかってくれるんじゃないだろうかと思ったのです。それぐらいジャスコでは印象深い人でしたね。
岡田卓也さんは豪胆な実行者
――岡田卓也(イオン名誉会長)さんとは交流はなかったのですか?
在職中に1回だけ、岡田卓也さんに会いました。岡田さんに言われて覚えていることがひとつあって、「商売はアタマで考えるものじゃない。カラダで慣れろ」と。地味なスーツを着ていらしたんで、卓也さんの印象は「この人えらい地味な人だな」。現場主義の人だったのだと思います。
小嶋さんが会社の構想を練ったり、人間的な側面を見たりして、岡田さんは実務を行った。いまでいうところのCEOが小嶋千鶴子さんで、岡田卓也さんがCOOですね。会社の基本的なこと自体は、彼女のほうがよく理解していたのではないかなと思います。
当時は、岡田屋、フタギ、シロで合併をするのに、シロの経営内容が非常に悪い、という話を岡田さんがされていたのをよく覚えています。
若い人への教育が徹底されていた
――ジャスコでの仕事はいかがでしたか?
教育が行き届いていた会社だというのは感じましたね。僕は最初に雑貨売り場に配属されたのですけど、そこのフロア長が僕より2年ぐらい上で、とてもよくできる方だった。そのフロア長は、最後は九州ジャスコの社長までされたと聞いています。
「ジャスコはすごいな、2年しか違わないのに、僕とはえらい違いだ。こんなしっかりした人がいるんだ」と、それぐらい若い人への教育は徹底されていましたね。それこそ、小嶋さんとか著者の東海さんがしっかりと担当されていたんだと思います。
一方、店長とか、その下にいた人とはいつもケンカしていました。フロア長が「ネクタイをしてこい」というから、「雑貨売り場で荷物を運ぶのに、ネクタイは必要ないでしょう」って。新入社員だったけど、くってかかっていましたね。
そうしたらフロア長が「それなら、まあ、いいよ。柳井くん」って。でも、そういうことがいえる会社だった。いい思い出ですね。最初の配属は四日市の本店で。そのあと、実家が紳士服を扱っていたので、紳士服売り場へ異動になりました。でも、あまり紳士服での思い出はないです。
ジャスコを辞めて英語の専門学校へ
小嶋さんが作った星雲寮というのが四日市にあり、そこで僕も若い大卒の人と一緒に生活していました。2人1部屋だったかな。その人は警察官になるって言って、辞めていきました。「柳井くんも警察官にならないか?」なんて、声をかけられてね。もちろん断ったけれど、僕自身も仕事に情熱がもてなくて、すぐに辞めることになりました。
――ジャスコを辞められてからは、すぐに家業に戻られたのですか?
いえ、その後、上京して、留学しようと英語の専門学校に入りました。高校の同級生のアパートに住ませてもらったのです。だけど、彼はもう勤めていたので夜にならないと帰ってこない。僕は学校が終わってすぐに帰ってきては時間を持て余している。そのギャップに自分が惨めになってね。
そもそも勉強も地に足が着いていないものだから、なかなか身につかないし、いやになってしまったんです。親も帰って来いというし、半年くらいして実家に帰りました。それで家業に入ったんだけれど、そんな息子が従業員に対してああでもない、こうでもないって言うものだから、社員が全員辞めてしまった。自分で振り返ってみてもあのときは最悪でした。
「小嶋さんの言葉がイオン最大の資産」
――経営者として、この本をどのように読まれますか?
