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前畑秀子から、上白石萌歌へ。100年の時を越え、受け継がれた「バトン」とは

2019年7月28日 11:00 LINE NEWS編集部

 
渋谷区・NHK放送センターの撮影スタジオ。
上白石萌歌は、大河ドラマ「いだてん」のスタッフから、次のシーンについての説明を受けていた。

「歩いて行った先が、プールなんですよね」
細かい確認を重ねては、笑顔で礼を言う。柔和な表情。物腰も柔らかい。

それが、説明が終わると様子が一変する。
スタッフがスタジオの隅にはけるのを見送ると、目を閉じて小さく息をつく。

そのまま、しばらく考え込んでいる。
「本番」を知らせる声がかかる。ようやく、目を見開く。

さっきまでとはまるで違う形相が、周囲をぎょっとさせる。
それはひとりの女性のものでも、女優のものでもない。試合を前に殺気立ち、周囲に言葉さえかけさせない、トップアスリートのものだった。

燃えるような、にらみつけるようなまなざしで、階段を一歩、一歩と上がる。
その姿は、撮影に立ち会う者にも、その先にある五輪の水泳会場をありありと思い浮かばせた。



「そう感じていただけたんですね。ありがとうございます」

数週間後。単独インタビューの会場につくと、上白石萌歌はにっこりと笑ってみせた。

なぜ、あそこまで入り込めるのか。そう聞かれると、居住まいを正して、丁寧に言葉を選んで切り出す。

「スタッフのみなさんがセットを作り込んで、目に入るものは当時に寄せてくださっているので、とても気持ちをつくりやすいんです」

「カメラとか周囲にいるスタッフの方の姿とかをいったん自分の中で消して、自分と他の登場人物だけがいると思いこむようにする。そうすると、余計なことを消せて、目の前のことに集中できるような気がします」

そう言いながら、まずはスチール撮影に臨む。撮影場所は1911年竣工の旧・宮邸。

カメラマンがポツリとつぶやく。「いいですね。ルーティン感がなくて」
ポーズをとっているというよりは、何かのストーリーを演じているように見えるのだという。

「いだてん」では、日本女子初の金メダリスト、前畑秀子さんを演じている。
彼女が活躍した昭和初期はまさに、旧・宮邸の時代。それもあってか、建物がつくる背景にしっくりとなじんでいく。

カメラマンが満足げな溜息をつく。スチール撮影は終了。
「では、お願いいたします」。インタビュー取材用の席につき、上白石萌歌はスッと背筋を伸ばす。



役を生きている「実感」


――前畑さんを演じることについて

「私は近代史がすごく好きなので、その時代の方を演じることができるのがまずうれしかったです。近代は、今を生きる人にとっても記憶が鮮明な形で残されている時代。私の祖母も実際に生きてきた時代なので、まずは祖母に連絡をしました」

「祖母はまだ水泳をやっていることもあって『前畑さんを演じることになった』と伝えたら、すごく喜んでくれました。昔、五輪がどれだけすごいものだったかを聞かせてもくれて。そういう意味でも、すごくうれしかったです」

前畑秀子(まえはた・ひでこ)

1914年5月20日、和歌山県生まれ。高等小学校(現在の中学校)2年生時に汎太平洋女子五輪で100m平泳ぎ金メダル。17歳までに両親を相次いで脳出血で失うが、翌年の1932年ロサンゼルス五輪で200m平泳ぎで銀メダル。1933年に同距離の世界記録を樹立。1936年ベルリン五輪では同距離で、日本女子初となる金メダルを獲得した。1995年2月24日、80歳で亡くなった。(写真=共同通信)


――見る人に記録、記憶が残されている役柄は、演じる難しさもあるのでは

「そうですね。ただその分、追求もできるなと思っています。前畑さんが書かれた本を読んだり、生まれ育った和歌山県橋本市に足を運んで、前畑秀子資料展示館の皆さんからじかにお話を聞かせていただいたり。当時の日記もそのまま残っていました」

