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「壊すことを恐れるな」初のオンラインライブに挑む長渕剛 コロナ禍だからこそ燃える表現者の魂

2020年8月20日 11:00 LINE NEWS編集部

伝説の富士山麓オールナイト・ライヴから丸5年となる2020年8月22日、初のオンラインライブを開催する長渕剛。世界が新型コロナウイルスに翻弄される中で、長渕剛は何を感じ、何を思うのか。そして、デビューから42年。飽くなき挑戦を続ける原動力はどこにあるのか。熱い思いを聞いた。


こういう時にこそ燃えるのが表現者


ーー新型コロナウイルスの感染が拡大して半年ほどが経ちます。この半年間、長渕さんの頭の中に居座っていた考えとは何だったのでしょう。

長渕 : 会いたい人に会えない、国への不信感、それから、将来への絶望です。とてもしんどい。しんどいけれど、表現者って、こういう時にこそ燃えるわけです。希望なんて容易く語れません。

一方で、絶望は瞬時にやってくる。その次の瞬間、表現者は動き出す。モノを作る人間にとっては絶好の課題と言うか、神様から「お前どうすんの、動くの、動かないの」ってナイフを突きつけられる。鋭利な刃物に対して、鋭利な感覚を突き返したくなるんです。

ーー絶望って、目の前に来ると避けたくなりますね。直接、受け止めるのは怖いので。

長渕 : 切羽詰まってる時にどう動くのか。崖を確認して、そこに向かっていく。これが自分の生きる術なんです。東日本大震災以降、僕たちはいくつかの死の淵を泳いできたわけですが、今こうして自分が死なずにいるのならば、何かをやらなければいけない。

ーー今回の新型コロナウイルスによって、誰にとっても、「死」という存在が急に近づいてきました。でも、その距離は見えません。とても近いと怖がる人もいれば、こんなの大丈夫だと遠ざける人もいます。

長渕 : どう捉えていいかわからないという不安感があるから、みんな殺伐としている。「あやふやな死」なんです。でも、「あやふやな死」こそが現代ではないかと思う。自然の中には多くの「当たり前の死」がある。生き物が自然の中で死んでいく。夏ならば、蝉が死に絶え、亡骸になっている。そういったものが、この人間社会、コンクリートの中では封印されてきた。

ーーこういう事態になり、文化芸術が後回しになった感覚があります。具体的に言えば、国として十分な支援をしようとはしませんでした。

長渕 : あれはおかしい。ただ、おそらく、自分も含めてかもしれないけど、文化芸術に携わっている芸能も含めて、レベルが低いと思われている。結局、茶化す材料だったんです。

でも、その中で見てきた人からは「本物を探し当てたい」という叫びが聞こえる。ならば、本物を作るぞと切り替える。僕はずっとクソ生意気なことばかり言ってきました。テレビに出ても、「このテレビ番組はクオリティが高いね」なんてわざわざ言ったり。大した水準に到達してないくせにそんなことを言っていた。だけども、その青年が高みを目指してたってことは事実なんです。

ーーその時の長渕剛に対する信頼って、今の長渕剛には強くあるんですか。

長渕 : すごく強いですね。同時に、俺はお前を裏切ってないぞ、と。コロナという得体の知れない生き物が我々に向かってきた今、再びあの時の長渕剛に問われている感覚があります。

ちょっと前までなら許していたものを、なんだこれ、クソだな、と許さない自分がいる。切り詰めて考え、命の断片を切り刻んでそれを作品に付着させる。それは当たり前のことだったはずなんです。


いい子になるな 暴れられるのは若者の特権


ーーこの数ヶ月、軽薄な言葉ばかり聞いた気がします。政治家もそうですが、メディアも同じです。手洗いは必要だけど、誰それの手洗い動画ばかり見せられました。

長渕 : 時代というのはどんどん変わるんだけど、本質は変わってないと思うんです。プロレタリア文学が盛んだった時代では、詩人たちが力を持っていた。統制されながらも書いた。すると民衆が「こっちが真実だ」と運動を起こした。それくらい、言葉の力、詩の力があった。