イオンにとっては、小嶋さんの言葉、これが最大の資産ではないでしょうか。ジャスコの合併というのは、小嶋イズムで全社合併し、小嶋さんの考えで実質的には岡田屋に経営が統一されていったのではないかと思います。それくらい小嶋千鶴子という人は強い人です。
小嶋さんはその当時ドラッカーなども相当勉強されていました。僕は、ドラッカーはビジネスの学者じゃないと思っています。ビジネスをする“人”とは何なのか、個人と組織の関係、会社との関係、組織はどうあるべきか、世の中はどう動いていくのか、そういうことを説いているのだと思っています。
小売業経営者への警鐘でもある
小嶋さんも経営をそのように理解されていたのではないでしょうか。そしてそれを教育体系の中に盛り込んでいた。だから、これだけイオンは大きくなったのではないかと思います。ほとんどの小売業の人は、「いかに売るか」しか考えていません。しかし、小嶋さんは違った。単に商売だけではなしに、人間とは何かをすごく理解しようとしていた人、それが小嶋千鶴子さん。そういう経営者は小嶋千鶴子さん以外、会ったことがありません。
――小嶋千鶴子さんの哲学がいま世に出てきたことはどういう意義があるでしょうか。
この本からは著者の東海さんが抱いている、小売業への危機感もとても強く感じました。本来、小売業というのはもっと人を大切にして、人に投資するものだった。ところがいまは資本による統治のみで組織だけが肥大化していく。この本は、小嶋イズムを受け継いだ東海さんによる小売業経営者への警鐘でもあると思いました。
[ファーストリテイリング代表取締役会長兼社長 柳井 正 聞き手・構成=プレジデント社書籍編集部]
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銀行の言いなりになって退職金を預けるのはNG。いま注目の方法は「会社を買う」こと。社長としてスタートを切れば、 老後資金だけでなく、 新たなやりがいも見つかるはずだ。
「会社買収」は定年後の安定収入を確保する方法だ
「会社を買って経営をするというと、ハードルが高いという印象を抱く人がいます。確かにハードルが高いことは事実です。しかし、よくある脱サラして飲食店を起業したものの、過酷な競争環境で負け続け、初期の設備投資と運営コストであっという間に資金が枯渇してしまう“飲食業の負けパターン”にはまるよりも、実はリスクは低い。なぜなら、買った会社も設立以来、さまざまなトライ&エラーを重ねながら、エラーを起こさない仕組みが出来上がっているから。そこを母体に本当に自分のしたいことをすればいいのです」

著書の『サラリーマンは300万円で小さな会社を買いなさい』がベストセラーとなっている日本創生投資代表取締役CEOの三戸政和さんが語る。
三戸さんは「人生100年時代において、定年後も安定した収入を確保する必要があります。でも、どんな会社が雇ってくれるでしょうか。マネジメント能力のある人だったら、小さな会社を買い、そこで報酬を得る選択肢だってあるのです」と続ける。三戸さんは著書のなかで、60歳からの10年間、会社を経営し、毎年1000万円の役員報酬をもらえば、税引き前収入の総額は1億円、手取りで7000万円程度にはなり、「月々20万円×30年間」くらいの生活資金を十分に得られると試算する。
エステサロン、介護……売り情報が続々
実際に、個人が会社を買おうとするのなら、まずネットを検索してみよう。そこには、個人も買える会社を仲介するサイトがいくつも現れてくる。
その1つが大手のM&A仲介会社である日本M&Aセンターのグループ会社のアンドビズが運営する「Batonz(バトンズ)」だ。「売り情報一覧」を開くと、「超急成長中のエステFCサロン1店舗」「小規模多機能型居宅介護事業(2事業所)」などの情報が続々と出てくる。同社の大山敬義社長がサイト立ち上げの経緯を説明する。
「小規模事業者のM&A(買収・合併)はコストや手間の問題で、採算が取れず、大きな課題でした。しかし、6年ほど前に米国に目を転じると、ネットによる仲介が行われていました。そこで、日本でこのモデルを活用した実証実験を行いました。そして2018年4月、成約実績100社突破を契機に、日本モデルを確立できると見て会社を設立しました。また18年10月1日、より事業者に寄り添って使いやすいサイトを目指し、バトンズをリリースしました」
同じく小・中規模事業者を中心にプラットホームを提供するサイトが「TRANBI(トランビ)」だ。こちらも「M&A案件」を開くと、「譲渡希望価格1000万円以下の『オールインワン化粧品』の通信販売事業」「譲渡希望価格指定なしのペット用品店」などの情報が出てくる。「現在、登録しているユーザー数は1万4000人弱ですが、その3割が個人の売り手と買い手で占められています」と、運営会社のトランビ社長、高橋聡さんは言う。
