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“脱インテル”の道を歩むアップルは、Macをまったく新しい製品へと生まれ変わらせる

2020年6月27日 13:00 WIRED

何度も何度も繰り返し噂されてきたことだが、アップルがMacにおけるインテル製チップへの依存から脱却することを正式に発表した。代わりに、すでにiPhoneやiPadで実績のある独自のARMベースのプロセッサーが、アップルのコンピューティングにおける“未来の頭脳”となる。

通称「Apple Silicon」への今回の移行がもたらす効果は、アップルのノートPCやデスクトップPCの性能向上だけではない。あらゆるアップル製デヴァイスに驚くべき統合効果をもたらす点で、極めて重要な動きだ。

最高経営責任者(CEO)のティム・クックは、22日(米国時間)にオンライン開催された開発者会議「WWDC 2020」の基調講演で次のように語っている。「わたしたちがものごとを大胆に変更するとき、それは単純でありながら強力なひとつの理由に基づいています。『従来よりずっと優れた製品をつくる』という考えです」

ARMベースの最初のMacは、今年中に発売される予定だ。アップルは移行の完了まで2年かかると想定しており、それまではインテルのプロセッサーを採用した新製品も一部で発売する。

その新しい世界がいつになるのかという問題は、いかにアップルが移行を実現するつもりなのかという問題と比べれば小さなものだろう。結局のところ多くの場合、パートナーシップの解消には困難がつきまとうのだ。

スムーズな移行が可能に?

アップルとインテルの関係の始まりは、アップルがIBMのプロセッサー「PowerPC」からインテル製に移行した2006年にさかのぼる。このときは苦難の時期が1〜2年ほど続いた。既存のソフトウェアを開発者がインテルの「x86」アーキテクチャーに対応させるために、アップデートする作業が必要になったからだ。

新しい小説を別の言語に翻訳する作業のようなものだといえば、その大変さが理解できるだろう。こうした作業が開発者を再び待ち受けているが、前回の移行に比べればそこまで大変ではないようだ。

「極めてスムーズな移行になると考えています」と、iOSやmacOS向けソフトの開発者であるスティーヴン・トラウトン=スミスは指摘する。理由のひとつは、すでにアップルが地ならしをしてきた点にある。

アップルは数年前、ARMの64ビットアーキテクチャーに対応していない32ビットアプリのサポートを中止した。また昨年のWWDCでは、iPadアプリを再プログラムしなくてもmacOSで動作できるようにする開発ツール「Mac Catalyst」を発表した。

そして、数カ月前には「ユニバーサル購入」という仕組みが導入された。アプリを一度購入すれば、iOSやiPadOS、macOSでも使えるようにするシステムだ。これらの機能はまだ広く利用されているわけではないが、macOSとiOSが同じプラットフォームで動作している環境なら、その効果を存分に発揮させることができる。

アップルが用意した“安全策”

それでもアップルは22日の発表で、移行プロセスにおける障害をできる限り減らすための安全策をいくつか明らかにした。

そのひとつが「Rosetta 2」というソフトウェアだ。インテル対応のソフトのARM対応が遅れた場合に備えて、インテル用をそのままARMベースのMacで動作できるようにする。

Rosetta 2ではLinuxの仮想化も実現できる。だがアップルはWindowsについては、今後もMacで「Boot Camp」や仮想化ソフトウェア経由で動かせるかどうか言及していない。最も興味深く、かつ予期していなかった点として、iPhoneやiPadのアプリがARMベースのMacではそのまま動くという。

「今回の発表から推測すると、アップルの新型チップは現行のMac用ソフトをほぼネイティヴの速度で走らせることができ、重い3Dゲームやプロ仕様のソフトにも十分に対応できるようです」と、トラウトン=スミスは言う。「iOSやiPadOSのアプリが最初からMacで使えるということは、あらゆるニーズで利用できるネイティヴアプリを、ユーザーがほぼ確実に手にするということです」

WWDCで披露されたデモの威力

ARMへの移行に関する話題は、プロ仕様のアプリにどれだけ対応できるかに特に集中している。こうした不安を和らげるためか、アップルはいくつかのデモを披露した。アップルの映像編集ソフト「Final Cut Pro」のApple Silicon対応版を動作させたほか、Rosetta 2を利用してゲーム「シャドウ オブ ザ トゥーム レイダー」や3Dモデリングソフト「Maya」を滑らかに動かして見せたのだ。

「アプリをインストールした時点でRosetta 2が(ARM対応に)変換してくれるので、アプリがすぐに立ち上がり、即座に反応します」と、アップルのソフトウェアエンジニアリング担当上級副社長のクレイグ・フェデリギは基調講演で語っている。「Rosetta 2はウェブブラウジングの最中など、必要なときにすぐコードを変換できます。非常に複雑なプロ仕様のアプリや、それらのプラグインも扱えるのです」

だが、あらゆるデモと同じように、こうした謳い文句はいくらか割り引いて聞く必要があるだろう。特に要求水準の高いアップルユーザーであれば、なおさらだ。

「スマートフォンに入っているマイクロプロセッサーをベースにしたチップで、10,000ドル(約107万円)で買ったばかりのMac Proの代わりが務まるとは、わたしにはとても思えません」と、市場調査会社ムーア・インサイト&ストラテジーのパトリック・ムーアヘッドは言う。「何らかの性能比較を示してくれたらよかったのですが」

インテル対応アプリは、いつ動作しなくなるのか?

確かにiPhoneやiPadに搭載されているチップ「Aシリーズ」は、インテル製の低電力チップに引けをとらない性能をもつ。だが、アップルの開発チームがどれだけ早急にチップの能力を高められるかは、いまのところ未知数だ。アップルが示している移行スケジュールによると、その答えは2年以内ということになる。

また、インテル対応のアプリが、いつARMベースのMacで動作しなくなるのかという疑問もある。積極的にメンテナンスされていないアプリの場合、この問題はなおさら深刻だろう。

アップルによると、すでにマイクロソフトやアドビといった大手が移行を進めているという。だが、特定のユーティリティソフトがまるごと置いていかれることもありうる。「アプリケーションを32ビットから64ビットに移行する際にもあったように、“選別”のプロセスが生じると思います」と、ムーアヘッドは指摘する。

わたしたちがいま使っているMacについても、どのタイミングで買い換えを迫られるかという問題もある。アップルはインテルベースのMacについても、macOSでのサポートや対応版OSのリリースを「今後数年は」続けると約束している。たが、具体的な期限は明確になっていない。ちなみにマイクロソフトはWindowsで、グーグルも「Chrome OS」で同じような統合効果をもたらそうと試みているが、その成功は限定的あることも指摘しておくべきだろう。

独自チップがもたらす大きな効果

アップルにとっての恩恵を考えれば、これらの一時的な障害に見合うだけの価値はあると言っていい。実際のところアップル自身の歴史が証明しているように、自社製の部品には大きな利点があるからだ。

