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「絶望的な倦怠期」を経て、より深まった絆 LUNA SEA30周年インタビュー後編

2019年6月2日 11:00 LINE NEWS編集部

2007年12月24日。
7年前に終幕した場所、東京ドーム。
そこに5人が再びそろい、LUNA SEAとしてステージに立っていた。

「GOD BLESS YOU 〜One Night Dejavu〜」と題された一夜限りの復活ライブ。
チケットは、発売からわずか5分で完売した。


やっぱり、このバンドなんだな


この公演を提案したのは、終幕前から長らく彼らを支えているスタッフだった。
しかし当初、メンバーは復活に慎重だった。

RYUICHI「正直、まだ(活動再開は)早いと思っていたし、みんなも同じ考えだったと思うんですよ」

J「自分自身、夢半ばでそういうこと(終幕)が起きたわけだしね」

終幕している間も、ファンクラブ「SLAVE」はずっと続いていた。
長らく待ってくれている人たちのためにも、一晩でいいから戻ってきてほしい。
そんな熱意も、強く感じていた。

真矢「もちろん判断をくだすのは5人だけど、ずっとLUNA SEAに関わってくれてるスタッフさんによって、また集まらせてもらった。そのきっかけを作ってくれたんです。そこから新たなLUNA SEAの風が吹いたような感じがしますね」

INORAN「7年の間に、みんなそれぞれにファミリーができて、バンドやソロ活動をやっていた。それをやめるわけにはいかないから、調整も大変だったと思いますよ。そういう意味でも、スタッフには感謝ですね」

リハーサルで久しぶりに5人がそろい、音を出した。
この瞬間、「やっぱり、このバンドなんだな」と、強いひらめきを感じたという。

迎えた公演当日。
その内容は、7年のブランクをまったく感じさせないものだった。
当時を懐かしむのではなく、最新型のLUNA SEAを提示するようなストイックな演奏を聴かせた。

今後の予定は白紙だった。
しかしRYUICHIはこのライブの最後、ファンにこう告げた。

「いつかどこかの空の下で、また会おう」

リハーサルで感じた手応え。
ライブを経て、それはより確かなものとなっていた。

RYUICHI「本当に、すごいバンドだなって思いましたね。この音だったら、海外に行っても通用するんじゃないかって思うくらいで」

SUGIZO「音を出して、お互いを再認識したときに、その存在のありがたさが痛いほど分かった」

真矢「まったくエナジーが変わっていないのに、みんなほどよく大人になってる感じが心地よかったですね。それはメンバーやスタッフ、ファンの人含めて、みんなあったと思うんですよ」

それから再始動を決めるまで、時間はかからなかった。

J「バンドはもう、俺たち5人だけのものではないわけですよ。例えば、曲を聴いて勇気が出ましたとか、元気が出ましたとか。いろんな思いを乗せてくれるやつらがいる」

J「LUNA SEAがそういうやつらも乗った一つの船だとすれば、ここでずっと停留してるのって、船長としてどうなの、と」


かけがえない、一生にひとつだけのバンド


本格的な再始動への準備は、しっかりと時間をかけて行った。
3年後の2010年、ついにLUNA SEAは「REBOOT」(再起動)した。

この年には世界ツアーを実施。
2013年には、実に13年5カ月ぶりとなるオリジナルアルバム「A WILL」を発売。

完全復活を印象づけた。

終幕前は険悪だった5人の関係も、時間とともに修復。
メンバー間の絆は、かつてないほど深まっていった。

SUGIZO「終幕の時は非常に危ない状況でした。夫婦とか恋人同士でいうと、倦怠期みたいな」

SUGIZO「でも例えばそんな状況の夫婦に子どもが生まれて、以前よりも愛情が深まるというようなこともあるじゃないですか。今のLUNA SEAは、そんな感覚かもしれないですね。絶望的な倦怠期を経て、一度完全にバラバラになって、再び戻ってより強固なものになった」

INORAN「みんなそれぞれ年を重ねてきたので、変わらない部分もあるけど、強くなった部分もある。それは優しさであったりする。でも人間として、すごく自然なことだと思うんです」

