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「僕らは絶対に解散しない」flumpoolが語る、Vo山村の"発声障害"発症から復活まで

2019年2月25日 11:00 LINE NEWS編集部

1月13日、大阪・天王寺公園。
冬のよく晴れた真っ青な空に、透き通るような歌声が響く。

「きょうこの日から、flumpoolは活動再開したいと思います!」

ボーカル・山村隆太が高らかに宣言し、flumpoolが復帰を果たした。


2017年12月6日、彼らはバンド活動を休止することを発表した。
山村が「歌唱時機能性発声障害」であることが判明。
その治療に専念するための決断だった。

歌唱時機能性発声障害とは、声帯に問題がないのに声がかすれたり裏返ったりしてしまう、ボーカリストとしては致命的な症状。

当時、山村やバンドに何が起こっていたのか。
それから約1年、いかにしてこの苦難を乗り越えたのか。

活動再開後、初めてとなるライブツアーを控えた2月上旬。
山村、阪井一生(Gt.)、尼川元気(Ba.)、小倉誠司(Dr.)の4人が、全てを語った。


ピークを知ったぶん、余計にそれを感じた


最初に"異変"を感じたのは、活動休止の発表から3年以上前のことだった。
バンドがメジャーデビュー5周年を迎え、翌2014年に「MOMENT」と題したツアーで全国を回っていた頃だ。

山村「(歌唱時機能性発声障害と)診断されるまでは、ただ調子が悪いだけかと思っていました。発症のきっかけは風邪だったんですけど、それからちょいちょい声が出ない感覚があって、なんだろうなって」

その少し前、2012年の「Because... I am」ツアーの前後に、山村の歌声は「ピーク」を迎えつつあった。

尼川「デビューして以降、歌がどんどん良くなっていった。特にこの頃はめっちゃ良かったよね」

阪井「そこから急に、『がーん』って調子が落ちた。ピークを知ってしまったぶん、余計にそれを感じましたね」

尼川「それからは、ずっと不調だったよね。長いなって印象でした」

4人とも違和感を覚えながら、それを互いに口にすることはなかった。

尼川「俺らが言ってもしゃーない、みたいな雰囲気があったよね。スタッフさん含めて。そこまで深刻だと思っていなかったし」

山村「僕も『治るかもな』って思いがあったので、あまり相談できなかった」

阪井「調子が良くなるときもあったし」

山村「それが余計に厄介だった。ずっと悪いままだったら、どうするよって話になったと思うんですけど」

調子に波があるとはいえ、原因は分からないままだった。
そんな状態の中、山村は時に「無理やり声を出して」ライブに臨んでいた。

山村「試合が近いから骨折しているのに走らなきゃいけない、みたいな状態でした。きょうは声が出ないから、どうにか喉をグッと締めたら出るかもって」

「それが癖になって、元に戻れなくなる。その繰り返しで、悪化していったんだと思います」


活動休止は、ホッとした気持ちもあった


ごまかしながらステージをこなす日々が続いた。
しかしそれも限界だった。

2017年12月3日、パシフィコ横浜。
開催中だった全国ツアー「flumpool 8th tour 2017『Re:image』」の全31公演中27公演目。

山村は喉の不調を客席に明かした。

「…ごめんね」

消え入りそうな声で、そう告げるのが精いっぱいだった。

ライブをどうにか終えたこの日の深夜。
ファンクラブ会員向けのブログに、それまで誰にも打ち明けられずにいた思いをつづった。

山村「…闇の深いブログでしたね(苦笑)」

尼川「隆太はいつも、自分で抱え込んじゃうんです。だから、急にあふれちゃうんですよ」


その後、山村の症状は「歌唱時機能性発声障害」と判明。
スタッフも含め、話し合いの場が持たれた。

12月6日、ツアーの残り4公演と、年末に控えていたカウントダウンライブの中止を発表。
治療に専念するため、バンドは活動休止となった。

山村「ホッとした気持ちもあったんですよね。メンバーに話せたことで肩の荷が下りたし、ファンにも伝えられた。もちろん葛藤はあったんですけど、声が出ないままステージに立つのはつらかったし」

「今は治すことに専念した方がいいって、みんなが言ってくれたので。一回立ち止まって、ちゃんと治してからスタートしようって、ある意味、タオルを投げてくれた。だから、良かったですね」