アップルはiPhone用プロセッサーの基盤として、iPadやiPhone 4に「A4」プロセッサーを搭載した2010年からARMベースの活用を始めている。それ以来、アップルではモバイル端末のハードやソフトの一体的な開発ができるようになっている。効率の改善や特定用途に特化した性能の向上が可能になり、こうした考えをまねしようとする競合企業も増えている。

それに自社で利用するチップを自由に設計できれば、ライヴァルが太刀打ちできないような機能を提供することもできる。それを実際にアップルは、12年に発表したiPadの「Retinaディスプレイ」を「A5x」プロセッサーで動作させることで実現している。17年には独自開発のGPUにまで手を広げ、拡張現実(AR)が普及した未来に向けて優位なポジションを確保した。

この間、Macは蚊帳の外に置かれ続けた。インテル製プロセッサーに依存していることから、機能の差異化にも限界がある。エネルギー効率の面でも、ほかの製品ほど最適化できない。さらに、ますます遅れがちなインテルの生産スケジュールの影響を受けることにもなったからだ。

「独自開発のSoC(System-on-a-chip、ひとつの半導体にシステムを動かすために必要な機能を多く載せたチップ)をMacに搭載すれば、最終的により優れた製品を生み出せることはわかっています」と、ハードウェアテクノロジーズ担当上級副社長のジョニー・スルージは22日のWWDCで語っている。「わたしたちの主な強みは、独自のチップとソフトウェアとの緊密な統合にあります」

“Appleアプリ”だけになる世界

台湾積体電路製造(TSMC)が生産するであろう新型チップは、アップルにとって長期的にはコスト削減につながることも意味する。だが、そのコスト削減がどれだけ消費者に還元されるのかは未知数といえるだろう(かたずを飲んで待つほどではないかもしれない)。

一連の発表に対し、インテルは次のようにコメントを出している。「アップルはいくつかの事業分野において当社の顧客であり、引き続き当社のサポートを受けることになります。インテルは今後もコンピューティングに革新をもたらすような最新のPC体験や幅広いテクノロジーの選択肢を届けることに専念していきます」

なお、念のために指摘しておくと、インテルはデータセンターの技術やPC用チップから利益の大部分を得ている。Mac向けの事業を失っても経営が傾くようなことはないだろう。

今後については、従来のソフトを利用できるようにするRosetta 2が、どれだけ安定して動作するかにかかってくる。だが、それについても実際のところ明確にはなっていない。それでも消費者にとっては、今回の移行は比較的シームレスなものになりそうに思える。

アップルにしてみれば、移行の実現にはしかるべき動機がある。だが開発者にとっても、アップルの動きと足並みを揃える十分な理由がある。「開発者にとって、新型チップをサポートするかどうかは大きな問題です」と、Lopez Researchの創業者マリベル・ロペスは言う。「それでも複数のデヴァイスに対応する土台を築くと思えば、話は早いでしょう」

まさにそれこそが、ARMベースへの移行という“未来”がもたらすものだ。これからの世界では、もはやiPhoneアプリやiPadアプリ、Macアプリを個別に購入する必要はなくなる。どんなデヴァイスをもっていようと、“Appleアプリ”だけを買えばいい世界がやってくるのだ。


TEXT BY BRIAN BARRETT

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ネコ用“全自動トイレ”の最新モデルは、掃除のタイミングまで教えてくれる:製品レヴュー

2020年6月27日 09:00 WIRED

子どものころから、ネコはいつでもそばにいた。だから実家を出たときには、ネコを2匹もらってきて飼い始めた。夜中の3時にかわいい子ネコがベッドに毛玉を吐き出したりしなければ、本当のマイホームのように感じられなかったからだ。

ネコはいい。大好きだ。本当に好きだ。あちこちのショルダーバッグには、ネコの手のピンバッジが何十個も付けてあるし、あの太っちょなネコのキャラクター「ねこのプシーン」のグッズも何個かもっている。ミュージカル『キャッツ』の曲「スキンブルシャンクス – 鉄道猫」や「ラム・タム・タガー – つっぱり猫」の歌詞もすべて知っている。

だが、ネコを愛しているのと同じくらい、ネコが人生にとって重要であるのと同じくらい、トイレの砂の臭いは我慢ならない。

汚れていなくても、トイレの砂の臭いは嫌いだ。いつでも鼻の中がムズムズする。そして、掃除すべき時期を過ぎているネコのトイレほど、ひどいものはない。

だから神経質なほど汚れた砂をすくってしまう。これはやらざるを得ないただの家事なのだが、とにかく嫌なのだ。そこで数カ月前から、この家事を全自動ネコ用トイレの最新モデル「Litter-Robot 3 Connect」に任せている。

魔法のように排泄物が“消える”

リッターロボット(Litter-Robot)は、その名の通りネコのトイレロボットである。しかし、見た目はまるで宇宙船だ。これを居間に置いたところ、遊びに来た客は誰もが、ヘヴィサイド層への発射を待っている小さな宇宙船のように見えると言っていた(念のため説明すると、ヘヴィサイド層とは『キャッツ』に出てくるネコの天国を指す)。

機械としては複雑だが、設置も使用も掃除も、非常に簡単だ。箱から出して10分もしないうちに使えるようになる。そこでソファーの陰にしゃがんで、ネコたちが新しいトイレロボットを探る様子を見ていた。

仕組みはこうだ。ネコが中に入って用を足す。そしてトイレから出ると、数分後にトイレがブーンという音を立てて動き出す。中央の筒が回転して(コンクリートミキサー車の中にネコの砂が満タンに入っているところを想像してほしい)トイレの砂をフィルターに通し、排泄物と未使用の砂に分ける。筒が回転すると、排泄物は筒の下に隠れている引き出しへと落ちる。そのあとは逆回転して、新しい砂を次のネコのために補充する。

清潔に保つために、排泄物用の引き出しにはゴミ袋か本体に付属の袋を装着しておく。トースターからトレーを引き出してパンくずを掃除するようなものだが、満杯に入っているのが焦げたパンくずではなくネコの排泄物というだけだ。

スマートフォンのアプリにも対応

このロボットは、引き出しが満杯になって空にする必要があることを教えてくれる。Wi-Fi接続に対応しているので、スマートフォンやスマートウォッチで掃除のタイミングを伝える通知を受け取れる。掃除するときは引き出しを開け、袋の口を結べば終わりだ。何かですくう必要はない。

最初は臭いが心配だった。基本的に2日分のネコの排泄物が、ごみ箱ではなく引き出しに入れっぱなしになるからだ。ありがたいことに引き出しにはエアフィルターが備わっていて、臭いを抑えてくれる。それどころか、トイレの砂の臭いをかぐのも、引き出しを空にするときだけだ。

このWi-Fi対応のリッターロボットは、スマートフォンのアプリにも対応している。なぜなら、いまどきアプリに対応していないものなどないからだ。

インターフェースは簡単明快で、ネコが用を足した回数についての詳細なデータを教えてくれる。思わず笑ってしまうが、高齢のネコや健康に問題があるネコを飼っている人にとっては、獣医に伝えれば役立つ情報になるだろう。このアプリからリッターロボットを遠隔操作して、手動で砂を循環させたり、排泄物用の引き出しを掃除した時期を入力したりできる。

