2018年のエンタテインメント界は、DA PUMPが席巻した。『U.S.A.』のダサカッコいい「いいねダンス」と、つい口ずさんでしまう軽快なユーロビートに乗って、彼らは復活を遂げた。『NHK紅白歌合戦』には16年ぶり、文句なしの選出である。
2009年に加入し、今回紅白に初めて出場するメンバーのDAICHI(ダイチ、30)には、ブレイクを支えた女性がいる。
イメージカラーから「ピンクの人」として注目を集めるDAICHIは、幼いころ、DA PUMPに憧れてダンスを始めた最年少メンバーだ。「和ませ担当」としてかわいがられる弟キャラらしく、彼女は10歳年上の “セレブお姉さん” だった。
「お相手は40歳の公認会計士。高級マンションに住み、高級車に乗るキャリアウーマンで、仕事ぶりは確か。2人は近い将来の結婚を見据えて、真剣に交際している」(2人を知る関係者)
12月上旬、都内でおこなわれたDA PUMPメンバーとスタッフの忘年会にも、女性は姿を見せていた。ISSAの誕生日祝いを兼ねた会がお開きになったのは、深夜3時。
DAICHIと女性、YORI(38)の3人で、DAICHIの運転する車に乗り込んだ。車に向かうDAICHIと女性の手はつながれていて、ラブラブっぷりを見せつける。
途中でYORIを降ろし、向かったのは女性の住む都内の高級マンションだ。車を降りた2人は、部屋へと消えたのだった。
(週刊FLASH 2019年1月1、8、15日合併号)
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戸田恵梨香(30)が主演を務め好評を博したドラマ『大恋愛~僕を忘れる君と』(TBS系)の打ち上げが12月14日、都内のレストランで行われた。
「最終回の放送日だったこの日、戸田、ムロツヨシ(42)ら出演者は、打ち上げ会場で放送を鑑賞しました。戸田とムロは以前から仲が良く、常に雰囲気のいい現場でしたが、それが高視聴率につながりましたね」(番組関係者)
最終回は視聴率13.2%と、有終の美を飾った。
放送終了後に、近くのメキシコ料理店に場所を移した宴を、戸田が後にしたのは午前2時半ごろ。店を出ると、鼻をすすりながら目に涙を浮かべた戸田は、馴染みの女性スタッフとハグでお別れ。最後は、見送りのスタッフたちに深々とお辞儀をして会場を後にした。
「戸田さんは交際していた俳優の成田凌と、10月に別れたと伝えられています。次の大きな仕事は、次秋からの朝ドラ『スカーレット』のヒロイン。恋人と別れ、4月からは撮影のおこなわれる大阪に引っ越します」(芸能関係者)
女優デビュー作だった2000年の朝ドラ『オードリー』ではヒロインのオーディションに落ち、小さな役での出演だった。そこから18年間で、大きく成長した。
「役者としての第2章のスタートだと思ってこの作品に入りましたが、『大恋愛』を私の代表作のひとつにしたいと、今思っています」
『大恋愛』のクランクアップでは、こうコメントした戸田。代表作も得て、朝ドラでまた来年、大きく飛躍する。
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「現代のベートーベン」佐村河内守氏(55)を醜聞が襲ったのは、2014年2月。自作のはずの曲はゴーストライターによる代作で、「まったく聴こえない」とされた耳も、難聴であるが、聴こえていると暴露されたのだ。
真っ最中だった全国ツアーは中止。公演を企画した大阪市のS社から損害賠償訴訟を起こされ、2017年、約4230万円の支払いを命じられた。
神奈川県に所有する74平方メートルの自宅マンションは差し押さえられ、2018年6月に強制競売開始が決定している。12月上旬、『週刊新潮』の取材に応じた佐村河内氏は騒動の後、ずっと家にこもっていたと告白している。
本誌がマンションを訪ねると、ベランダに姿を現わした佐村河内氏はタバコを一服して部屋に戻った。後日あらためて訪問したが、インターホンに反応はなく、取材申し込みの手紙にも、締切りまでに返答はなかった。
S社の代理人弁護士は本誌の取材に「もう少しで、次の所有者が決まりそうな状況です」と明かしており、マンションを手放すことになりそうだ。
じつは佐村河内氏、最近プロレスラーのザ・グレート・サスケのテーマ曲を作曲したというが……茨の道は続く。
(週刊FLASH 2019年1月1、8、15日合併号)
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左から誠子、渚
2018年、女性芸人の出世頭だった尼神インター。コンビでの活動はもちろん、誠子は「かわいこぶるブスキャラ」でバラエティを賑わせ、渚はドラマに出演し、ピンでの活躍もめざましい。
そんな最旬の2人が、尼神インターの誕生秘話と、「女コンビ芸人への愛」を語り尽くした!
