サザンオールスターズ、Mr.Childrenなどのプロデューサーとして活躍してきた小林武史。その彼が2003年から取り組んでいるのが、自然エネルギーや環境保全などを推進している非営利団体「ap bank」だ。2005年から野外フェス「ap bank fes」も開催してきたが、今年は無観客配信にすることを決定。それでも小林の視線の先には、持続可能な社会のあり方が変わることなくあった。(取材・文:柴那典/撮影:佐々木康太/Yahoo!ニュース オリジナル 特集編集部)
身銭を切る覚悟が必要だと思った
「『続いていく未来』というものへの思いが最も大きい。僕らがいったいどこから来て、どこに向かってるのか。それが僕にとって最大の興味関心なんです」
小林武史はこう語る。彼には、二つの顔がある。
一つは、Mr.Childrenを世に送り出し、数々のヒット曲を手掛け、J-POPの一時代を築き上げた音楽プロデューサーとしての顔。そしてもう一つは、環境問題や被災地の復興支援に長く取り組んできた非営利団体「ap bank」代表理事としての顔だ。そして、その二つは密接に結びつき、絡み合い、表現者としての彼を形作っている。
2003年、小林はMr.Childrenの櫻井和寿、音楽家の坂本龍一との共同出資によって「ap bank」を立ち上げた。翌2004年に小林と櫻井はBank Bandを結成。2005年には野外音楽イベント「ap bank fes」が初開催された。これらのライブ収益、Bank BandのCDやDVDなどの売り上げは全てap bankの活動資金に充てられ、自然エネルギー推進や環境保全などのプロジェクトに融資を行ってきた。
「ap bankは自分たちの財布からお金を出して、続いていく未来のために頑張っている人たちに融資をするための活動なんです。僕や櫻井くんも、融資のための審査に毎回出ていました。ただ、やはり僕らが出しているお金だけでは、団体を運営していく資金としては心もとない。そこで初めて、音楽という自分たちが得意なものを使って、その収益を活動資金にしていくためにBank Bandを結成したんです」
「サステナビリティ」や「SDGs」といった言葉が日本で一般化したのはここ数年のことだが、それよりもかなり前から、小林は持続可能な社会のあり方を模索し、それを実現するための実践を続けてきたのである。
「なにか耳障りの良いスローガンを言うより、身銭を切って自分たちのベースを作って活動する覚悟が必要だと思った。社会貢献というよりも、社会の循環のための自分たちの役割を果たしていくために、身を挺してそこに入っていく必要があると思った。それで『bank』という言葉をつけて、ap bankを立ち上げたんです」
なぜ、小林はそうした活動に身を投じてきたのか? その原点には何があったのか。
Mr.Childrenのプロデュース、そして大ブレークへ
1959年、山形県新庄市に生まれた小林は、5歳でピアノを始め、20歳の頃に東京でスタジオミュージシャンとして活動を始める。70年代末から80年代初頭にかけて、時代はバブル景気を目前にしていた。
「当時のスタジオミュージシャンは、田中康夫さんが書いた小説の『なんとなく、クリスタル』の主人公のようなおしゃれな職業の象徴でした。そんな時代だったこともあって、レコーディングスタジオに居場所を作ったのがキャリアの始まりになっている。でも、その頃からカウンター的な思いを持って音楽活動をやっていました。ジョン・レノンの影響も大きかった。上の世代の学園紛争も見て育ってきた。そういうものが根っこにあるんです」
キャリアの転機となったのは桑田佳祐との出会いだった。1987年、小林は桑田佳祐のファースト・ソロ・シングル「悲しい気持ち (JUST A MAN IN LOVE)」の編曲やサウンドプロデュースに参加。続いて参加したファースト・ソロ・アルバム『Keisuke Kuwata』が大きな評価を集めたことにより、プロデューサーとしての地位を確立していく。
こうして引く手あまたの存在になっていった小林が「新人のバンドをやってみたい」とデビューからプロデュースに携わるようになったのが、1992年にメジャーデビューしたMr.Childrenだった。「必ずしもメジャー志向を全開に見せているわけではなく、ちょっと暗めのバンドという印象だった」というMr.Childrenは、結果的にメガヒットを量産し、日本を代表するモンスターバンドとなっていく。