今、メジャーレコード会社が美味しい話を持ってきて、こういう感じで書けば売れるよ、なんて誘われる。こんないい時代はないのかもしれない。でも、作家として、表現者としてどうなのかって問い質した時に、「お前じゃなくてもいいんじゃない」ってことにもなる。生きることも、表現することも、ザラザラした感覚を持ち、爪をひっかくような作業をしなければいけないはずなんです。

ーーこういうとき、戸惑いを表明してくれる表現者が少ない。できるかぎり、爽やかに、感動的に、サラリと乗りこなそうという人たちが目立ちますね。

長渕 : いい子になっちゃっていますね。もっと暴れたらいい。若者の特権というのは、大人の言うことを聞かずに、俺は俺のやり方でやるんだ、冗談じゃないよと意気込むこと。敷いたレールを壊すし、壁があればぶち壊していく。中には、そういう人がいるはず。それをもっともっと大人達が拾い上げて、次の時代に放り込まなければいけないんですね。

ーーなぜそうならないんですか。

長渕 : 怖いんじゃないですか。保身ですよ。お金が欲しい、有名になりたいが先なんです。それは悪いことじゃないんですよ。でも、俺の叫びは、有名になりたい、金が欲しいじゃないんです。いい子になっていれば、もっと楽な暮らしができたかな、なんて思うんだけど、やはり嫌ですよ。

今回、人と人の触れ合い、人の優しさが色濃く見えた。医療従事者が、目に見えない得体の知れない不安よりも、目の前の倒れた人間の手を取っていた。人間の当たり前の優しさが心の中に兼ね備わっていると知れば、希望が見えてくる。

家の庭でウグイスが鳴いたんです。今まで聞こえもしなかった鳥たちの声です。人間の動きが止まったことで生き物が生き生きとする。40年間、東京で生きてきて、本当の快晴ってこんな空の色をしているんだと思った。かつて、父母と見た夏の空の匂いが帰ってきたんです。


最前線で命を守る医療関係者たちのプライド


ーー「10万人オールナイト・ライヴ2015 in 富士山麓」から5年が経ちますが、あのライブの1曲目は「JAPAN」でした。「Where are you going?」、日本はどこへ行くんだ、と問いかけた。あれから5年、日本はどう変化したと見ていますか。

長渕 : 両極です。ますます悪くなっているという見方と、その裏側で、本当の価値、本当の真実というものを追求して生きる人が増えてきたという実感もある。

これまで日本は、戦後の復興から、原発であろうが何でもかんでも信じて、エッサエッサと頑張ってきた。日本中に新幹線や高速道路が敷かれた。便利になったけど、いよいよ資本主義社会の末期に入った時に、「で、どういう風に生きればいいのか?」と困惑した。

長渕 : 東日本大震災、熊本地震、そしてコロナウイルス、その度に「立ち上がろう」と言われる。僕は思うんです、もう立ちあがってるよ、と。その中でも、先頭を走っていく集団がいる。今回であれば医療従事者です。

白衣のプライドで、特に、若い人たちが最前線で命を守っている。マザーテレサは有名になりたいから、あるいはお金が欲しいから子どもたちに献身したわけではないんです。彼女は「私はその場所にいることが好きだった」と述べていた。

資本主義はお金をメーターにする。お前は偉い、偉くないと言いながら社会や国を作っちゃうと、どうしてもその中に埋没しちゃうんですよ。いかに初期衝動を保ち続けていられるか。

ーー初期衝動があると言っても、「そんなことはいいから、仕事してくれ」と言われてしまう社会です。長渕さんの音楽を聴いてきた人は「長渕剛という人間はずっと初期衝動を持ち続けている人だ」と思っているはずですが、聴く側が同じように持てているとは限りません。残酷ですが、距離が広がっているのかもしれません。後ろを振り向いた時に、意外とついてきてくれてないな、と寂しさを感じたことはありませんか。