――お2人が芸人になったころに比べて、女コンビが増えているという実感はある?
誠子「ありますね。NSC(よしもとの養成所)を出てすぐ劇場のレギュラーメンバーになれたんですが、当時はアジアンさん以来、10年ぶりの女芸人レギュラーだったんです」
――養成所で知り合ったそうですが、入学時からピンではなくコンビでと思っていた?
誠子「漫才がやりたくて、誰かと組もうと思っていました」
渚「私はNSCで何をするかもわからずに入ったので、何も考えずに流れにまかせていましたね。ネタの練習のためには、ネタ見せに出ないといけないと知って、自然と誰かと組むことを考え始めました」
――男性とコンビを組もうとは考えなかった?
誠子「学生時代から男性に免疫がなかったので、どう話していいかわからなくて。漫才自体が初めてなのに、男性としゃべるネタは思いつかなかったですね」
渚「男女にこだわらず、おもしろいと思った人と組もうと思っていました。相方がそのとき、中国の方とコンビを組んでいて、おもしろかったので声をかけたんです」
誠子「日本語がしゃべれて、めっちゃブスで、めっちゃ明るくておもしろい女のコで。
逸材やったんですけど、急にビザが切れたから帰国すると言われて。『イイ思イ出ニナッタヨー! アリガトネー!』と帰っていきました(笑)」
――女芸人であることでやりやすさ、やりにくさはある?
誠子「女芸人自体の注目度が高いことはありがたいですね。たくさんいたから、ボケがかぶったりしてやりにくいかと思っていたんですが、意外とみんなたくさん『ブスボケ』を持っていて(笑)。体型であったり容姿であったり。女芸人ってけっこう幅広いんやなって」
渚「芸歴1、2年めのころに、『目標にしている女芸人は?』と聞かれても答えられなかったんです。オアシズさんくらい先輩だと、世界が違うように思えて。どの人をお手本にしたらいいのか……という意味では、しんどいと思うこともありましたね。
でも、途中からそれがラッキーだと思えるようになったんです。誰もいないなら、ジャンルを作って先頭になればいい。
大阪の劇場で一緒にやってきたガンバレルーヤや、ゆりやんレトリバァ、紅しょうがとか、そういう仲間が増えたら嬉しいし、少なければ『自分』というジャンルが作れる。
今それを作っている最中だと思っているので、こういうやり方もあるんだと、後輩に見せられたらと思っています」

――「女なのに体を張る」や「ブス」という出方以外があっていいですよね?
渚「絶対そう。無理しないというか、へんにキャラを作るのではなく自分たちの持っているものを最大限に出す。持っているものを伸ばすほうが絶対にいいし、楽しくできる」
――以前、女芸人の方に「女芸人は共闘しないとやっていけないので、女芸人同士でライバルはいない」と言われたことがあるのですが、ともに戦っているという意識はある?
誠子「たしかに男芸人と比べて、『女芸人を盛り上げていこう』と、女芸人全体で考えているかもしれません。
大先輩のハイヒール・リンゴさんが、東京と大阪で『女芸人大祭り』というイベントを立ち上げてくださっていたりして。リンゴさんに影響された面もあるかもしれません(笑)」
渚「東京で朝から情報番組に出た後、夜に渋谷の劇場でイベントをやってくれてますからね。むちゃくちゃ元気! バリバリですよ(笑)」
――最後に「女芸人」と呼ばれることについてどう思う?
