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史上最長「ハーバード大学の80年間724人追跡調査で判明」人生に最大の幸福をもたらす"意外な要素"

2022年1月27日 08:00 PRESIDENT Online

50代は役職定年、親の介護といった人生の難局に直面する世代。作家の松尾一也さんは「50代で人生のマネジメントができるか否かで、それまで育てた果実を手にできるか決まります。人生を実らせるのは、『エリート・金持ち・有名』ではなく『良い人間関係・元気・心の平安』です」という――。

※本稿は、松尾一也『50代から実る人、枯れる人』(ディスカヴァー・トゥエンティワン)の一部を再編集したものです。

あなたが自分の時間とエネルギーを使うべきものは何ですか

実る人=人生を幸せにするものに気づく
枯れる人=人間関係から枯れていく

YouTubeで「TEDカンファレンス」の映像を見て、背筋が震えるほどの感動を覚えました。「人生を幸せにするのは何?」……なんとシンプルに最も大切で重要なことを伝えているのだろう! と。

一生を通して私達を健康で幸福にしてくれるのはなんでしょうか。

――最高の未来の自分のために投資するべきものとは?
――自分の時間とエネルギーを使うべきものとは?
――最も大切な人生の目的とは?

これはハーバード大学が1938年から約80年、724名の男性を調査し続けた史上最も長期間にわたって成人を追跡した研究です(ハーバード成人発達研究)。そして4代目所長のロバート・ウォールディンガー教授によると、その答えは……

「私達を健康に幸福にするのは、良い人間関係に尽きる」なのです。

はぁ? と感じる人もいるかも知れませんが、50歳を超えた多くの人はうなずき、共感することでしょう。私も人間育成の仕事に34年従事してみて、まさにその通りだと思います。

特に50代の時に良い人間関係に恵まれていると、70代、80代の時に健康で幸せを実感している比率がかなり高い、という研究結果が出ているのだそうです。ロバート・ウォールディンガー教授が紹介している作家のマーク・トウェインの次の言葉は心に刺さるものがあります。

「かくも短き人生に、争い、謝罪し、傷心して、責任を追及している時間などない。愛し合うための時間しかない。それがたとえ一瞬にすぎなくても、良い人生は良い人間関係で築かれる」

人が実るも枯れるも、その人の「人間関係」次第ということです。

ファミリーとの他愛のない話で「家族体温」が高まっていますか

実る人=家族との温度を高める
枯れる人=自分の話ばかり聞いて欲しがる

「一人で生まれ、一人で死ぬに なぜに一人で生きられぬ」という川柳があります。まさに我々はこの世に一人でやってきて、一人で去っていく存在です。

だけど、いつも孤独を感じる生き物で、誰かとつながっていないとやっていけません。ある意味、50代は最も「孤独」に耐えないといけない期間かも知れません。パートナーとも結婚して20年以上が経過していて、よく言えば「空気」のような関係になり会話も希薄になるケースが多いです。子供たちも成長して、精神的に親離れをしていて、親密な対話もほとんどなくなってしまいます。

一方、あんなに元気だと思っていた両親に陰りが見え始める頃合いです。あそこが痛い、ここが痛いと病院に連れていく作業が増えます。そのまま深刻な状態になり、手術、看病、そして見送るという悲しいフローチャートになることもままあります。

私の場合は30代後半で父を看病、見送り、40代で母親を施設に入れなくてはならないという試練を早めに体験しました。

とにかく親のケアにエネルギーを相当、奪われることになります。そんな時だからこそ、それぞれの家族と丁寧に付き合わないと今後の人生で悔いを残すこととなります。ケンカするパートナー、ムカつく子供、看病する親、実はすべていてくれるだけで有難いと思う日がきっと来るものなのです。

「なにを食べても美味しかった……
なにを見ても楽しかった……
気がつくとそんな時いつもあなたがそばにいた……」

両手が義手の詩人で画家の大野勝彦さんからいただいた言葉です。

その関係性を温める一番のコツは、あらためて話を丁寧に聴き届けるということです。家庭でケンカがおきて、「言い争い」になりますが、「聴き争い」という現象はありえませんね。

「もっと話を聴かせてくれよ!」「いや、私が聴きたいの!」

こんなことになりますか(笑)。

パートナー、息子や娘、両親、それぞれの本心を聴いてあげることがお互いの関係性を温めることになります。具体的な行動として、月に1度くらいは家族で食事に行く習慣がバカになりません。日本の豊かな食文化はどこの街でも楽しめますし、予算も財布に合わせられるのでそんなに高いハードルではないでしょう。

我が家も近くの美味しい焼き鳥屋へ家族で定期的に通っています。そこでそれぞれが他愛のない話をしている瞬間に家族体温が高まります。せめて家族とだけは「信頼」を柱に生きたいものです。

「同窓会なんてまっぴら御免」という人、本当にそれでいいのですか

実る人=喜びの窓口を大切にする
枯れる人=良い友達を捨てる

50代にもなると多層にわたる友人がいます。

学生時代の友人、仕事で知り合った友人、趣味などの仕事以外での友人。まずは同級生、何が一番楽かというと「お前、いくつになった?」という会話が必要ないことです。

大阪万博、高度経済成長、昭和歌謡、バブル、失われた20年……。ほぼ同じ体験を重ねているので自然と共感しやすいものです。私も高校時代の友人6人とLINEを使って日々、他愛のないやりとりをして楽しんでいます。

サッカー日本代表の試合、プロ野球の日本シリーズなどビッグイベントの最中にそれぞれのコメントが投稿されて大変愉快です。

離れていても一緒に観戦している感じで盛り上がります。たまに会って、酒を酌み交わすこともありますが、ここで重要なことがあります。さすがに50年も生きてくるとそれぞれの価値観や哲学がかなり違ってきているということです。

若い頃の友情は全幅の信頼のもとに築かれていたはずですが、中年以降はそれぞれ異質な人間同士であることを理解して、片目をつぶって仲良くする。そんな心がけも大切です。

仕事を通じての友人、これも天からのギフトです。お互いの研鑽や成果をシェアできる喜びは働きがい、生きがいを感じます。50代にもなると酸いも甘いも味わえる感性を持ち合わせていて面白さも増します。

また駆け引きのない仕事以外の友人というものも貴重です。

私はスポーツクラブの友人とはかなり深い絆で交友していて、共に汗を流し、たまに食事も一緒にして人生について語り合います。

以上のように「50代の友達ワールド」は人生の宝箱でもあります。

しかし、逆に「孤独」に陥る可能性も高いものです。

人づきあいにも疲れ、仕事がらみの人には会いたくもないし、同級生とは極力コンタクトを取りたくない、今さら同窓会なんてまっぴら御免という人も多いです。私自身も一人メシ、一人酒、一人旅、一人で映画、一人で読書のおひとり様が気楽でいいと感じることがあります。

その気持ちもわからないでもありませんが、やっぱり生きる喜びをもたらす窓口のひとつは「友人」です。数は少なくていいのです。学生時代の友人一人、仕事仲間で一人、それ以外で一人は人間関係を活性化させて大切にしましょう!

一番、避けなくてはいけないことは「セルフ・ネグレクト(自己放任)」に陥ることです。

セルフ・ネグレクトは孤独死の8割を占めると言われており、近年深刻な社会問題となっています。「もうどうなってもいいや」という心境になった時こそ、友達に会うことです。

[ルネッサンス・アイズ代表取締役会長 松尾 一也]

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生活保護に移ったホームレスが、あえて荷物を路上にこっそり置き去りにする意外な理由

2022年1月27日 08:00 PRESIDENT Online

2021年夏、ライターの國友公司さんは2カ月間、ホームレスとして過ごし、共に生活する人々の生活を見つめた。あるとき路上生活を続ける國友さんは、電柱にくくりつけられたキャリーケースがたびたびあることに気づく。先輩ホームレスにその理由を聞くと、返ってきたのは意外な答えだった――。

※本稿は、國友公司『ルポ路上生活』(KADOKAWA)の一部を再編集したものです。

配給を求めて都庁と代々木公園を往復

七月三十一日。

翌朝、目を覚ますと黒綿棒(編注:著者の國友氏が作中でそう名付けた長身のホームレス)が白い腕時計をしている。また誰かが金を恵んでくれたのかと思い近づくと、日焼けの跡だった。これまで付けていた腕時計の紐が切れ、時計自体もどこかで落としてしまったらしい。

いくら路上生活とはいえ時間がまったくわからないのは不便だと嘆いているので、「私はスマホがあるので時間くらいいつでも聞いてください」と言うと、主従関係ができるので聞かないという。

オフィスビルに時計を見に行った黒綿棒が戻ってきた。一時間後に代々木公園南門でカレーの炊き出しがあるという。このカレーも肉が入っていないベジタブルだが、先週のクリシュナ(宗教団体のクリシュナ意識国際協会)とは別の団体のようだ。クリシュナは第二・第四土曜日開催なので、この日(七月三十一日)はお休みである。

この日の献立はこんな感じだ。

代々木公園でカレーを二杯食べる→十四時から都庁下で食料の配給→夜八時頃キリスト教系団体がパンを配りに来る→夜九時頃「スープの会」がスープを配りに来る

代々木公園でカレーを食べて食休みして戻ってくると、ちょうど都庁下の炊き出しが始まっているという。寝床にいても一日が長く感じるだけなので、今日も付いていくことにした。一体、都庁と代々木公園の間を何往復するのだろうか。

「ホームレスは常に食べ物に困っている」という先入観

「この炊き出しには毎週行くんですか?」
「カレーと中華丼が隔週で出されるので、カレーのときだけ行くようにしている。できれば中華丼には当たりたくないので。ただ、不意に中華丼が二週続くことがあるんだよね」

黒綿棒が中華丼を避けるのは、ただただカレーのほうが好きだからという理由に尽きる。ホームレスは常に食べ物に困っているという先入観があったが、それは都内で生活するホームレスに限れば“完全な”思い過ごしであった。黒綿棒はこの日十四時から行われる都庁下の炊き出しにも苦言を呈する。

「トマトをさ、五個も六個もくれるでしょう。僕らは料理ができないのだからせめてプチトマトにするべきだとずっと思っている。どうかすると汁がほかの食料に浸食してしまう。でも捨てるにも捨てられないだろう」

たしかに、大粒のトマトを六個も渡されたところで保存も効かないので食いきれないのだ。

そして何より飽きる。恵んでもらっている立場で言うことではないが、これがホームレスの本音だ。公園で鳩にトマトをあげているホームレスもいた。しかし、鳩もトマトは口に合わないようで手を付けていなかった。