自分のリッターロボットに名前を付けることもできる。わが家のリッターロボットの名は「ミスター・ミストフェリーズ」で、これは排泄物を魔法のように消すからだ。もちろん、これも『キャッツ』からの引用である。まだ映画版を観ていない方は、ぜひご覧いただきたい。いい映画かと言われると微妙だが、素晴らしい映画ではある。

価格と機構の複雑さはネックになる

日々の雑事を引き受けるためにつくられたあらゆるロボットと同じように、そこには代償がある。金銭的なものだ。

覆い付きのネコ用トイレでも、一般的には40ドル(約4,300円)くらいで購入できる。これに対してLitter-Robot 3 Connectは499ドル(約54,000円)する。ネコ用トイレにしては高いが、ロボット掃除機「ルンバ」のようなものだと思えば中程度の価格帯である。目が飛び出るほど高いとみるか、家庭用の自動化技術のひとつとしては悪くないとみるかは、考え方次第だろう。

簡単に使えるとは言ったが、普通のネコ用トイレに比べれば複雑な構造になっている。つまり、不調になりうる箇所がいろいろあるということだ。今回のテスト中は機械のトラブルに見舞われることはなかったが、サポートフォーラムを見てみると、時間がたつと部品が壊れたり交換が必要になったりすることは珍しくないようである。

リッターロボットの開発元であるAutoPetsは、部品の交換が必要になった場合は部品を個別販売してくれるという。これはありがたい。

またリッターロボットは一般的なネコ用トイレよりかなりサイズが大きいので、置き場所を見つけるのが大変かもしれない。わが家の場合は洗面所に置くには大きすぎたので、居間の隅に置いた。この場所はよかったようで、ネコにも気に入ってくれた。音はそれほど大きくないものの、そのサイズゆえに目立つ。

日常のストレスを減らす製品

設置したばかりのころは、リッターロボットはかなりばかげていると思った。この価格はとても納得できない。ところが、しばらく使ううちに、そのありがたみを徐々に感じるようになった。

以前はトイレの砂の臭いがひどく気になった。遊びに来たほとんどの人がネコ用トイレの臭いに気づかないとしても(頻繁に掃除しているからだ)、自分はいつもわずかな臭いを感じている。誰かが訪ねて来れば念のため多めに砂をすくい、急に客がやって来たら、客が見ていない間にこっそり砂をすくっていたのだ。

リッターロボットがこの家にやって来たことで、日常生活からストレス要因がひとつ減り、家が少し居心地よくなった。それだけでも個人的には価値があった。これはルンバだと思えばいい。飼いネコがトイレ用に使うルンバなのだ。

◎「WIRED」な点
ネコを飼う際の面倒ごとを自動化してくれる。臭さの管理に優れている。掃除のタイミングをアプリが教えてくれる。トイレの砂を効率的に使用できる。

△「TIRED」な点
値段が高い。本体のサイズが大きいので、置き場所を見つけるのが大変。故障する可能性がある。


TEXT BY JESS GREY

TRANSLATION BY MIHO AMANO/GALILEO

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cat_7_issue_oa-wired oa-wired_0_8qvvrniq4gxp_多くの「死」の渦中にある生の証し:欧州の若手写真家たちがパンデミック下にとらえた11のシーン 8qvvrniq4gxp 8qvvrniq4gxp 多くの「死」の渦中にある生の証し:欧州の若手写真家たちがパンデミック下にとらえた11のシーン oa-wired 0

多くの「死」の渦中にある生の証し:欧州の若手写真家たちがパンデミック下にとらえた11のシーン

2020年6月26日 11:30 WIRED

欧州の若手写真家たちが参加する写真フェスティヴァル「CIRCULATION(S)」は2011年にパリで初開催されて以来、世界有数の写真イヴェントのひとつへと成長を遂げてきた。そこには毎年、新進気鋭のアーティストによる最先端の作品を鑑賞するために、世界各地から多数のキュレーターやコレクターが集まる。

これまでに作品を発表してきた写真家の多くは、いまでは輝かしいキャリアを築いている。そしてCIRCULATION(S)は2020年3月、16カ国を代表する45人の写真家の作品を集めた写真展を開き、その10周年を祝うはずだった。

その初日に当たる3月14日、フランス首相のエドゥアール・フィリップは新型コロナウイルスの感染拡大を防ぐために、必要不可欠ではない国内の全企業に営業停止を要請した。奇しくも写真誕生の地であるフランスで、CIRCULATION(S)は「必要不可欠」の基準を満たすことができなかったのである。

「中止を余儀なくされたとき、わたしたちにとっても未知の状況でした」と、CIRCULATION(S)のゼネラルコーディネーターのクララ・シャロウは語る。「最初はどうしたらいいのかわかりませんでした。でも、アーティストたちの作品をみなさんに見てもらうためにも、フェスティヴァルをこのまま終わりにしたくないという気持ちをスタッフの誰もが強く感じていました」


パンデミックへの不安を色濃く反映

写真展のヴァーチャルツアーを独力で実施することは難しかった。そこでシャロウをはじめとするキュレーターたちは、フェスティヴァルの今夏の再開に望みを託しながらも、CIRCULATION(S)のInstagramアカウントとFacebookページを使ったオンライン版写真フェスティヴァル「STAY HOME(S)」の開催を決断した。

CIRCULATION(S)のSNSアカウントには3月21日以降、2020年の参加アーティストによる新しい写真が1枚ずつ投稿されていった。新作を発表するアーティストもいれば、自身のアーカイヴから作品を選んで発表するアーティストもいる。

アーティストたちの写真の多くには、新型コロナウイルス感染症によるパンデミックに対する不安が色濃く反映されている。ドイツのフェリックス・フォン・デア・オステンは、人工呼吸器を手に持つ医療従事者を撮影した。ブルガリアのヴェラ・ハジースカは、自宅の植物たちを写真に収めた。それらは、あまりにも多くの「死」の渦中にある生の証しだ。

そしてポーランドのヴェロニカ・ペルロウスカは、テレビを見ている女性の奇妙なコラージュを制作した。その作品に彼女は、「絶望に脅かされ、希望に誘惑される」というキャプションをつけている。

「わたしのお気に入りです」と、シャロウは言う。「ある日、目覚めて『最悪の状況だわ』と言う。でも、また別の日には『大丈夫、わたしは生き延びられる』とつぶやく。ある女性の、そんな日常を見事にとらえています」

アーティストは危機を生き延びられるのか

誰もがそうであるように、写真家たちも自分の生活を心配している。家から出られない状況で、どうすれば写真を撮り続けられるのか。CIRCULATION(S)のようなフェスティヴァルに参加できるのか──。

「プロのアーティストが困難を乗り越えて創作活動を続けていくことは、本当に大変になってくると思います」と、シャロウは語る。それはキュレーターにも当てはまる。世界各地で毎年開催されている写真フェスティヴァルのなかで、いったいいくつが危機を生き延びられるのだろうか。