誠子「イヤだと思ったり、気にしたことはないですね。こうやって特集していただいたり、女芸人イベントができるのも嬉しい」
渚「『女芸人枠』があるから番組などに呼んでもらえることはラッキーだと思います。でも、一般の方の『女芸人だから〇〇だ』みたいな決まった解釈の仕方は正直好きじゃないです。
需要がそうなのかもしれませんが、女芸人だったら美容ロケ、みたいなのも苦手で。だからこそ、違うところを伸ばさないといけないなと思っています」
あまこういんたー
(よしもとクリエイティブ・エージェンシー所属)
せいこ 1988年12月4日生まれ
なぎさ 1984年8月6日生まれ ともに兵庫県出身
2007年コンビ結成。バラエティ番組に多数出演するほか、今秋、渚がドラマ『僕とシッポと神楽坂』(テレビ朝日系)に出演
取材・文 松田優子
(週刊FLASH 2018年12月18日号)
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テレビ東京の若手エース「鷲見玲奈アナ」と、テレビ朝日の新星「三谷紬アナ」。いま、女子アナファンを賑わせる「2大ピチピチ女子アナ」の実力を比べる5番勝負を、とくとご覧あれ!
●アナウンス力対決
「2人ともフリートークは明るく申し分ないですが、『報道ステーション』お天気コーナーの三谷アナは、口の開きが小さく、声がちょっと固い印象。
才媛のイメージですが、もう少し丸く温かみのある声が出せるといい。フリートークでの口の開きのまま、お天気を伝えられれば、印象が変わると思います」(NPO法人「日本スピーチ・話し方協会」代表の大橋照子氏)

対する鷲見アナは、3歳から学んでいる詩吟が効いている。
「磨かれた声という印象。4年の経験差を考慮しても、鷲見アナが一歩リードしています」(同前)
ということでこの勝負、鷲見アナの勝ち!!
(増刊FLASH DIAMOND 2018年11月10日号)
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12月15日から16日にかけて、俳優の田中圭が24時間でドラマを作っていく特別番組『田中圭24時間テレビ~24時間生放送しながらドラマは完成できるのか?!~』(Abema TV)が放送された。
番組は、ブレイクのきっかけ『おっさんズラブ』(テレビ朝日系)で共演した吉田鋼太郎からスタートし、女優の吉田羊、歌手の和田アキ子など総勢30名以上の豪華メンバーが集結した。
そのなかに大相撲の豊ノ島の姿があった。2人は大の親友なのだという。
「男として普通にカッコイイですよね」
撮影、豊ノ島のことを涙ぐみながら語った田中。豊ノ島は2016年にアキレス腱を断裂し、4場所で幕下まで落ちた初めての力士になるなど、引退の危機に陥っていた。
2人は双方の奥さんを通じて7年前に出会い、今では田中は豊ノ島の本名の梶原から「梶やん」と呼ぶほど。豊ノ島は「圭くん」と呼んでいるという。
「ふだん話もするし、仲良くさしてもらってるから、テレビの活躍を見ると、やっぱりいいなと思いますし、じゃ俺も頑張ろうと思いましたね」
2018年の田中の活躍を見て、モチベーションが強くなったと語った豊ノ島。11月場所では11勝4敗と勝ち越すなど、奇跡の復活を遂げた。
実は、ケガをする前、豊ノ島は芸能界入りするかどうかを悩んでいた。白鵬が中心となって芸能プロが作られ、そこに豊ノ島が所属するとの報道もあった。
田中は芸能界入りを賛成するも、豊ノ島が本当に相撲が好きなことを知り、結果、相撲を全力で応援することに。豊ノ島が入院した際は、田中は見舞いに行って励ましたという。
「どっちかっていうと僕が刺激をもらっていたので、職業は違うけれども、あんまり関係ないじゃないですか」
お互いに刺激しあい、2018年に活躍した両者。来年もその活躍に期待したい。
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昨年末の仮想通貨ブームに「乗り遅れるな!」とばかりに、虎の子をつぎ込んだ人も多いはず。その後の大暴落で、彼らはどうなった?