「今回のドラマの登場人物は、実際のご遺族の方もご覧になると思います。そういう意味でも失礼がないように、役作りはいつも以上に細かい部分までやらないといけないなと思っていました」

――体重を7キロも増やす肉体改造をしたと聞く

「体からのアプローチというのは、役者として初めてでした。当然ですが、前畑さんの写真を見れば、比べ物にならないくらい体も、泳ぎも違う。それだけに、パッと見て分かるくらい、今までの自分と比べて変化をつけないといけないと思っていました」

「そこを何とかするために、1日に5食も食べたり、日焼けサロンにも通ったりしました。そうやって追求することで、役を生きているという実感を、いつも以上に得ることができた。こんなにも精神的につながったような感覚になれるとは思わなかった。新しい扉を開けたような感覚です」

「前畑、頑張れ」でさえマイナスに…


――10代後半から20代前半にかけてという、自分と同世代の前畑さんを演じる

「偉大な方ですが、演じるうちにだんだん、自分と重なる部分もあると感じるようになりました。前畑さんは五輪の選手とはいえ、ごく普通のひとりの女の子で。ごく普通の考えを持っている。私も役を離れれば、ごく普通の人間なので」

「そういう普通の人間が、特殊なことに挑戦するというのは、それだけプレッシャーを伴うもの。前畑さんもそういう重圧を背負いながら、葛藤しながら、五輪に臨まれていた。私も前畑さんほどではないにしても、たくさんの方に期待していただけるお仕事には恵まれているので、少し共感させていただけるというか」

――演じる中で、前畑さんの心境に迫ることができている

「歴史に残るような選手の方でも、本番前になるとガチガチに緊張してしまうところがある。大会前夜は不安で眠れなくなることがある。そういったあたりを知ることができて、どこか安心させていただけたような感じがしました」

「すごい方でも、私と一緒。ひとりの女の子。そういう人間らしさを、ドラマを通じて知ることができて、勇気づけられたというか…。すごくよかったです」

――演じる中でどういったあたりに、前畑さんにかかった重圧の大きさを感じたか

「泳いでいる時は、ひとりなんですよね。まず、それを感じました。それから、日本から励ましのつもりで寄せられるメッセージが、本人には責めに聞こえてしまうあたり。有名な『前畑、頑張れ』でさえ、マイナスに受け取ってしまう繊細な状態にもあった」

「プラスな言葉さえマイナスになるくらい追い込まれていたんだなと思うと、今も胸が痛くなります。そんな時『ひとりで泳ぐんじゃなくて、日本人みんなで泳ぐんだ』という言葉をかけられ、前畑さんの心がすごく軽くなるんです。きっと五輪本番も、心の中ではみんなで泳いでいたんだろうなと」

「切羽詰まってどうしようもない時って、きっとアスリートや役者じゃなくてもありますよね。言葉の受け取り方も、心理状態によって変わってしまう。そういうものを背負っている皆さんにも、前畑さんの姿をぜひ見ていただきたいと思います」

時を越え、引き継がれる「バトン」


――そうやって、いつも突き詰めてものを考えるタイプなのか

「作品に入ると、割と追い詰められるタイプかなとは思います。思い詰めすぎるのはあまりよくないな、と最近は気を付けるようにもしていて。でも役について追求して、集中していれば、細かいことを気にせずに済むというのも感じています」

「普通に作品を見ていると、そこにカメラがあって、撮影をしていることを忘れて没入できる。そういうことを、演じている自分たちができたらいいなと思います」

「仕事をしている感覚じゃなく『私は役を生きている』と自分に錯覚をさせる。その場のものをすべて吸い込むような気持ちになる。そういう取り組みを続けていけば、ひとつの筋が通った形で人物を演じることができるんじゃないかなと」

――前畑さんが最初に登場した第26回「明日なき暴走」は、神回と評価されている

「本当に素晴らしかったですよね。直接関わっている場面ではないので、台本を読んだだけでは分からなかったことが、放送を見て自分の中に入ってきたところもありました。まずは自分の人生、つまり前畑さんの人生を全うすることに専念していたのですが…」