DropboxやWeTransferといったファイル転送サーヴィスのおかげで、写真はどこへでも飛んでいける。だが、写真家はそうはいかないのだ。そしてCIRCULATION(S)は2021年の開催に向けて、作品の募集を開始している。


TEXT BY MICHAEL HARDY

TRANSLATION BY GALILEO

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cat_7_issue_oa-wired oa-wired_0_2vfuw0huolic_シリコンヴァレーの「人種的多様性」の真の実現に向け、動き出した黒人投資家たち 2vfuw0huolic 2vfuw0huolic シリコンヴァレーの「人種的多様性」の真の実現に向け、動き出した黒人投資家たち oa-wired 0

シリコンヴァレーの「人種的多様性」の真の実現に向け、動き出した黒人投資家たち

2020年6月26日 08:00 WIRED

モニーク・ウッダードが2011年に「Black Founders」を創業したのは、白人が圧倒的多数を占めるテクノロジー業界において、自分のような黒人起業家がメンターやコミュニティー、投資家を見つけられるようにしたかったからだった。同社がカンファレンスやハッカソン、ウォーム・イントロダクション(共通の知人やヴェンチャーキャピタルによる紹介)の場を増やすにつれ、キャリアについての助言やネットワーキングのチャンスは豊富になった。

ところが、資金となれば話は別だ。黒人がトップを務めるスタートアップ企業が資金調達に苦労する様子を、長年にわたって見てきたウッダードは落胆していた。「資金を得られなければ、これまでのサポートが水の泡ですから」

ウッダードが最終的に起業家としての活動をやめて投資家になったのは、より大きなインパクトを与えられると考えてのことだった。そしていま、彼女はCake Venturesという新たな投資ファンドを始めている。

だが、シリコンヴァレーで10年以上の経験をもつウッダードは、「何も変わっていない」と言う。「わたしたちはまだ、起業家に対して公平に接していません。黒人起業家がトップを務める会社に小切手を切ってもいないのです」

長らく“破壊”されなかったもの

シリコンヴァレーにおいて人種構成ほど、破壊されないまま存在し続けているものはない。なにしろ今日まで何十年もの間、白人男性が圧倒的に多く、とりわけトップは言うまでもない状況が続いてきたからだ。

投資家ランキングサイト「Rate My Investor」の報告書によると、2013年から17年にかけてヴェンチャーキャピタル(VC)が投資した起業家の77パーセント以上が白人だった。黒人はわずか1パーセントにすぎない。黒人女性となるともっと数字は低く、テクノロジー企業のトップに占める比率は0.2パーセント未満だ。

これは財布のひもを握っているのが誰なのかに起因する格差であるとも言われている。全米ヴェンチャーキャピタル協会(NVCA)が18年にVC200社以上を対象に実施した調査によると、黒人の従業員はわずか4パーセントだった。

シリコンヴァレーには多様性がないと長らく批判されてきたが、ここにきて急に多くの人たちが注意を向けるようになった。何千人もの米国人が人種差別や警察官による暴力に対して抗議の声を上げ、折しも新型コロナウイルスのパンデミック(世界的大流行)によって黒人の死亡率が不均衡に高くなるなか、国民の視線は職場などの生活の場における構造的な差別にまで向けられている。

VCのなかには人種差別を非難する公式声明を発表する企業もあれば、内側に目を向けて自らの投資をよりいいものにするとコミットする企業もある。20年6月の第1週には、VCが集中するサンドヒルロードでもトップクラスのVCであるアンドリーセン・ホロウィッツが、新たなファンド「Talent x Opportunity Fund(TxO)」を立ち上げ、「十分な支援を受けていない起業家」をサポートすることを表明した。さらに同じ時期にソフトバンクは、有色人種の起業家に向けて1億ドル(約107億円)規模の「オポチュニティー・グロース・ファンド」を発表した。

「これからも十分になることはない」

こうした新たな取り組みは著名な黒人VCから限定的な賞賛を得たものの、テクノロジー業界の前途はまだまだ長い道のりが待っていることを示している。

「これで十分ではありません。これまでも十分ではありませんでしたし、これからも十分になることはないでしょう」と、Backstage Capitalのアーラン・ハミルトンはポッドキャスト「Your First Million」で語っている。「でも、いくらかにはなります。そして、ないよりはましですから」

以前、ハミルトンは次のように指摘していた。電動キックスケーターのレンタルを立ち上げたスタートアップのBirdが「最終ラウンドで調達した資金は、19年にヴェンチャーの投資を受けた黒人女性全員の合計額よりも多かった」

投資家や投資会社は多様性を向上させると長年にわたって約束してきたが、現時点でその中身はほとんど変わっていない。多様性の問題解決といえば、多くの場合はジェンダーの多様性になる。昨年、女性のパートナー(共同経営者)が2人以上いるVCの数は倍増したが、これでも男性社会と見られている業界においては大きな進歩だ。

ところが、人種的多様性という意味ではたいした変化は見られない。黒人のヴェンチャー投資家を支援する黒人によるコミュニティー「BLCK VC」が6月4日に開催したオンラインイヴェントでは、ベッセマーヴェンチャーパートナーズのパートナーであるエリオット・ロビンソンが言及した「多様性劇場」をいかに脱するかについて議論が集中した。

ロビンソンが言うには、多様性についての取り組みは往々にして会社の公的イメージのためのものであって、実際に黒人起業家を支援するものではない。しかも、黒人コミュニティーで何か悲劇的なことが起きたあとにしか生まれてこないのだ。

4,000人近くの閲覧者にライヴ配信されたこのBLCK VCのイヴェントで、Cake Venturesのウッダードは「黒人起業家に別の“水飲み場”が必要なわけではありません」と語っている。「修正すべきは、黒人起業家を閉め出すことでリターンを逃しているファンドの構造的な問題なのです」

構造的な格差の存在

こうした障壁の多くは、米国に広く存在する人種的不平等につながっている。資金調達を例に挙げよう。米国の白人家庭の純資産は黒人家庭の10倍にもなるというのが、ワシントンD.C.の中道派シンクタンクであるブルッキングス研究所の最近の調査結果だ。これは歴史的な差別に端を発しており、シリコンヴァレーにとどまらない重大な問題になっている。

これはスタートアップの世界においては、黒人が起業してもアイデアに何万ドルもの資金を融資してくれる親族がいる可能性はかなり低いことを意味する。「資金におけるギャップは創業初日から始まります。なぜなら、友人や家族の資金が乏しいからです」と、Cake Venturesのウッダードは言う。「ネットワークやエンジェル投資家へのアクセスについても同じです」

資金調達となると、いまだに事業内容と同じくらい人的ネットワークが重要になる。ウッダードによると、アクセラレーターやインキュベーター、シリコンヴァレーの主要なネットワークを紹介することで、この格差を埋めるには役立つという。

そのためにアンドリーセン・ホロウィッツの新ファンドであるTxOは、「出世街道に縁がなくても大きな可能性を秘めている起業家」にシード資金を提供している。TxOはパートナーによる220万ドル(約2億3,500万円)の寄付金を基に資金提供を開始したが、当初は批判を浴びた。アンドリーセン・ホロウィッツには管理下の資金が120億ドル(約1兆3,000億円)以上あり、5月にはプライヴェート・ベータ版も出ていない音声SNS「Clubhouse」に1000万ドル(約10億7,000万円)も投資していたからだ。