一回、都庁下に住んでしまうと“定住”したくなる

すでに代々木公園南門前には行列ができていた。先頭には弁当が入ったダンボールが二箱あり、主催者が箱を開けると黒綿棒は中身を確認するために高校野球の伝令のように飛んで行き、「今日はカレーで~す!」と最後尾まで伝えに回っていた。さすがにお節介だろうと思ったが、黒綿棒と同様に「中華丼じゃなくてよかった」とホッとしている人が何人かいた。カレー弁当を二杯食べ、ベンチで食休みをする。

「一週間いると炊き出しのスケジュールがなんとなくわかってきます。わざわざ池袋まで足を延ばす必要はまったくないですね」
「そうでしょうとも。一回ここに住んでしまうとほかの場所に移ろうって気にはならないでしょう。雨風しのげて飯も食えて二十四時間ベースを張れる。ほかの場所がどうかは知らないけども」

私といえば、そろそろ都庁下を後にして上野に移動しようと考えているが、本当のホームレスだったらまず移動などしないだろう。上野に雨風をしのげる場所があるのか、飯は食えるのか、そういった情報がまったくない。そんなリスクを冒してまで移動するメリットが一つもないのである。

自転車がないホームレスであればなおさらだ。それなりに増えた荷物をすべて持って、上野まで歩いて移動する意味が一つもない。なんだか東京二十三区の西部と東部が、旧西ドイツと東ドイツのように分断されているような気になってくる。西部にいるホームレスにとって東部は未知の国である。

置き去りにされたキャリーケースの謎

食休みをしてからベースに戻り、都庁下の炊き出しを受けると、たちまちすることがなくなった。「拾ったフリスビーがあるから島野君(編注:國友氏のとなりに寝ているホームレス)と三人でする?」と黒綿棒に提案されたが、働き盛りのホームレス三人がフリスビーをする光景など地獄でしかないので、二人で都庁の周りをぐるりと回ることにした。

これはホームレス生活をする前から気になっていたことだが、都内の路上にはキャリーケースが電柱に鍵でくくられていることが往々にしてある。新宿中央公園沿いを走る公園通りには、ブルーシート等で被われた荷物が固まっているが、これはふれあい通りに住むホームレスの荷物だったりする。

ではポツンと置き去りになっているキャリーケースは一体何なのだろうか。これらは、ホームレスたちが暮らす村からは少し離れた場所にあることが多い。

生活保護からホームレスに出戻りする人も

「こういうキャリーケースよく見ますけど、一体何なんでしょうか」
「ホームレスというのは得てして入れ替わりが激しいからね。生活保護に移行したりシェルターに入ったり、路上から出て行った人がこうやって荷物を置いていくんだよ」

路上から生活保護を申請した場合、全員がすぐにアパート等に入れるわけではない。生活保護受給者など生活困窮者を対象とした施設である無料低額宿泊所にしばらく入り、そこからアパートを探すことになる。そして、この無料低額宿泊所には入居者を囲い込み、生活保護費を搾取するような業者も交じっている。いわゆる、貧困ビジネスというものだ。

ホームレスと生活保護というものは非常に密接な関係にある。施設の環境に我慢できずに逃げ出して再びホームレスになってしまう人もいれば、アパートを契約したりドヤに住み始めたりするも、ほかの住人もほとんどが生活保護受給者であるため金の貸し借りなどのトラブルが発生し、再びホームレスを選択する人もいる。

路上に置き去りにされたキャリーケースは、そういった人たちが路上に残していった残骸である。再び路上に戻る可能性を見越して、鍵をかけるなり、村から離れた場所に置き漁られないようにするといった対策を取っているのだ。

なぜか登記されていない物件

日中はオフィスビルの吹き抜けで過ごし、夜は新宿駅西口地下広場で寝泊まりしている五十代くらいの女性も、つい最近まで生活保護を受けながらアパートで暮らしていたが、自分から打ち切り、ホームレスになったという。現在、収入はなく、私たちと同じように炊き出しに与りながら生活をしている。彼女が話す。

「生活保護はどうしても私に合わなくて。私はすぐにアパートに入ることができたのだけど、物件自体に問題があるのよね。その物件は登記がされていなくて。そんなところに住むのは怖いじゃない」

日本では建物を建てた場合、一カ月以内に登記をすることが義務付けられているが、登記をされていない「未登記物件」は多く存在する。厳密に言えば違法であるが、罪を問われるようなことではない。それは、登記という行為がそもそも、物件の持ち主を守るためのものであるからだ。社会問題に詳しい弁護士の大城聡氏が話す。

「日本では不動産は価値があるものだから、登記することによって“これは自分の物件です”と言うことができる。仮に第三者に物件を占拠されたときに、登記をしていれば自分のものだと証明ができる。となると、普通に考えれば皆登記をするわけで、分かりやすく言えば、登記もしていない人間が管理しているような物件には何らかの問題があるだろう、という推測は成り立つでしょう」

「ピカピカの自転車に乗って、君はカッコイイね」

彼女はあまり多くを語りたがらなかったが、おそらく劣悪な環境の物件に嫌気が差し、路上に舞い戻ったのだろう。幡ヶ谷のバス停で女性ホームレスが撲殺されたように、やはり女性には男性よりも危険がつきまとう。

二〇二一年四月二十八日に公表された厚生労働省の調査結果によれば、全国のホームレスの内訳は、男性三五一〇人、女性一九七人、性別不明一一七人。この数値の信ぴょう性は不明であるが、女性ホームレスのほうが圧倒的に少ないのは、現場を見ても歴然である。それだけ路上における生活は女性にとってリスクがあるということなのだろう。彼女も一人で目立たぬように大勢がいる場所に寝たり、交番の横に寝たりしているという。

散歩を終え、ベースで黒綿棒と話すなり、まったりするなりしていると、ホームレスたちにスープを配って歩く「スープの会」の人たちがやってきた。大学生くらいの青年と中年男性の二人組が私の自転車(今回の取材用にドン・キホーテで買った最安値のママチャリ)を見て、こんなことを言い出した。

「この自転車、すごいねえ。こんなにピカピカの自転車に乗っているなんて、君はカッコイイね」

幼稚園児の頃、両親に初めて買ってもらった自転車を近所の人に褒められたときのような感覚だ。なんだか子どもをあやすような言い方で非常に癪に障る。

ホームレスの癪に障った「綺麗ごと」の押し付け

中年男性がチラシを出し、普段している活動について話し始めた。となりの大学生くらいの青年は、「時間になったので戻りましょう」と小声で急かしている。青年は就職活動で「ホームレス支援をしていました」などと言うのだろうか。私がひねくれているような気もするが、そんな感情を抱いてしまった。

彼らが去ったあと、スープを拒否していた黒綿棒に聞いてみる。

「なぜスープを受け取らないんですか? NPOだからですか?」
「僕はスープの会があまり好きではないんだ。僕が唄を歌っているといつも彼らが集まってくるのだけど、その拍手や声援が子どもを褒めているみたいな感じに聞こえてとても不快なんだ」

私と一ミリも違わない感情を抱いている。聞くと同じようなことを思っているホームレスが黒綿棒の周りにも結構いるらしい。

上手く言葉には表せないが、「あなたも私たちと同じ社会で生きている」「あなたは一人じゃない」といった綺麗ごとのメッセージを強制的に受け取らされているような気分だ。何か一つでも認めてあげることで、「ホームレスのあなたも社会の一員である」ということを押し売りしている。私の場合それがピカピカの自転車だった。正直、「舐めるなよ」と思った。

「物事は開かれるべきだ」という認識

スープの会とのやり取りもあってか、この都庁下でぬくぬくと過ごしている自分になんだか急に冷めてしまった。しかし、それが本当のホームレスたちにとっては「安住」という最も重要な要素であり、この場所から移動しない理由なのだろう。

それから数日経った八月四日の朝、私は黒綿棒にお礼と別れを告げ、自転車で上野へ向かうことにした。黒綿棒は最後、私にこう伝えた。

「君と僕は気質が同じだと感じている。お互いに物事は開かれるべきだという認識があるだろう。ホームレス社会と一般社会の風通しに対する考え方が近いので、ここまで気軽に話せる関係になったのだと思う」

黒綿棒、私もまったく同意見だ。社会に背くように塞ぎ込むホームレスであれば、私はあまりコミュニケーションを取ろうとしないだろう。もし将来、自分が本当のホームレスになることがあるとすれば、この考えのもと路上生活を送りたいと思っている。

上野に着いて一段落したら、まずはこの約二週間一度も洗わずに酷使した、雨に濡れたときの犬の臭いがするタオルを石鹸で洗うことにしよう。黒綿棒にそのことを話すと「僕のタオルは犬を通り越してカブトムシの臭いになっている」と笑っていた。

[ライター 國友 公司]

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東大医学部卒・和田秀樹「私が偏差値の高い子に東大医学部をお勧めしないこれだけの理由」

2022年1月27日 08:00 PRESIDENT Online

「医者になれないなら人を殺して、罪悪感を背負って切腹しようと思った」。1月15日、大学入学共通テスト初日に、高校2年生が受験生ら3人を刺傷し、逮捕された。精神科医の和田秀樹さんは「受験生の中には『絶対、東大』『絶対、医学部』といった、かくあるべし思考に陥って、それができないと『ダメな人間だ』と自分を責める人がいる。実際には他の選択肢もあり、むしろそのほうが社会的地位や収入が高いケースもあることを知ってほしい」という――。

今、日本には「死にたい」と思っている人が約40万人いる

大学入学共通テストの初日である1月15日に、試験会場・東京大学の前の歩道で高校2年生が受験生を含む3人を突然切り付けて、殺人未遂容疑で逮捕された。

私は精神科医であり、受験指導にも関わる仕事をしているためか、メディアから取材依頼の電話が殺到したが、ほとんど断らせていただいた。なぜなら、この少年が「東大を目指していた。医者になれないなら人を殺して、罪悪感を背負って切腹しようと思った」と供述している、と報じられたからだ。

これが事実なら、「拡大自殺」を考えていたことになる。拡大自殺とは、騒ぎを起こして多数の人間を殺し、死刑になることで自殺しようとする行為である。

自殺報道は大々的にやるほど、かえって自殺が増えることは統計学的にも確認されている。そのためWHO(世界保健機関)はたびたびメディア関係者に自殺報道のガイドラインを出している。厚生労働省もそれを基に「自殺対策を推進するためにメディア関係者に知ってもらいたい基礎知識」をHP上に掲示。その中でやっていけないこととして「自殺の報道記事を目立つように配置しないこと。また報道を過度に繰り返さないこと」「自殺に用いた手段について明確に表現しないこと」などと書かれている。

その厚労省の掲示によれば、以前、ウィーンの地下鉄で自殺が頻発したが、その報道をやめたとたん地下鉄の自殺死亡率が75%低下し、さらにウィーン全体の自殺死亡率が20%低下した、とある。

