自信に満ち、大人の魅力を纏ったボーカリスト・倖田來未だが、本人いわく「実は自信がない私」がつくり上げた「理想像」なのだという。本当の性格は、人見知りで臆病。20年の芸能生活では、何度も苦しい時間と直面しながら、それでも歌を諦めなかった。30代ラストイヤーを迎えた節目に「イケイケドンドンだった20代」「環境がガラリと変わった30代」を振り返り、そしてこれからを語った。(取材・文:山野井春絵/撮影:吉場正和/Yahoo!ニュース オリジナル 特集編集部)
息子が眠りにつくまではなるべく一緒に
スタジオは、熱気に包まれていた。黒のジャケットとハイヒール姿で、躍動的にカメラと向かい合う倖田來未。「エロかっこいい」という代名詞そのままに、年齢を重ねて湧き立つ魅力を放っていた。
控室にやってきた倖田に挨拶をすると、一瞬ハッとして、伏し目がちに「倖田來未です、よろしくお願いします」と返した。はにかんだその姿は、まるで少女のよう。撮影中は、身長以上に背高に見えたが、そのギャップに驚く。
いざインタビューが始まると、アクセル全開。根っから明るい関西人、華やかなオーラを纏ったボーカリスト・倖田來未がそこにいた。コロナ禍で迎えた昨年のデビュー20周年について振り返る。
「ライブって、テーマパークと一緒で、異世界に行けるもの。童心に帰って、素直に泣いたり笑ったり。私は、そんな場を提供するエンターテインメントランドみたいなものだと思ってるんです。だから今後ライブができない時代がきたらどうしようって、怖かったですね」
倖田とスタッフは、安全にライブを開催する方法を模索し続けた。ソーシャルディスタンスを保つため人数を絞り、1日2公演。アリーナツアーを無事完走できた。
ステイホーム期間は、家族との触れ合いを大切にしながら、音楽を愛する自分を再確認。夫であるミュージシャン、KENJI03(BACK-ON)の協力を得て、自宅レコーディングにも勤しんだ。
「ふだんは家族よりもスタッフといる時間のほうが長いから、ステイホーム中は家族とべったり。私としてはいい時間でしたね」
もともと家族にプライオリティーを置いてきた。どんなに忙しくても、夕飯からお風呂、息子が眠りにつくまでは、なるべく一緒に過ごすことが「倖田ルール」だ。
「実家の母も共働きだったんですけど、夕飯の時間には帰ってきて、必ず家族でおしゃべり。食後はみんなでゲームしたりしました。それが幸せな記憶なんですよ。私もできるだけ仕事のスケジュールを調整するようにしています。家族、スタッフ、ママ友たちに支えてもらってますね」
出会ってからずっと、旦那さんに恋をしているんです
いまでこそ公私ともに充実しているが、2011年の結婚当初は引退も考えた。
「妊娠がわかってすぐ、報道されてしまいました。祝福の声もありましたが、バッシングもありました……。私は、理想の家庭像として、旦那さんも子どもも支えて、幸せにしたい、そういう思いが強かった。私のプライベートの変化で周囲がこんなに大変な思いをするんだったら、倖田來未であることをやめてしまおうか、と」
引き留めたのは、「君は『倖田來未』であり続けるべきだ」という夫の一言。そして、「元気な赤ちゃんを産んで、戻ってきてね」というファンからのメッセージだった。
「そうか、私にしか『倖田來未』はできないんだな、って。待っていてくれるファンがいるなら、歌い続けようと思いました。一緒に音楽を作ってくれる彼が隣にいて、本当に嬉しかった。私、出会ってからずっと、旦那さんに恋をしているんです。捨てられたらどうしよ、そんな不安もあるくらい(笑)」
SNSでは、ファミリーはもちろん、プライベートなショットはあまり掲載していない。影響の大きさを考えて、あえてそうしているのかと問うと、意外な答えが返ってきた。
「私ね、普段は押しつけがましいんですけど(笑)、プライベートな部分を見せるのって、苦手なんですよ。『これ、何か言われたらどうしよう』とか、『こんな服着ていいの、ちょっと露出させすぎちゃう?』とか、來未子、あ、本名が來未子なんですけど、実際の私は、意外とかなり人見知りなんです。『倖田來未』とは、真逆な性格で。ちょっとさっき、ご挨拶するとき、一瞬來未子が出ちゃったなと思って……ごめんなさい」
