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震災で。戦火で。壊れ続ける東京の再起に寄与する"スポーツの力"とは 演出家・井上剛

2019年6月16日 11:00 NHK

 
東京都渋谷区、代々木公園一帯が見渡せるNHK広報局の応接室。
大河ドラマ「いだてん~東京オリムピック噺~」の撮影の合間を縫って、チーフ演出・井上剛が現れた。

「ああ、この部屋はこちら向きなんですね」

そんなことを言いながら、窓の外を眺める。

「これから描くものの一つに、実はこの場所もあります。戦後に米軍の兵舎・家族用居住宿舎として設けられた、いわゆるワシントンハイツです。1964年に日本に返還されて、東京五輪の際の選手村や五輪関連施設ができました」

1964年の東京五輪が開催されるまで。
今まさに、目の前にある東京の「史実」を描く。それが、今回の作品だ。

「歴史ドラマなので、事実を追っていく。すると自然と、登場人物たちは関東大震災や、第二次世界大戦を経験するわけです。話の舞台も東京なので、必然的にぶつかる」

2013年に手掛けた連続テレビ小説「あまちゃん」では、アイドル活動というエンターテインメントが、東日本大震災からの復興の一助になるさまを描いた。今回は、スポーツと災害、スポーツと戦争の関わり方を描くことになる。

「1964年、なぜあんなに大きなスポーツイベントを東京で開催できたのか。その背景にはやっぱり戦争もある。生き抜いてきた人たち、日本人全員の後押しがあって、熱が生まれた。その前向きなパワーは、つらかったことの反動で生まれているところもあったと思います」

戦争の前には、1923年の関東大震災があった。
ドラマの展開は今まさに、その史実にたどり着こうとしている。

「今回は見ている人が実際に経験はしていない、遠い過去の話。だから直接的に描きました。今こうして眺めている東京の街並みが、その時どうなったのか。東京を描く物語のベースとして、視聴者の皆さんに一度見ていただく必要がある」



どう震災を描くか。「あまちゃん」との違い


――ドラマ全体の展開の中でも、重要な局面

「企画の初期段階から、関東大震災とスポーツの関わり方はとても興味深いと感じていました。リサーチする中で、嘉納治五郎さんが明治神宮外苑競技場を、震災時に仮設住宅設置のために都に提供したという史実を知りまして」

嘉納治五郎(かのう・じごろう)

1860年12月10日、兵庫県生まれ。柔術2つの流派を学び、独自の理論も加えることで「柔道」をつくり、「講道館」を設立。1909年には日本人として初めて国際オリンピック委員会の委員に。1912年、日本が初参加したストックホルム五輪では日本選手団団長を務めた。(写真=共同通信)

「本当は五輪を呼びたくて、スポーツの聖地にするつもりでつくった場所を、罹災者のために開放した。それまで、東京には運動場などの広大でパブリックな場所がなかった。嘉納さんの考えで初めて、運動場というのは非常時の避難場所になりうるという発想がもたらされた。その思考は興味深いなと」

――スポーツが復興の一助になった

「と言えるかと。この後も歴史の中で、スポーツはいろいろなものに関わっていくわけです。リサーチの中で、震災とスポーツ、戦争とスポーツ、切っても切れない部分が見えてきた。スポーツと関わるところで、東京がいかに立ち直っていくのかを描きたいと思うようになった」

「そのためにはベースとして、というか史実通り、東京が壊れるさまも描かないといけない。あまちゃんの時は3.11から時間がたっていなくて、みんなが生々しく経験した直後だった。痛みも残っていた。だからあえて、ユイちゃんの顔や大吉さんの表情、模型などで表現しましたが、今回は直接的に」

――阪神・淡路大震災を描いたドラマ「その街のこども」も手掛けた。震災を扱う時に心掛けていることは

「人の数だけ、震災がある。人の数だけ、感情もある。被災者という言葉でひとくくりにしてはいけないと思います。それを踏まえた上で、どう物語にしていくか。そして『その街のこども』を放送した2010年と今では、また違うところもある」

「多くの人々が東日本大震災を経験した。だからかもしれませんが、阪神・淡路大震災や関東大震災を描いた物語でも、共感をもって受け取る人が増えたんじゃないかと。目を背けたいと思っても、見なきゃと思うというか。今回は東京が舞台なので、余計にそうかもしれない」

――ドラマというエンタメコンテンツの中で、災害についてどこまで直接的な描写をするのかは難しいところ

「そうですね。そこはいつも悩みます。今回は当時の映像も差し込んで、悲惨な描写もしているんですが、それだけに一方で、音の表現は気をつけました。そこはさじ加減一つで、視聴者の皆さんに突き刺さり過ぎてしまうんですよね」

「例えば、強い描写の場面で音楽を外すと、生々しくなり過ぎてしまう。かといって、音楽を付けたとたん、一瞬で『いかにもドラマ』という感じになる。見ている皆さんが冷めちゃうところもある。生々しくてしんどい感じにせず、かつ冷めさせずで、いかに見てもらうか。全部見てもらってこそ、いろいろ感じたり考えていただけたりする余地も残ると思うので」

言葉を使わずして、人の心を打つ


――登場人物の生き方、時代の流れから、スポーツの力を感じたところは

「嘉納さんが競技場を提供したこともそうですし、それから金栗四三さんが、がれきと焼け跡だらけの東京中を走り回って、熊本の実家から送ってもらった救援物資を配っていたというあたりもそうです。しかもそこからすぐに、五輪出場を目指したというのは驚きです。すぐに立ち上がれる原動力は、なんなんだろうと」

金栗四三(かなくり・しそう)