こうしたなかアンドリーセン・ホロウィッツは、TxOへの寄付金が増加していることから「使途推奨冠名基金」として運用することを明らかにした。つまり、人道団体に寄付する口座として運用し、その収益を将来の投資に還元するということだ。なお、アンドリーセン・ホロウィッツは取材への対応を断っている。

資金の多様性を実現できていない現実

TxOのようなプログラムは、起業家に将来的な投資への道を開くものだ。とはいえ、アンドリーセン・ホロウィッツから直接の投資を引き出すわけではない。メンターになることは、小切手を切ることとは違う。

スタートアップであるHuman Utilityの創業者のティファニー・アシュリー・ベルは、多様性を向上させられないと心配する投資家に対して、「もっと雇って、もっと資金を」と6月4日に呼びかけている。「ブレインストーミングで解けるような問題ではありません。そんなに難しいことではないんです」と、ベルは言う。「もっと多くの黒人を雇い、もっと多くの黒人に投資すること。これはできない、と弁解しないことです」

Storm VenturesのプリンシパルでBLCK VCの共同創設者であるフレデリック・グロースが言うには、VCがもっぱら白人とアジア人によって占められているのは、投資家が多様性について決まり文句を言いながらも資金の多様性を実現できていないからだ。「本当に変化を起こしたいなら、そこに資金を投入すべきです」と、グロースは言う。「会社をつくるには、やはり大きな資本が必要です。最高のメンターに恵まれたとしても、資金不足なら失敗しますから」

メンタリングで起業家のボトムアップを図るだけでなく、投資家はトップダウンで自らの態度も変える必要がある。BLCK VCのイヴェントでウッダードが指摘したのは、多くのVCのポートフォリオにはいまだに黒人起業家の企業がないことだ。ウッダードは「寄付を基にしたTxOファンドはあっても、それでは埋め合わせできないほどの大きな失敗」であると言う。

ポートフォリオを多様化するには、パートナーが自分の内輪の人脈を超えて積極的にネットワークを構築したり、VC自身が多様化したりすることが必要かもしれない。18年のNVCAの調査によると、黒人の投資パートナーがひとりもいなかった企業は調査対象の93パーセントに達した。「黒人パートナーや黒人女性パートナーに、一度チャンスを与えてみてください。資金を受ければうまくいく見込みのある、非常に有能なまったく違った起業家像が見えてくるのです」と、ウッダードは言う。

今度こそ変化を起こせるか

アーリーステージの企業に投資しているデル・ジョンソンは、投資家の社交サークルに属している特権的な起業家だけが利益を教授できるウォーム・イントロダクションをVCはやめるべきだと長年主張している。Collab Capitalなどのように、黒人企業家に投資することに特化した理念をもつVCもある。だが、投資先を多様化するという目標を公に発表したVCは少なく、その進捗状況を追跡することは困難だ。

目標を公開し、データを公開すれば、VCが公開した目標について説明責任をとることができる。「わたしたちは、こうした多様性の要素をVCコミュニティーに評価してほしいのです。現時点でVCコミュニティーは評価していないのですから。そして評価した内容をVCコミュニティーの人々に共有してほしいと思っています」と、Storm Venturesのグロースは言う。

テクノロジー企業は5年前から多様性の指標を公開してきたが、いまだに改善は見られていない。だが少なくとも、データによって問題についての明確な全体像が示されている。

そしてデータは、多様性の問題に継続的に人々の目を向けさせる。それと同時に、企業による多様性を実現するという新たな約束が「多様性劇場」にすぎないのか、VC業界がまさに新たな時代の幕開けに来ているのかを示すだろう。

「VCのコミュニティーにおいて、わたしたちはニワトリのようなものです。3歩で忘れてしまいますから」と、グロースは言う。「それでも、今回こそ何かが本当に変わり始めているのかもしれません」


TEXT BY ARIELLE PARDES

TRANSLATION BY MASUMI HODGSON/TRANNET

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初観測されたアインシュタイン・リングは、光源の天体まで「約100億光年」だった

2020年6月25日 18:00 WIRED

新型コロナウイルスの影響で、世界の天文学者たちは大型天体望遠鏡にアクセスできないでいる。ただ、そんな状況でも宇宙の謎の探求が止まってしまったわけではない。ふたりの天文学者がロックダウン(都市封鎖)の空き時間を利用して既存のデータを分析し、遠方の銀河の光が手前の銀河の重力で歪んで輪に見える「アインシュタイン・リング」と呼ばれる現象の元になった天体への距離を割り出した。

問題のクエーサー(準恒星状天体)「MG 1131+0456」の発見は1987年だが、『The Astrophysical Journal Letters』にこのほど掲載された論文によると、地球からの距離は明らかになっていなかったという。今回の論文は米国航空宇宙局(NASA)のジェット推進研究所のダニエル・スターンとケンブリッジ大学天文研究所のドミニク・ウォルトンが共同で執筆した。

アルベルト・アインシュタインの一般相対性理論では、時空に歪みがあると光も屈折することが説明されている。アインシュタイン・リングは、この結果として生じる現象だ(なお、さらに珍しいものとして「アインシュタインの十字架」という天体現象もある)。この現象について「Ars Technica」の2012年の記事では、次のように説明している。

物体の質量が十分に大きければ光の屈折が観測可能になり、レンズを通したような形で光源の像が得られることがある。重力レンズ効果と呼ばれるこの現象においては、地球と光源との間の銀河もしくは銀河団がレンズの役割を果たす。
たいていは光源そのものも銀河である。地球とレンズになる重力源、光源が一直線に並んでいる場合、光源はアインシュタイン・リングと呼ばれるリング状の像として観測される。重力レンズを通した光源の像の形状を分析することで、光源と重力源の両方について詳細を知ることができる。


観測者から見て光源と重力源が一直線上に並ぶ可能性は低いことから、アインシュタイン自身はこのようなリング状の像が観測されることはないだろうと考えていた。彼は1936年に発表したアインシュタイン・リングについての論文で、ひとつの星だけではレンズの役割を果たすには十分な質量をもたないことから、「わたしたちの機器の解像力」では発見は不可能だと書いている(リングの大きさはレンズとなる重力源の質量に比例する)。ただし、銀河(および銀河団)なら観測に十分なレンズ効果を生み出すことができるのだ。

ロックダウン中に在宅でデータを分析

クエーサーは銀河の中心周辺の領域だけで非常に強い光を発する天体で、1950年代に初めて観測された。そのエネルギー源は中心にある巨大なブラックホールだと考えられている。クエーサーは非常に離れた場所に存在するが、地球から近い別の銀河がレンズとして機能すると、クエーサーの光が強まってより明るく見える。

重力レンズ効果のおかげで、これまでに約200個のクエーサーが観測されている。ただし、通常はブラックホールを取り巻くガス雲や塵によって光が弱められてしまうので、発見は容易ではない。スターンとウォルトンは以前から、重力レンズ効果でリング状に見えるクエーサーに興味を抱いていた。

