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産婦人科専門医として日々の診療を行いながら、スポーツドクターとして女性アスリートの支援やヨガ指導者の育成に携わり、さらには働く女性の健康を守る産業医としても活躍している高尾美穂さん。こうした多彩な役割を担うに至った道のりを振り返っていただくと同時に、中高時代に心がけておきたいことなどをお聞きしました。
信頼される人になりたい その思いがすべての原点
──どのような子ども時代を過ごしたのですか。
高尾 勉強も運動も得意な活発な子どもでした。小学生の頃は夏休みになると毎年、7歳上の兄はボーイスカウトへ、私はYMCAのキャンプに参加していました。例年、1週間程度のキャンプなのですが、小学4年生のときは、どういうわけか親から夏休みの日程全部を使ったロングキャンプへの参加を勧められました。
実はこの間に母親が乳がんの手術をしており、帰宅してから私だけ知らされていなかったことがわかりました。
──心配をかけないための配慮だったのですね。
高尾 今、振り返れば、思いやりから出たことだったとは理解できますが、当時の私は、自分だけが信頼されておらず、子ども扱いされたのだと感じました。同時に、自分自身がもっとしっかりして、大事なことをちゃんと話してもらえるような信頼される人になりたいと強く思いました。この思いが現在まで続く、私の原点ともいえるようなものになっています。
いじめをやり過ごし 勉学に集中
──中高時代はどんなことに力を入れていましたか。
高尾 中学受験のない国立の小中一貫校に通っていました。勉強はよくできるほうで、大手塾の全国模試ではほぼ毎回1位、通知表はオール5が当たり前でした。ところが、中学に入ると、中学受験で入ってきた人たちと一緒になります。県内の進学校に進むには、非常に高い内申点が必要であり、そういうルートを目指している人たちにとって、私はあまりおもしろくない存在だったのでしょう。中学3年生のとき嫌がらせにあいました。当時はいじめという言葉はありませんでしたが、あとから考えるといじめだったと思います。
──どう対処したのですか。
高尾 部活もしていたので、クラスでそういう嫌がらせはあったにせよ、人間関係ではそんなに困っていませんでした。それに私とは同じ高校に行くことはないと思っていましたから、中学時代さえやり過ごせばいいと、余計に勉強に力を入れるようになりました(笑)。
想定していなかった 産婦人科医を目指す
──医師を目指したのはどうしてですか。
高尾 医者に強い憧れがあったわけではありません。本はよく読むほうで、チェーホフが好きだったので、文系に行くならロシア文学を学びたいと思っていました。ただ、母方の伯父が医者で、家によく出入りしており、家にもシュバイツァーの本など医学で人の助けになるような本がたくさんあったこともあって、理系なら医学部に進もうと思っていました。
──産婦人科医になりますね。
高尾 実は、産婦人科はまったく考えていませんでした。ところがインターンで配属されてみると、赤ちゃんから高齢者まで非常に幅広い年齢層の患者さんを診ることができ、しかもライフステージのいろいろなポイントで関わることができる診療科であることがわかりました。
しかも、当時、女性の産婦人科医は2割程度しかいなかったため、産婦人科なら女性医師としてもニーズがあり、同じ女性として女性の健康に貢献できるのではないかと、産婦人科医になることにしました。
睡眠時間の確保のため 働き方を変えた
──大学の医局から現在のクリニックに移りました。
高尾 大学院での医科学者としての期間を経て、大学病院で産婦人科医として勤務していました。当時は、夜中に当直をして翌日に診療とオペを行い、そのまま次の当直へという生活も余裕でしたが、30代半ばを過ぎる頃から昼間のパフォーマンスが低下していることが気になりはじめました。ある程度の運動習慣があり、食生活にも問題はありません。原因は睡眠時間でした。
──睡眠時間を確保するために医局を辞められたわけですね。
高尾 ただでさえ産婦人科医不足が叫ばれていた頃ですので、なかなか言い出せませんでした。しかし、いずれは深夜のお産に立ち会わなくてすむ働き方やライフスタイルにシフトしなければならないと思っていました。そこで、大学院でお世話になった教授の退官に合わせて、辞めることにしました。
臨床を大切にしながら スポーツドクターへ
──クリニックの診療以外にもさまざまな活動を行っています。
高尾 産婦人科医の仕事は、いろいろなことで困っている女性の患者さんを、どうにかして良い方向に変えていくことです。ですから現在でも、クリニックでの臨床の現場を一番大切にしています。
一方で、臨床以外の場でも産婦人科医としてできることはあるはずです。女性の体は周期的に変化しますし、それが生活やさまざまな面に影響を及ぼすという現実があります。そのあたりで何か貢献できることがあるのではないかと考えました。
──それがスポーツドクターだったのですね。
高尾 女性アスリートは、同じ運動をしても、調子が出るときと出ないときがあります。現在では比較的よく知られるようになってはいるものの、隅々まで理解が行き渡っているとはいえない面があります。そこで、スポーツドクターの資格を取り、何とか活動できる場を手に入れて、女性アスリートを支援する形をつくることができました。
──ヨガの指導者も養成しています。
高尾 アスリートのようなアクティブな運動は長く続けることはできません。しかしスポーツドクターとしては、多くの人に運動習慣を持ってもらうことも重要な使命のひとつです。そこでもっとハードルが低い運動としてヨガに注目しました。自分も20年以上ヨガを実践してきた経験から、ヨガの指導者にも医学的な裏付けのある指導をしてもらおうという思いで活動を行っています。
すべての女性に ちょっといい明日を
──働く女性を応援する活動も行っているそうですね。
高尾 人口減により、2000年から2020年にかけて働く女性の数が340万人増えました。ところが女性が働きやすい環境整備はまったく追いついていません。
働く女性には①PMS(月経前症候群)や月経痛など月経にまつわる悩み、②妊娠・出産・子育てがキャリアにはマイナスに作用、③子宮頸がん・乳がんのリスク、という、男性の人生において出合うことのない3つの大きな落とし穴があります。
そこで、この落とし穴を埋め、困っている女性に対する外来へのハードルを下げ、長い人生の質を落とさないですむような知恵を、医師の立場から伝えていけるような「働く女性のための産業医」という仕事にも力を入れています。
──どのお仕事も女性の応援につながっています。
高尾 すべてに共通するのは、女性に自分自身が思い望むような人生を過ごしていただきたいという願いです。困難な状況はそれぞれ違っているでしょうが、どの女性もちょっといい明日を過ごすことができるようにと、そんなことを願っています。
可能性は360度 ぜひ挑戦してほしい
──新中学1年生になる生徒にメッセージをいただけますか。
高尾 すべての出会いを無駄にしないようにしていただければと思います。知的好奇心は机上の勉強だけでなく、あらゆる経験から育てることができます。可能性は360度あるのですから、やりたいことには何にでも挑戦してください。勉強に関しては、解けない問題に出会ったときこそがチャンスです。どこまでも自分自身が"納得できる答え"を探し続けてほしいと思います。
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産婦人科医 運動指導者養成/婦人科スポーツドクター 高尾 美穂さん(Miho Takao)…愛知県生まれ。愛知医科大学医学部卒。東京慈恵会医科大学大学院修了。同大学附属病院産婦人科助教、東京労災病院女性総合外来などを経て、女性のための統合ヘルスクリニック イーク表参道の副院長。医学博士・産婦人科専門医。日本スポーツ協会公認スポーツドクター。ヨガ指導者。著書に『超かんたんヨガで若返りが止まらない!老けたくないなら、骨盤底筋を鍛えなさい』など。