1999年に「月と太陽」でデビューした太陽とシスコムーン。当時はお姉さん的なイメージで売り出され、活動期間わずか1年半でありながら、今もなお伝説的なユニットとして語り継がれている。元祖オーディション番組『ASAYAN』(テレビ東京。95~02年)内で行われた「つんくプロデュース芸能人新ユニットオーディション」合格者により結成され、メンバーは信田美帆、稲葉貴子、RuRu、小湊美和の4人。昨年、太陽とシスコムーン結成20周年を記念して行われた復活ライブも話題に。
そこで今回「テレ東プラス」は、復活ライブを行った信田、稲葉、小湊の3人を直撃インタビュー! 当時の『ASAYAN』の思い出などを存分に語ってもらった。
「ASAYAN」時代は、とにかく話せないことばかり(笑)
──太陽とシスコムーンといえば、やはり『ASAYAN』。まずは当時のオーディションの思い出から、教えていただけますでしょうか。
信田「オーディションではサンフランシスコを舞台に、2つのグループに分かれて合宿したんだよね」
小湊「そうそう! 同じマンションの一室で」
信田「みんなで共同生活をしたのよね」
──その2つのグループというのが、信田さんとRuRuさんがいた「サンフラン」と稲葉さんと小湊さんがいた「シスコムーン」。
小湊「もうとにかく話せないことばかりで...」
信田「なかなかだったよね~」
稲葉「うん! なかなかだった(笑)」
信田「やっぱり女子が8人も揃うと、いろいろな個性の子がいたので...」
稲葉「元宝塚の方やアイドル、女優さんもいたからね」
小湊「40日ぐらい合宿してたんだっけ? 言うなれば全員敵なんですよ」
信田「ライバルだよね。特に私が最初にいたサンフランチームは全員個性が強くて...。シスコムーンチームが穏やかで、とにかくうらやましかった!(笑)」
小湊「最初はRuRuもサンフランにいたんだよね。彼女は思ったことをすぐ口に出してしまうタイプで、"モーニング娘。さんは歌が上手くないですよね"とか平気で言っちゃう(笑)」
稲葉「いや、"さん"もつけてなかったから(笑)」
小湊「でもRuRuも、私たちを見ているうちに、次第に言っちゃいけないことが分かるようになって...」
信田「そういえば、RuRuが言ってた。"日本ってデビューしても大変だね"と。中国はデビューすると、新人でも芸能人として丁寧に扱ってもらえるらしくて...。日本はデビューしても新人だと下積み生活ですから」
小湊「そんなRuRuがいるチームだから、最初のサンフランチームは大変だったと思う」
信田「RuRu以外の子たちも個性が強くてね~。私は日体大の体操部で、4年の時にキャプテンをしていたから、演出家の方に"お前、キャプテンやってたんだろ? まとめられないか?"と言われてさ。私、結構しっかり考えてから言葉にするタイプなんだけど、"無理です!"って即答したもん」
小湊・稲葉「(大爆笑)」
信田「最初のパフォーマンスのときも、曲を決めるのが大変で。しかも私、洋楽とか全然聴かないから知らなくて」
稲葉「洋楽の曲でパフォーマンスをしなきゃいけなかったんだよね。楽曲を決めるのも、すべて自分たちでやっていましたから」
小湊「私たちはみんなでCDショップに行ってみんなで曲を決めたよね。シスコムーンチームは穏やかだから(笑)」
信田「うちは曲を1曲決めるだけでもバトルがあったよ!」
小湊「とはいっても、結果このメンバーになったし、決まったら決まったで自然とひとつになっていったというか...。そう考えると、こんなに人の人生を振り回した『ASAYAN』ってすごい番組だなって思います(笑)」
稲葉「当時はずっとドキドキしていて、自分たちも何が起こるか分からないような状態で」
小湊「太陽とシスコムーンで活動したから人生が変わったというより、『ASAYAN』でオーディションを受けたから人生が変わったんだなって思います」
稲葉・信田「そうだよね!」
同じ「ASAYAN」出身のみっちゃん(みちよ)や(中澤)裕子ちゃんとは交流があります!
──当時、ハロー!プロジェクトの他のグループの方たちとの交流はありましたか?