ふたりはロックダウンによってできた時間を利用して、ハワイ島のケック天文台や、NASAの広域赤外線探査衛星(WISE)、チャンドラX線観測衛星が過去に観測したデータを眺めることにした。可視光でクエーサーを探す際にはガス雲や塵の影響が大きいことから、赤外線を利用するWISEのデータが特に役に立ったという。

これらの観測データのなかに、1987年にカール・ジャンスキー超大型干渉電波望遠鏡群が初めて捉えた「MG 1131+0456」のアインシュタイン・リングの情報があった。スターンは「これほど有名で明るいクエーサーまでの距離が不明だったことには非常に驚きました」と話す。「あらゆる天体研究において、距離の計測は絶対に必要な最初のステップです。そこから発展させて、宇宙の膨張の過程や暗黒物質の探査などで、重力レンズをツールとして利用することができます」


宇宙についての深い理解に役立つ

この大きな“穴”を埋めるために、スターンとウォルトンはケック天文台で1997年から2007年に観測されたMG 1131+0456のデータを使い、地球からの距離は約100億光年であることを突き止めた。さらに質量も推測したほか、チャンドラが2000年以降に集めたデータによって、地球から「MG 1131+0456」までのガスや塵の量も割り出している。

ウォルトンは「次はMG 1131+0456よりも見えにくいクエーサーを見つけたいと考えています」と語る。「はるかに困難だとは思いますが、未発見のクエーサーはわたしたちを待っているはずです。遠くで輝いている宝石のようなもので、巨大なブラックホールがどのように形成され周囲に影響を及ぼしているかなど、宇宙についてのより深い理解を得るのに役立つでしょう」

今後は21年3月に打ち上げが予定されるジェイムズ・ウェッブ宇宙望遠鏡のデータから、重力の基になる銀河の暗黒物質の研究が進むことなども期待されている。スターンは「今回はまだ駆け出しだったころに書いた論文を読んだりして、少しノスタルジックな気分になりました。まだ大学に在籍していたころの研究論文です」と語る。「アインシュタイン・リングが初めて観測されたときには、まだベルリンの壁が存在していました。そして今回の研究で使用したデータは、すべて過去1,000年のものなのです」


TEXT BY JENNIFER OUELLETTE

TRANSLATION BY CHIHIRO OKA

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cat_7_issue_oa-wired oa-wired_0_hxvdr8u1guzp_“若返り”には「高齢者の血しょう」を薄めたものでも効果あり? hxvdr8u1guzp hxvdr8u1guzp “若返り”には「高齢者の血しょう」を薄めたものでも効果あり? oa-wired 0

“若返り”には「高齢者の血しょう」を薄めたものでも効果あり?

2020年6月25日 17:00 WIRED

カリフォルニア大学バークレー校の研究者たちは2005年、若いマウスと高齢のマウスの血管を外科的処置によって結合し、血液循環を共有するという画期的な実験に成功した。

驚くことに、この「異時性並体結合」と呼ばれる後天的な結合によって、高齢のマウスの軟骨や筋肉、肝臓、骨などを若返らせ、加齢の兆候を“逆転”させられることが示された。あたかも若いマウスの血液が、老いたマウスを若返らせたように見えたのである。

それでは、この若返りに寄与する要因は何なのだろうか? 

この疑問を解消すべく進められた今回の実験では、若返りのために若い血液は必要ではないことが明らかにされている。学術誌『Aging』で発表された新たな研究によると、高齢マウスの血しょう(血漿)を希釈してたんぱく質を加えるだけで、若い血液を注入したときと同等の結果が得られたというのだ。

年齢とともに衰える組織再生能力

かつて若いマウスと老いたマウスの結合実験でみられた高齢マウスの“若返り”には、ふたつの解釈があった。ひとつめは若い血液に含まれている特別な何かが高齢マウスの組織再生能力を活性化させたというもの。そしてもうひとつは、加齢とともに特定のたんぱく質の値が上昇して有害となる可能性で、それらの“有害物質”が若いマウスとの結合により除去または中和された、という解釈だ。

ところが、高齢マウスの血液を共有した若いマウスには、老化の兆候が見られた。これは若いマウスが老化した血液の影響を受けた証拠であり、有毒物質が完全に除去されたわけではないことを示している。

「わたしたちは、老化を一過性のもの、そして可逆性の再生能力の低下が原因であると考えました」と、カリフォルニア大学バークレー校バイオエンジニアリング学科のイリーナ・コンボーイ教授は説明する。「例えば臓器内の新しい組織をつくる能力は、超高齢者であっても壊れた細胞や組織を健康なものに置き換えることで、基本的に若者レヴェルまで回復させることができるというものです。この能力は年齢とともに非生産的になる特定の化学物質によって調節されていると考えたのです」

つまり、加齢に伴う特定のたんぱく質の蓄積が組織の維持・修復の主な阻害要因であり、血液の交換でこれらのたんぱく質を希釈されたことが、若返りの背後にあるメカニズムではないかと考えたわけだ。

これを検証するために、研究チームは若くも老いてもいないニュートラルな成分を血液に混ぜて希釈することを思いついた。ニュートラルな成分とは、血液の一部である血漿の最も基本的な成分である生理食塩水に、アルブミンと呼ばれるたんぱく質を加えたものだ。

アルブミンは血漿たんぱく質の約60パーセントを占め、栄養や代謝物質を運搬したり、血液の浸透圧を維持したりする役割がある。生物学的そして生化学的な血液の健康に必要とされるたんぱく質なのだ。

ニュートラルな血液成分で高齢マウスの血液を希釈して健康を改善できるなら、老いた血液中の有害物質を薄めることが若返りにつながるということになる。反対に、若いマウスの血液を希釈することで老化の兆候が見られるなら、若い血液中の“若返り物質”の希釈が老化につながることになる。

“若返り”に若者の血液はいらない

実験では、高齢マウスの血漿の半分をニュートラルな成分に置き換えた。すると驚くことに、若い血液を交換したときと比較して、脳、肝臓、筋肉に同等かそれ以上の若返り効果があることが判明した。具体的には、希釈した血漿によって広範囲の組織が若返り、筋肉が修復した。また、皮膚や内臓の線維化に減少がみられ、脳の記憶にかかわる海馬の神経幹細胞が増加した。

一方で、若いマウスに同じ処置を施しても、健康に悪影響を及ぼすことはなかった。つまりこの発見は、若い血液に若返り物質が含まれているのではなく、老化によって上昇または蓄積する有害物質の除去に若返りのヒントがあることを示しているのだ。

研究チームは、この処置のあとに血液中のたんぱく質がどのように変化したかを調べるために、マウスの血漿で発現しているたんぱく質の機能を解明するプロテオミクス解析を実施した。さらに、治療用血漿交換を受けたヒトの血漿についても同様の分析を進めた。

その結果、ヒトとマウスにおける血漿の交換プロセスは、分子的なリセットボタンのような役割を果たすことがわかった。加齢とともに上昇する多くの炎症誘発性たんぱく質の濃度を低下させる一方で、血管形成を促進するような有益なたんぱく質を大量にリバウンドさせることを発見したのだ。

「これらのたんぱく質のなかには特に興味深いものがいくつかありました。将来的には、これらのたんぱく質を追加する治療法や、薬剤の候補として見ていくことになるかもしれません」と、カリフォルニア大学のコンボーイは言う。

疾患の治療にも利用可能に?