長渕 : 何回もあります。それはとても寂しいことです。自分は目線の低さを大切にしてきた。地に足をつけている人たちの考え方を知ろうとする。30代のころはスター気取って、地方行くのに高級車乗ってね、でも、ちっとも幸せじゃなかったんです。本当に窮屈でした。

40代になって、上野の高架下のトレーニングジムに入ったんです。「僕、 VIP ですよね」ってな感じで偉そうな態度でした。そこには、老いも若きもいろんな奴らがいてね。俺、有名人じゃないの、なんて気持ちが一気に折られるんです。ジムには体の不自由な人もいてね、みんな同じフィールドの中にいた。

アメ横で「いらっしゃいいらっしゃい」とイカした喉で叫ぶ、ブルースシンガーのような親父がいた。自分が、特別感を持ってる嫌な野郎だなって気づかされたんです。そこで、自分の足場、目的意識を再認識したんです。

ーー2017年にリリースした『BLACK TRAIN』にある「Loser」という曲では、敗者だが拳をあげる、敗者ならではの拳のあげ方がある、と歌っていましたね。地に足をつけて、拳をあげている敗者でありたいと。

長渕 : その敗者は豊かなんですよ。登っていけば登っていくほど、周囲は本当の事を言ってくれなくなります。そのうちわかってくるんです。ああ、こいつ、今、本当の事言ってないなと。

ーー今、コンプライアンスだとかタブーだとか、「とりあえずこういうのはやめておいたほうがよさそうだ」ということが色々なところから出てきますね。それって、長渕さんにとっては、興奮することですか。それとも恐怖ですか。

長渕 : 両方ありますね。下手すりゃ潰されますから、そのせめぎ合いはありますよね。ただ、なにを言われようとも、「いや、俺は歌うよ」って、それは守ってきた。

反社会的という言葉がありますが、言ってみれば、社会があるから反社会がある。逆に、反社会があるから社会なんです。この「反」を失ったら、表現者はやがて全滅します。「反」を十把一絡げに括ってはいけない。


最後は裏切ってやろうと思います(笑)


ーーそういえば、今回は、LINE LIVE-VIEWINGに向けたインタビューですが…。

長渕 : すっかり忘れてた(笑)。今回、医療従事者のことを考えたり、その上での自分に何ができるかを考え続けている最中に、LINEから話が来た。一度会ってみるとね、そこに若い集団がいたわけです。彼らはとんでもない奴らです、手におさまる小さなスマホの世界の中で大衆を支配している恐ろしい集団。でも、これこそ、私の求めていた相手、ぶつかっていくべき相手だと気付いちゃったんですね。

理屈抜きに、彼らの中に内在している反骨の魂、それは、僕らが生きてきた時代と形は違うけれども、同質のものがメラメラ燃えていた。よしこいつらとやろう、と思ったんです。俺をとにかく無茶苦茶に料理してみろと。

ーー翻弄されるというか、料理される側になってみる、ということですね。

長渕 : ワクワクします。で、最後、裏切ってやろうと思います(笑)。手の内をみんな暴露しあって、崖っぷちを楽しむんです。夜も眠れないぐらいに、ワクワクしているんですよ。

50歳過ぎてくると、なかなか出てこないんですよ、そういう奴らが。みんな保身ですから。彼らはちょっと違う。鹿児島の言葉で、とんでもないことをやらかす連中を「ぼっけもん」って言うんですけどね、って。彼らは「ぼっけもん」です。

ーー今回のライブは、お客さんを入れられない。しかし、360度巨大ビジョンを使いながら、お客さんとコミュニケーションをとっていくそうですね。これまで、何度も長渕さんのライブを見てきましたが、常に「お前に歌う」という直接的な会話があった。聴く方にも目があって肉体があるわけですが、今回はそれが難しい。なかなかしんどいことなんじゃないかなと想像しますが。