稲葉「年代が近い子も多かったので、楽屋に遊びに来てくれる子もいたよね。中でもみっちゃん(平家みちよ。現在はみちよに改名)は本当に私たちのことを好きでいてくれて...。みっちゃんは、ライブでもよく一緒になったんですけど、自分の出番が終わるとすぐ客席に行って、私たちを見るみたいな(笑)」
信田「あれは嬉しかったなぁ~」
稲葉「私は今でも仲良くさせてもらっているんですよ」
小湊「実は昨年、デビュー日にトークライブをやったんですよ。その時、当時の私たちを知っている人からコメントをもらおう! となって...。裕ちゃん(中澤裕子)もコメントを届けてくれたよね」
信田「記憶を呼び起こして、頑張ってくれたよね(笑)」
小湊「指示通り、きっちり3分のコメントをくれたから"さすが裕ちゃん!"と思った(笑)。やっぱりデキる人なんだなって」
信田「うん、裕ちゃんは出来る人だよ!」
小湊「彼女のおかげで出来上がったハロー!プロジェクトみたいなものなので...。よく、太陽とシスコムーンもハロー!プロジェクトの中のアイドルグループのひとつとして見られるんですけど、当時の私たちはアイドルのつもりで活動していなくて。これはつんく♂さんもおっしゃっていたことなのですが、"グループと言わず、ユニットと言いましょう"と。時代の流れでアイドルに見られがちでしたが、当時の私たちは、アイドルのつもりはまるでなかったんです」
──テレビ東京では「ヨルヤン」というオーディション番組を放送していますし、昨今では、YouTubeやSHOWROOMなど、たくさん発信するチャンスがありますよね。最後に、『ASAYAN』出身の皆さんから、新たに世に出ようとする後輩たちにメッセージをお願いいたします。
信田「まずは受けなければ始まらないってことですよね。若い頃、社会人の男性から"偉いよな~。いろんなことをやって"と言われましたが、私は"じゃあ、やってみればいいのに!"とよく思っていました。"落ちたらどうしよう?"とか"誰かが見てしまうかも"と周りの目を気にして一歩踏み出せず、応募できない人は多いかもしれません。でも、"自分は自分"という気持ちで、まずオーディションを受けないと始まらないので、ぜひ思い切ってチャレンジして欲しいですね。自分を出さなかったら、きっと人生後悔すると思いますし、何かに一生懸命になるというのはとても大切なことですから」
稲葉「そのときは恥ずかしいという気持ちがあっても、時が経てば"良かったな"と思えることが多々ありますからね」
信田「そうだね。あの一生懸命さはステキだったよねって...」
稲葉「きっと自分にとってもいい経験になるはず。もしかしたら、そこからまた何か派生するかもしれない。挑戦することで新たな道が見えてくると思うので、まずはチャレンジするところから始めて欲しいですね」
小湊「2人とも真面目だなぁ(笑)。私はこの2年間、『代々木アニメーション学院』で講師を務めていたのですが、まさにこういう講義をしておりまして...。ネタでもいいじゃないですか。オーディションを受けました、受かりました、落ちましたという履歴があることで、人生に色づけすることができると思うんですよ。何もしないよりきっと何かしたほうがいい。応募したいという気持ちがあるだけでもスゴイことですから。『ASAYAN』に応募したからこそ、今の私たちがあると思っています。勇気を出して、前に踏み出してほしいなと思います!」
(取材・文/今泉)
【太陽とシスコムーン プロフィール】
メンバーは信田美帆、稲葉貴子、RuRu、小湊美和。1999年に「月と太陽」でデビュー。プロデューサーをつんく♂が担当し、ハロー!プロジェクトの一員として活動。「月と太陽」「ガタメキラ」「Magic of Love」など8枚のシングル、2枚のアルバム、コンサートDVDを2本発売。T&Cボンバーに改名後の2000年10月に解散するも、デビュー10周年の2009年にトークライブ&再結成単独ライブを行ない、2015年には約15年ぶりに4人揃ってのトークライブが開催された。
2019年、結成20周年を記念して初のバンド・スタイルでのライブを決行。「太陽とシスコムーン 20th Anniversary Live Last & New Decade 2」として、【Blu-ray Disc】と【DVD Disc】の2タイプで完全映像化!! ファン必見の特典映像もたっぷり収録されている。
稲葉は古谷文乃(元大阪パフォーマンスドール)とユニット「(s)pirit color(ピリットカラー)」 略してピリカラ! を結成。オリジナル曲「だからね...笑った」を配信中♬