都内のスタジオ。
CM撮影のセットに入ると、女優・松岡茉優の表情が変わる。
セットの壁に貼られた、マンガ「響」の名場面。
それを見ながら、吹き出しの中の「名言」を読み上げる。
カットの声。
せりふを言い終え、立ち止まった際の頭の位置が、想定よりもほんの少しだけずれていた。リテイクの求めに、ほほ笑んで応える。
立ち止まった際の足の位置を調整するのとは、訳が違う。
空中のどの位置に、自分の頭が止まるか。数センチ単位の調整は、最後は偶然にも頼るような作業だ。
10回を超えて、リテイクは繰り返された。
それでも寸分たがわぬ声色、テンションで演技を続ける。
そんな彼女が、セットの中で一瞬だけ「素」の表情を見せた。
壁に貼られたマンガのひとこまをのぞき込み、白い頬をほころばせる。
それは本当に、一瞬のことだった。
カメラの方を振り返った表情は、再び「女優」のものに戻っていた。
「このセットの山吹色の世界観、マンガ好きにはたまらないんです。大好きな1ページ、1ページがセット一面にある、誰もがあこがれる空間。だから、あっという間に時間が過ぎていった気がします」
撮影の合間、彼女はうれしそうに言った。
「だから今回のCM撮影は、私が一番気負わずにいられる時間と、お仕事のマッチングというか、融合というか。これがお仕事で本当によいのでしょうか、と思うくらいでした」
文字通り、目を輝かせる。
「絵が描けない身からすると、うらやましい限りです。例えば役のイメージに合わせたヘアスタイルを相談するときも、年齢、世代、趣味が違うと伝わらないんです」
「頭の中で考えていることを絵にできたらなと、いつも思います。イメージを形にするという意味で、女優とマンガは似ているようですけど、私が似ていると言うのはおこがましいですね」
女優としての声価は、この数年で一気に高まった。
それでも彼女は「おこがましい」と言う。
「毎回、自分にがっかりするんですよ」
深々と、ため息をつく。
「撮り終わった後、心底がっかりします。毎回。ヘタしたら1カットごとにがっかりしますし。ちょっと今回いけたんじゃないと思っても、試写でがっかりする」
苦笑いをして、気持ちを整理しようとしてみる。
セットの中のようには、うまくはいかない。
「たぶん、もっと自分ができるって過信をしているんだと思うんです。それは樹木希林さん、安藤サクラさんみたいな先輩がものすごくかっこいいから」
カンヌ国際映画祭で最高賞を受賞した「万引き家族」。
彼女は先輩2人に引けを取らない演技で、評価を高めた。
しかし本人が感じたのは憧憬(しょうけい)であり、絶望でもあったという。
「わたしもここまでいけるかも、って希望を抱いてしまうんですよね。全然いけないのに」
壁にぶつかった時、活路の求め方は、人それぞれだ。
とことん悩んでみる。人に教えを請う。壁を避ける道を選ぶ。
彼女はマンガを手に取る。
「何か吸収したい時に、あらためて読んでみたりします。というよりも、読みたい時が、吸収する時なんだと思います。そういう時には逆らわず読む。身体が求めている時には、読んだ方がいいなと」
マンガにしてもらっていること。
それは彼女にとって、非常に大きいという。
「影響を受けたマンガなら、たくさんあります。どれを挙げるか、となったら、さあどうしましょうってほどです」
セットの中で一瞬だけ見せた「素」の表情。
それが徐々に、垣間見えてきた。
「人生が変わったマンガだってあるし、考え方が変わったマンガもあります。大きな決断をしたきっかけになったマンガもある。強いて1つ挙げるなら、『ONE PIECE』」
語るスピードが、急に速まってくる。
「誰になんと言われようが、って誰もなんとも言わないですけど、でも私は世代が『ONE PIECE』世代なので。小学校からずっと読んできましたから」
愛する作品。
それについて語っているだけでも、言葉に生気がみなぎってくる。
彼女は畳み掛けるように、記者に逆質問する。
「キャプテン翼?ドラゴンボール?スラムダンク?」