本当に全部なくなった…もう無理だろうなって


活動休止の期間は決まっていなかったが、専門家の意見なども踏まえ、当初は半年程度を想定していた。
しかし喉の調子は、思うように回復しない。

症状の名前は分かったものの、治療法が確立していないため、全てが手探り状態。
4人の不安は、募る一方だった。

山村「最初の3カ月間は、歌うの禁止だったんです」

阪井「それが終わってから、スタジオに入った。4月くらいかな」

尼川「でも正直、その頃は絶望的でしたね(苦笑)」

小倉「あ、無理だなって。みんな目を合わせられなかった」

阪井「声は細いし、全部やばかった」

山村「4カ月でまったく変わらなかったもんな。僕もちょっとは良くなってると思ってたし、みんなも期待半分だったと思うんですけど」

尼川「それが10月くらいまで続いた」

阪井「1年どころじゃ戻らないかもなって思ったもん」

この頃、山村は表舞台から退くことを考えたこともあったという。

山村「歌詞を書いていたんですけど、声が出ないとピンと来なかったんですよ。そうすると、自分には本当に全部なくなったなって感じましたね。もう無理だろうなって」


そんな状態でも、スタジオの雰囲気は明るかった。
バンド結成当初のような楽しさを取り戻していった。

それは山村にとって、大きな救いとなった。

山村「みんなも気を使ってくれていたと思うんですけど、楽しかったんですよ。それで僕も開き直れた」

小倉「休止に入る前のリハは、隆太も必死だったから。そのときみたいに、切羽詰まった感じはなかったですね」

山村「ライブが決まっているわけではないので、どんな曲を何曲やってもいいし、楽しくなかったらやらなくてもいいし。とりあえず音を鳴らしに行くっていう、もともと4人で集まってバンドを組んだ当初みたいな、そういう感覚に戻れたのかもしれないですね」


活動休止のまま、バンドは10周年へ


2018年10月1日、活動再開のめどが立たないまま、バンドはメジャーデビュー10周年イヤーを迎えた。
この日、メンバーだけが入っているグループLINEに、山村はメッセージを送った。

10年やな!
色々あったけど
このメンバーやからこそ、ここまでflumpoolはこれたんやと改めて思うわ。
迷惑かけてばっかやけど、いっつも支えてくれてありがとうな!
おとといから、声も戻ってきてる実感あるし、こっから巻き返してやろう!!!

阪井「熱い文だったよね(笑)」

尼川「まず俺がスタンプで返して、二人(阪井、小倉)が続いた(笑)」

阪井「さすがに幼なじみにこの文章は寒いよな(笑)」

山村「そんなに熱血感あるか(笑)!? 普通じゃん」

阪井「でも誠司はTwitterで一番寒いこと言ってたよね(笑)。『お前の後ろで叩けるから楽しいんだよ』って」

尼川「これは家庭持ち(山村、小倉)と家庭持ってない組(阪井、尼川)の温度差だと思いますね(笑)」


びっくりするくらい、一気に変わった


くしくも、この頃から山村の喉は回復の兆しを見せていた。
自らもボーカリストであり、同じ症状を克服したボイストレーナーの山森隼人氏との出会いが大きかった。

山村「隼人さんもまったく同じ症状だったし、この人が治ったんなら自分も絶対いけるなって確信がありました」

「それまでは、どうしたら声が出るんだろうって考えながらやってきたけど、言葉をはっきり言わずに、まず音を出すところからスタートしたんです。それは一つの発見でしたね」

阪井「その先生が入ってから、びっくりするくらい一気に変わった」

10月末、スタッフだけを集めて、4人でライブハウス・新代田FEVERのステージに立った。
その日、活動再開を決めた。

阪井「正直、ギリギリセーフのラインではありました」

尼川「でも一番大きかったのは、隆太が一番やりたがってたことですね。もうちょっと後ろ倒しにしようかって話もあったんですけど、『そんなに延ばされたら無理や』って」

山村「言いたいことはその場ですぐに言った方がいいし、伝えたいことがあるならすぐに伝えた方がいい。だから、今の自分たちが思っていることを早く歌いたいって気持ちになったんです」