2021年10月末の京王線ジョーカー事件(※1)や、12月の大阪の心療内科クリニック放火事件(※2)など、拡大自殺と思われる事件が続いている。自殺の手段として拡大自殺が知られてしまうと、それをまねする人が出ることで、本人の命だけでなく、巻き添えになる人の命まで危険にさらされる。

※1 電車内でナイフを用いて乗客17人に重軽傷を負わせ、油をまいて火を放った男が殺人未遂容疑で逮捕された。
※2 北区曽根崎新地のビルに入るクリニックが放火され、巻き込まれた25人が死亡、1人が重体。

そういう意味で、この事件はあまりセンセーショナルに報じられてほしくなかったのだ。

読者の皆さんは、世の中に「死にたい」と思う人はどれくらいいると思うだろうか。一般的に人口の3%程度がうつ病と推測されている。すると日本中に380万人程度のうつ病患者がいることになる。そのうち、少なくとも10%程度に希死念慮が生じるとされるから、現時点で死にたいと思っている人は40万人くらいいることになる。

そういう人にとって、自殺報道は強い刺激になり、自殺に踏み切るきっかけになる。やり方を知るとまねをする人が出てしまう。だから危険なのだ。

ただ、私があえて今回この事件を取り上げようと思ったのは、受験生の中に、うつ病や自殺につながる思考パターンを持っている人が多いように映ったからだ。どれだけ役に立てるかわからないが、その思考パターンを和らげるのに役立てばと思って寄稿することにした。

「医学部でないとダメ」「東大でないとダメ」という思考

「医学部でないといけない」「東大でないといけない」……一部の成績優秀層にはこうした思考パターンに陥る人がいる。

これは認知療法という心の治療法の治療対象のひとつである「かくあるべし」思考だ。この思考パターンの人は物事に対して「かくあるべし」と考えがちで、思うとおりにならないと、「自分はダメな人間だ」というレッテル貼りをしたり、ひどい場合は生きている価値がないと思ったりしてしまう。

そういう場合に、私が専門とする精神科の認知療法では、ほかにも道があることを提示していく。ほかの可能性が考えられるようになれば、うつ病も緩和されていく可能性がある。あるいは、常日頃かくあるべし、この道しかないと思っている人に、ほかの生き方もある、ほかのやり方もあると思えるようになれば、うつ病や自殺の予防になる。

受験生の中に「医学部でないといけない」「東大でないといけない」といった狭い思考になっている人がいたら、どうか「ほかの道・生き方」があることを知ってほしい(これは、東大や医学部に限らず、今冬に名門校を受験する小学生や中学生にも言える)。

私自身、灘高校にいた頃、勉強のやり方を工夫することで成績が上がったこともあって、「医学部に行くなら、東大理Ⅲしかない」と思っていた。それしか頭になかった。ただ、現実に東大理Ⅲに入学し、医学部に進学し、そこを卒業したからこそ、この考え方は間違いだったと断言できる。

出身大学についてあまりネガティブなことを言いたくないが、東大医学部には組織的な問題を抱えている。医学部なら東大だ、と思い込んで受験し合格した人は卒業した後、今度は東大医学部内で偉くなろうとするかもしれない。でも、それはやめたほうがいい。

なぜ、東大医学部はノーベル賞受賞者を出せないのか

理Ⅲ=東大医学部は昔も今も受験界の最高峰であり、最難関である。しかし、ノーベル賞学者を一人も輩出していない。世の中に知られた研究成果や業績にも乏しいと言わざるをえない。

なぜか。それは、上が威張りすぎているからだ。

同じ東大でもノーベル賞学者を数多く輩出する物理学科(理学部)では、教授のことを「先生」と呼んではいけないそうで「さん」で呼び合うそうだ。研究者が対等でないと、自由な研究ができないという考えがあるからだという。

東大医学部内には教授を頂点とする絶対的ヒエラルキーがある。だから、威張っている教授に対してご機嫌伺いするのは、部下なら当然のことだ。

私の結婚式でスピーチをしてくれた高校時代の親友がいる。彼も東大医学部に合格した。ある時、私は執筆した原稿の中で、高齢者の患者へ薬の使い過ぎではないかと彼が所属する医局の教授の批判をした。すると彼は自分の結婚式に私を呼ばなかった。以来、同窓会の案内くらいしか連絡がないような状態となっている。彼は教授のお気に入りであったせいか、現在、東大医学部教授になっている。正直にいえば、研究者としての業績が特に優れているとは思えず、その地位をなぜ手にできたかわからない。

そのくらい教授に気を使わないといけない医局が多い(もちろん、そうでない教授もいると信じているが)。今どき、そんな「白い巨塔」のような閉塞的な組織が何か成果を残せるはずがない。部下は、私生活も自由でないし、研究も自由にできるとは思えない。

東大医学部は臨床の腕を磨くのに適した環境ではない

臨床の腕を磨くにも東大医学部は決して適した環境ではない。教授になるのは、大した研究業績もないものの、論文の数だけは多い人であり、天皇陛下の手術の際も問題になったように臨床の腕のいい人が教授になることはめったにない。

残念ながら医者というのは、師に恵まれないとあまり臨床の腕は上がらない。

私が老年精神医学の分野でそれなりに自信をもてるのは、浴風会病院(東京都杉並区)という高齢者専門の総合病院で故竹中星郎先生という老年精神医学の第一人者のもとで学ぶことができたからだ。

2004年に導入された臨床研修制度も東大医学部卒の価値を下げた。この制度により、どこの大学医学部を出ていても、好きな研修先(病院)が選べる。東大を出ていないと研修できない病院などなくなったのだ。

希望した病院の研修医の応募が多い場合、選抜の試験が行われる。この際、大学在学中の成績が重視されるので、東大より偏差値の低い大学で優等生のほうが、東大の劣等生より、希望した研修先に入りやすいとされる。

ということで、東大医学部は現状、研究も冴えない、臨床の腕も大して磨かれないダメ組織という側面が強い。しかも、医学部では「金儲けに走るのは恥」といった古い価値観を植え付けられるので、大病院の経営者になったり、起業したりしてリッチになろうとする人も少ない。

医学部を希望する受験生に対して、東大を勧める気になれない。だから、私も自らが主宰する通信教育や進学塾で、医学部受験希望者に対しては無理せずに実力に見合う大学に入ったほうがいいと指導している(たまに、親のブランド志向がひどくて、指導に従わないで1年を無駄にする人もいる)。

「医学部人気」が沸騰中だが、医師の未来は明るくない

近年沸騰している受験生の間の「医学部人気」そのものにも私は疑問を感じている。

とくに首都圏以外の地方では、成績優秀な生徒が医学部を志向する傾向が強まっている。例えば、鹿児島のラ・サール高校は1985年に117人の東大合格者数を誇ったが、2021年は33人。しかし国立大学医学部合格者数は毎年80人から90人のレベルへ上昇した。私が卒業した灘校でも国公立大学の医学部の合格者数は増え、2021年で63人に達した。

地方では、成績のいい子は東大(文系含む)に行くより、国公立大医学部を選択する流れができつつある。その背景にあるものは何か。

東京に住んでいると、いわゆる六本木ヒルズ族には東大出身者が多いことを知ることになり、東大卒業後の成功モデルを実感できる。だが、地方にいると、東大に行くよりも、地元の国公立大の医学部を出て医者になるほうが安定的に高収入を得られるイメージが強い。最近のように政治家に逆らえず、不祥事が続く官僚の姿が報じられることが続くと、なおのこと東大への憧れは低下する。

頭のいい高校生はどうか視野を広く持ってほしい。進路は医学部でなくてもいいはずなのだ。医師より社会的地位が高く、安定して稼げる職種に就くことも十分に可能なのだ。

医師国家試験合格者は毎年9000人、いずれ医師余りになる

ここ数年、医学部ではない理系の研究者が昔と比べ物にならないくらい高収入を得る道が開かれているのに、そういう情報が地方に届かないのかもしれない。それを危惧した母校・灘校では、各方面で成功した卒業生が在校生に講演する会を定期的に行っているという。

私はこの20年以上にわたって一橋大学で医療経済学を教えているが、医者の将来が明るいものと思っていない。

医療費のほとんどが保険診療で賄われているため、政策的に「伸び」が抑えられている。それにもかかわらず、医師国家試験合格者は毎年9000人もいる。さらに今後、AI(人工知能)が進歩すると、いずれ医師は負かされるケースも出てくる。現在、多くの医師は患者への問診より、検査データや画像データを重視した診察をしている。そうなると診断能力や治療方針を決める能力においてAIに到底勝てないのだ。

先ほど東大医学部の閉塞性を指摘したが、ほかの医学部も似たり寄ったりだ。例えば、教授会での選挙で決まる精神科の教授で、私のように精神療法を専門とする医師が選ばれている大学は現在ひとつもないのはそのいい例だ。医療の中で「心の問題」が軽んじられているのだ。

これはとりもなおさず、医学部在学中の6年間に心にまつわる講義がほとんどない(精神科の講義でも神経伝達物質など脳にまつわる授業がほとんどになる)ことを意味する。

今回のコロナ禍でも、感染症学者が“自粛一辺倒”の方針を出すのに対して、大学の医学部から「これではうつ病が増える」とか、「高齢者の歩行機能や認知機能が落ちるリスクが高い」とかいった反論の声はほぼ皆無だった。

歯科医業界では勤務医が低賃金化し、開業医もその多くが経営に四苦八苦している。同じような道を、医師が歩む可能性がある。収入面でも医学部の未来は明るくなく、自由もなく、世界的研究の夢もない。これなら医学部を除いた、最先端の理系研究者になったほうがはるかにいろいろな面で有望なのではないか。

受験生のうつ状態の予防の観点から、私は声を大にして言いたい。

医学部に行かなければいけない、というのは幻想である。

ほかにもはるかに有望な道がいくらでもある。

医学部志望者(とくに東大を筆頭とした名門国立大学の医学部志望者)がもし勉強でいきづまっていると感じるなら、チャンスだとさえ言える。視野を広く持ち、自分の進路を考えてみてほしい。

[国際医療福祉大学大学院教授 和田 秀樹]

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"ひきこもり"の50歳娘への援助を「今すぐ全部やめましょう」と75歳母に進言したFPの心情

2022年1月27日 08:00 PRESIDENT Online

夫と年金暮らしをする75歳の女性には50歳の娘がいる。短大入学と同時に一人暮らしを始め、卒業後は就職して生活を成立させている。女性(母)は、娘が仕事以外に家から出かける様子のないことから、「ひきこもり同然」と判断。頼る伴侶や恋人の存在もなく、今以上の収入を得られないだろう、と心配のあまり、長年にわたって経済的援助を続けている。FP(ファイナンシャルプランナー)が家計を調べると意外な事実が判明した――。