人見知りで臆病な「來未子」が、自分にないもの、理想を投影してつくり上げたのが、自信に満ち溢れたボーカリスト「倖田來未」なのだ。
「別に偽ってるわけじゃないんですけど、やっぱり、私とファンとの間で共有している『倖田來未』像は、あまりプライベートな部分を必要としないというか。なんか、本当の自分は、自信がないんです。私生活では『どや、どや』って見せられるものがない。インスタグラムでも、ちょっとプライベートっぽいものを投稿しようと思うんですけど、『あんまり投稿してたら押しつけがましいしな』って思っちゃって(笑)」
旦那さんとならリヤカーを引ける
11月に誕生日を迎え、39歳になった。40代は目前だが、気持ちは20代のままだと笑う。
「もう最近は、とにかく『年齢に逆らって生きろ』みたいな、どうにかちょっとでも綺麗でいたいっていろいろやってます。『エロかっこいい』と言っていただきましたけど、やっぱり若い頃は露出が多めのファッションづくりをしてきました。でも、かっこよさは引き算というか、隠すことも大切だと思っていて。露出は少なめでもセクシーに見せられる方法はあるんじゃないかな、と」
結婚してからの10年は、あっという間に過ぎていった、と振り返る。30代、安定して芸能活動を続けてこられたのは、やはり家族のおかげだ。
「旦那さんとなら、リヤカー引けるな、って思って、結婚しました。音楽活動ができなくなってしまったとしたら、カレーでも作って売ろうか、って言うと、いいよ、って答えてくれる人。倖田來未を応援しながらも、來未子としての私も、ちゃんと見てくれている。絶対に味方でいてくれる安心感があるんです」
さらに遡って、デビューしてからの10年を過ごした20代は、本人いわく「イケイケドンドンという感じ」。数年の下積み時代は悔しい思いもしたが、若さで乗り切ってきた。
「クラブで歌っていた時代は、マイクの音が出ないとか、お客さんが3人しかいないとか、瓶ビールの箱の上にベニヤ板のステージとか、そういうところで歌ってきて、だんだんファンの方が増えて、大きなホールを埋めることができるようになっていった。やりたいことを、次々と形にできた時代でした。とにかく20代は刺激的でしたね」
ソロアーティストとしてドームライブを成功させたことが、20代の倖田にとって、最も誇らしい出来事だという。
「倖田來未」という芯を曲げなかった
今月、倖田はデビュー20周年を締めくくるオールタイムベストアルバムを発売する。サブスク時代にあっても、やはり形に残るCDには強い愛着がある。
「配信は便利ですし、世界的にも聴いていただけるから、すごくいいと思うんです。ただ、たぶん何年もしたら、またCDに価値が出てくるんじゃないかな、と思ってます。倖田來未の20年の歴史を楽しんでいただけたら嬉しいですね」
20年以上、多くのファンから愛され続ける、その秘訣は何だと思うかと尋ねると、目を輝かせて答えた。
「『倖田來未』という芯を曲げなかったこと、かな。いろんなつらい時期もありましたけど、家では自信のない『來未子』という女性が、堂々としたパフォーマンスを見せる『倖田來未』のスタイルを貫いてきた。アーティスト、女性像を、ブレずに持ち続けてきたことが、今につながっているのかな、って。もう家やったら、ずっとテレビ見ながらアイスやお菓子を食べてるんで。でも、来週からそろそろ撮影始まるな、となったら、食事を控えたりとか(笑)」
自分自身の中で見つけてきた「倖田來未」というスタイル。根本はそのままに、さらなる進化を続けている。
倖田來未(こうだ・くみ)
1982年、京都府生まれ。2000年11月に「TAKE BACK」で全米デビュー。日本では同曲で同年12月にデビュー。以後数々のヒット曲を生み、東京ドーム公演や海外公演なども開催し、数多くの実績を残す。オールタイムベストアルバム「BEST~2000-2020~」を12月6日に発売。