彼らにとってLUNA SEAは「故郷」であり、「家族」のような存在でもある。
同時に、ここでしか出せない音があることも強く感じている。

SUGIZO「少なくとも僕個人としては、ロックバンドってフォーマットで、本気で魂をこがせる場所はここしかないんです。10代の頃に運命的な出会いをして、一緒に走り続けて、いいことも悪いことも経験して、こうやって帰ってきた」

RYUICHI「自分を育ててくれたバンドのグルーブ。それは何年も何十年も一緒にやってきたバンドじゃないと出せないんですよね」

RYUICHI「すべての楽器の個性という癖が、お互い鎖のようにつながり合って、自分を育てていた。どんなにうまい人とインスタントにバンドを組んでも、そういう癖は共有し合えないんです」

INORAN「やってる年月が長いので、自分の細胞がそれでできている。子どもの頃の原風景というのは、やっぱ影響するじゃないですか。大人になって、そこに気づく人もいれば、そこから逃げる人もいる。でも自分の音楽人生をほとんど作っているところなので、やっぱり特別なんです」

SUGIZO「気が合おうが合わなかろうが、趣味嗜好が近かろうが遠かろうが、かけがえのない、一生にひとつだけのバンドなんですよ」

SUGIZO「新しい境地に行くことはこれからもできるけど、どこまで遠くに歩いても、LUNA SEAが故郷であり家族というのは、変えようのない事実なんです」

真矢「一個の体みたいなもんだよね。前は5人それぞれいたんだけど、今はLUNA SEAというひとつの体になってる。ボーカルが顔だとしたら、俺とJは足で、ツインギターは両手みたいな」

J「終幕してからの長い時間、いろんなことを感じて、ここにたどりついた。純粋にこの5人が存在しているだけで鳴ってる音があるし、それを鳴らさなきゃいけない。それができるバンドに、やっとなれたんじゃないかな」


音楽への夢や創作意欲は、強くなる一方


おのおのの活動を経て、それぞれの音楽的なスキルも磨かれていた。
それにより、時間をかけてメンバー全員で練り上げていた曲作りの手法も、変化していった。

SUGIZO「長年やっているから、相手の出方は予想できますよね。だから近年は、おのおのがより精巧なデモを作ってきます。LUNA SEAとして、ある程度どうなるか、完成図が見えていることが多いので」

RYUICHI「最初のようにぶつかるのではなく、お互いを認め合ったキャッチボールができるようになった」

真矢「ひとりひとりののりしろが広がったって印象ですね。前は歩み寄らないと分かり合えなかったんですけど、今はそこのポジションにいても分かり合えるようなね」

以前と比べ、表現しやすい時代にもなった。
ジャンルを超えた「タブー」といったものも、なくなってきているという。

SUGIZO「例えばヒップホップ勢は、昔はビジュアル系を否定していた。僕らが影響を受けた1970年代のイギリスのロックシーンは、パンクとプログレが一緒にやることはタブーだった。でも今は壁がなくなって、ありとあらゆることが可能だし、認められる。だから、音楽に対する夢とか、創作意欲っていうのは、強くなる一方ですよね」

そんな中で生まれた彼らの最新作「宇宙の詩 ~Higher and Higher~ / 悲壮美」。

新たに書き下ろされた「宇宙の詩 ~Higher and Higher~」は、もっともLUNA SEAらしい部分を集約した楽曲だという。

一方の「悲壮美」のモチーフは、メジャーデビュー直後の1992年に作られたもの。
当時すでにメロディの片りんはあったが、完成には至らなかった。

SUGIZO「当時の僕らでは表現できなかったんじゃないですかね。そういう曲って、他にもたくさんありますよ。その時はしっくりこなくてボツになっても、10年後とかに、ものすごく映えることは、少なくないですね」