「ひきこもりの長女をいつまで養わないといけないのでしょうか」

「ひきこもり状態の長女(50歳)をいつまで養わないといけないのか知りたいんです」

ある日かかってきた電話の主は、75歳の女性でした。日々の生活は自分たちの年金収入でまかなえているけれど、夫(80歳)と自分が入院したり介護状態になったりしたら資金的に心もとないとのことでした。

そのため、できれば長女に障害年金を受給してもらいたいと考えていること、障害年金で生活費が不足するのなら生活保護も視野に入れていることなどを、不安そうな声ながらも、たたみかけるように話し続けるのでした。

電話から伝わる声の調子から、家計状態はかなり切実であると感じられましたが、具体的な家計の数字を聞き出さなければ正確な判断はできません。ファイナンシャルプランナー(FP)の筆者としても解決につながるアドバイスもできません。

先方のお話の切れ目を見つけて話しかけようとするのですが、次の話し出しが微妙に早く、筆者が声を出しても自分の声を引っ込めてくれません。夫が頼りにならないので自分が必死に頑張っているということなどの愚痴を受け止めつつ、1時間ほどつきあったのでした。

面談に比べ、電話で必要な情報を正しく聞き取ることは難しいです。自宅からの電話は、本人にとってはテリトリー内にいる安心感があるのか、それゆえに話したい内容を整理せずに思いつくまましゃべり続けることもあるからです。

「あれ」とか「これ」とか言われても、何を指しているのか理解する前に話が進行することも少なからずあり、情報収集を正しく行えず、整理もできず、結果的にFPとして役に立てないことも。

結局、電話だけで終わってしまうかと思いきや、途中で筆者が挟んだひとこと「表やグラフで将来を見通してみませんか」という提案を気に入ってもらえたようで、後日、具体的な情報提供と面談に至ったのでした。

家族の状況は次のとおり。

年金暮らしの両親の預貯金は300万円のみだった

【家族構成】
母(相談者):75歳
父:80歳
長女:50歳、一人暮らし、会社員【家計状況】
収入
母:60万円(年金)
父:180万円(年金)
長女:低賃金(具体額不明)
支出
基本生活費:240万円(年間)
うち、長女への援助:月額1~2万円、時折まとまった額

【資産状況】
父母:預貯金300万円
持ち家(資産価値不明、築40年以上、ローンなし)

最初、母親は長女のことを「ひきこもり」と表現していました。しかし、実際はひきこもりには該当しないことがわかりました。厚生労働省のサイトではひきこもりについて次のように定義されていますが、この定義に当てはまらないと考えたからです。

「様々な要因の結果として社会的参加(就学、就労、家庭外での交遊など)を回避し、原則的には6カ月以上にわたって概ね家庭にとどまり続けている状態を指す現象概念(他者と交わらない形での外出をしていてもよい)」
「仕事や学校にゆかず、かつ家族以外の人との交流をほとんどせずに、6カ月以上続けて自宅に引きこもっている状態」

長女は短大入学時から一人暮らしを始め、20歳で就職して以降は働きながら自分の生活を成り立たせています。友人などとの交流がないらしいというのは母の見立てであり、同居していないのですから他人との交流がないとは言い切れないでしょう。

ただ、母親の目には、長女の勤め先は名もない企業で稼ぎが少ないことから「一人前」とはいえないと思われること、仕事以外に出かける様子のないことから、「ひきこもりと同じ」と映ってしまうようです。長女に婚姻歴はなく、今後も結婚する様子はなく、今以上の収入を得られるとも思えず、頼る伴侶もいないことが心配のようです。

その心配を払しょくするためもあって、食材や総菜などを購入しては送ったり、直接届けたりしているようでした。しかし、それが年金暮らしの家計に負担になっているというのです。

長女が無心してきたことは一度もなく、母親が自主的に援助

ただ、よくよく聞けば、長女が無心してきたことは一度もなく、母が、親の責任と考えて援助を続けてきたとのこと。長女は自分の収入の範囲内で暮らしていて、収入の範囲で暮らせているのはむしろ褒められていいはずなのに、なぜ母がそのように考えてしまうのかは気になります。

そもそも、長女はメンタルクリニックなどを受診したことはなく、「ひきこもり」や「心の悩み」に関する相談を誰かにした形跡もありません。となると、障害年金の申請を本人は考えたことすらないはずです。

母の相談内容は正しいのか否か。ここは当事者である長女の話も聞きたいところですが、それが許される空気ではありません。そこで、母の心配事を整理したところ、次の2つに集約できました。

1.母から見て一人前の生活ができていない長女への援助の妥当性
2.長女への援助継続による父母の家計の見通し

まずは援助可能な資金を持っているのかを知る必要があります。キャッシュフロー表を作成してみました。

わかったことは、毎月平均1万5000円、年額で18万円を援助しながら、これまで通りの出費(月20万円)の生活を送っていくと母の17年後の平均余命(92歳)前に300万円の預貯金残高はマイナスになってしまうことでした。

赤い実線は父母がそれぞれ平均余命である90歳、92歳まで存命だった場合です。父の死後、母の存命中(母89歳、長女64歳)に家計は赤字に陥ります(月の支出が同じ20万円のままなら)。

青い実線は、父は平均余命まで、母は100歳まで生きた場合です。母の平均余命までは赤い実線と同じ経過をたどり、その後(青線)は母が100歳になるまでどんどん赤字が増えていきます。

黄色い実線は父母ともに100歳まで長生きした場合です。父のほうが母よりも年金額が多いので、父が長生きすることで赤字になる時期が赤と青の実線よりも2年間先送りされました。

援助を続ければ父母の家計が破綻するのは決定的

ただ、いずれにしろグラフからは援助を続ければ父母の家計が破綻することが見えてきました。最初の電話で母が言っていた「父母が入院したり介護状態になったりしたら資金が心もとない」という以上に、もともと預貯金残高は危うい状態であることもわかります。なぜなら入院費用や介護費用も試算には入れていないばかりか、家電製品や自宅の修繕費などの特別費も考慮していないからです。基本生活費以外の支出を計算に含めれば、赤字に陥る時期は早まります。

このシミュレーションを踏まえ、筆者はこう伝えました。

「援助の果てに破綻して、逆に娘さんに援助を求めることになってしまうよりも、最初から娘さんに心配をかけないようにしたほうがいいかもしれませんね」

その上で、長女への資金援助を行わない場合の預貯金残高の推移も見てもらいました。

前出の父母の平均余命3パターンそれぞれについて、「長女への資金援助を行わない」という条件で試算したのが3色の破線です。

100歳で母死亡時に165万~255万円が残る結果を見て、母親は「実は……」と新たな話を始めました。要点はこのような内容です。

母と父は一人っ子同士。頼れる親族はなく、共働きで頑張ってきた。子供がつつがなく世の中をわたっていくために本当は4年生の大学へ行かせてやりたかったけれど、当時は短大の学費を負担するのが精いっぱいだった。そのため、長女は世間に名を知られるような会社に勤めることができなかった。母には、あまり頼りにならないけれど夫(父)のような伴侶がいるが、長女はそうした存在に巡り合えず一人で苦労しているように見える。だから、少しでも援助をしたい……。

さらに、母親は絞り出すようにこう話してくれました。

「自分の体の中で、何がどうなっているのかよくわからなかったけれど、とにかく苦しくて苦しくて、かかりつけの内科を受診したところ、心療内科を紹介されてカウンセリングを受け、そこで『子供のことなど考えなくていい』と言われました」

同じ「母の目線」で75歳の相談者にFPが話したこと

この話を聞いて筆者は思いました。「子供のことを考えなくていい」と言われて、「はいそうですか」といく場合もあるかもしれないけれど、いかない場合もあるだろう、と。なぜなら、自分自身にも身に覚えがあるからです。

理屈では子供を信頼して見守ればいいはず、とわかっていても、勝手に心配する気持ちが湧き上がってきて、その気持ちをコントロールできずに夜眠れなかったことは1度や2度ではありません。

筆者の体験はあくまで個人的なものですから、日頃、相談者に伝えることはないのですが、今回は、「実は私にもそういう苦しさを感じたことがあります」と言って、相談者とFPという関係から少し外れて、母同士の愚痴のこぼしあいのような会話をしばらく続けました。

夫は頼りにならないという電話での話も蒸し返されましたが、筆者には、夫は夫で、妻の中で常に湧き上がる得体のしれない不安や心配を冷静に受け止めて、暴走しないように配慮しているようにも感じられました。

その上で、グラフを見ながら次のような主旨のことをお伝えしました。

母(相談者)の気持ちはよくわかる。ただ、その気持ちのまま援助をすれば父母の家計は破綻する。そうなれば長女にかけなくてよかったはずの心配をかけることになる。長女は自分の生活を成り立たせているのだから、褒めてあげてもいい。資金援助ではなく、人生の先輩として一緒にお茶でも飲もうと誘ってみてはどうでしょうか。

長女の家計が本当に心配であれば、長女に、FPに相談する方法もあるということをお知らせくださいともお伝えしました。結局のところ、長女自身の家計は長女が考えるしかないからです。

筆者との電話と面談でのやりとりでどれだけ相談者が、自身の気持ちを整理でき、また長女への援助中止を決断できるかどうかは不透明です。ただ最後に、「また電話してもいいですか?」と聞かれことは、筆者にとって小さな希望の光です。

「次の一歩」につながってほしい。そんな願いを込め「いつでも、どうぞ」と言って、別れを告げました。

[ファイナンシャル・プランナー 菅原 直子]

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バイト代と年金では月12万円だけど…山谷のドヤに暮らす男性が月25万円を稼げるカラクリ

2022年1月27日 08:00 PRESIDENT Online

果たして貧困とは何なのか。2021年夏、ライターの國友公司さんは2カ月間、ホームレスとして過ごし、共に生活する人々の生活を見つめた。そこでは約13万円の生活保護費を受け取りながら、年金とアルバイトでも稼ぐことで月25万円の収入を得ているという男性がいた――。

※本稿は、國友公司『ルポ路上生活』(KADOKAWA)の一部を再編集したものです。

「お盆だから炊き出しも休みなんだよ」

八月十二日。

翌日の昼過ぎ、白鬚橋の周りに続々と人が集まってきた。みんなから「ター坊」と呼ばれている四十歳くらいの男が、「俺金ないんだから貸しておくれよー。頼むよー」と集まった男たちに言い回っている。

