売れっ子から懐かしのスターまで、芸能人が驚きの近況を報告する番組「じっくり聞いタロウ~スター近況(秘)報告」(毎週木曜深夜0時12分放送)。「最新犯罪&業界の裏側大暴露スペシャル」では、日本で長年タブー視されていた性別適合手術の第一人者の波乱の人生を紹介しました。
日本での性別適合手術は、1964年に手術を行なった医師が逮捕されるという事件があり、それ以来、タブーとなりアウンダーグラウンド化。手術を受けたい人は、タイやフィリピンなどの海外の医者を頼るのがスタンダードになりました。そんな中、日本で性別適合手術を積極的に行ってきた一人の名医がいました。それが日本の性別適合手術の第一人者・和田耕治医師。それまで日本での公式な記録は14例しかなかった性別適合手術を、600例以上も手がけてきました。
人知れず患者を救ってきた名医・和田耕治医師について、元妻でライターの深町公美子さんが語ってくれました。
もともと美容整形外科医だった和田医師が性別適合手術を始めたのは、ショーパブで知り合ったニューハーフから熱望されたことがきっかけ。1964年の事件以降、日本では30年以上タブーとされてきましたが、和田医師は「医療は法も宗教も関係ない。国ができる前から医療は行なわれていた」という信念の元に、心と体の性別が違う人のために立ち上がったのです。
ニューハーフに頼まれて執刀することになった和田医師は、まず睾丸を除去する手術からスタート。しかし、手術当日になって、お願いしていた看護師全員がボイコット。それでも和田医師は、たった1人で手術を成功させたのです。その患者は、翌年、女性器を形成する手術も行ない、和田医師による性別適合手術の第1号に。それ以来、性同一性障害で悩みを抱える人々が和田医師の元に殺到するようになりました。
性別適合手術を受けたい人のための病院を開業し、「やっと患者さんにとってのオアシスのような病院ができた」と話していた和田医師でしたが、2007年、53歳という若さでこの世を去ってしましました。タブーとされてきた手術にも挑み異端視されながらも、600人以上の患者を救ってきた和田医師の術式は「和田式」として現在も一部の病院で受け継がれているそうです。