会社員からヨガ講師、起業家へ「なりたい自分を叶えるために突き進む」竹脇まりなさんの転身ストーリー
生徒さんから圧倒的な支持を集め、メディアやイベントでもひっぱりだこのヨガ講師たち。そんな彼らに共通しているのは、「セカンドキャリア」としてヨガ講師を選んでいるということ。彼らの転身までの背景を知ることは、「どうしてヨガ講師として成功できたのか」に結びついているに違いない、そんな思いからスタートした企画。異業種からヨガ講師へ転身した彼らの、決意、行動、思いから、「本当に良いティーチャーとは」という講師の素質にも迫ります。
「生命保険会社の社員からヨガ講師への転身ストーリー」
日系アメリカ人のパートナーと結婚し、現在はNYと日本を行き来し「ウエルネス」を軸にビジネスを展開中の竹脇まりなさん。入社6年目、何の不満もなかった会社員生活に突然区切りをつけた真意と、その後の躍進の秘訣とは。フリーランスのヨガ講師の多くが知りたい集客術や、「唯一無二」になるための独自ノウハウを公開。
――前職は大手の生命保険会社にお勤めでしたが、どのようなポジションに就いていましたか。
入社して2年間は営業職です。誰もが知る広告代理店を担当し、才能溢れるクリエイターやバリバリの営業マンに突撃で保険商品を売り込む毎日でした。男性と肩を並べて働き、ハードでしたが刺激的。この2年間で自分から相手にアプローチする力を磨き、会社からの評価は良かったし営業成績は上々でした。その後、就活生の採用担当として人事部に異動。就職セミナーで学生たちを前に会社説明を行う機会が増え、今度は人前に立つのが楽しくなり、天職だと感じていました。
――順風満帆に見える会社員生活で何が退職へと突き動かし、ヨガ講師に転身したのですか?
確かに仕事はとてもやりがいがあり、満足できる収入もいただいていました。ですが、当時の私は会社のブランドを自分のブランドだとはき違えた嫌なヤツだったんです(笑)。いわゆる「大企業病」ですね。それに気付かせてくれたのは、結婚相手の一言。「会社の肩書がなくなったとき、本当になりたい自分って何?」と聞かれてハッとしたんです。彼も大手企業の社員でしたが、資格を取るための勉強をしたり、積極的に異業種交流をしたり、もし会社というブランドを失っても社会を生き抜ける努力を怠らない人。「私も会社のブランドにすがらず、個の力で生きていく力を付けたい」。そう思ったのが転職を決めた一番の理由です。
会社を辞めて私はどうなりたいのか……。思い浮かんだのが、60歳を迎えた今も現役のヨガ講師をしている母の姿でした。母は娘の私から見ても健康的で美しく、好きなことを仕事にして自分の力で収入を得る生き方が眩しく見え、「こんなふうになりたいな」と。「ヨガ講師は一生もののスキルになる」と感じたこともヨガの道を志した動機のひとつかな。私の場合、「ヨガを教えたくてヨガ講師になった」のではなく、「なりたい自分を叶える手段としてヨガ講師を選んだ」というのが正解です。
――そこからヨガの指導者資格を取ったのですね。スクール選びで重視したポイントは?
実はスクールに通う前、ロサンゼルスに行きました(笑)。ロサンゼルスはインドに次いでヨガ人口が多く、渡米の理由はヨガのメッカでトレンドを学ぼうと思ったから。現地に行き肌で感じたのは、カフェやシェアオフィスなどにもヨガが浸透しているということ。指導の場はヨガスタジオに限らないと知って視野が広がり、その後の活動方針を決めるうえで役立ちました。
帰国後、ヨガ講師の資格を取りに今度はインドへ。なぜインド?それはヨガの本場で学びたかったのと、他の人にはない特徴的な経歴を持つことが、講師になったときのアピール材料になると思ったからです。かといって、インドで学べればどこのスクールでもよかったわけでなく、私は学びたい先生と流派を基準にスクールを選びました。最近、スクール選びについて相談されることが多く、「自分が何を学びたくて、卒業後どんなヨガ講師になりたいか」を明確にするようにアドバイスしています。そのうえでイメージした自分に近付けるスクールを選ぶといいのでは。そして本気でヨガを仕事にするつもりなら、十分なティーチングスキルを習得する必要があり、座学に終始せずティーチングに時間をかけるスクールを選ぶべきだと思います。
――スクール卒業後は、ヨガ講師として順調なスタートを切ったのですね!