長渕 : 最初はそういう懸念もあったんですが、彼らと対話を重ねた今は、全くそういう不安がないんです。便利なものを使いつつ、どれだけヒューマニズムに食い込むことができるかの勝負です。そこをお互いに共有事項として進めていることにワクワクしています。

僕はカメラを向けられる。そのカメラの中に、僕を見ているたくさんの人たちがいる。カメラを人間とみなして対峙する。お前と向き合う、というテーマですから、僕の中ではコンサートと同じと考えています。でも、思いっきり滑るかもしれない。それが面白いんです。盛大に滑ったら、自分の看板降ろさなきゃいけなくなっちゃうかもしれない。それでも面白がる、これが一番素敵なんです。

戦々恐々としたこの時代をどう生きるか。ニュースを見ていると、一律に不安を投げかけてくる。その不安を受け止めた上で面白がろうぜという集団なんです。その想いが変えていくんです。時代を変え、文化を変える。変えるために壊していく。壊すことを恐れてはいけない。僕は今まで形成してきたものに興味はない。昨日やったことに興味はない。自分で自分を面白がる。それを世の中にぶつける。今度のLINE LIVE-VIEWINGは、そういう想いで臨みます。


「人を殺して死のう」という気持ちはまだちょっとある


ーー長渕さんのキャリアが後半に差し掛かっているのだとすれば、この先ご自身の終着地点というのはどれぐらい考えているものなんですか。

長渕 : 「もういいんじゃないかな」という時が来るんじゃないかと思うんです。僕が若い頃考えたのは「最後は気に入らない奴を殺して死のう」ということ。

ーーそれは物騒ですね。

長渕 : 僕は、三島由紀夫さんの自決に納得がいっていなくて。三島由紀夫ファンに怒られるかもしれないけど、あの人はあれだけパフォーマンスをして、美的センスも知性もあって、もっと社会を変えられたんじゃないかと思うわけです。だから自分から死ぬべきではなかった。

憎き体制側を一人殺して、それで自決すべきだったんじゃないかとか、そんなことをずっと夢想していて、最終的には380万円ぐらい出して日本刀を買いに行きました。警察にも届けを出して、日本刀をいつも磨いている時代があったんです。それが30歳ちょっとの時。

実は、同じ中学時代から音楽をやっていた友人が三日前に亡くなったんです。ああ人は死ぬんだなぁと。そうするとだいぶ実感が湧いてくるんですよ。いよいよ来たぞと。そうした時にまだね、「人を殺して死のう」という気持ちはちょっとあるんですよ。

長渕 : 死というものは最後の立派な表現なんです。 最後がんかなんかになって、病院で愛する妻や子ども達の手を握って死ぬのもいいかもしれないけど、表現者として生きるならば、もっと違う表現があるんじゃないか。

その時の体の状況や、時代という枠組みで自分がどうあるべきか、見えてくるのではないかと思います。自分の死という表現をどう落とし込んでいくべきかということは真剣に考えるでしょうね。その時は電話しますよ、「砂鉄、俺明日死ぬぞー、ちょっと来てくれないかー」と。

ーーその日はちょっと仕事が(笑)

長渕 : ほらね、こうやって裏切るんだよ(笑)。一緒に死のうって言われたらそりゃ断るだろうけど、「俺が今から最期に言うことを、どこかの雑誌に書いておいてくれ」って頼むから、その時は連絡するよ。


【聞き手 : 武田砂鉄 写真 : 七海麻子、西岡浩紀 スタイリスト : 松村純子 ヘアメイク : 古田夏奈子 衣装協力 : SJX、s.o.s fp】

長渕剛 LIVE-VIEWING 「ALLE JAPAN」

8月22日21:00から「LINE LIVE-VIEWING」で初のオンラインライブを開催!長渕を囲む360度巨大ビジョンをつかったダイナミックな演出で、これまでの幾多の伝説ライブとは異なった形の「新しいライブ」に挑みます。
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