事業会社も登録は経営者個人が行うので、ユーザー数の単位は「人」になる。バトンズの場合、「登録を行った人が18年8月に1万人を超えました。そのなかに多くの個人の方が含まれています」と大山さんは話す。
マッチング件数や実際に譲渡まで行き着いた成約件数などの実績は、図1を見てほしい。バトンズにしてもトランビにしても登録は無料で、自分が買いたい会社にネットを介してマッチングのオファーを入れる(図2参照)。売り手は複数きたオファーのなかから、希望にかないそうな買い手を選び、マッチングに進む。その際に外部に情報を漏らさない「秘密保持契約」を締結することで、事業内容や財務などの詳細情報が開示される。この閲覧段階でバトンズは「3カ月で2万9400円~」の有料(ただし年内は無料)となる。

そして、面談で価格などの条件交渉を行い、OKなら「基本合意書」を締結し、財務や法務の観点から買収しても大丈夫かを買い手側が監査する「デューデリジェンス」に移る。最終的に問題がなければ、「最終契約」を含めた成約に進む。気になる成約手数料だが、売り手と買い手が直接交渉を行った場合、トランビは売買価格の3%を買い手が支払う。一方、バトンズは手数料なし。デューデリジェンスや契約の際に税理士や弁護士などのサポートを受けるのなら、別途費用が必要だ。
現役時代の取引先に、なぜ注目すべきなのか
全国の商工会議所もマッチング支援を行っており、その1つが2011年10月に設立された東京商工会議所の「東京都事業引継ぎ支援センター」だ。「現在、1000社分程度の買収ニーズがありますが、その主体は事業会社です。買い手として個人の方の登録は増えていますが、譲渡希望先のニーズとなかなかマッチせず、個人の買い手で成約に至ったケースはまだありません」とプロジェクトマネージャーの木内雅雄さんは言う。
一方、バトンズやトランビでは個人の会社買収による成功事例が、着実に積みあがっている。たとえば、バトンズでは70代半ばの男性が17年、京都・錦市場にある惣菜店を買い、外国人向けのレストランを併設したことで、月商が2500万円から4000万円へ跳ね上がった。またトランビでは、50代半ばの大手企業に勤めていたビジネスパーソンが早期退職の割増退職金と融資を原資に、年商5000万円の印刷会社を3年前に買い、順調に業績を伸ばしているそうだ。
「その会社は塾や予備校などの教材の印刷がメインで、もともと教育関係に関心を持っていた買い手の方との相性がよかったのです。会社を買った後に成功するには、経験や土地勘のある分野の会社を選択することがとても重要です」と高橋さんは言う。そして最後に、買う会社の選択の“裏技”を前出の三戸さんが紹介してくれた。
「いま勤めている会社の取引先はどうでしょう。その会社の業界内における立ち位置、技術力、経営状態などがわかっているはずです。何より相手の経営者や従業員の人柄を熟知しており、安心して買うことができます。また、素性を知っている人に買ってもらうのなら、相手側の不安感もやわらぎます」
そうやって買った会社の経営を引き継ぎ、会社の価値を高めていけば、今度は自分が売り手となって売却益という“第2の退職金”を手にすることもできるのだ。
[プレジデント編集部 伊藤 博之 写真=iStock.com]
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大麻やLSDの使用歴が30年の50代男性会社員。長年、常習・乱用していたこと判明したが、勤務先の上司はクビを言い渡さないどころか、保釈金を負担し、雇用も続けると裁判で証言した。その様子を傍聴したライターの北尾トロ氏は「被告は取り調べでも裁判でも、誰から購入したかなどについて黙秘を貫きました。2年6カ月の有罪判決でしたが、なぜか人としての信頼度が高く感じられた」という――。
「即日判決」の裁判には思いがけないドラマがある
裁判所には正月明けの1月前半、年度切り替えの3月末から4月前半、8月のお盆前後など、年に何度か公判数が激減する時期がある。なかでも独特の雰囲気なのは年末。大きな事件はわずかになり、窃盗などの小事件がずらりと並ぶ。不法滞在や薬物などで捕まった外国人の裁判も多い。全面的に罪を認めたものについては即日判決(初公判の日に一気に結審し、判決まで行うこと)になることもめずらしくない。
他の事情もあるのだろうが、僕にはこれがクリスマスや正月を娑婆で迎えるための、裁判所なりの配慮に思える。執行猶予付の判決になることが確実な被告人に、年明けまで持ち越さず判決を下せば、拘置所で寂しいクリスマスや正月を迎えなくて済むからだ。