「いだてん」第1部の主人公。1891年8月20日、熊本県生まれ。東京高等師範学校(現・筑波大)在学中の1911年、ストックホルム五輪のマラソン予選会で当時の世界記録を27分も縮める2時間32分45秒を出し、翌年の本大会で日本人初の五輪選手に。1920年アントワープ五輪、1924年パリ五輪にも出場。女子アスリートの育成、箱根駅伝の創設にも尽力した。(写真=共同通信)

「そしてその焼け野原からもう一人、田畑政治さんという人が出てくる。第2部の主人公ですね。この人も焼け跡から立ち上がってきた人だというのは、特に伝えたかったところです。東京はもう一度、戦争で焼かれるわけですが、戦後もこの人は五輪で東京大改造を経験して、五輪開催を成し遂げていくんですよね。本当にすごいなと」

田畑政治(たばた・まさじ)

「いだてん」第2部の主人公。1898年12月1日、静岡県生まれ。朝日新聞社で勤務しながら、水泳指導者としても活動。1932年ロサンゼルス五輪では日本の水泳総監督を務め、1948年に日本水泳連盟の会長に就任。日本を”水泳大国”にした。東京への五輪招致活動でも中心メンバーとなり、1964年の五輪開催の功労者となった。(写真=共同通信)

――スポーツが人を立ち上がらせ、街をよみがえらせる

「そうかもしれません。スポーツに関わる登場人物のことを考えていくと、今回の『いだてん』は目標を持つようになる人たちの物語なのかもしれませんね。みんな最初は違う。金栗さんは病気がちで、健康のために走っていただけだし、人見絹枝さんは走るのが嫌いだった。それがふっとスイッチが入った瞬間に、誰よりもすごい目標を立てて突っ走りだす」

人見絹枝(ひとみ・きぬえ)

1907年1月1日、岡山県生まれ。二階堂体操塾(現・日本女子体育大)で二階堂トクヨなどから体育の指導を受け、陸上競技で活躍。100m、200m、走り幅跳びなどで当時の世界記録(現在は非公認とされるものも含まれる)を出し、1928年アムステルダム五輪では800mで銀。日本人女性初の五輪メダリストになった。(写真=共同通信)

「そういうのは、少なくとも自分にはないので、うらやましいですね。リスペクトもあります。そして目標に向かって走る姿に周囲も引っ張られて、いろんなことが動きだす。壊れた街も立ち直るし、世界的なイベントも開催される」

――もともとスポーツの力を感じていたのか

「そんなに見る方ではないのですが…それでも、登山番組とかは見ちゃいますね。黙々と、よく登るなと不思議になって、ついつい最後まで。黙々と、淡々と、というのはどのスポーツもそうかもしれませんけど、登山は特に命の危険もあるのに、と思いますね」

「スポーツのすごいところは、言葉を使わずして人の心を動かすところかなと。瞬間、瞬間のフォルムの美しさに心を奪われます。そしてその一瞬のために、膨大な時間が費やされている。100mの走者なら、4年後の10秒のために全てを懸けている。そこにピークを持っていく。そういうのは、想像を絶する取り組みですよね」

「4年後の10秒を毎日、毎日イメージして取り組んでいる人たちの最後の10秒を見せてもらうわけで、本当に美しいですよね。勝ち負けという結果よりも、人間の姿というか。言葉を使わず、ここまで人の胸を打つものって、なかなかないですよね」



実は「あまちゃん」の放送が終わった直後から、今回のドラマの準備に入っていた。
5年以上をかけて、この1年間の放送に備えて、綿密なリサーチを重ねてきた。

それは4年後の五輪、一発勝負を目指すアスリートの姿にも重なる。
「いや、そんな大層なものではないですよ」と首を振りながら、井上は言う。

「NHKのスタッフは、資料収集が好きなんですよね。国会図書館、関連団体、過去の雑誌、登場人物の子孫にあたる方、本人が遺した文献、日記など、片っ端から掘り起こしました」

田畑政治が早口だったこと、せっかちだったことにも、綿密な調査による裏付けがある。

「浜松のご実家近くで見つかった資料に『田畑は、占い師に30までしか生きられないと宣告されたのを気に病んでいた』というものもありました。だから全てに生き急いでいたんですね。そして、だからこそいろんなものをグイグイ動かせた」

目を背けさせず、それでいて切なく思わせる震災の描写。
長年をかけた調査で浮かび上がらせる、登場人物のディテール。

それらは全て「東京の街をよみがえらせたスポーツの力」を視聴者に伝えるためだ。
来年の東京五輪が開催される「意義」にもつながる道を、丁寧に作り上げる。

「ドラマをつくっていく中で、東京という街はずっと壊れ続けてきたんだなと感じました。焼け落ちたり、工事で建て直していたり。安穏とした時間がない」

今もまさに、東京は動いている。
8年前、東日本大震災が影を落とした街には、熱気が満ちている。五輪に向け、新しい建物が築かれていく。

スポーツで街が生まれ変わる物語は、今に続いている。

「焼け野原の街も、今のビル街も、同じ自分が住む街。そういう気持ちで、このドラマに入り込んでもらえたらうれしいです」

井上剛(いのうえ・つよし)

1968年、熊本県生まれ。1993年にNHK入局。大阪放送局所属時代に連続テレビ小説「ちりとてちん」「てっぱん」などの演出を担当し、森山未來主演で大きな反響を得た阪神・淡路大震災15年特集ドラマ「その街のこども」は劇場化の際の監督も務めた。NHK放送センターへ異動後には、2013年に連続テレビ小説「あまちゃん」でチーフ演出を務め、東京ドラマアウォード演出賞を受賞。


【取材・構成=塩畑大輔(LINE NEWS編集部)】

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