好きだったマンガを聞いているのだろう。
スラムダンクと答えると、食い気味に返す。
「スラダン!ですよね!」
腕を組んで、何度もうなずく。
「そういう感じで、ありますよね。世代マンガ。私は『ONE PIECE』。80巻以上出てますけど、全部持っています。引っ越しのたびに、全部持ち運びますから」
なぜ、女優になろうと思ったのか。
壁にぶち当たった時に、何を思って乗り越えたのか。
人生の節目で、彼女の傍らにはいつも「ONE PIECE」があった。ヒントをくれた。背中を押された。
だから、それを読み返せば、自分の人生を振り返ることもできる。
身体が酸素を欲するように。あるいは水を要するように。
彼女はマンガを求め続ける。
「今ハマっている『僕等がいた』は、本当はロケ先にも全巻持って行きたいくらいなんです。でも仕事柄、1日の間に現場を何度も移動したりがあるので、全16冊を持ち歩くわけにはいかなくて」
だからこそ、新しいマンガのあり方にも興味を持つ。
「私は紙のマンガが大好きなんですけど、でもスマホに好きなマンガが全巻入っているというのは、すごく手軽でいいツールですよね。すぐに連載開始当初のストーリーに戻れるのもいいなと」
スマホを操作する手ぶりを交えて笑った後、しみじみと言う。
「そういう新しいコンテンツのイメージキャラクターに選んでいただいたことは、すごくうれしいです。今までやってきた役が生きてきたんだと思いますが、とてもありがたいことです」
マンガのあり方も変わっていこうとしている。
そんな現場に立ち会ったことで、確信を得たこともある。
「どんな媒体であれ、伝わることが大事だと思うんです」
目を見開くようにして、語気を強める。
「この広告でも、私に対して新しいイメージを持っていただける方もいると思います。ひとつひとつの作品が、次につながるのは、私たちの仕事ならではかなと」
媒体を選ばなければ、さらに多くの媒体に表現の場を求めることができる。
「よい印象ばかり残したいわけではないんですけど、なるべく多く伝わるように。単に多くというより、ひとりひとりに伝わる作品をたくさんつくれるように」
加速度的に、表現の機会は増える。
「そのためには映画だけじゃなく、分野外のものも含めてつくれたらと思うんです。今回の広告しかり、このインタビューしかり」
偶然、必然を問わず、伝わるチャンスは広がる。
「世界のどこかで見たものが、その人の人生にとっていい影響を与えられていたら、本当にすてきなことだと思うので」
そう思うのは、演技を続ける上で支えになった、ファンの声に応えたいからこそだ。
「学園ものに出演したときに『高校に行くかどうか迷っていたけど、あんな学園生活を送りたいから行くことにしました。頑張って受験勉強します』というお手紙が来て。本当にうれしかった」
演技がうまくいかない時も、こうした声が支えになる。
前を向かせてくれる。
「私がふさぎがちな女の子を演じたときに、ふさぎがちだという女の子から『松岡さんのその役を見て、ちょっと外に出ようと思いました』っていうお手紙をいただいたこともありました」
そんな気持ちは、よく分かる。
彼女自身が、マンガに同じことをしてもらってきたからだ。
「いつも私がマンガにしてもらっていることを、お芝居で返せるなら、それ以上のことってないと思うので」
熱っぽい語り口から一転。
遠い目をして、静かに語る。
「そんな気持ちになってもらえて、毎日を楽しくすごすちょっとの助けにしてもらえたら、そんなにうれしいことはないです」
CM撮影が再開された。
やはり、リテイクは繰り返される。
それでも、彼女は毎回、張り詰めた女優の表情で演じ切る。
監督にも、自分なりの役柄への解釈をぶつける。短くとも、熱を込めた議論をする。
CMでも、映画でも、伝える相手は変わらない。
マンガをむさぼるように読んだ。
救われた。背中を押してもらった。
そんな「あの日の自分」が、今日もカメラの向こう側にいる。
【取材・文=塩畑大輔(LINE NEWS編集部)撮影=宮川勝也】