裁判所にとっても、新たな年を迎える前に一定数の判決を下すのは、意味のあることだろう。僕は、被告人にとっても裁判所にとってもハッピーといえる即日判決を聞くのが好きだ。
大麻35mg、LSD1.8mlを持っていた50代の会社員
昨年12月某日に傍聴した大麻取締法違反等の裁判も、初犯+罪を認める+復帰後の仕事を確保、の要素を満たし、執行猶予付き判決が濃厚。即日判決もありそうだと期待した。保釈中の被告人は50代の男性だ。どういう経緯で捕まったのかと身を乗り出すと、これが大胆なのである。
被告人は密売人から購入した大麻を2種類の小物入れにいれ、社用車の助手席ポケットに放り込んでいたのだという。その量、35グラム超。紙巻きタバコ1本分の葉の量は0.7グラム程度とされるので、単純計算で50本分以上になる。しかも、他に液体のLSD1.8ミリリットルも所持していた。LSDは微量で効くので、これもまた相当の量である。検察によれば、20~30回分にあたるそうだ。
発覚したのは、警ら中の警官が、駐車場で被告人が車の中で着替えをしているのを見て不審に思い職質したため。小物入れに気づいた警官が中身を確認したところ、大麻だったというわけだ。被告人は最初、ハーブだと言ってごまかそうとしたようだが、すぐに大麻だと認めている。科捜研で鑑定し、本物と断定された。
なぜ、勤務先は保釈金を負担し雇用を続けると証言したのか
取り調べで、被告人は大麻やLSDの使用歴が30年にもなると明かしているから、大ベテランと言っていい。40歳ころからは2カ月に一度のペースで購入し、上野や秋葉原の路上で週に一度は吸っていたそうだ。理由は同居している母親に見つかりたくないから。大胆だなあ。臭うだろ大麻。
今回所持していた大麻は、逮捕される1カ月前に40グラム買ったものの一部。昔は10グラムずつ買っていたが、使用量が増えたためまとめ買いするようになり、数年前からLSDも購入。大麻への常用性も認め、母に心配をかける結果になったと後悔の気持ちを延べた。覚醒剤ではなく大麻やLSDだったのは、本などで覚醒剤の危険性を知っていたからだったという。
被告人に前科はなく、素直に罪を認めていることから執行猶予がつくだろう。所持量が多いこと以外に、目を引くような点もない。よくある薬物関連の事件だが、めったにないことが2つある。
1)勤務先の上司が証人として出廷し、今後も雇用を続けると明言した。保釈金も雇用先が負担
2)取り調べでも裁判でも、部分的な黙秘を貫いている
30年の大麻常習者をクビにしない理由
1について、上司は、被告人は勤務態度が真面目かつ有能で、クライアントの信用も厚いことから、執行猶予付き判決の場合は雇用を続け、被告人を支えていくと断言。具体的には宣誓書を書いてもらう、日報や電話で勤務状態を把握する程度のことだが、会社全体で更正をサポートする態勢ができているという。
「会社では今回の事件のことを秘密にせず、社員すべてが知っております」
内々にせず、全員で見守る。それが被告人にとって最大の励みにもプレッシャーにもなるという考え方なのである。素晴らしすぎて、何か被告人をかばう理由があるのではないかと疑いたくなるほどだ。
個人的意見だが、僕は所持していたのが大麻とLSDだったからだと思う。覚醒剤なら周囲の見る目は格段に厳しくなるだろう。大麻は日本でこそ禁止されているけれど、海外では合法的に吸えるところも増えている。
ただ、30年も前から吸っているとなると面白半分で吸ってみたという言い訳は通じない。被告人、大麻が大好きなのだ。それでもクビにしないということは、仕事においてよほどのやり手なのだろうか。それとも、大麻に寛容な社風なのだろうか。
「誰からどこで購入したか」については黙秘を貫く
それ以上に妄想を掻き立てられたのは、2の黙秘権の使用だった。裁判では初公判の冒頭、裁判長が必ず、黙秘する権利があることを被告人に告げる。以下のような内容だ。
「被告人は審理の中でさまざまな質問を受けますが、質問に答えたくなければ黙っていることができます。また、答えたい質問には答え、答えたくない質問には答えないこともでき、それによって被告人に不利が生じることはありません。ただし、法廷でしゃべったことは、それが被告人にとって有利なことであれ、不利なことであれ、すべて証拠として採用されますから、その点を考慮して話してください」
この権利が小さな事件で使われることは少ない。関係者の実名を伏せる被告人をときどき見かける程度だ。しかし、この被告人は警察での取り調べ段階から一貫して、誰からどこで購入したか明かしていないのだ。公判でもその姿勢は変わらない。
「(路上では)1回に紙巻きタバコ状にして、3本くらい吸っていたのですね」