このター坊という男はとにかくよく喋る。話し相手を見つけては相手が相槌を打つ隙も与えず、延々と話し続ける。「もう終わりにしてくれ」といった顔で相手がその場を立ち去ろうとしても、横をずっと付いて回っている。面白そうな男だが同棲するとなったら黒綿棒(編注:著者の國友氏が作中でそう名付けた長身のホームレス)よりもはるかに鬱陶しそうである。

みんなが集まっている理由が炊き出しであることは聞かなくとも分かりきっている。そうと知りながら何食わぬ顔でダンボールの上に待機している自分がとても卑しく感じた。しかし、途中から「来ねえなあ」「今日は休みか」という声があちこちから聞こえてきた。そして、私の近くに座っていた三人組のおじさんの一人がハッキリと言った。

「ないな」
「やっぱり炊き出しないですか?」

私が横から聞くと、一緒に行動していたかのようなテンションでおじさんが答える。

「ないなら前もって言ってくれればいいのにな。お盆だから炊き出しも休みなんだよ。ないと分かっていたらわざわざ来ないのによ」

たしかに周知する方法がないのであれば、先週の時点で言っておいてくれればいいのに。

山谷で食べるものに困ることはまずない

「じゃあ今日は飯抜きですか?」
「いや、もう腹いっぱい。午前中は玉姫公園で炊き出しがあったから。昼は上野公園でもあるだろ。上野公園を捨ててこっちに来たのによ。悲しさを通り越して虚しいよ」

玉姫公園とは山谷にある公園だ。ブルーシートで覆われた小屋がいくつか立っており、ホームレスが暮らしている。上野公園の炊き出しは私も行った火・木・金・土に開催されている韓国系キリスト教会主催のものだ。

「君は昼飯食べたのか? 余っているからこれやるよ。いいいい、食えって」

おじさんと一緒にいた二人も「どうせ捨てちゃうからもらってくれ」と、私に飲み物や弁当をくれた。都庁下と同じく東部エリアも飯に困ることはまずなさそうだ。

「俺たちは三百六十五日炊き出し回ってるんだよ。全部知ってるぞ」

週四日の韓国キリスト教会の炊き出しに加え、ここ白鬚橋でも毎週木・土に炊き出しがある。土曜日は十四時からもあるので日に二回だ。山谷地域も炊き出しが豊富だ。山谷労働者福祉会館、山日労(東京・山谷日雇労働組合)、キリスト教会、朝ご飯を出してくれる炊き出しもある。

明日から三日間は玉姫公園で「山谷夏祭り」が開催される。飯と酒が食べ飲み放題で、出店なども出る。音楽隊の演奏会やレクリエーションまであるという。少し離れるが八丁堀の公園でも毎週カレーが食べられる。

ホームレスが熱心に聖書を読む理由

このおじさんのイチオシは水曜の昼に上野駅前でもらえるほっともっと弁当。そして大久保にある韓国系キリスト教会。なんとここは月に一回現金をくれるそうだ。今は人が増えすぎて一人三千円だが、一万円くれた時期もあった。みんな服装を変えて何回ももらおうとトライして、このおじさんは五万円までチャレンジに成功した。

この教会は以前こんな制度もあったという。月四回炊き出しに来ると皆勤賞で千円もらえる。次の月も皆勤賞なら二千円、その次は三千円とステップアップしていく。

さらに魅力的なのが、とあるキリスト教会で炊き出し時に行われている聖書クイズ(取材当時はコロナ禍でクイズは休止中)。聖書にまつわるクイズが出題され、当たると数千円のお小遣いがもらえるので白熱するのだという。そして、このクイズがかなりマニアックで難しい。

「みんなクイズに正解して金もらいたいからよ、教会から聖書もらって勉強するんだぞ。そうでもしないとまず正解できないレベルだからな」

街で聖書を読んでいるホームレスは何度か見かけたことがある。「ホームレスは聖書読みがち」とすら思っていた。みんなテスト勉強をしていただけだったのだ。

そしてこの教会で出るカレーが抜群に美味いという。このおじさんだけではなく、ほかのホームレスと炊き出しの話をするたびに、さらには黒綿棒までもがみんな口を揃えて、「あのカレーはもう食べた? あれを食べたらもうよそに行けなくなるよ」と目を輝かせて言うのだ。

都営の電車とバスを無料で乗り回し、東京中の炊き出しを網羅

「新宿、渋谷、池袋、上野、山谷、毎日全部歩きで回ってるんだぞ」
「え、歩きですか?」
「そうだよ。根性だよ。すごいだろ?」

私なんて都庁下から代々木公園まで歩くのにもヘトヘトなのにすごすぎる。考えられない。鉄人ではないか。

「みんなそうやって炊き出し回って生活してるんだよ。向こうにベラベラ喋っている奴がいるだろ。アイツは生活保護歴五十年。全部の炊き出しを回ってるぞ。生活保護を受けてると都営電車と都営バスが全部タダで乗れるからな」

鉄人が指をさした男はター坊とはまた別の男だった。その男もよく喋るので炊き出し界隈では「九官鳥」と呼ばれており、自分でノートにまとめた炊き出しスケジュールを常に持ち歩いている。黒綿棒とは違い東部も西部も網羅しているので、「今日本にある炊き出し情報としてはこれが最強だと思っている」という黒綿棒の言葉は嘘ということになった。

鉄人は現在七十五歳。オフィスビルを専門とする引っ越しセンターで人材派遣の仕事をしていた。街で私のような人間に声を掛け、会社で面接をし、入社させるのだという。

日給は一万三千円をもらっていたが、酒とギャンブルにすべて消え、家を借りるのが馬鹿らしくなってホームレスになった。路上から出勤し続け、五年前に退職した。

国民年金と厚生年金は手取りが減るのが嫌だからと会社の勧めを断って払わなかった。どこまで本当か分からないが、三十五歳で家を解約し、それから四十年間路上で生活しているとのことだ。

ホームレスなのに銭湯に通えるカラクリ

鉄人はホームレスとは思えないほど清潔だが、これにはカラクリがある。鉄人の紹介で引っ越しセンターで働いていた男たちが現在何人も、生活保護を受けながら山谷のドヤで暮らしているという。被保護者は年間で六十枚、行政から銭湯の入浴券が交付される。それらを昔からの人脈を使ってかき集めているのだ。

昔助けた仲間のよしみでほかにも様々な助けをもらっているという。

生活保護を受けながら月収は二十五万円

鉄人のとなりにいた二人が「ドヤに戻る」と言って先に帰り、鉄人と二人きりになった。

「あの二人も生活保護を受けて山谷のドヤに暮らしてんだ。金が入っても三日で全部ギャンブルに使っちまうからよ、一緒に炊き出し回ってんだ。アイツら毎月ガバガバ金が入ってくるんだぞ。月収二十五万くらいはあるだろうな」

二人は、年金をもらいながらダンボール手帳(※)の仕事とシルバー人材派遣の仕事(月約十万円になるという)もこなし、その上で生活保護(現金書留でもらっている)を満額受給しているという。

(※)求職受付票。路上で寝る野宿者のための手帳なので、通称ダンボール手帳と呼ばれている。これに登録をすると、月に三回ほど東京都から清掃の仕事をもらうことができる。

一定額の控除はあるが、収入があればそのぶんの生活保護費は差し引かれるはずだ。

「そんなことできるんですか」
「法の網をかいくぐればできちゃうんだよ。法には必ず抜け道があるからな。山谷で同じことやってる奴が五十人はいるぞ」
「どうやってやるんですか」
「そりゃ詳しいことは言えないよ」

生活保護は性善説で成り立っている

どういった方法が予想されるか。社会問題に詳しい弁護士の大城聡氏に聞いた。

「少なくとも虚偽申告をしているということにはなるでしょう。そもそも生活保護を受給している場合、収入があれば申告をしなければいけない。法の抜け道という話ではなく、ただ単にルールを破っている(=収入の申告をしていない)ことが見つかっていない、というだけの話のように思えます」

偽名を使って生活保護を受給していた人間が逮捕されるといった事案もある。それはつまり、生活保護は偽名でも受給できるということだ。ならば、収入の無申告などわけない。行政の制度に不備があり、ザルだということか。

「いえ、収入の申告は義務です。そのため、そこはある程度、“収入があった被保護者は申告をする”という性善説によって成り立っています。全員の生活実態を隅々まで把握することは不可能です。働く際に偽名を使ったりほかの人の口座を使ったりしているかもしれない。ダンボール手帳の仕事とシルバー人材派遣の仕事も、行政とはいえ第三セクター的なポジションにある。厳密な身元確認はできていないはずです。そもそも、高齢者に仕事を与えることが本分なわけですから」

不正防止にフォーカスすると、救いたい人を救えない

生活保護の不正受給をゼロにするためにあらゆる対策を取れば、それは生活保護のハードルを上げることに繋がってしまう。それこそ「水際対策」の横行が再び起こるはずだ。悪用している人が責められるべきであって、見つけられなかった行政を問い詰めるのは賢くない。「それは性善説だ」と言われそうだが、性善説を前提としているからこそ本当に困っている人を助けることができるのだ。

ギャンブルで金を使い果たした生活保護受給者が大勢押しかけているのにも関わらず、全員が二周もらえる量の食材を毎回用意する炊き出し団体もきっと同じ考えだ。不正をする人のことをメインで考えていたら、救いたい人を救えない。生活保護の制度も炊き出しも、悪用する人にフォーカスを当てているわけではないのだ。

[ライター 國友 公司]

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「このまま入院すれば家に帰れない」子供3人と過ごすため"即入院"を拒否したがん女性のその後

2022年1月27日 08:00 PRESIDENT Online

もし現役で働くあなたが、ある日突然がんであることが判明し、医師から「助からないかもしれない。家には帰せない。即入院」といわれたら、どうするだろうか。医師の言う通り「そのまま入院」の道を選ぶか、それとも「助からないからこそ、家で過ごす」のか。もちろん正解はない。吉野清美さん(54)はその時、「家で過ごす」ことを選んだ――。

介護保険創設と同時に「ケアマネージャー」に

ケアマネージャーの吉野清美さんは20代の頃、看護師として病院に勤めていた。

消化器内科へ配属となり、助からない患者が治療に苦しむ様子や、壮絶な最期を目の当たりにしてきた。多くのがん末期の患者が「家で過ごしたい」と言う。それなら「家に帰してあげたい」と思い、吉野さんは在宅を支える訪問看護ステーションに転職した。さらに2000年、介護保険創設とともにケアマネージャーの資格を受験し、合格する。

在宅に関わる職種として訪問医、訪問看護師のほか、食事や入浴などの生活支援を行うホームヘルパー、そしてケアマネージャーがいる。ケアマネージャーは「要介護認定を受けた人」に必要なことを見極め、医療従事者をつなぎ、各種介護サービスも利用できるように患者(利用者)の全般的な支援を行うのが仕事だ。