30年間、一緒にいられることは奇跡


平成の最初に結成されたバンドは、次の時代を迎えた。
30年という年月を、彼らはどう捉えているのか。

RYUICHI「どんどん大きくなっていく過程を駆け抜けて、終幕もあっという間だったし、一瞬でここまでワープしてきたような感覚がある。でも、その間の情報量は、すごく多いんですよね。振り返ってみて初めて、歴史に長さを感じました」

J「他に30年間、何かをやり続けてきたことはないので、誰かにやらされていたのでは、到底たどり着けない場所なのかなと思います。その瞬間瞬間にがむしゃらだったので、今終わってもいいというか、そういったシーンの連続だった気がします。その結果、30年も続けられていた」

誰かが欠けることなく、30年もの間、同じメンバーで活動してきた。
それは何より尊い、一つの事実でもある。

INORAN「縁の話ではなく、トラブルでメンバーが変わらなかったのは、すごくラッキーなことだと思いますね」

RYUICHI「SUGIZOが今、X JAPANでお世話になってるけど、やっぱり僕らにとってもHIDEさんやTAIJIさんは大きな存在でしたからね。全員が健康で、今も変わらずプレーできることは、ものすごく幸せなことだと思います」

SUGIZO「RYUICHIはこの前、がんを患いました(2019年1月に肺腺がんで手術)。その件もあって、30年間、一緒にいられることが奇跡で、ちゃんと演奏できることがどれだけありがたいか。今はもう、感謝の気持ちしかありません」

ファンの存在も、5人の結びつきをより強いものにしている。
「僕らメンバーの間には、いつも好きでいてくれるファンがいる。それでLUNA SEAが30年あり続けられたというか」と、INORANは加える。

REBOOT以降も毎年のようにライブを行いながら、新作もリリースしている。
しかし終幕前ほど、過密なスケジュールではなくなった。

真矢「義務感で音を出すとか、そういうことは一切ないので、そのあたりは心地いいですね。ソロがあっての母体(LUNA SEA)というのもあり、うまくコントロールできているんじゃないですかね」

RYUICHI「LUNA SEA漬けになって、準備も即席で進んでいくと、また前と同じように息ができなくなったり、ルーティーンが生まれたりしかねない。だからメンバーもスタッフも、いろんなシミュレーションを考えながら組んでいます」


5人が思い描くLUNA SEAの未来


これまでも一歩一歩進んできたように、決められた未来はない。
ただ、これからもこのメンバーで、できる限りともに歩き続けたい。

その思いは、5人とも共通している。

INORAN「長期計画を立てられない5人なので。立てられてたら、もっと売れてますよ(笑)。だけど、そこがLUNA SEAっぽいんです。一歩一歩、地面を踏む足の感触を確かめながら進んでいく。それの積み重ねに未来があると思っているから」

SUGIZO「メンバーみんながもう無理だって思うまではステージに立ち続けたいし、LUNA SEAとして音を奏でたい。メンバーが生きている限り。演奏できる体をもっている限り」

SUGIZO「疲れて休むことはあっても、LUNA SEAに対して愛想が尽きてしまうとかは、もうないと思いますね」

INORAN「これから先も、嫌な妥協は一切したくない。いい妥協というか、人を許すことはしていきたいな。それがLUNA SEAで教わったことだし、ファンのみんなに教わったことなので。その願いをもって、これからも進んでいきたいなと思います」

J「新しい世界を作り上げていくことを想像するだけでわくわくする。その感じは、絶対になくしちゃだめだと思う。俺たちの冒険はまだまだ続いていて、誰も見たことない世界をこれからも追い求めて、突き進んでいくんだろうなと感じていますね」

SUGIZO「昔は人と違うことをやりたかったし、人をびっくりさせたかった。そういう自己顕示欲の塊だったんですけど、ここ10年ほどは、まったくそういう気持ちがないんですよ。ただただ、自分が求める音楽を生みたい。それだけですね」

真矢「50歳目前の男たちが、真剣に遊んでいる。その感じは、ずっと変わらないでしょうね。でも、こうじゃなきゃLUNA SEAじゃない、というのには縛られたくないよね」