「第26回を見て、いろんなことがつながりました。シマさん、人見絹枝さんと、第1部から本当にいいバトンをつなげてくださっていて。それが前畑秀子という少女につながる。そう思うと、すごく胸が熱くなりました」

人見絹枝(ひとみ・きぬえ)

1907年1月1日、岡山県生まれ。日本人女性初の五輪メダリスト。1928年アムステルダム五輪の陸上800mで銀メダルを獲得した。「いだてん」の劇中では、当初は走るのを好まなかったが、東京府立第二高等女学校の教師シマの熱心な誘いで陸上競技に取り組むようになる。コンプレックスや心ない声、重圧とも戦いながら、女子スポーツ界の先駆者となる様子が描かれた。(写真=共同通信)

――女性アスリートの思いがつながった意味とは

「前畑さんが人見さんの活躍を見て、自分もメダルを取るために練習に励んだという話自体は、私も知っていました。それでも、菅原小春さんの素晴らしいお芝居として映像で見せていただくと、また違うものがあって。思いがつながったんだなと、じんと来ました」

「まだ、今ほど女性の地位も高くなくて、どちらかというと男性の選手の方が期待されていた時代だったと思います。そんな中、前畑さんも普通の生き方からちょっと外れて『私はしばらく水泳ひとすじに生きる』と決めた」

「当時はより固い決意が必要だったと思います。そうやって、女性初の金メダリストになった。そういう意味でも、女性の社会進出に大きく影響を与えた方なのかなと。スポーツの世界にとどまらず、社会全体においても。そう感じました」

――前畑さんの人生を生きてみて、人間として、役者として得たこと

「ここ最近演じた役の中でも、最も一緒になれたというか。演じている感覚がなくなる瞬間、というのも経験できました。前畑さんと、心も体も一緒になれた一カ月間だったと思っています」

「スポーツする上での精神力って、お芝居する上での精神力とも似ている気がします。あきらめずに泳ぎ切った前畑さんからは、演じながら多くのことを教わりました。役作りを通して学んだことや、前畑さんのお言葉も財産にして、お芝居を続けていきたいです」



シマ、人見絹枝、そして前畑秀子とつながったバトンは、さらに後進の女性アスリートへとつながっていく。
そして、前畑さんを演じた上白石萌歌にも、100年の時を越えてしっかりとつながれた。

前畑さんの青春だった五輪に、彼女も様々な形で関わることになる。
NHKの2020応援ソング「パプリカ」の歌い手を務め、大会を盛り上げる。

「いだてんで五輪の選手を演じさせていただいただけでなく、このタイミングで応援ソングを歌わせていただける。本当にうれしいご縁だと思います」

帰りの道すがら、街並みを眺めながら言う。

「こうやって歩いていると、五輪に向けていろいろ変わってきているのを感じますね。お店も、企業も、世界に目を向けていますよね」

小学1年生から3年生までの間を、メキシコで過ごした。
日本を離れ、異国の地でいろいろなものを見聞きした経験は、今にも生きているという。

「外国の様子を教科書で知るのと、実際に行ってみるのとでは、まったく違う。自分の目で見る大事さを知ったことは、今お芝居をする上でもいい財産になっています」

だから英語や中国語を、大学で重点的に学んでいる。
芝居で、歌で、貴重な縁ができた五輪を、今後の人生をさらに切り開く節目にするために。

「私自身も、来年は20歳になります。言葉を勉強して、好奇心も広げて、五輪自体の知識も深めることで、五輪に関わらせていただける機会につなげたいです」

五輪を通して、世界とつながり、自分を高める。
東京五輪につながる空に、上白石萌歌は前畑さんの背中を追う。

【取材・文=塩畑大輔(LINE NEWS編集部)、撮影=平岩享、取材協力=グランドプリンスホテル高輪】

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