全然!ヨガスタジオのオーディションに落ち、「お金をかけてインドまで行って資格を取ったのになぜ?」って思いましたよ。でも後から考えると、それがいい転機に。私はヨガスタジオで経験を積み独立するという王道コースを目指すのを辞め、唯一無二のヨガ講師になるために努力する方向に切り替えたんです。そこで思いついたのが、「ヨガ×得意分野の掛け算」。私の場合、オーガニック料理ソムリエやアスリートフードマイスターの資格を持ち料理が大好きだったので、インスタグラムでヨガと家ごはんの写真ばかりをアップ。「ヨガ×ヘルシーな手作りごはん」が得意なキャラクターを確立し、理念に共感できるフードメーカーなどに自ら営業しコラボレッスンを開催したこともありますよ。
キャラクターを引き立てるには、他の人が目を付けていない「ニッチなもの」との掛け算も効果的。例えば、ピンクが好きなら各メーカーのピンクのヨガウエアだけを着て発信するとか。そうすると、乳がん啓発月間の10月に医療業界から声が掛かり、イベントに出演…なんてことになるかもしれませんよね。とはいえ、あまりにもニッチすぎると受け入れられない可能性があるので、「丸く尖る」くらいを意識した方がベター。
――フリーランスのヨガ講師として道を切り開くうえで、会社員時代の経験は役立っていますか?
活動の場を広げるために「自分から動く」という部分では、営業経験が間違いなく役立っています。ヨガを仕事にするうえで指導力と同じくらい大事なのが営業力と、もうひとつが提案力。自分の利益だけを追求しても、逆に奉仕の精神が強くても仕事として成り立たず、クライアント、レッスンの参加者、自分が満足する「三方良し」の提案の仕方を常に意識しています。例えばカフェにヨガレッスンの提案する場合、お店が利益を生まない営業前の準備時間を貸し切ります。そしてヨガ後にランチを提供してもらうとお店側に利益が生まれ、参加者はヨガ×食でプラスアルファの楽しみができて満足度がアップ。私はフリーランスのヨガ講師にとって一番のネックである「場所代」をかけずレッスンを開催でき、これで三方良しが成立するわけです。
――今やイベントを開催すれば満員必至ですが、竹脇さん流の集客術とは?
私の集客術はインスタグラムオンリーです。会社員時代、約300人だったフォロワー数が、今では約4500人に。ただしフォロワー数と集客数は比例しません。実は、ここが大事!人の心を動かすのは努力する姿勢や強い思いなので、「映える写真」や「カフェイベントを開催」という結果だけの投稿では集客数は増えません。イベントを自分で企画する場合、私は営業活動、打ち合わせ、準備など、完成までのプロセスをストーリーズでタイムリーにシェア。その中でイベントにかける思いを語り、努力している姿も恥ずかしがらず見せ、失敗談も赤裸々に。等身大を見せるようになると私の人間性に興味を持ち、「会いたい」と思っていただく機会が増え集客に直結するようになりました。
今でこそ積極的にインスタグラムを活用していますが、「こんな投稿をして前職の同僚や上司にどう思われるだろう」と、最初は気になって仕方ありませんでした。でも、その壁を超えて発信すると夢を掴む確立は格段にアップします。こんな私がヨガイベントを自主開催していいのかと、おこがましく思ったこともありました。そんな気持ちを経験したからこそ言えるのは、「これがやりたい」と思ったら100%の自分ではなく未完成のままでいいから走り出して! そこから経験を積むことで道は開けていきますよ。
――ヨガ講師を目指して養成コースに通う人たちにメッセージをお願いします。
みなさんの中には「あの先生のようになりたい」と思う、憧れの先生がいる人も多いのでは。そんなあなたに伝えたいのは、目標とする先生がいるのは良いことですが、他者に自分を寄せることは唯一無二でなくなることでもあります。なので、尊敬の念は大切に持ちつつ、考え方やキャラクターの部分は自分らしさを追求してください。あとは、ヨガスタジオ以外でもヨガ講師が活躍する場は増えています。ヨガ関連のアプリやオンライン講座にも指導の場を広げ、既存の価値観に捉われない人の方が飛躍しやすいと思います。
――現在はNY在住とうかがいましたが、海外を拠点にこれからどんな活動をしたいですか?
アメリカと日本の「ウエルネス」の架け橋になりたいと思い、「Wellness Bridge NY」という会社を起業し活動をスタートしたんです。海外にいるからこそ、「自分が何者であるか」をアピールできる要素が求められると思い、起業という形で新たな一歩を踏み出しました。具体的には、アメリカ進出を希望する日系企業を対象に、商品のテストマーケティングや販路の確保などを担っています。特別な人脈や事業経験は一切なし!ゼロからのスタートだからこそ、今とてもワクワクしています。
竹脇まりなさん
ヨガインストラクター、起業家。大手生命保険会社の社員からフリーのヨガインストラクターに転身。ヨガスタジオにこだわらず、カフェや企業などにヨガ指導の場を広げ活躍。卓越した営業力、企画力を武器にヨガで成功した実績を活かし、『アラサーの好きなことの見つけ方と具体的な行動』と題したビジネストークショーも開催し、同年代の働く女性から支持を集める。現在はNY在住。「ウエルネス」に携わる会社を立ち上げ、起業家として始動している。
Photos by Yugo Numata
Text by Ai Kitabayashi