コロナ禍で夢を諦めなければならなかった――。そんな若者が増えている。終わりの見えないコロナ禍は、経済をも混迷させ、若者たちの就職の門戸を狭めており、厳しい状況の中で本来の夢を捨てて生きる選択をした人たちもいる。社会環境の変化に戸惑いながらも前を向こうとしている若者たちが見ている「現実」とは。(取材・文:宗像明将/撮影:稲垣謙一/イメージ写真モデル:五味未知子/Yahoo!ニュース オリジナル 特集編集部)
※取材は2021年の緊急事態宣言中に行い、イメージ写真の撮影は緊急事態宣言の解除後に行った。
今しかできないことを奪われる、でも、もう戻れない
夢を追うために、4年間続けたアイドル活動を卒業したところ、コロナ禍に直面した人がいる。20歳のみくさんは、ディズニーランドのダンサーを目指すため、昨年春にアイドルを卒業したものの、その夢を諦めざるをえなくなった。
「オーディション自体が去年はなかったので、受けてないです。アイドルを卒業して、すぐに緊急事態宣言が出て、ディズニーも閉まったじゃないですか。だから、その時点で『たぶんダンサーのオーディションはないな』と思って。コロナがなければできたのに、っていう気持ちはめちゃめちゃありました」
外出自粛の後、コンビニ店員として働き、みくさんは昨年8月からアパレルショップの正社員に採用されて働きだした。
「私はお洋服がすごい好きなんで、アパレルの店員さんがやりたくて探したんですけど、コロナで全然募集がなかったんです。でも、正社員募集を見つけて応募して、8月に就職できました。アイドルを約4年やってたっていうのを履歴書に書くと、『この子は4年も頑張ってたんだ』って信頼されるんです。長く続けて良かったなって思います」
みくさんは実家暮らし。そして正社員となって経済的に安定したがゆえに、ディズニーのダンサーという職業を冷静に見ることになった。コロナ禍でタイミングを失ったと語る。
「今の正社員のお給料で過ごしていたら、ディズニーのダンサーのお給料じゃ、もうやっていけないんです。就職したからには、すぐに辞めたいとは思わなくて、でも、ディズニーのダンサーに挑戦できるのが22、23歳になっちゃったら、ちょっときついかなと思って。将来のことを考えると、ディズニーダンサーをやるタイミングがもうないなって思います」
2度目の緊急事態宣言の最中、みくさんの働くアパレルショップは、時短営業で20時閉店に。仕事を終えると、帰宅しか選択肢がなかった。
「せっかく20歳になって、お酒も飲めるようになったのに、20時で帰らなきゃいけないとか、『なんか自由がないな』って思います。お仕事終わるのが20時なんで、お仕事の日はもう遊べないです」
しかし、みくさんは、昨年のように強い外出自粛をしたほうがいいとも語る。そこには、2度目の緊急事態宣言中も店頭で働いていた人ならではの視点がある。
「コロナを早く収めるようにしてくれれば、最初の緊急事態宣言みたいに一定期間の自由が奪われたとしてもいいと私的には思います。やっぱりお店が開いてたら人は来るんです。マスクしてないお客さんもいて、すごい怖いんです。でも、いつもよりお客さんは少ないし、売り上げが取れないから、閉めちゃえばいいのになと思ったりはします」
みくさんは、周囲の友人、弟、そしてアイドルたちのことも気にかける。
「大学生の友達にも、ずっとリモート授業で学校に行けてない子がいるんです。高校生の弟がいるんですけど、修学旅行に行けなくなっちゃって。アイドルの子たちだって、満員の景色を見てライブができないって思うと、なんか苦しいですよね。仕方がないんですけど、今しかできないことを、コロナのせいで奪われる。でも、年は取るから、もう戻れないじゃないですか。若い人たちの大事な時間が奪われてるっていうか、なんかつらいなって思います」
19歳、ずっとアルバイトで生活してきたので休みたい
通信制高校の4年生で19歳のたけおさん(仮名)は、高校生になってから家庭環境の問題で児童養護施設に保護された。現在は、シェアハウスで暮らし、アルバイトで自身の生計を立てている。
「アルバイトは二つやってて、一個はファミレスのキッチンで、もう一個は介護です。最初の緊急事態宣言前は、収入が10万とかいってたんですけど、緊急事態宣言でファミレスの収入が本当に落ちて、7万とかまで下がった感じです。そのうち5万は家賃になるので、食費とかスマホの通信費とか、ちょっときついなって感じですね。去年の夏の間に、めちゃくちゃバイトを増やしてたので、そのときの貯金で生活できてる感じです」
コロナ禍で厳しい経済状態になる以前、たけおさんには働いてみたい場所があった。