漫画家のたまきちひろさんは、2016年11月に知人の元証券マンにすすめられ、初めて仮想通貨を購入した。
「当時、1ビットコインが8万円くらいでした。投資やギャンブルには興味も経験もなかったんですが、『非中央集権(国家のような絶対的な管理者が存在せず、ブロックチェーン技術によってビットコインの保有者全員が取引記録を管理する方法)』というシステムにときめいて、保険を解約し、貯金と合わせて200万円をぶっこみました」
その後、投資先の仮想通貨をビットコインからイーサリアムに乗り換え、順調に資産を増やしていった。ほかの仮想通貨にも手を伸ばし、2017年末に資産1億円を突破したところで、本誌の特集に登場していただいた。
さらに2018年1月には、総保有額が2億円にまで膨れ上がったという。
「一瞬ですけどね。その後すぐに大暴落しちゃいましたから。でも200万円が1年あまりで100倍ですから。私の場合、始めた時期がたまたまよかったんだと思います」
ほかの人たち同様、大暴落により、資産は一気に縮小。現在の保有額は、なんと約1000万円にまで減少してしまったという……。
「でも、原資の200万円はすでに2017年の時点で現金化しているので、今持っているのはオマケみたいなものだと思っています。
最近は、値動きもぜんぜんチェックしてないんですよ。この取材があるので久々に見てみたら、あまりに減ってるんで、びっくりしちゃいました(笑)」
とはいえ、一時は2億円もの資産を手にしていた、たまきさん。「あのとき、現金化しておけば……」とは思わなかったのだろうか?
「そういうことも、ちょっとは思いますよ。でも、もともとこんな値上がりを期待していたわけではなく、仮想通貨の将来性に投資したわけですから」
1年前の急騰ぶりは、やはり異常だったと感じている。
「完全な期待上げですよね。だから、これだけ下げるのも当然だとは思うんですけど、かといって今が適正価格かどうかもわかりません。
結局、仮想通貨の適正価格なんて、誰にもわからないんですよ。ただ、2018年は大幅に値下がりしましたけど、技術的には進歩しています。
世界的に見ても、アメリカでは仮想通貨やブロックチェーンに参入する企業はどんどん増えています。だから、私はまだ仮想通貨に期待しています。この後、仮想通貨がどうなっていくのか。ことの顚末を見届けるつもりです」
(週刊FLASH 2018年12月25日号)
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創建1300年の宝雲山来振寺は、岐阜県揖斐郡大野町の深い山間に立つ古寺だ。しかし、閑静な佇まいとは裏腹に、一種異様な光景が広がっている。
広大な敷地の一角に、さまざまな形をした膨大な数の墓石が、あたかも亡霊のように群れをなしているからだ。
「ここには約5300基ほどあります。これらは、石材業者が墓地を解体・撤去した後に排出された墓石を引き取ったもので、魂抜きの法要をおこなった後、保管しているんです。そしてこれらは、納石堂を建立後、一カ所に集めて供養します」
住職と親戚関係にある「墓石・墓標永代お預かり業務」の日輪・森雅彦代表は、このように語る。ここはまさに、「墓石の墓場」。森氏によると、いまや急速に墓離れ、墓じまいが広まっているという。
「背景には少子高齢化による人口減少で、墓地を受け継ぐ後継者がいなくなったこと、都市への人口流出による集落の崩壊、樹木葬、散骨など葬送儀礼の簡素化、地域への帰属意識の希薄化などさまざまな要因があります」(森氏、以下同)
先祖の墓の維持が物理的に困難になったり、墓石自体を必要としない遺族が、遺骨を引き取り、墓石を撤去してほしいという依頼が急増しているというわけだ。
実際に、森氏が引き取ったなかには、先祖代々の墓石、あるいは陸軍歩兵特務曹長、海軍一等水兵などと刻まれ、本来なら日本のために戦った英霊として末永く供養すべきでは、と思わせる墓石もある。
しかし、無縁化した墓石は、建設廃材や鉄くず同様、もはやただのゴミでしかない。そのため廃棄後の墓石は、石材業者によって細かく粉砕され、道路の路盤材や埋め立てに使われるケースが多いという。
「ただ、うちは引き取った墓石は廃棄処分をせずに、そのまま永代供養しています。ここがほかの業者とは違うところです」
墓離れ、墓じまいの増加に比例して、石材業界の解体ビジネスは、今後ますます需要が伸びることが予想される。先祖供養の在り方が問われ、大きな転換期に差しかかっていることを物語っている。
取材&文・岡村 青
(週刊FLASH 2018年11月6日号)