「訪問看護師の場合は週何回、何時間訪問と、要介護度などに応じて定められますが、ケアマネージャーは利用者さんと月決め契約し、支援を行います。ですから業務範囲も人によってさまざまで、仕事も無制限に増えやすいですが、私は看護師よりもケアマネージャーのほうがフリーで動けて楽しいと感じました。お医者さんや看護師さん、ヘルパーさんは利用者さんと“治療やケア、家事をしながら”話しますが、私は目と目を合わせて話を聞くのが仕事です。“困った時の雑用係”ともいえますが(笑)、雑務のなかから見えてくるものがあるんですよ」(吉野さん)

47歳の時、突然、道端で倒れた

たとえば、

(床がゴミで埋まっているのにダスキンのモップを毎月交換しているのは、この人に会いたいからなんだな……)
(これがこの人の大切な物なんだ)
(寂しいからヤクルトの配達を頼んでいるんだな)

などということが日常生活から見えてくるのだという。

さまざまな利用者と関わり、ケアマネージャーとしてのキャリアを10年以上積んだ頃、吉野さんはある日突然、道端で倒れた。今から7年前の年末、47歳の時のことだった。

「貧血性のショックでした。あとから検査で、正常値の半分くらいのヘモグロビン濃度(貧血の目安となる値)であることがわかりました」

「先生、私は年明けまで生きていますか?」

「実はその日の朝、トイレであれっ、色がおかしい、下血しているかもしれないという気がしたんです。今思えば、その前夜に忘年会でアルコールを飲んだので、刺激になったのかもしれません。とはいえ年の瀬で忙しくしていた時だったので、その日は普通に仕事に出かけたんです。そしたら倒れてしまって、道ゆく人が救急車を呼んでくれました」

だが救急隊員が近隣の病院に連絡しても、年末のためどこの病院も通常診療を受け付けてくれない。行き先の病院が見つからず、救急車の中で時間だけが過ぎていく。しばらくして血圧などの状態が落ち着き、吉野さんは「自分で病院を探します」と救急隊員に告げ、救急車を降りた。

そして医師会が運営する休日診療所を受診し、「大きな病院に紹介状を書いてほしい」と頼んだ。

医師からはこう言われた。

「見た目、元気そうじゃない。大丈夫でしょう。年明けの受診にしたら?」

吉野さんはしばらく考えて、医師の目を真剣に見つめた。

「先生、私は年明けまで生きていますか?」

「自宅には帰せない、すぐ入院して絶対安静」と言われた

すると医師がしぶしぶ紹介状を書いてくれたという。

「その時は脈も速いし、(体の中で)出血しているんだろうなと思っていました。その後、大きな病院で採血をしたらひどい値で、その日のうちに内視鏡検査をすることになりました。案の定、胃から出血していて……。消化器内科に勤めていましたから、画像を見て、胃がんで、それもすごく悪い状態だとすぐにわかったんです。先生もストレートに告知してくださいました。外科の先生からは『もううちには帰せないし、すぐ入院して絶対安静だ』と言われたのですが、私はケアマネージャーの仕事があり、たくさんの利用者さんを抱えていたので、『家に帰って仕事を片付けたいです』と言いました。すると内科の先生が『帰っていいよ』と許可してくださったんです」

その年末年始、吉野さんは猛烈な勢いで抱えている仕事を片付けた。自分が担当している利用者(患者)をすべて別のケアマネージャーに申し送りをしたという。

年明け、胃の全摘手術を受けた。そして1カ月の入院を経て帰宅した。

病院では「レールの上に載せられて、さばかれていく」

「転移はなかったのですが、非常に悪い状態だったので、知り合いの先生から『吉野さん、今年の夏までもたないんじゃないの?』と言われました。その時、私には高校2年生の子、中学3年生の双子がいて、まずは中学生の子供たちの卒業式を見届けよう、それから高校生の子供のため大学受験の準備をしようと決めて、家で過ごしながらやることをどんどん進めました」

夏が過ぎたら、今度は次の目標を立てて日々を過ごす。気づいたら、それから7年たっていたという。その間、「来年はないかもしれないから」と、いつも一年早く動いていたのだ。

「病院ではやりたいことや仕事はできませんよね。だから家に帰りたかったですし、たとえやることが終わっても、子供との生活、飼っている犬や猫の世話がありましたから、病院にいるのは嫌だと思いました」(吉野さん)

病院では“レールの上に載せられて、物のようにさばかれていく感じだった”という。

あの時、「私、家に帰ります」と言えてよかった

「医療従事者は身体面だけでなく、もう少し全人的に患者さんを診るべきです。そして患者さんも、もっと自ら『こういう生き方をしたい』と医療者に言ったほうがいい。7年前に自分が倒れた時、『年明け受診では間に合わないかもしれない、今日受診したいです』と言わなかったら、私は死んでいたかもしれません。胃がんとわかって医師に勧められるまま入院して二度と家に帰れなかったら、後悔が残る人生だったと思います。あの時、『私、家に帰ります』と言えてよかった。自分の思いをきちんと伝えることが大切だと思います」

家で死ぬことの良さは、患者本人は「やりたいこと」ができることだ。そして看取る側の家族にも良さがある。それは「やりきった感」があること。

訪問看護師として15年のキャリアがある宮本直子さんは、難病の女性を支えた家族が心に残っているという。

「お母さんは50代半ばの女性で、全身性エリテマトーデスという難病を患っている上、がんを発症しました。家で看取るかどうかご家族に迷いがある時期、私は娘さんにこう尋ねたんです。『お母さんは娘におせち料理の味付けを教えたい、まだやり残したこともある、家にいたいと言っていたよ。どうする?』と。するとご主人と娘さんが『がんばる』と答えてくれたので、おむつのあて方なども含めて在宅での生活を教えました」

意識レベルが低下したはずなのに、座ってしゃべっていた

大学病院から家に移り、2カ月ほどたった時、その女性は徐々に衰弱し、やがて意識レベルが低下した。宮本さんは今日明日に亡くなるだろうと予想した。

「お母さん、昨日と今日の様子がぜんぜん違いますよね。明日まで元気だったら、びっくりしてしまうかもしれない。何かあればいつでも呼んでください」

宮本さんは、死期が近いことを夫と娘にそうやんわりと伝えた。そして訪問医にも状況を電話で報告する。

翌朝、宮本さんが再びその家を訪れると同時に、女性は意識がなくなり、30分ほどで亡くなったという。

「でもその前日、私が帰った後に、意識レベルが低下したはずのお母さんが座って普通にしゃべっていたというのです。甥っ子さんがたずねてきて、彼女がバイバイと手まで振っていたと聞き、驚きました。ご家族もそのような状態まで復活したので、翌日亡くなるとは思わなかったそうです。でもご主人が『病院じゃなくて家で看られてよかった』と。お嬢さんも『在宅で介護するのが楽しかった』と言ってくれました」

亡くなる4日前までお風呂に入れただろうか?

訪問看護師の小畑雅子さんは4年前、義兄の宗治さんの在宅療養を看護という立場で支えた。宗治さんは末期がんを患っていた。当時を振り返って小畑さんはこう言う。

「私の姉と、子供たち3人がシフトを組みながら、仕事と宗治さんへの介護を両立していました。家で亡くなった宗治さんが、もし病院で最期を迎えていたら、亡くなる4日前までお風呂に入れただろうか? と思い返します。家にいたからこそ、『好きな音楽を聴きたい』『みんなと食卓で食べたい』『家の風呂に浸かって楽になりたい』『横になりながらでも息子に仕事を教えたい』といった希望を全て叶えることができました」

宗治さんの妻も今回、コメントを寄せてくれた。

「今にして思うのは、夫は62年の生涯を自分流に生ききったかな……ということ。家にいたから、それができたと思う。そして家族は最期を看取れて、『見送った』と実感できたと思っています。家で死ぬことが良かったかどうか、本当のところは本人、宗治さんに聞いてみないとわからないけれど、少なくとも私は家にいてくれてありがたかった。看取らせてもらえて感謝しています」

自分たちの手で見送ったという家族の満足感と、自分が思うままに過ごせる本人の幸せ——家で死ぬことの良さはそこにある。

だがもちろん「家で死ぬこと」は家族の負担や覚悟も求められる。次回は、コロナ禍で夫を家で看取った妻の思いに迫りたい。

[ジャーナリスト 笹井 恵里子]

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「ドラマのように綺麗じゃない」人工肛門になった夫を7年7カ月介護した妻が漏らした本音

2022年1月27日 08:00 PRESIDENT Online

2020年夏、市川さん(80代)は自宅で亡くなった。市川さんは75歳の時に「大腸がん」と診断され、「余命3カ月」と告知された。しかし、それから7年7カ月、主に自宅で闘病生活を送った。最期まで支えつづけた同い年の妻が、介護の日々を振り返る――。

「何とかご主人を言いくるめて、連れてきなさい」

始まりはトイレの便器に、血のような色が残っていることに気づいたことだという。

「主人に聞いてみると、『痔』だと言うんです。健康そのもので生きてきた人だから、病気を疑わなかったみたい」と、妻。

夫の市川さんは、「俺は健康だ」の一点張りで、会社を定年退職してから健康診断も受けていなかったという。だが妻は実兄を大腸がんで亡くしており、引っかかるものがあったようだ。自宅近くのかかりつけ医に相談すると、「何とかご主人を言いくるめて、ここに連れてきなさい」と言われた。

「健康診断を受けたいんだけど、心細いから一緒についてきてほしい」

妻はそう頼み、かかりつけ医のいる診療所に夫を連れていくことに成功した。

「市川さん、旦那さんも来たのか。ちょうどいい。旦那さんも検査しましょう」

医師や看護師が夫を取り囲んだ。「俺はなんでもないから大丈夫ですよ」と夫は抵抗したが、「まあまあ」となだめられて、あっという間にさまざまな検査が進められる。

大腸がんで逝った実兄のレントゲン写真を思い出した

夫が検査を受けている間、妻は外の待合室にいた。

しばらくして呼ばれ、妻が診察室に入ると、テレビのような画面に大腸の写真がいくつも張り出されていたという。そこには点々と白い影が映っていた。妻は、大腸がんで逝った実兄のレントゲン写真を思い出し、息を飲んだ。

医師が夫に向かってこう言った。

「市川さん、これは大腸がん。即手術しないとダメだ」

夫はびっくりして、すぐさま言葉が出ない。

「いや、今日は女房の付き添いで来て……」

そう言うのがやっとだった。

「ついでに来て病気が見つかってよかったじゃない。命は一つしかないんだから。A病院とB病院、C病院の中でどこがいいかな。すぐに紹介しましょう」

つとめて冷静な口調で医師は説明する。

「……1日か2日、考えてさせてください」

夫が言うと、医師は首を横に振る。そばにいた妻が「先生、A病院でお願いします」と申し出た。自宅から一番近かったからだ。医師はその場で受話器をとり、A病院に連絡し、2日後に受診の予約をとった。