「最初から『この道だ』ということが明確にあったわけではなかった。時代の狭間に僕もいたし、ミスチルもいて。そこでいろんなものを吸収していく土壌があったのかもしれないですね」
9・11、WTCは自宅から2キロの距離にあった
小林が30代後半に差し掛かった90年代後半は、CDが最も売れていた時代だ。自身もメンバーとなったMy Little LoverやYEN TOWN BANDのプロデュースも手掛け、希代のヒットメーカーとして不動の地位を築いた。しかし、その一方で、経済合理性が全てに優先し、大量生産と大量消費を余儀なくされる社会の仕組みに疑問も持ち始めていた。そんな中、小林は、2001年、アメリカ同時多発テロ事件に直面する。
「9・11の衝撃は大きかったです。その時は東京のスタジオでMr.Childrenのレコーディングをしていたんですけれど、『ニューヨークがすごいことになっている』と言われて、テレビをつけた。住んでいた自分の家は、ニューヨークのワールド・トレード・センターから2キロくらいしか離れていないところにあった。窓からビルが全部見えるくらいの近さで、当時ニューヨークにいた家族は2機目が突っ込んでいくのもビルが崩れるのも全部目撃している。その後にすぐ連絡がとれなくなって、どうやって僕がニューヨークに戻ったのか、もう覚えていないですね。カオスのような日々でした」
この時に感じたことが「ap bank」設立につながる大きなきっかけとなった。
「エネルギーの奪い合いから生じるいろんな人たちの思いや憎しみがテロを生んだわけなので。日本では対岸の火事のように思っている人が多かったかもしれないけれど、本当につながっているということを感じたんです。身近なところから地球環境まで全部がつながっているという実感があったんですね」
小林は、宮城県石巻市を主な舞台としたアート・音楽・食の総合芸術祭「Reborn-Art Festival」の実行委員長もつとめている。
2011年の東日本大震災は、「ap bank」にとっても、大きなターニングポイントになった。2011年と2012年に開催された「ap bank fes」はイベントの収益金全額を震災の復興支援に充当している。復興支援活動を続けていく中で、小林の中には長期にわたって開催される芸術祭を被災地で継続的に行っていくというアイデアが育っていった。
「東日本大震災は福島の原発事故を併発している震災でもある。それは東京という都市の豊かさを支えるために生まれた事故とも言える。だから、大きな経済への依存で成り立つ復興でいいのか、それだけではあまりにも危ういのではないかという思いが最初からありました。そんな中で、北川フラムさんという人との出会いがあった。北川さんが中心となって新潟県の越後妻有でやっている『大地の芸術祭』という芸術祭に2011年の夏に行くことになったんです。そこで、都市の経済ではなく、地域の営みの集積の中でこの世界ができているということが、はっきりと伝わってきた。アート作品を通して、自然の一部として僕たち人間がいるということを感じた。震災の後の東北にそういう視点を持っていくということが、大事なことなんじゃないかと思った」
「Reborn-Art Festival」は2017年に第1回、2019年に第2回を開催。震災から10年という節目の年を迎えた第3回は、2021年夏と2022年春の2期に分けての開催となった。
「芸術祭というのは音楽フェスと違って、長い期間でその地域に入っていけるんです。お金を落とすだけでは、長期にわたる地域との関わりをなかなか作れない。『Reborn-Art Festival』は2016年にプレイベントを行っていますが、準備が始まったのは2013年頃からです。宮城県石巻市というのは震災で一番被害があった場所のひとつですけれど、そういう場所で、都市にはできない『出会う』という化学反応を起こす必要があった。そこから『Reborn-Art Festival』が始まったんです」
エンタメは必ずしもわかりやすさが全ての美徳ではない
そして、10月3日には「ap bank fes ’21 online in KURKKU FIELDS」が開催される。