「はいそうです。昔は10グラムずつ買っていましたが、だんだん増えてしまいました」
「上野や秋葉原の路上で吸っていたと。購入もそこで?」
「それは……黙秘させていただいております」
検察の脅しにも屈しなかった被告の腹の内
表情を変えずサラッと権利を行使する被告人。今度は検察が軽い脅しをかけてきた。
「あなたが買った相手には捜査の手が及んでいない。購入先を言えず、それでいて薬物をやめますと言われて、信じてもらえると思いますか」
「私にはわかりません」
断固拒否。あぁ、これは言わないなと傍聴人にもわかる。
検察が言うように、買った相手を捕まえないと同種の事件は後を絶たない。再犯の可能性が高いとも思われる。なのに、かたくなに拒否するのはなぜだろう。
闇組織からの報復を恐れてのことなのか。イモづる式に関係者に捜査の手が伸びるのを防ぐためか。それとも、もっとヤバイ薬物を買っていたのか。実刑にはならないと計算し、シャバに出たら再び密売人と接触するのでは……。
黙秘するのは、口にすることで失うものが大きいため、と考えるのが一般的だ。傍聴人の僕でさえ、たちどころにいくつか、言いたくない理由を思い浮かべたくらいだから、警察での追及はさぞかし厳しかったに違いない。
有罪判決の被告はなぜ信頼できる男に見えるのか
しかし、見方を変えれば、被告人の一貫した態度は、黙秘という権利をつかった見事なパフォーマンスでもあった。短時間の傍聴にも関わらず、僕が被告人から得た印象はつぎのようなものだ。
口が堅い。約束を守りそう。意見をコロコロ変えない(ブレない)。言い訳しない。やったことは認め、それについての責任は、前科一犯という形で自分が取る。
大麻を長年使い続けたどうしようもない男、とは思わないのである。逆に、意志の強そうなこの男が、母にも迷惑をかけたと反省している以上、今後は大麻と縁を切るのではないかと期待してしまうのだ。
そして、これらの印象は、ビジネスマンが仕事相手の信用を得る上で欠かせないものばかりだと気づく。会社が被告人をクビにしないのは、そこを見込んでのことではないか、と。
検察の求刑は2年6月。5分間の休廷の後、下された判決は求刑通りの2年6カ月、執行猶予4年だった。
[コラムニスト 北尾 トロ 写真=iStock.com]
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1月半ばより日本全国で中学受験がスタートする。受験生の親は多くが30~40代。だが親世代が受験した当時とは、学校勢力図は激変している。中学受験塾代表の矢野耕平氏は「勢力図の変化は、首都圏以上に地方のほうが激しい。学校選びでは最新動向をおさえたほうがいい」と語る。知られざる“地方名門私立”の栄枯盛衰とは――。
東京よりも「地方」の私立中高のほうが激変している理由
昨年末、わたしはプレジデントオンラインに「親世代とは大違い"首都圏名門私立"の凋落」という記事を寄せた。この30年の「学校勢力図」の激変を、模擬試験の「偏差値推移データ」に基づいて説明した。
「学校勢力図」の激変は、首都圏だけの現象ではない。むしろ地方の激変のほうが激しい。日本では都心部への人口集中が進んでいる。東京都が2018年3月に公表した「東京都男女年齢別人口予測」によると、東京23区部の0歳~14の人口は、この10年間で約7%増加する見込みとなっている。逆に言えば、人口流出している地域も多いということで、とりわけ地方の私立中高には少子化の波が直撃しているのである。
だからこそ、地方の学校は姿・形を変化させることで、優秀な生徒たちの確保にしのぎを削っている。こう考えると、東京よりも地方のほうが「生々流転」しているといえるだろう。特に注意が必要なのが、30~40代の「親世代」だ。自身が受験した当時の感覚で、わが子の受験校を考えてはいけない。
では、いま、どんな学校が地方で人気を博しているのか。わたしの著した新刊『旧名門校 VS 新名門校 今、本当に行くべき学校と受験の新常識がわかる!』(SB新書)の内容をもとに、地方校の実態を紹介したい。
千葉県立御三家を圧倒「渋幕」はもはや円熟の域に
千葉県はもともと公立校優位の地域だ。成績優秀な生徒は地元の公立中学から「千葉県立御三家」とされる「県立千葉高校」「県立東葛飾高校」「県立船橋高校」へ進学する。しかし1983年、千葉県千葉市に渋谷教育学園幕張高校、86年に同付属中学校が開校すると受験動向に変化が出始める。開校当初は「千葉県立御三家」の受け皿的な存在にすぎなかったが、同校の大学合格実績が伸長すると状況ががらりと変わっていくのだ。