すぐに入院し、大腸がんの切除手術を受けることに

「先生、(がんの診断は)間違いではないんでしょうか」

夫がなおもそうたずねる。

「間違いなら間違いでいいですから、とにかく2日後に大学病院(A病院)に行ってくださいね」

診療所からの帰り道、動揺を隠せない夫は「ヤブ医者だ」とぶつぶつ言っていたという。

「2日後の受診日の朝も『俺は大丈夫だから行かない』って駄々をこねて。私は『先生が紹介してくださったのに、ご迷惑をかけてしまう』と言いました。それでも動かないので、娘が『なんでもないなら、それはそれでいいじゃない。とにかく行ってきなよ』と説得してくれました」(妻)

実は市川さんは50代で前妻を亡くし、60歳の定年間近に現在の妻と再婚した。市川さん、再婚した妻、前妻との娘の3人暮らしだ。

紹介を受けたA病院を受診したが大腸がんの診断は変わらず、夫はすぐに入院し、がんの切除手術を受けた。

どんなに食べても、だんだんと痩せていった

「手術後、医師から切除した大腸を見せてもらいました。がん細胞が点々とありました。お医者さんからは『本人は元気そうに見えるけど、相当進んでいますよ』と説明がありました。でも主人は本当に元気だったんです。1カ月くらい入院すると、『家に帰る』と言い始め、お医者さんも『大手術をして、これほど元気な患者さんははじめて』と驚くくらいの回復でした」

しかし自宅に戻ったものの、夫は手術で「人工肛門」になってしまったため、そのケア(ストーマケアという)に苦しんだ。人工肛門は、腹部に造られた人工肛門部に袋(パウチ)を貼り、そこに自然と便がたまっていく仕組みだが、パウチがずれたり、うまく取り換えられないと、水滴(便)が流れ出てしまう。人工肛門には肛門括約筋がないため、排ガスや排便を自分でコントロールできない。

「パウチが1枚1100円くらいするのですが、最初の頃はそれがうまく貼れなくて、何度も貼り直して……。人工肛門にパウチの中央を合わせて、周りの皮膚にしっかり密着させないとダメで、1ミリでもズレるともれてしまう。しかも主人がすっごく食べる。そして食べているとパウチがどんどん膨らんでいく。交換のタイミングが難しくて、いつもパウチを見ていたような感じでした。専門職の方に家まで来てもらって指導してもらったり、主人も時々病院で教えてもらったりして、だんだん覚えていきました」

夫は自宅で過ごしながら、抗がん剤治療のため病院に通う日々が続いた。しかし副反応らしいことは全くなく、誰が見ても「この人が病人?」と驚かれるほど元気だったという。

「食欲も衰えなかったですし、抗がん剤治療も苦しまなかったから最後まで続けられました。ただ、どんなに食べてもだんだんと痩せてはいきましたね」

夫は「家に帰りたい」とはっきり訴えるようになった

7年7カ月の闘病生活——その間にA病院に緊急入院したことが5回あった。最後の入院は、亡くなる前年、2019年11月のこと。

突然夫に高熱が出たのだ。妻が慌てて担当医に電話して状況を説明すると、「病院まで連れてきてもらえないか」と言われた。タクシーでA病院に向かう。夫の血圧が低下し、危険な状態で即入院。だが本人は入院の部屋に連れていかれながらも、「うちに帰りたい。帰る。大丈夫」とうわごとのように繰り返していたという。

1カ月程度の入院で状態が落ち着くと、夫は再び「家に帰りたい」とはっきり訴えるようになった。

11月の終わり、妻がお見舞いにいくと、夫の部屋に医師や婦長をはじめ看護師が10人近く勢揃いしていたという。そして、

「もう最後かもしれませんから、おうちで看取ったらどうでしょうか」

と提案されたのだった。夫も、「俺も死ぬなら家で死にたい」という。しかし妻は「自信がありません。できません」と答えた。

「これまでの介護で精神的にも肉体的にも限界なんです」

すると、娘が「かわいそうじゃない。こんなに家に帰りたいと言っているのに」と、妻に向かって言った。妻も負けずに言い返す。

「それならあなたは、仕事を休めるの? いつも出張になると10日から数カ月も留守にするのに……。仕事を休んで一緒に介護をしてくれるなら家に連れて帰ってもいいわよ」
「仕事は休めない。出張もやめることはできない。それなら私がデイサービスで預かってくれる施設を探します。私がいない間はパパをそこに預ければいいんでしょ」
「病人をそんなに簡単に動かせるわけがないでしょう。それに、いくら人を使っても無理よ」

終わらない言い争いに、担当医が「奥さん、隣の部屋で話しましょう」と割って入った。場所を移動して妻と二人きりになると、担当医がこう言った。

「ご主人は今までよくがんばってきました。ですが、さまざまな検査から判断し、もう生存できる可能性はありません。ご本人は『家に帰りたい』と泣きながら私に言いました。どうかお正月を家で迎えさせてあげてくれませんか。もうお正月までさえ、もつかわからない状態ですが……」

妻も譲れない。「でも先生、私もこれまでの介護で精神的にも肉体的にも限界なんです」と訴える。

「腰も痛い背中も痛い、夜中に主人に何度も呼ばれるから睡眠不足。娘は仕事優先で手伝ってくれません。主人のことはもちろん大切ですが、私が倒れたらアウトなんです。もう無理です。何と言われようと無理なんです」

結婚して24年、夫からはじめて言われた「ありがとう」

しかし担当医は繰り返し説得を続けた。しばらくして看護師も部屋に入ってきて「大変なのはわかります。けれども奥さんならできるわよ。連れて帰ってあげてよ」と頼まれた。

ついに妻が根負けする。

「わかりました。引き取ります」

その瞬間、部屋にいた全員が拍手をしたという。職員は夫に近づき、「旦那さん、良かったわね。家に帰れるわよ」と報告した。その時だった。夫が妻に向かって「ありがとうね」と言ったのだ。結婚して24年、夫からはじめて言われた「ありがとう」だった。

「封建的な人ですから、便まみれのストーマを交換しても『悪いな』とは言っても、『ありがとう』や『ごめんね』は言いません。その時はよほどうれしかったのでしょう。『ありがとうね』と言われて、私は『しょうがないわね』と答えました」(妻)

安らげる時間も場所もなく、ただただ疲れる日

2日後の12月はじめに、夫は自宅に戻った。無事、最後となる年末年始を家で過ごせのだ。しかし、それから翌年夏に亡くなるまでのおよそ半年の介護は壮絶だったという。

「電動ベッドですから機械でベッドを動かして体を起こせるのに、主人は私に『起こして』というんです。向かい合って両脇に手をはさんで起こすのですが、素人で起こし方が下手だから腰を痛めてしまって。トイレに連れていってあげようとして、フローリングで二人して転び、介護の方に緊急でわが家に駆けつけてもらったこともありました。主人は1階、私は2階に寝るのですが、夜にしょっちゅう私の携帯に主人から電話がかかってきて、『テレビをつけて』とか、いろいろな要求をされるんです。要するに寂しいし、話がしたいんですよね。自分の時間なんてないです」

「娘は仕事に忙しくしていて、私と主人、ほぼ二人きりの生活で朝から晩までマンツーマンで。介護の方にお願いして、自転車で買い物に出かける。2時間経たずに戻っても、主人から『遅いなあ! どこいってきたんだよ。なんで早く帰ってこないんだよ!』と怒られる。家の中には訪問医や訪問看護師の方、ヘルパーさん、お手伝いさんなどいろんな方が出入りして、自分の家であって家でないような感じでした。安らげる時間も場所もなく、ただただ疲れる日々でした」

疲労困憊の日々でも妻は、ひたすらがんばった。

80歳を超えた妻が、夫のオムツを換えて、着替えさせる

時折、夫が「明日、太陽が見られるかな」と弱気な声でつぶやき、妻が「やっぱり生きていたいのね?」と聞くと、「生きていたい」とはっきり答えるからだ。通常のごはんづくり、洗濯などの家事に加えて、夫の食事の介助や体拭き。ストーマ交換の手伝いや、ストーマから水分が漏れて周囲が汚れれば、パジャマを着替えさせる。夜間だってストーマの交換が必要になる時もある。もちろんオムツ交換もある。80歳を超えた妻にとって、それらはどれほどの重労働だろうと思う。

「よく介護疲れで殺人事件が起きたりするでしょう。ああいう気持ち、よくわかるんです。患者も介護者もとにかく余裕がない。よく本やドラマではかっこよく描かれていますが、『看取る』ことがどれほど大変か……特に家族の人数が少なくて、二人とも高齢で」(妻)

「旦那さん、今、息を引き取りました」

最後の会話は、死の3日前のことだった。

妻が夫の身の回りの世話をしていると、突然「手をにぎっていい?」と尋ねられたそうだ。

「どうしたのよ。この年になって……」と妻は苦笑いしながら、「いいわよ」と両手を差し出す。夫はその手をぎゅっと握りながら「悪いな、悪いな、こんなに迷惑かけて悪いな」と口にした。

「夫婦だから、別にいいのよ」

とはいっても、最後の数日は妻の心身は限界に達し、徐々に寝床から起き上がれなくなったという。そのため、24時間の介護サポートをお願いした。夜22時から朝7時までのサポートは1日2万円以上かかるため、それまで夜間だけは頼まなかったのだが、もはや誰かの手を借りなければ日常生活を送ることが不可能だったのだ。

ある日の明け方、2階で就寝していた妻の部屋のドアをトントンとノックする音が。「どうぞ」と妻が言うと、数日前からお願いしていた24時間の介護サポート者がそこにいた。

「旦那さん、今、息を引き取りました」
「えっ……」

妻は最期を看取れなかったことに絶句したが、その方に「眠るように亡くなりました」と告げられて、安堵したという。

「自宅で命尽きたのは良かった」と思えるようになった

夫が亡くなって1年半——。今、改めて当時を振り返って妻はこう言う。

「一日一日が良くなっていけば楽しみがあるからいいけれど、看取りは命がどんどん縮まっていくから。それを見るのはつらかった。ただね、本人がどうしても家に帰りたいと言って、自分のおうちで命尽きたのは良かったことだったと思えるようになりました」