RYUICHI「LUNA SEAらしさをずっと続けていくと苦しくなる。それでも自分たちの残してきた遺産をしっかりと背負いながら、新しいものを生もうと、もがいていくのかなと思います」


2019年5月29日。
30周年を迎えた当日、彼らはZepp Tokyoのステージに立っていた。

ファンクラブ会員向けに行われた無料ライブ。
彼らなりのサプライズであり、感謝の思いも込められている。

ここ数年、恒例となっている日本武道館公演を経て、6月には海外公演も控える。
記念すべき10枚目のオリジナルアルバムも制作中だ。

より強固な絆とともに、これからも彼らは歩み続ける。

「終幕の瞬間、大切なものを失った…」LUNA SEA30周年インタビュー前編はこちらから。


【取材・文 : 前田将博(LINE NEWS編集部)、写真 : 宮脇進、動画 : 二宮ユーキ】

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「終幕の瞬間、大切なものを失った…」LUNA SEA30周年インタビュー前編

2019年6月1日 11:00 LINE NEWS編集部

ラストの曲が演奏される。
銀テープが宙に舞い、客席は夢中になってステージへ手を伸ばす。

「最後に、もう一度ひとつになりたいと思います」

演奏が終わると、ボーカルが呼びかける。
その言葉を合図に、ステージの5人が手をつなぐ。

まばゆい光の中、それに呼応するように場内の人々も手を取り合い、天高く掲げる。

LUNA SEAのライブでは、この光景が幾度となく繰り返されている。


2019年5月29日。
バンドは結成30周年を迎えた。

RYUICHI、SUGIZO、INORAN、J、真矢。

もともと別々のバンドに所属していた5人。
音楽的なルーツも趣味嗜好も違う。

そんな5人がひとつになり、LUNA SEAとしてデビューした。

「終幕」と称し、2000年に事実上の解散。
一度はバラバラになった。

しかし2010年に「REBOOT」(再起動)。
約10年のブランクを除き、誰一人欠けることなく同じ年月を過ごした。

なぜ5人は、ひとつであり続けられたのか。
一度は別々の道を選んだ5人が、30周年を迎えることができたのか。

メンバー全員が一堂に会した5月上旬。
バンドの歴史を振り返りながら、それぞれの視点で思いを語った。


強いヴィジョンを持つ5人がぶつかり合うバンド


5人が活動を共にすることとなったのは1989年。

INORANとJが所属していたLUNACY(当時)に、別のバンドのメンバー同士だったSUGIZOと真矢が加入。
最後にRYUICHIが加わった。

SUGIZO、INORAN、J、真矢の4人は、同じ神奈川県秦野市出身で友人同士。
RYUICHIは、そこから少し離れた同県大和市出身。

5人はくしくも同じエリア、年代に生まれ育った。

5月29日、東京・町田プレイハウスで初ライブ。
この日が実質の結成日となった。

当時を振り返りながら、5人とも、30年後は「想像できなかった」と口をそろえる。

全員まだ10代。
後先を考えられる年齢でもなかった。

しかし「このメンバーなら絶対にいける」という漠然とした自信はあった。

結成当初より、LUNA SEAにリーダーは存在しない。
全員がバンドや楽曲に対して、それぞれのヴィジョンを強く持っていたためだ。

そのため、意見が分かれることは当たり前。
時にぶつかり合いながら、手探りで着地点を見つけていった。

SUGIZO「意見はいつも分かれますね。おのおのが別のバンドのリーダー格だったし、各バンドでもっともヴィジョンを持ってる人間が5人集まったんですね。だから、常にいい意味でアイデアがぶつかり合っていた」

RYUICHI「5人のバイブレーションが共鳴し合っていないと納得できないから、自分たちの音楽への情熱が欠けていると思ったときには、すごくぶつかりましたね」

J「責任転嫁させない。自分の意見を持つ。それが普通のことだと思って生きてきたから。ある意味、僕らはラッキーだったのかもしれない。本気でぶつかり合える場所があったから」