開校して18年経過した2000年。同年度の大学入試では同校卒業生355人のうち東京大学に13人、国公立大学には合計112人の合格者を輩出。さらに昨年2018年度は、卒業生372人のうち東京大学に48人、国公立大学には合計199人、早慶には282人の合格者を出した。
今や「渋幕」の名は全国にとどろきわたっている。進学実績は「千葉県立御三家」を圧倒するだけでなく、「開成ではなく渋幕」「桜蔭ではなく渋幕」を選択する中学受験生さえ見られるようになった。在校生の住まいも千葉県のみならず、東京都、埼玉県、神奈川県、茨城県と広範囲に渡っている。
東大ではなく海外の大学を選ぶ生徒も多い渋幕
渋幕のサクセスストーリーは現理事長・校長である田村哲夫氏の教育方針がつくりあげたと断言してよいだろう。田村氏は東京の名門男子校・麻布出身であり、渋幕開校時は麻布の理事も務めていた。麻布の「自由」を共学校である渋幕に取り入れただけではなく、21世紀に向けて世界で活躍できる人材(国際人)育成にも努め、生徒たち一人ひとりの個性を輝かせることを目標にした教育をおこなった。
同校の教育目標は「自調自考」。自らの体で調べ、自らの心で考えるという意味であり、それが建学の精神にもなっている。同校に在学している中学生の男子は学校の雰囲気を次のように語る。
「校則はほとんどないです。高校生の中には髪を染めている人もいるくらいです。とにかく自由な雰囲気で、生徒がやりたいことをとことん先生たちが応援してくれます。たとえば、『学校が廃棄する予定になっているPCを全て回収して、それを材料にスーパーコンピューターを作りたい』と提案した科学部の人がいたんです。普通はそんなの却下されちゃいますよね。でも、渋幕の先生たちは『じゃあ、やってごらんよ』と背中を押してくれるんです」
この話から生徒一人ひとりの個性を最大限に尊重しようという学校側の姿勢が見えてくる。
そして、個性豊かな同校の生徒たちが目を向けるのは日本の大学だけではない。昨春、同校から海外大学合格者数は35人。世界で活躍する国際人の育成という同校の掲げる目標に合致する結果であることが分かる。
実際、同校の英語授業のレベルは相当高い。英会話の授業はオールイングリッシュ。英語によるプレゼンテーションをおこなう場も数多く設けられていて、同級生の流暢で熱意あるプレゼンを聞いて、刺激を受ける人も多いという。
「自由」な雰囲気の同校だが、中高一貫カリキュラムは生徒たちの学力をどう伸ばすかという観点に貫かれた秀逸なものだ。中高の6年間をAブロック(中1・2)、Bブロック(中3・高1)、Cブロック(高2・高3)の3段階にしていて、多様な進学ニーズに応えている。
また、1年ごとに分厚い「シラバス(学習科目の内容と解説)」が用意されていて、これが学習の羅針盤になっている。こうしたきめ細やかさは既存の名門校にはあまりみられなかった。だからこそ急成長を果たしたのだろう。
全国屈指の難関校、灘・東大寺学園レベルの「西大和学園」
一方、関西の動向を見てみよう。昔から私学のトップに君臨しつづけているのは男子校の灘(兵庫県神戸市)である。そして、灘に次ぐ位置に着けているのは東大寺学園(奈良県奈良市)である。両校は全国屈指の進学校だが勉強一色の校風ではない。学校行事や部活動が活発な自由な空気が流れている。だから、パワーのある、何にでものめり込むタイプの生徒が多いらしい。
そして、近年、この「2強」に迫る人気を博している学校が、共学校の「西大和学園」(奈良県北葛城郡)だ。開校は1988年とこちらも比較的新しい学校である。設立当初はとにかく京都大学の合格者数を増やすことに学校側は腐心していた。ときには、京都大学の中では比較的合格ラインが低いとされる農学部を大量に受験させ批判されたこともあった。しかし、昨春は東大に30人、京大に57人と学部に偏りのない高い実績を挙げている。
奈良県の歴史の浅い学校がのし上がったワケ
10年以上前のことだが、わたしは西大和学園の校長(当時)に取材した。その頃、同校はポスターで「京都大学合格者数の伸長」を全面的に謳っていた。
「不本意ながら予備校さながらのポスターになっていますが、まずは西大和学園に目を向けてもらうきっかけになってほしい。まずは入学してもらい、そこからわれわれはしっかりとした教育を行って、世界のリーダーを育成していきたいという思いが強くある」
当時の校長はそのように語っていたが、その思いはいま確かな形となっている。
現在、同校は帰国子女などの積極的な受け入れをはじめ、文部科学省の定めるスーパーサイエンスハイスクール、スーパーグローバルハイスクールとして指定されていて、その教育プログラムは多岐にわたっている。
授業は国際性の育成と問題解決能力の育成に重きを置いている。また、中学3年の時には卒業論文を書かせることで表現力も鍛えようとしている。一流大学の合格実績だけを追う学校ではなくなっているのだ。