ちなみに、血漿中にある病気の原因となる物質を取り除く血漿の交換療法は、さまざまな自己免疫疾患の治療のためにすでに米食品医薬品局(FDA)で承認されている。ヒトにおける血漿交換療法には2~3時間かかり、副作用はないか軽度であるという。

研究チームは現在、ヒトにおける希釈血漿の交換が高齢者の全体的な健康状態を改善し、筋肉の消耗、神経変性、2型糖尿病、免疫機能の低下など、加齢に伴う疾患の治療に利用できるか判断するための臨床試験の最終段階に入っているという。

論文の共著者であるドブリ・キプロフは、次のように結んでいる。「この知見が老化のためだけでなく、免疫調節のためにも血漿交換を利用する研究への扉を開くことを期待しています」


TEXT BY SANAE AKIYAMA

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cat_7_issue_oa-wired oa-wired_0_uf7lhpl09lwp_「Apple News+」はメディアの危機を救えるか uf7lhpl09lwp uf7lhpl09lwp 「Apple News+」はメディアの危機を救えるか oa-wired 0

「Apple News+」はメディアの危機を救えるか

2020年6月25日 15:00 WIRED

アップルは長年かけて、“品質”に対して人々にお金を払わせる能力を磨き上げてきた。実際のところ「App Store」だけで週に10億ドル(約1兆700億円)を生み出している。こうした能力をいま必要としている業界があるとすれば、それはメディア業界だろう。

新型コロナウイルスの影響は一部のメディアのサブスクリプションにとって追い風になっているが、一般的には人々がジャーナリズムに対価を支払う意欲は下がっているとされる。だが、アップルが2019年に開始したニュースのサブスクリプションサーヴィス「Apple News+」(米国では月額9.99ドル、日本では未提供)は、こうしたトレンドに対抗しようとしている。

サーヴィス名の末尾に付け加えられた「+」は、無料のアグリゲーションサーヴィス「Apple News」(日本では未提供)との違いを示すと同時に、人手によるキュレーションや活字媒体を取り込んだことによる信頼感、美しくデザインされたアプリ体験を表現している。英国では日刊紙『The Times』や映画誌『Empire』のほか、『ELLE』『Rolling Stone』などのデジタル版を、このサーヴィスで読むことができる。なお、『WIRED』を発行しているコンデナストは、英国ではこのサーヴィスに参加していない。

画期的と言えるほどではないが、こうしたコンセプトをアップルがうまく具現化していることは確かだろう。そしてApple News+は、出版社が大切であると考えている要素を尊重している。それは質の高い報道、編集部門の意志、紙ならではの体裁といったものだ。

問題もある。アップルは購読者数を公表していないが、CNBCが2019年末に報じたところによると、米国では最初の段階で20万人の有料ユーザーを獲得したが、それ以降は伸び悩んでいるようだ。

ほかのサーヴィスと統合へ?

Apple News+が今後は独立した有料サーヴィスではなく、「Apple Music」や「Apple TV+」と同じエンターテインメントサーヴィスに含まれる可能性があるという噂も、まことしやかに流れている。Apple Newsの事業責任者だった元コンデナスト幹部のリズ・シメルが2月に辞任した事実も、その説に真実味をもたせている。これはApple News+単体の現在の月額利用料が、ユーザーにとっては高すぎ、このサーヴィスへの参加を保留している出版社にとっては安すぎるということだろう(アップルと出版社の取り分は半分ずつだ)。

また、競争もある。Apple News+は、アップルが18年に買収したサブスクリプションアプリ「Texture」をベースにしている。Textureは競合する雑誌プラットフォーム「Readly」と同じ2012年に設立されたサーヴィスだ。

Readlyは月額7.99ポンド(米国では同10.99ドル=約1,180円)で5,000タイトルを提供している。同社CEOのマリア・ヘデングレンによると、Readlyは「220億件のデータポイント」を出版社と共有している。そこには購読者層、読書の習慣、コンテンツのパフォーマンス、競合に対するベンチマーキングなどが含まれており、これらはアップルのサーヴィスを上回っているという。

「これはウィン-ウィンのコラボレーションであり、出版事業の発展にも貢献しています」と、ヘデングレンは説明する。Readlyは、スウェーデンとドイツのデジタル雑誌にターゲット広告ページを挿入するテストも実施している。

記事の朗読サーヴィスに商機

一般の人々は何にお金を使うのだろうか。チェーンストア「WHSmith」での新聞とペットボトルの水とのセット販売や、「Amazonプライム」に含まれるサーヴィスは別としよう。ポッドキャストの人気を考えれば、記事の朗読サーヴィスには月額課金の可能性がありそうだ。

例えば「Audm」は月額7.99ポンド(米国では同7.99ドル=約850円)で、『ニューヨーカー』『The Atlantic』『The London Review of Books』などの記事を聴ける。「Curio」は月額5.99ポンド(米国では同7.99ドル=約850円)で、『フィナンシャル・タイムズ』『The Economist』、ブルームバーグなどの記事の読み上げに声優を起用し、オンラインの有料コンテンツならではの質の高いジャーナリズムに焦点を当てている。20年3月時点でAudmを傘下にもつニューヨーク・タイムズは、人気ポッドキャスト「The Daily」のフィードに「The Sunday Read」版を追加するテストを実施している。

アップル自身も16年にiTunesで「Spoken Editions」を立ち上げ、40以上の出版社が契約していた。プロジェクトはそれ以来ずっと音沙汰がなかったが、今年5月上旬になって状況が変わった。アップルが少なくとも4つの出版社にAudmとCurioと同様のサーヴィスを売り込んでいることを、「Digiday」が報じたのだ。

この件に関する公式の発表はないが、出版社が厳選した記事を音声配信しようと考えていることを示している。アップルは製作コストを負担し、音声記事をApple News+の指標に組み込む可能性がある。例えば、リーダーやリスナーが記事を“読んだ”時間に基づいて、出版社に毎月支払う額を決めるといった具合だ。

アップルのもつ影響力

デジタルニュースを配信するプラットフォームとしてのアップルにとって最大の脅威は、出版社が独自サーヴィスを始めることだろう。動画サーヴィス「Facebook Watch」のようなテック企業との提携が期待外れに終わったことを踏まえれば、なおさらである。

『ガーディアン』や『i』などの新聞のなかには、デジタル版アプリを新規公開したり刷新したりしているところもある。「小規模な独立系の出版社は独自アプリをつくりたがるのです」と、メディアコンサルタントのメアリー・ホガースは言う。「特に『Mint』や『Positive News』のようにコミュニティの構築を指向するメディアに言えることです」