一人でも納得できないメンバーがいれば、その案は棄却される。
お互いのセンスを認め合っているからこそ生まれたルール。

反面、大人への警戒心や不信感は強かった。
信じられるのは自分自身と、メンバーだけだった。

RYUICHI「大人の言うことは、まず聞かなかった。どうせセンスがないだろうと思ってたから。音楽を作るのは俺たちだから黙ってればいいんだよって、とがった反発心がありましたね」

J「当然、不安もあった。でもそれを打ち消せるのは、5人が心底納得いくものを作っていくことだけだったから」

INORAN「不思議とうまくいっているけど、まとまっている感じではないんですよね。そんなに丸いものではないというか。ただ、お互いにリスペクトしている。いいバランスの5人なんでしょうね」


集合写真のOKテイクは「5000枚に1枚」?


曲作りでは、セッションを何度も繰り返した。
完成に至るまでの間に、原曲はどんどん変化していった。

初期に作られ、現在もライブで演奏され続けている「BLUE TRANSPARENCY」「Dejavu」「WISH」。
これらの名曲たちも、発表されるまでに、大きく姿を変えていったという。

SUGIZO「『BLUE TRANSPARENCY』はINORANがコードやモチーフを持ってきて、それを各メンバーが好き勝手にアレンジして、ああいう形になった。そのいい例だと思います」

それぞれが思い描く別々の完成図を一つの曲にするには当然、長い時間を要する。
ただ個性がぶつかり合うことで、個人の発想では考えられないものが生まれると、全員が信じていたのだ。

真矢「話し合いでは解決できないことが多かったんですよ。だから音を出して確かめていた」

SUGIZO「当時は先を予測できるスキルもなかったので、みんなでいじりながら作るしかなかった」

J「でも、そうすることで、自分たちが思い描いた以上のものが生まれてくる。5人それぞれの個性が入れば入るほど、今までにない音楽になるって信じていたんです。どっちでもいいよ、とは絶対に言わせない」

RYUICHI「LUNA SEAって、自分の思い描いたものを作るわけではなくて、常にいろんな色が混ざり合ってできている。黒って、全部の色を混ぜ合わせるとできるんですよね。だから、おのおのが違う色を持ち寄って黒にしていくのが、完成までの道のりというか」

感性の違いは、写真撮影でもうかがえた。

集合写真を撮った際、OKテイクが出ないことも珍しくなかった。
おのおのが理想とするカットが違うからだ。

2ndアルバム「IMAGE」(1992年)の頃。
5人で明け方まで撮影したアーティスト写真が、すべてボツになったこともあった。

その教訓により、4thアルバム「MOTHER」(1994年)の頃からは、撮影のやり方も変化していった。
ソロ写真の合成で集合写真を作成することが、増えていったという。

この話を振ると、冗談交じりに真矢は「集合写真を撮ったら大変なんですよ。5000枚撮って1枚、OKがあるかどうかだから」と話す。

周囲のスタッフは苦笑しながら、無言でうなずく。
その表情からは、それが決してオーバーな表現ではないことがうかがえた。

真矢「メンバーを説得するスタッフの方が大変だったと思う。終幕の頃にも集合で撮ったんだけど、その時は最初から数枚しか撮らないって決めていたんだよね。『その数枚に命をかけるから、どうしても撮らせてくれ』って説得があったから、撮影したんだと思う」


想像を超える「大きなうねり」


ライブを始めてから間もなく、活動の規模は急速に大きくなっていった。
バンドが生み出す化学反応は、時としてメンバー自身も想像していないような結果をもたらすこともあった。

そんな瞬間をJは「自分自身でもコントロールできないような、大きなうねりの中に飛び込んでいくような感覚」と表現する。

J「いまだに鮮明におぼえているのは、デビューする前、目黒鹿鳴館でライブをした時ですね。坂道の途中にライブハウスがあるんですけど、その前に歩道橋(当時)があって、そこにバーってすごい数の人がいる。今日、何かあるのかなって思ったら、みんな僕らのお客さんだったんですよ」

