中神一栄/「ナカガミ」デザイナー
PROFILE:(なかがみ・かずえ)1979年広島県生まれ。服飾専門学校を卒業後、アパレルメーカー勤務を経て渡英。帰国後に「サカイ」など数社でパタンナーとしての経験を積んだ後に独立。地元の広島を拠点に、2013年に「ナカガミ」の前身「ウェイ」を立ち上げ、19年 に「ナカガミ」を開始した
WWD:出店を決めたのは8月だったと聞いた。コロナの収束が見えない中での出店は、なかなかのチャレンジだ。
中神一栄「ナカガミ」デザイナー(以下、中神):元々、広島を拠点にしていても企画や生産面では困ることはありませんでした。ただ、“伝える”“見せる”という点は広島だとやっぱり難しい。広島と東京の2拠点でやれたらいいなとは以前から思っていたんです。そんな中でコロナが広がって、1拠点のままだとブランドの成長にブレーキがかかってしまうと思った。それで、かなり悩んだ末に東京にお店を出そうと決めたんです。とは言え、シリアスに思いつめたわけではありません。ダメだったらやめればいいじゃん!と思って(笑)。失敗しても困るのは自分。もちろん、巻き込んでいる人はいるのでそこは甘え過ぎないようにと思っていますが、「上手くいかなかったらどうしよう」といった不安はありません。
WWD:今は店を持たずにECだけでどんどん売っていくブランドも多い。
中神:最初から知名度があるブランドはそれでいいですが、うちのようにまだ認知されていないブランドだと、なぜこの商品が数万円するのか、どういった背景で作られているのかといったことをしっかり伝えないと売れないと思います。何万円もするものをECだけで売るというのは、私個人はどうもピンとこない。それに、商品そのものの良さと同じくらい、(販売員など、ブランドに関わる)人も良くないとダメです。変な人からモノは買いたくないですから。
WWD:スタッフを紹介してくれた先輩だけでなく、店舗デザインを手掛けたサポーズも広島つながりだし、広島を代表する有力専門店「レフ(REF)」の中本健吾代表にも、出店にあたっていろいろと相談したと聞いている。“広島コミュニティー”の結束は固い。
中神:「レフ」の中本さんは通常なら買い付けで国内外を飛び回っていますが、ちょうどコロナで広島にいたというのがとてもありがたかった。什器のことやお店まわりのことは全部中本さんに教えてもらいました。中本さんは文句は言いつつ、すごく丁寧に教えてくださるんですよ。サポーズさんも大人気の事務所なのに、忙しい中で仕事を受けてくださいました。私が抜かりなくバリバリ仕事をこなすタイプじゃないから、皆さん助けてくださるんだと思います。
通行人も思わず立ち止まる ガラス箱型の店舗
WWD:中目黒の店舗は、道路に面した区画の中にガラスボックスが斜めに置かれたような形。足を止めて見ていく人も多い。
中神:このエリアを選んだのは、もともと私がバンタンデザイン研究所(現在は恵比寿だが、以前は中目黒に校舎があった)出身で、このあたりに住んでいたこともあるから。この界隈には親しみがあります。青山や表参道も考えましたが、なんだか疲れてしまいそうで。春になったらガラス戸を開け放ってベンチを置いて、お客さんにお茶を出したりもしたい。居心地のよい空間にして、「このお客さん、まだいるの?」っていうくらい長居してもらえるように。この物件は(サポーズの)谷尻さんが見つけてきてくれました。天井も低いし、声も響くから最初はあまり乗り気じゃなかったんです。それを谷尻さんに伝えたら「何も置いてないんだから、どんな物件だって声は響くよ」と諭されました。最終的には、谷尻さんがここがいいと言うんだから、間違いないだろうと思って決めました。
WWD:ガラスのボックス自体は3メートル×7メートルと、とてもコンパクト。区画いっぱいを店にしていない分、一般的な店の作り方から考えると、面積がもったいないような気もする。
中神:そこはもう谷尻さんとのせめぎ合いです。私ももう少しボックス自体を大きくしたいと思い、10センチ単位で交渉しました。でも「デザインってそういうことじゃないから」と。ガラス戸を開け放つことができる作りはウィズコロナ時代にぴったりですが、扉を全てなくして完全にオープンエアな店にしてしまおうという案もあったんです。それはさすがに服にほこりがかかるのでやめてもらいました。店を出すと決めたのが8月で、物件が決まったのが9月末。それで年末にはもうほぼ店は完成していたので、サポーズさんには時間もお金もない中で仕事をしていただいた。ガラス戸と共にポイントになっている波板や金属のフレームは、実は本来は見える部分には使わないような資材なんです。そういうふうにして、作りたいものは作りながら予算は抑えています。
中目黒がうまくいったら、2号店は広島に
WWD:「ナカガミ」は立ち上げ3年目。卸先は個店セレクトショップを中心に約20社に広がり、PRや営業など、外部のサポートスタッフも集まっている今は成長のタイミングにある。今後、ブランドとして目指すものは。
中神:一番の目標は、服の仕事を続けていくこと。会社でスタッフにガミガミ言ってしまうときもありますが、スタッフにはうちで働いていて楽しいなと思ってほしい。売り上げはそれについてくるものだし、それでちょっとずつスタッフのお給料や休みを増やしていきたい。そういうポジティブな空気がお客さまにも伝わって、「すてきな人たちがいるブランドだな」って思ってもらえたらうれしいです。不思議なことですが、自分の調子がいいときって、周りにもすてきな人が集まってくるものなんですよね。私は引き出しがたまたまファッションだったとうだけで、自分にとって一番大切なのは周りの人と楽しく生きていくということなんだと思います。そういう関係性の中で、好きな服が続けられたらうれしい。
WWD:もう一度、拠点を完全に東京に移そうとは思わない?
中神:それは全く思いません。中目黒のお店がうまくいったら、2号店は絶対広島に出そうって思っています。東京から広島にUターンしたときは、「ファッションの仕事は辞めて、自分に何ができるかあらためて考えよう」という気持ちだったんです。憧れの「サカイ」に勤めることができて、アメリカのミシェル・オバマ(Michelle Obama)大統領夫人(当時)が私も関わった服を着ているのを見て、専門学校生のころに描いていた夢はもう叶ったなと思った。そう思って帰郷したのに、もう一度ファッションをやろうとブランドを立ち上げたぐらいだから、私はやっぱりファッションが好きなんだなって思います。