同じ大腸がんだった兄は最期まで苦しみ、「死にたい、死にたい」と言いながら病院で亡くなった。それに比べて夫は痛がったり苦しんだりすることがほぼなかったのだ。

家族の人数が少なく、まして前妻の子との同居だったため、皆で協力するという体制が作りづらかった面があったかもしれない。

市川さんの妻は元気で前向きな人だ。今、84歳というが、60代といっても通るほど見た目が若い。私がそう言うと「でも介護をきっかけに膝も腰も、全身がぼろぼろなのよ」とつぶやく。

「寂しいですか?」と私がたずねると、「そうね。うるさい人ほど静かになって寂しいかもしれない」と少し笑った。

「でも、これからは自分の頭がボケないようにデイサービスに行ったり、ジムにいって体を鍛えなきゃ。英会話の勉強もしたいのよ」

そう凛と話す。全力で介護したという気持ちがあるからこそ、前を向けるのだろうと感じた。

[ジャーナリスト 笹井 恵里子]

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「父は孤独死、母は認知症」10年以上も使っていないネット代を支払っていた実家の預金残高

2022年1月27日 08:00 PRESIDENT Online

ある日突然、遠く離れた実家を任されたらどうするか。エッセイストの如月サラさんは父親が実家で孤独死したことをきっかけに、空き家になった築45年の一軒家を任された。如月さんは「まず売却を考えたが、よく調べてみるとほぼ不可能なことがわかった」という――。

※本稿は、如月サラ『父がひとりで死んでいた』(日経BP)の一部を再編集したものです。

光熱水費はどこから引き落とされているのか

9カ月にわたる入院を経て、認知症の母は高齢者施設に入居した。おそらくもう帰ってくることはできないだろう。いよいよ実家は無人になった。一人娘である私は本当に、この100坪の土地と一軒家をひとりで守っていかなくてはならなくなったのだ。

ふと我に返ると、私はこの家のことを何も知らないと気がついた。滞在している間だって電気代も水道代もかかっている。固定電話もつながっている。そのお金がどこから引き落とされているのかを確認しなくてはならない。

「重要なものは僕の部屋の金庫にまとめて入れてあるから」と以前父が言っていた気がするので、見てみることにした。そっと父の部屋に入る。「お父さん、金庫の中、見るからね」と宙に向かって声をかけた。開けられるだろうかと心配だったけれど、金庫に鍵はかかっていなかった。

父の振り込みが止まり、口座残高はマイナスに

入っていた何冊かの預金通帳をめくってみる。父の名義の通帳も母の名義の通帳もあった。マメな性格だった父は、どの通帳が何の用途であるか、それぞれのキャッシュカードの暗証番号が何であるかがわかるようきっちりと整理をしていた。

めくってみるとどの通帳もここ数カ月は記帳した記録がなかったので、近所の銀行の支店に行って状況を確認した。その中に公共料金等の引き落とし専用の口座があったが、内容を見て驚いた。残高がマイナスになっていたのだ。ごく少額の定期預金がセットされ、そこから借り入れがなされていた。

公共料金の口座には、父が時々まとまった金額を振り込んでいた形跡があった。どこかの時点でこの作業を思い出せなくなったか、銀行に出かける気力をなくしていたのだろう。父が弱っていた証拠を見せつけられたようで、胸が詰まった。

2万円を超える高額電気代の理由

慌ててその口座にある程度の金額を入金し、精査してみた。水道、ガス、電気、固定電話、携帯電話、NHK、新聞、固定資産税、自動車税。そういったものが定期的に引かれているが、合計してみると結構な金額になることに気がついた。そのままにしておいたら、誰も暮らさない家に今後もこれだけのお金がかかっていくのかと思うと目まいがした。なんとか対策を考えなくてはならない。

まずは実家に届いていた公共料金の検針票をじっくり眺めるところから始めた。父の手で決まった場所にきれいに整理されていた。もっとも高い料金が引かれていたのが電気代。父が亡くなる前の最後の月は電気代が1万7000円もかかっていることがわかった。過去の検針票を見つけると普段は1万2000円前後だが、2万円を超えている月もある。電話をして理由を聞いてみた。

「おそらく寒い時期や暑い時期の暖房と冷房ではないでしょうか」と電力会社の女性は言った。事情を話すと、契約のアンペア数を落としてはどうかと勧められたので、さっそく手続きを取った。悩んだ末、複数の部屋の冷房や暖房を使う可能性も考慮し、60アンペアから30アンペアにした。数日後にブレーカーを交換しに来るという。

長期間使っていない付帯サービスばかり

次に検討したのはガスの契約について。実家ではいまだに台所の裏にプロパンガスを置き、そこからガスを引いてコンロの火を使うようにしていた。この家で私が料理をすることはないだろう。幸い電気ポットがありお湯を沸かせるのでお茶は飲める。お風呂のお湯を沸かすのは昔ながらの灯油式ボイラーだ。そこで思い切って契約を停止することにした。

やけに高い固定電話の料金は、数カ所に電話をすることでその理由が判明した。インターネットのプロバイダー料金が含まれていたのだ。しかもリモートサポートサービスやキャッチホンなど、おそらく10年以上使ってもいなかったであろう付帯サービスがたくさん付いていたのも料金が高い理由だった。

誰もいない実家に電話がかかってきても取る人もいないが、今後の何かのときに電話番号が必要になるかもしれないと思い、解約はせずに付帯サービスを1つずつ外していった。父名義のプロバイダーの解約には私の免許証をファクスで送る必要があり、近くのコンビニまで行ってコピーして送るという手間も生じた。後日送られてくる専用の封筒を使ってルーターを送り返すという作業も必要だった。

自分の稼ぎを切り崩す覚悟を決める

NHKには、実家が無人になりテレビを見る人がいないことを電話で告げるとあっさりと解約が認められた。新聞は父の葬儀の日に止めてもらっていたが、無料のタブロイド新聞が数種類、郵便受けに押し込まれていたので、1つひとつ電話して配達を止めた。

固定資産税はどうすることもできない。また、父の車は廃車処分したものの、故郷では車がないと生活できない。私が帰省するときのために母の車は残しておき、自動車税や任意保険もそのままにしておくしかないだろう。

こうやって細かく整理していったがやはり実家を維持するのにある程度の費用は覚悟しておかないといけないようだった。この時点でまだ母の遺族年金がいくらもらえるかはわかっておらず、私は自分の収入からの補填をひそかに覚悟した。

数日かかって今後の実家にかかるお金の精査と解約や変更などの手続きを終えると、次に気になり始めたのが相続についてである。こんなことになるまで自分が相続の当事者になるとリアリティーを持って想像したことがなかったので、本当に何も知らないのだった。

古い土地の権利証で判明した新事実

噂に聞く相続税を払わなくてはならなくなるのだろうか。調べてみると相続税の基礎控除というものがあることを知った。基礎控除額の計算式は3000万円+600万円×法定相続人の数。法定相続人は母と私なので、相続財産が4200万円までは相続税はかからないことを知った(2021年7月1日現在)。

父は大した流動資産を残しておらず、到底その金額に届くような現金は残っていない。おまけに生命保険にすら入っていなかった。

残る資産は不動産である。金庫の奥から昭和の時代の古い登記済権利証書を引っ張り出して見てみたところ、建物は父の名義だったが、なんと土地は母親のものだということがわかった。代々の土地を、若い頃に祖父から贈与されていたのだ。

実家を売却したくても簡単にはできない

帰る人のいない実家なら、お金をかけて維持するよりさっさと売却してしまったほうがいい。そう忠告してくれる人が多かったのだけれど、ここでそれがほぼ不可能だとわかった。なぜなら、認知症という診断のついた母の土地を、家族といえど私が勝手に売ることはできないからだ。

私が実家を売却するには、成年後見制度の1つである「法定後見制度」を利用するしかないようだ。法定後見制度とは、本人の判断能力が不十分になった後に、家庭裁判所によって選任された人が本人を法律的に支援する制度のこと。私ではなく第三者である弁護士、司法書士、社会福祉士などが選任される可能性も高いと聞く。

その場合、私が実家の財産を管理することは一切できなくなり、法定後見人が許可しなければ母の預金を触ることも実家を売却することもできないとわかった。しかも母が亡くなるまで毎月、後見人には月に数万円の報酬が発生するという。

賃貸や民泊にすると多額の税金がのしかかる

実家を誰かに貸したりAirbnb(エアビーアンドビー)などを使って民泊に利用したりしてはどうかという案を出してくれる友人もいた。築45年といえど、軽量鉄骨気泡コンクリート造りの実家はまだ丈夫そうに見える。さすがに水回りの劣化は激しいけれど、一部をリフォームすれば賃貸に出したり民泊に利用したりできそうに思えた。

しかし調べるうち、通称「空き家特例」という相続税に関する特例があることを知った。建物の建築年や特例そのものの期限はあるけれど、親が亡くなったときに家屋や敷地を売却する際、譲渡所得から3000万円を控除するというものだ。これを利用するとしないとでは所得税の金額にとても大きな差が出てくる。

ただしこの特例を利用するためには、その家に最後に住んでいた人が持ち主、つまり実家の場合は母でなければならないという条件がある。誰かに貸したり私が住んだり事業に使ったりしたら、払わなくてもよかったはずの多額の税金を納めることになるのだ。

……どうすりゃいいのよ。

母が存命中は、このまま実家を維持し続けるしかないのだろうか。私はひとり、頭を抱えてしまった。

実家売却時に知らないと損をする2つの特例

実家を所有していた親が亡くなった場合、建物と土地の所有権移転の登記を行わなくてはなりませんが、この手続きは現在、義務化されておらず期限もありません。しかし名義変更を行わないと、時間がたち相続権の所有者が亡くなるなどして権利関係が複雑になっていき、相続時や売却時のリスクがどんどん増大するので、権利を持った人同士で早めに話し合い、手続きしておくほうがいいでしょう。

知っておいたほうがいい制度のひとつに、土地を相続するときに相続税を大幅に下げる「小規模宅地等の特例」があります。これは亡くなった人が住んでいた土地、事業をしていた土地、貸していた土地については面積が330平方メートルまで、一定の要件を満たす人が相続するときに宅地の評価額を最大80%減額するという特例です。

また、実家が空き家になり売却を検討する場合、1981年5月31日以前に建築された家屋であること、最後にその家に居住していた人が被相続人であり、その後相続人が居住や賃貸用として使用していないなどの一定の条件の下、譲渡所得から3000万円を控除する特別控除(通称「空き家特例」)を利用できる場合がありますが、この制度自体に期限があります。

どちらも条件が複雑なので、自分が当てはまるか専門家に相談することが必要です。

こういったさまざまな制度を知らないと慌てて自宅を賃貸、売却するなどして税金面で不利になりかねません。親の死後に実家の管理や建物と土地をどうするかは早めに情報収集して検討を始めておくのが大切です。

[エディター、エッセイスト 如月 サラ]

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