そんなうねりを感じながら、結成当初から抱いていた「絶対に売れてやる」という揺るぎない思いが、現実となっていった。

1991年に1stアルバム「LUNA SEA」をインディーズでリリースし、翌年にメジャーデビュー。
1995年には、東京ドームで単独公演を開催するまでになった。

バンドとして手にした大きな成功。
その一方で、息苦しさを感じるメンバーもいた。

J「東京ドームまで行ったあとに、行き先が見えなくなってしまった。ここまで来たけど、次はどこを目指そう、みたいな。成功したあとのことを想定していなかったというか」

J「ロックバンドが持つモチベーションのひとつが、アンチテーゼだと思うんです。それが、自分たち自身がテーゼに変わった。そういったことへの混乱みたいなものがあったかな」

1997年、絶え間なく走り続けてきたバンドが、初めて足を止めた。
バンドとしての活動を休止。ソロ活動を行った。

ただこの時は、1年間という期間が決まった上での活動休止だった。


神様からのちょっとしたサプライズ


1997年12月、LUNA SEAとしての活動を再開。
翌1998年末には初のNHK「紅白歌合戦」を果たすなど、バンドはさらに大きくなっていった。

10周年を迎えた1999年。
「CAPACITY∞」と題し、チケットの枚数制限を設けない前代未聞のライブを東京ビッグサイトのオープンステージで行った。

しかし開催3日前に、野外に設置されたステージセットが突風で倒壊するアクシデントが襲う。

急きょ、がれきとなったセットを再構築し、ライブを決行した。

演奏する5人の背後に広がった、廃虚のような空間。
まるでこんなセットを組むことが最初から想定されていたような迫力のステージを前に、人々は熱狂した。

RYUICHI「当時、戦後最大の突風が吹いて倒壊するんですけど、緊急招集がかかって現場を見に行ったんです。もちろん中止にしようって声もあったし、僕自身もこれはできないだろうって思った。でも、ここでやらないで終わったらダメでしょうって意見が出て、嵐の去ったその風景の中でライブをやったんですよね」

SUGIZO「大きなピンチだったわけですけど、絶対に諦めなかった」

INORAN「なんとかしないと気がすまないんでしょうね。向かっていかないと。LUNA SEAっていうバンドの存在意義はそこなんだろなって、最近思いますけどね」

LUNA SEAは過去にも、大きなライブの開催時、たびたび悪天候に襲われていた。

1993年には日本武道館公演が台風で延期。
翌1994年の横浜アリーナ公演時には、大雪に見舞われた。

いつしか彼らは「嵐を呼ぶバンド」と呼ばれるようになっていた。

真矢「今になってみたら、みんなの記憶に残るための、神様からのちょっとしたサプライズだったのかなって思ったりもしますよね」

SUGIZO「一個一個を伝説にしてくれるようにね。その時は死ぬほど苦しかったし、なんで俺たちだけって、天気や環境を恨みました」

SUGIZO「でも、結果的にはいろんな武勇伝を残してくれたことに感謝してますよ。どれも忘れられないし、それを乗り越えたことで、より大きな場所に着地できた」


一刻も早くバンドを離れたかった


「CAPACITY∞」に集まった観客は、過去最高となる10万人。
だがこの頃、メンバーが抱える違和感も、看過できないほどに大きくなっていた。

RYUICHI「LUNA SEAというバンドがいつのまにか大きくなっていって、たくさんの人を食べさせないといけないし、毎年アルバムを出さないといけない。そういう責任感、義務感の中で、本当に大切なものを失いかけていたんじゃないかな」

真矢「スケジュールがぱんぱんすぎて、目的を失っていた感じはあったかもしれない。毎日の生活の中で、今どこにいるんだろう、なんのためにここにいるんだろうって、わからなくなるくらいに」

INORAN「意味のないルーティンは嫌だったんだと思います。音楽ビジネスの中で、LUNA SEAはこういうものだって、自分たちも縛られすぎていたんでしょうね。そこを一回リセットしなきゃいけないって」