「ライブハウスの店員さんをやりたいなと思ってました。高校4年になったとき、自分が働きたいライブハウスがあったので履歴書を送ろうとしてたんですけど、コロナでそこのライブハウスも休業になっちゃって。就職で音楽関係の仕事をしたかったけど、今だと経験がなさすぎるかなって」
「それでも世界が続くなら」やamazarashiといったアーティストが好きなたけおさんは、自身でギターも弾く。履歴書を送ろうとしていたライブハウスは、前者を初めて見た会場だった。
「そのとき中学生で、ずっとそこのライブハウスで働きたいと思ってたので、やっぱりやりたかったなっていうのはあります」
しかし、「コロナで夢を諦めた」という感覚はないという。そもそも親という後ろ盾がないからだ。
「自分ができる範囲でかなえられそうな方法を探すというか。学校の音楽の部活に入ったり、友達とバンドを組んで、地元の高校生が集まってやるようなイベントに出たり」
やりたいことを、自分のやれる範囲でするという姿勢には、達観すら感じる。ただ、今後就職してひとりで生活していきたいと考えているなかで、不安はあるという。
「やっぱり自分の場合は、働き続けないと、本当に家がなくなるので。ちゃんと働き続けられるかなっていう不安ですね。社員として就職したいです。ただ、高校1年から、ずっとアルバイト、アルバイトで生活してきたので、どっかで休みたいなっていうのもあって」
19歳にして「休みたい」と願ってしまうような生活で、就職に対するモチベーションも上げられないのが現状だという。いま休めたら何がしたいかを聞くと、そこにはやはりたけおさんにとっての原点があった。
「音楽はもう一回やりたいですね。バンドを組みたいです。バンドの4人とかでひとつのものを作り上げるっていうのは憧れます」
本人の特性に合った教育の機会が必要
コロナ禍でも若者たちは自力で道を切り開こうとしているが、ワクチン接種が始まった現在も、コロナ禍がいつ収束するのかはまだ不透明だ。たけおさんも含め、生活苦に直面する高校生を支援している認定NPO法人D×P(ディーピー)の理事長・今井紀明さんは、コロナ禍で苦境に陥った若者から相談を受ける機会が増えた。
「すでに社会関係資本や経済資本がある人にとっては、少しの休業や負荷は耐えられるかもしれないですが、それがない人には、コロナでの休業は大打撃になってしまうと思いますね。資本主義経済なので、どうしても格差は生まれると思うんですけど、いま特に若者に対して格差を是正する施策ってないですよね」
それは、今井さんに相談する層の変化にも表れているという。
「内定取り消しにあった大学生とか、親に経済的に頼れない大学生や専門学校生とか。女の子だと、もうパパ活をせざるをえなくて、それで苦しんでる場合もあります。偏差値が高い国立大の子からも相談が来るんですよね」
D×Pは、10代がLINEで進路や生活の相談ができる「ユキサキチャット」というサービスを提供しているが、コロナ禍の1年弱で、700人から4000人近くまで相談者が急増したという。そうした現状を受けて、今井さんは、10代が孤立せず生きていくための三つの重要なポイントを挙げる。
「一つ目は、生活の安心ですよね。食事ができて、暴力がないとか、基本的な生存の権利が保護されるような環境は絶対守られるべきです」
「二つ目は、セーフティーネットの役割を果たす相談先です。適度な距離感でアクセスできるオンライン上の相談先が必要だと思います。いまオンライン上で、自分の危機的なことを相談できる相談窓口は数が限られています。政府が整備してこなかったこと自体が大きな問題だと思います」
「三つ目は、教育の機会です。高校生たちと話してると、接客やレジなどの仕事が苦手な子も多いです。でも、D×Pがパソコンを寄贈したら、ゲーム制作や動画制作で会社に勤めている子もいるし、在宅ワークにつながった子もいます。本人の特性に合った仕事について学べる機会が必要なのではないかと思いますね」
バブル経済崩壊後の1990年代半ばから2000年代前半に社会に出た若者たちは、「就職氷河期世代」あるいは「ロスジェネ」と呼ばれることになった。2020年からは就職氷河期世代を対象とした国家公務員の中途採用試験も始まったが、それは就職氷河期世代の最初の世代が、約25年も政府から放置されていたことを意味する。コロナ禍に社会に出た世代も、放置される運命にあるのだろうか。菅義偉首相が掲げる政策理念「自助・共助・公助」における「公助」の責任が、いま問われている。
今井紀明(いまい・のりあき)
認定NPO法人D×P(ディーピー)理事長。2012年にD×Pを設立。オフライン(学校現場)とオンラインで生きづらさを抱えた若者に「つながる場」を届ける若者支援コミュニティーを作っている。
https://www.dreampossibility.com/supporter/
撮影協力:葛西海浜公園、新宿LOFT