札幌の中学受験過熱「北嶺」と「立命館慶祥」の熾烈なバトル
札幌市には、札幌南高校など優秀な公立高校が多く、私立より公立志向が強い地域である。しかし、近年このエリアの中学受験は「過熱化」している。そのきっかけは、北嶺(札幌市)と立命館慶祥(江別市)というニューウエーブ校の出現である。
男子校の北嶺は、以前はそれほど注目される学校ではなかった。しかしながら、1学年約120人という少人数制指導のもと、大学受験指導で着実に成果を上げ、難関校の一角に躍り出た。昨春の大学合格実績は東京大学に13人、北海道大学に25人、早慶に17人などであるが、同校が重点を置いているのは医学部への進学だ。北嶺のホームページには「各期の最終進学先一覧」があるのだが、そこを見ると「医学部医学科」という文字がずらりと並んでいる。実際、北嶺を志すのは医者の子供が多い。
また、一学年40~50人程度は同校が設けた寮で寝食を共にしているのも特徴のひとつだ。全学年(中1~高3)で300人近くがこの寮に入っているが、道外出身者が多く東京・神奈川出身者だけでも60人弱もいる。寮で生徒たちを学ばせる上で、学校側はさまざまな仕掛けを用意している。
たとえば北嶺卒業生で北海道大学医学部や札幌医科大学に進学した学生たちがアルバイトで寮に来て生徒指導をおこなう。予備校OBがチューターとして受験生のケアをすることはあるが、寮にまで行って指導するのは珍しいだろう。
「北嶺」という校名が示すように「目指すなら高い嶺を」と学校側は考えている。いまは東京大学合格20人突破を身近な目標として掲げている。
この北嶺を追いかける存在として脚光を浴びているのが、共学校の立命館慶祥である。もともと札幌経済高校という校名だったが、1996年に立命館と法人合併した。名のごとく立命館大学の付属校だが、他の大学進学にも力を入れ始めている。SPコースという「特進クラス」を設置して大学受験対策に特化したカリキュラムを構築、徹底した指導をおこなうことで徐々に結果を出している。昨春の大学合格実績は東京大学に5人、京都大学4人、早慶上智に27人となっている。
学校の魅力は偏差値だけでは測れない
一部の地域ではあるが、地方で人気を博す私立中高の一例を紹介した。かつては全く知られていなかった学校が、大躍進していることに驚かれたのではないだろうか。そして、各校が「十人十色」の特色を有していることも理解してくださったと思う。
中学受験を志す子どもたちはまだ小学生である。自身を客観視できる年齢ではない。だからこそ、中学受験の学校選択の際には「偏差値」や「大学合格実績」といった数値的なものばかりに注視するのではなく、各校の校風、カラーはわが子にどんな中高生活をもたらすのかを親が熟考すべきである。
例えば、付和雷同する性格で、自分のしっかりした考えがなく周囲に流されやすい子が、「放任タイプ」の学校に進学したらどうなるだろうか? 逆に、人の意見に流されず、自分で問題解決することに喜びを覚える子が「管理タイプ」の学校に行ったら楽しいだろうか?
親はいまの「学校の姿・形」を冷静にとらえ、わが子に適した学校選択をしてほしいと願っている。
[中学受験専門塾スタジオキャンパス代表 矢野 耕平 写真=iStock.com]
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ノーベル医学生理学賞の受賞で注目を集めた新しいがんの免疫療法。がんだけではなく、身近な病気でも新しい治療法や薬が次々と現れている。いつも通っている病院での治療は果たして最先端のものなのか。医師に話を聞いた。
※本稿は、「プレジデント」(2018年12月31日号)の特集「本当にいい病院は、どっち?」の特集記事を再編集したものです。
手術、抗がん剤、放射線に代わる新しい治療法
▼ガン
薬の「常識」が変わったといえば、肺がんの治療薬「オプジーボ」が話題をさらっている。呼吸器内科が専門の園田氏が言う。
「肺がんの治療は劇的に変わっています。学会のガイドラインも頻繁に変わっていて、専門医であってもキャッチアップするのが大変です。まず、ここ数年で分子標的薬が一般的になりました。簡単に言うと、がんが持っている分子だけを狙って攻撃する薬です。また、がんが持つ免疫から逃れる仕組みを働かせないようにして治療する薬も研究が進んでいて、その代表格がオプジーボなんです。1年で1000万円ともいわれる高額な費用のため患者さんのどの治療法を受けたいかの判断が慎重になりがちです。しかし、実際の肺がん治療では、治療開始までのスピードが大事。治療も薬も、セカンド・オピニオンを聞きにいくことは大切なものの、可能なかぎり早く治療を受けるほうが望ましい」