J「自分たちで何かをやり終えたのか、それともたどり着いたのか。そこに明確な答えみたいなものはなかったんですけど、バンドとして決着をつけなければいけなかったのかな。ただダラダラ存在することも可能だったし、それは悪いことではないと思う。でもこの5人は、それを許さなかった」

次第にメンバーの関係性も悪化。
絶妙なバランスで保たれていた5人の歯車が、いつしか、かみ合わなくなっていた。

メンバー間で直接、意見を交わすこともなくなっていた。
コミュニケーションは、マネージャーを介して行っていたという。

「メンバーの顔も見たくなかった」と、SUGIZOは険しい表情で振り返る。
そして、すぐさま「今は本当に家族なんですけどね」と付け加える。

SUGIZO「当時は仲が悪かったですね。直接、会話をしなかったし、お互いに意見も言わない。それほど各メンバーの距離は離れていました」

バンドのムードは、かつてないほど険悪になっていた。
そんな中で、終わりを見据えた話が出るのは自然なことだった。

ただ、ここでもメンバーの意見は分かれた。
RYUICHI、SUGIZO、INORANの3人は、バンドを終わらせることに肯定的だった。
そういった案に対して、真矢は「否定はしなかった」という。

SUGIZO「僕は、一刻も早くバンドを離れたかったですね」

RYUICHI「正直、このバンドが存続していく未来が見えなかった。自分はもう歌えないと。解散でもいいし、なんならボーカル脱退でもいいっていう本音はありましたね。そういう話もしたし」

一方でJは、LUNA SEAとしての活動を続ける術を模索していた。

J「俺はまだ、やれることがあるんじゃないかって思っていたから。当然そういった意見をメンバーにぶつけてはいましたね。ただ、それぞれの思いが重なるところで音を出さなければ、このバンドは輝かないとも思っていた」

INORAN「誰がそれ(解散)を言うかとか、(賛成か反対か)どっちの役をやるかみたいなものも、暗黙の了解的にあったかもしれないですね。決して後ろ向きなことではない、前に進むための選択だってことも、みんなわかっていたし」


LUNA SEAを美しい姿のままで


ライブのたびに集まり、時には結成当初のように、メンバーだけで議論を交わした。
話し合いは、1年以上に及んだ。

5人が出した結論は、解散ではなく「終幕」。
この表現は、スタッフが発案した中の一つだったという。

真矢「バンドって絶頂期に引くのがかっこいいじゃないですか。その方が、いつまでも伝説として残るというか。LUNA SEAも、それが今なのかなっていう時期だった」

RYUICHI「お互いの絆がなくなりかけていたので、そのあとには憎しみが湧く。そしたらもう二度と戻れないバンドになる。REBOOTを見据えていたわけではなかったけど、美しい姿でLUNA SEAの歴史を残しておきたいっていう気持ちもありましたね」

2000年12月26日、27日に東京ドームで「THE FINAL ACT」を開催。
各日3時間以上、合計45曲が披露された。

27日の公演、最後の「WISH」を演奏する前、RYUICHIはこう言った。

「これで全部がなくなっちゃうとか、そういうことじゃなくてさ。俺たちとお前たちの最高が今日だったら、明日はもっと高く登れるよ。そうだろ?」

カーテンコール。
いつものように、5人が手をつなぐ。

ステージや花道の端から端まで歩いてファンに感謝を告げる。
最後は笑顔のままで、ステージを去っていった。

RYUICHI「もしあの時、LUNA SEAが嫌で嫌で仕方なくてドームに立っていたら、すっきりして終わったと思うんですよ。でも終幕の瞬間、すごく大切なものを失ったっていう気持ちが湧いたんですよね。きれい事に聞こえるかもしれないけど」

こうしてLUNA SEAは、約12年の活動に一度、幕を下ろした。
なくしかけていた絆を取り戻すのに、ここから7年の時を要することとなる。

「絶望的な倦怠期」を経て、より深まった絆 LUNA SEA30周年インタビュー後編はこちらから。


【取材・文 : 前田将博(LINE NEWS編集部)、写真 : 宮脇進、動画 : 二宮ユーキ】

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