「ap bank fes」としては初の無観客生配信となる同ライブは、千葉県木更津市のサステナブルファーム&パーク「KURKKU FIELDS(クルックフィールズ)」で行われる。クルックフィールズとは、2019年、木更津市の内陸に位置する広大な土地に小林がオープンさせた、「農業」「食」「アート」を軸とした体験型ファームだ。
最終決定は直前のことだった。「ap bank fes」の構想自体は1年以上前からあったが、コロナ禍が続く中でフェスを開催できるのか、どういった形なら運営が可能なのか、何度も話し合いが繰り返されてきた。
「『ap bank fes』に関しては、収容人数5000人が上限というのでは、運営が厳しいという判断があったことや、8月後半に向かって、特にフェスへの風当たりの強さなどを考えて、ほぼ中止を考えていました。9月に入ってからクルックフィールズで開催するというアイデアが突然生まれて、設営や運営経費が格段に下がることと、ここでやるべきなのではないかという直感のようなものが櫻井くんや僕の中に生まれたというのがあります。最終的には無観客配信を選んだわけですが、それは『ap bank fes』は『続いていく未来』に対して、今までも多くのアーティストとともに存在感を持ってきたと思っているので、やはりこの時期に無理はできないなということ。いつもよりはコンパクトな見え方にはなるのでしょうけれど、自然豊かで、植物や動物の命もあふれている環境を通じてのライブが音楽にも影響してくるように思います。自然の猛威を感じざるを得ないコロナの時代ですが、それでも『次の未来』へ向かって、イメージして、命を咲かせていくというか、自然も音楽も計算通りにはいかないことの豊かさを逆に描けたらいいと思っています」
今回の「ap bank fes」のテーマは「to U」だという。Bank Bandが2005年にリリースし、これまで何度もフェスの場で披露してきた楽曲だ。9月29日にリリースされるベストアルバム『沿志奏逢 4』にも収録される。
「今回は、2005年にリリースした『to U』がテーマになっています。櫻井くんは『自分以外の誰かのためを想って』と言っていました。それがテーマと言えると思います。僕はそこに補足をしたのですが、『自分以外の誰かのためを想って』という言葉の中の、『自分以外』というのは、『自分たち以外』と言い換えることもできるし、『自分以外の何かのため』と言い換えることもできると僕は思っています。その境界は固定されたものではないはずだけれど、そこを行き来する思いや何らかの力が、本当に大切なものだと思っています」
『沿志奏逢 4』は、Bank Bandの18年の活動を総括するベスト盤である。ap bankやBank Bandでの経験を通して、自分たちの手から離れさまざまな人々のもとへ届いた作品たちによって、自分たち自身もより豊かな音楽体験を積み重ねてきたという実感が小林にあるのだという。そこにあるのは、音楽が社会の中で循環していく姿であり、『沿志奏逢 4』に収録されているのは、いわば持続していく作品たちだ。
「ap bank fes ’21 online in KURKKU FIELDS」の舞台となるクルックフィールズを運営する会社「kurkku(クルック)」を小林が立ち上げたのも、『to U』のリリースと同じ2005年のことだ。2010年には木更津に約9万坪(30ha)の牧場跡地を購入し、残土置き場になっていた場所を開墾し、10年以上にわたって有機農業に取り組んできた。
ap bankに端を発し、小林らが行ってきた食や農業の分野における一つの試みが、今度は音楽の場として活用されることになる。
「エンターテインメントというのは、必ずしも『わかりやすい』ということが全ての美徳ではないんです」
小林はこう語る。20年をかけて、じっくりと地に根を張ってきた循環型社会への探求が、確かな実を結ぼうとしている。
小林武史(こばやし・たけし)
Mr.Children、宮本浩次、back numberなど、数多くのアーティストのプロデュースを手掛ける。My Little Loverのほか、岩井俊二監督の映画『スワロウテイル』でも、音楽監督のほかYEN TOWN BANDのメンバーを務めた。2003年にMr.Childrenの櫻井和寿、坂本龍一と非営利団体「ap bank」を設立。