がんを根治するには手術で切ることが最初の選択肢に挙がるケースが多い。しかし、前立腺がんにおいては「切らない」という考えも有力になってきている。
「前立腺がんは手術だけでなく放射線治療でも根治が狙えるので、手術の後遺症が不安な人にとっては、放射線治療は有力な選択肢になります。また、悪性度の低い前立腺がんは寿命に影響しないことも多いので、すぐに治療を始めずに様子をみるという選択はしばしば行われています」(MEDLEY・斎木寛医師)
最新版ステロイドの効果のある使い方
▼アトピー
同じように、アトピーの原因であるアレルギーについても、分子標的薬が使用されるようになった。ただし、「ステロイド薬や免疫抑制製剤を塗るのが治療法の基本なのは今も変わらない」と園田氏は言う。
「ステロイドはたしかに副作用があり、なかには過剰に嫌う患者さんもいらっしゃいます。しかし、あらゆる薬には大なり小なり副作用があり、アレルギーの病気にはステロイドが効果を発揮します。過剰投与はいけませんが、副作用に注意しながら上手に使っていくことがポイントです」
定番「吸引」ではない新しい薬の投与方法
▼喘息
もう1つ、分子標的薬によって劇的に変わっているのが喘息の治療法だ。今までは吸入をして薬を肺に入れる治療がメインだったが、注射で分子標的薬を打つことができるようになった。しかし、やはり問題はコストにある。
「アレルギー物質を抑える薬が使われ始めています。ただし、このタイプの分子標的薬には副作用がありますし、1回数万~数十万円かかる薬を1カ月で1~2回注射することになります。これに対して、吸引薬だと1カ月で1万円以下ですから。実際に患者さんが払うのはこの額の1~3割とはいえ、どの治療法を選ぶかについては費用対効果も考えなければいけません。もちろん難治性の人が分子標的薬を使用することは問題はありません。治療の選択肢が広がったからこそ、多くの治療薬についてしっかりと知っておくことが大切です」(園田氏)
「尿酸値は下げましょう」は最適解ではない
▼痛風
年末年始の飲み会が増えるビジネスパーソンも多いことだろう。そこで気になるのが痛風だ。発症を恐れて、健康診断で尿酸値を気にする人は多いだろう。しかし、この尿酸値でも論争が巻き起こっているという。園田氏が言う。
「かつて尿酸値は7.0mg/dLを超えたら治療して下げたほうがいいという考え方が一般的でした。しかし最近は、年に数回痛風の発作が出るだけなら、尿酸値を下げるのではなく、『痛みがあるときだけ薬を飲めばいい』という考え方も出てきています。いずれが正しいのか結論が出ているわけではありませんが、自分のライフスタイルと照らし合わせながら医師に相談することが望ましいと思います」
とはいえ、痛風が重症化すればQOL(クオリティオブライフ)は大幅に低下する。尿酸値を気にしなくていい、というわけではなさそうだ。
「消毒」して、「乾燥」させるは昔の話
▼切り傷・すり傷
身近なところでは、傷の扱いも時代とともに変わっている。その最たるものが「乾かすのか、潤すのか」。園田氏と聖路加国際病院で循環器内科医として勤務する水野氏は「感染がない場合は、潤った状態にするほうがいいといわれています」と口をそろえる。園田氏が言う。
「感染がないと判断される場合は、ほとんどの場面で消毒液もいらないかもしれません。柔らかくて敏感な部分があらわになっているところに消毒液のような刺激物が置かれると、細胞組織が壊れてしまい、かえって治りが遅くなる可能性があるからです。激しい傷にガーゼを使うことはありますが、日本は水道水が清潔なので、多くの場合はまず、傷口を水で洗い流すことが効果的です」
しかし、消毒液を塗る医師は「まだまだいる」(園田氏)と言う。
「昔はラップを使って湿気を閉じ込めたりもしていました。昔いた病院で、傷口にオロナインを塗ってラップを上から巻いて来院された患者さんがいました。これはリスクが高い。バイ菌感染が起きている場合は覆わないことも大切です。今はより適切に湿気を保つための絆創膏もドラッグストアなどで販売されています。時代が変わってきています」
症状緩和ではなく、症状を出なくする最新治療とは
▼花粉症
毎年春になると話題になる花粉症についても、治療法は日々進化している。園田氏はこう話す。
「減感作療法が一般化したことが最大の変化です。減感作療法とは、アレルギーを起こす物質を少量から継続的に体に投与していけば、体が慣れていき、症状が出なくなるという治療です。舌の下に投与する薬剤が主流になりつつあります。ポイントとなる時期の受診は必要ですが、毎日のように通院しないでも、自宅で治療が可能です」
[伊藤 達也 撮影=研壁秀俊 写真=PIXTA、iStock.com]