山村「もっと早くみんなに言っておけば良かったと、この1年ですごく思ったんですよね。そうすれば、いろんな人が手を差し伸べてくれたかもしれないって」

尼川「もともと気持ちが折れてやめちゃってたところがあったので、気持ちが歌いたい方向にすごい向かってたから、これはそのまま進むしかないって」

不完全な状態ながらも、バンドはもう前しか向いていなかった。
そこから急ピッチで、復帰に向けての調整を進めていった。


みんなが味方してくれている感じがあった


2019年、バンド結成日にあたる1月13日。
結成前から路上ライブを行っていた天王寺公園。
急きょ決行したサプライズライブで、flumpoolは約1年ぶりに復活を遂げた。

直前の告知にもかかわらず、約4000人の観客が集まった。

山村の表情は、活動休止を決めた横浜公演で見せたものとは対照的に、まるでこの日の空のように晴れやかだった。

山村「やっぱり、背負っているものの重さが全然違いましたね。あのときは、一人で抱え込んでいたときだったので」

尼川「すごく天気のいい日だった。すがすがしかったですね。印象に残る光景でした」

山村「みんなが味方してくれている感じがあったんですよね。メンバーもお客さんも天気も。もちろん不安もあったけど、支えてくれた人も待っていてくれた人たちも、みんな喜びも悔しさも分かち合ってきたので」

とはいえ山村の歌声は、まだピーク時までとはいかない。
しかしそれも、今のバンドにとっては致命的なことではなかった。

山村「僕はどっちかというと100点を取りたい人間だったんですけど、あのときは50点で別にいいかなって。無理に100点を見せようと思わなかった」

「まずは1点ずつ、次の日に51点になったらいいわけで。今の自分を届けるのが一番大事だったし、そこで弱さを隠しちゃうと、ふさぎ込む方向にしかいかないから」


最後につなぎ留めたのは、待っててくれた人たち


この日のステージの最後。
山村はファンに、こう伝えた。

諦めずに、それでも歌いたいんだって気持ちが生まれてきた。
皆さんが待っててくれることが、最後の最後のよりどころでした。
ただ感謝を伝えたい。
この思いは音楽で返していこうと思うので、よろしくお願いします。

山村「歌から拒絶されたとか、歌の神様に嫌われちゃったのかなって気持ちもあったんですよね。歌う自分が嫌い、自分の声が嫌いって時期もあったんです」

「でも最後につなぎ留めてくれたのは、一緒に音楽をやっている仲間やメンバーもそうだし、やっぱり待っててくれたファンの人たちというか。歌う自分を好きでいられたのは、その人たちのおかげでした」


阪井、尼川、小倉の3人も、言葉にしなくとも、ずっと山村を信じ続けていた。

小倉「それがバンドだと思うんですよね。解散したり脱退したりするバンドもいますけど、僕らはこの先も絶対に解散しないでしょうし。信じられるから、僕らはこの4人でバンドをやっているんです」

尼川「まあ、調子いいときは『あなたのこと一生好き』って言うもんだけどね(笑)」

山村「こういう緩い感じもいいと思うんです。僕もそれに救われたし、なんだかんだそれぞれが見守ってくれている。それがflumpoolの強さなのかもしれないですよね」

山村「この1年があって良かったなって思います。あのまま続けていたら、なんのために音楽をやっていたのか分からなくなっていたかもしれない」

「音楽を楽しめることや、一つ一つの活動の喜びとか、当たり前じゃないんだなってすごく思うんですよ。それがあるから、もっと頑張ろうって思える。より強いバンドになれたんじゃないかなって思いますね」


現在、バンドは新曲も作っている。
控えている全国ツアーでは、2017年に行くはずだったが中止を余儀なくされた場所にも足を運ぶ。

山村「今の世の中、自分を押し殺しちゃう人も多いと思うんですよ。自分の弱さや不安を人に伝えられないとか、一人で抱えて頑張りすぎちゃってる人とか、いろいろいると思うんです」

山村「自分たちも同じように悩む人間として、音楽を通して、その答えを一緒に探していけたらいいなと思いますね。それはこの1年の中で見つけたことなので、伝えていきたいと思っていますね」

苦難の時期を乗り越え、彼らは新たなメッセージを届けに行く。


【取材・文 : 前田将博(LINE NEWS編集部)、写真 : 黒羽政士、動画 : 水島英樹】

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