出版社とは異なり、アップルは無料のApple Newsでそうしたように、目先の利益ではなく影響力の面での成功を見据える余裕がある。

CEOのティム・クックによる最新の業績発表によると、Apple Newsの月間アクティヴユーザー数は1億2,500万人以上に達している。調査会社のコムスコアは、このうち英国のユーザーが約1,100万人と推定している。「New York Magazine」元幹部のローレン・カーンが率いる編集チームによるキュレーションは、グーグルのアルゴリズムで報酬を得られるようなフォーマットよりも、編集者が勧めたい記事に沿ったコンテンツになる傾向がある。

この編集チームは、選挙報道の実験もしている。Apple Newsは今年の米大統領選挙のライヴストリーミングを計画しており、19年の英国総選挙では専用のガイドがアプリかプッシュアラートで通知されるようになっていた。

要するにApple Newsは、信頼できる高品質な出版物を発行する際に意識すべきだけの影響力をもっている。だが、出版社が求めている経済的な面での頼みの綱にはならないかもしれない。


TEXT BY SOPHIE CHARARA

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cat_7_issue_oa-wired oa-wired_0_ue578xbvedf3_パンデミックによる経済危機で石炭火力発電が廃れ、「無炭素エネルギー」への転換が加速する ue578xbvedf3 ue578xbvedf3 パンデミックによる経済危機で石炭火力発電が廃れ、「無炭素エネルギー」への転換が加速する oa-wired 0

パンデミックによる経済危機で石炭火力発電が廃れ、「無炭素エネルギー」への転換が加速する

2020年6月25日 09:30 WIRED

ディッカーソン発電所のゲートのすぐ外にある放水路には、カヤックを漕いでいる人たちがいる。巨大な石炭火力発電所から排出される冷却水をポトマック川へと流すこのコンクリートの放水路はカヤックの練習コースになっており、レースを想定して特別に設計された障害物が置いてある。このメリーランド州ににある発電所は、ワシントンD.C.とその周辺地域に電力を供給している。

ところが、この放水路でトレーニングしているカヤッカーたちは、8月初旬には別の練習コースを見つけなければならない。そのころディッカーソン発電所の63人の従業員は、転職先を探しているはずだ。

ディッカーソン発電所を所有するテキサスが拠点の電力会社は、60年間操業してきた同発電所の3つの発電ユニットを閉鎖すると5月半ばに明らかにした。全米にある多数の石炭火力発電所と同様に、石炭が燃料として急速に使われなくなっている現状のあおりを受けているのだ。

石炭火力発電の需要が急減した理由

ここ数年の石炭火力発電産業は、比較的安価な天然ガスと、近年利用が拡大している再生可能エネルギーに挟み撃ちされてきた。そしていま、新型コロナウイルスの影響による景気後退によって経営に打撃を受けている。

石炭火力発電の需要が急減していることについて、「石炭火力発電産業にとって、いまは極めて重大な時期です」と、ワイオミング大学エネルギー経済学センター長のロバート・ゴッドビーは言う。「この産業は、いまの状況をすぐに変えることはできません」

米エネルギー情報局(EIA)の統計によると、2020年1月からこれまでに発電に使われた石炭の量は、昨年の同時期と比べて40パーセント減少しているのだとゴッドビーは言う。新型コロナウイルスのパンデミック(世界的大流行)が発生する前、ゴッドビーをはじめとする専門家が予測していた減少率は15パーセントだった。

連邦政府がパンデミックに関連して石炭会社に実施した資金援助やトランプ大統領による大気汚染規制緩和の取り組みにもかかわらず、電力各社は2020年中に13カ所の石炭火力発電所を閉鎖すると発表している。

「(電力会社の経営陣にとって)石炭は最初に使用を廃止しようと考える燃料です。というのも、燃料として最もコストがかかるからです」と、ゴッドビーは指摘する。「石炭火力発電産業が強いられると予想される負担は右肩上がりに増えています。その加速の度合いが、新型コロナウイルスの影響でかなり早くなっているのです」

ふたつの選択肢

環境保護団体「シエラクラブ」の脱石炭キャンペーンで上級代表を務めるスティーヴン・ステットソンによると、20年1月からこれまでの全米の発電量は、石炭による発電よりも再生可能エネルギー(風力、太陽光、水力)のほうが多い。

また連邦政府の調査では、この10年で大規模風力発電所の費用は40パーセント減少、太陽光発電所の費用は80パーセント減少している。中国製の太陽光パネルの価格の低下や、大型で高効率な風力タービンの導入によって、再生可能エネルギーはますます安価になっている。

「いまでは再生可能エネルギーで効率よく低コストで発電できる技術があります。いまあるものでできるのです」と、ステットソンは言う。そして、米国のエネルギーミックスにおける太陽光や風力の割合を、さらに増やすべきであると主張する。

石炭使用量の減少で、電力会社が将来の計画を立てる際の選択肢はふたつになった。ひとつは、燃焼による大気汚染が石炭より少ない天然ガスの発電プラントの建設を増やす方法だ。しかし、天然ガスを採掘する際に温室効果ガスのメタンガスを排出し、発電のために燃焼する際に二酸化炭素(CO2)を大量に排出するデメリットがある。

もうひとつは、CO2を排出せずに天然ガスを燃焼させる技術や、風力や太陽光による発電から得た電力をあとで使うために蓄えておく技術に投資する方法だ。

新技術への投資も加速

米中西部では、風力発電の余剰電力を蓄電池に蓄える技術への投資が進められている。ミネソタ州の電力協同組合「Great River Energy」は、同組合の石炭火力発電所を風力発電所に転換すると発表した。

この風力発電所の風力タービンには1メガワットの蓄電池が併設される。従来からあるリチウムイオン蓄電池の持続時間は約4時間だが、この新しい蓄電池なら蓄えた電力を地元の70万顧客に150時間供給できる。石炭火力発電所の閉鎖に際しては、新型蓄電池を併設した風力発電プラントのほか、大気を汚染しにくい天然ガス発電プラントによって電力供給を維持する。

Great River Energyのエネルギーミックスのうち、石炭の割合は現時点で約60パーセントだ。それを23年には0パーセントまで減らし、風力の割合を約25パーセントから約60パーセントにまで増やす予定だ。

そして電力を蓄えるための蓄電池として、携帯電話やノートPCに使われるリチウムイオン電池の代わりに、マサチューセッツ工科大学(MIT)発のスタートアップであるForm Energyが設計した水系空気蓄電池を採用した。このバッテリーは主な成分として水を用いており、大量の電気を蓄えられる。Form Energyはビル・ゲイツの支援を得ており、新型バッテリーを風力発電設備と組み合わせるプロジェクトはいまのところ実験段階にある。

ミネソタで進められているこの蓄電池の実証試験は小規模ではあるものの、エネルギー産業にとって革新的な技術に結びつく可能性があるの見方もある。「これは投機的な側面もある選択肢です」と、プリンストン大学機械・航空工学科の助教授で無炭素エネルギーへの移行を研究しているジェシー・ジェンキンスは説明する。「まったくうまくいかない可能性もありますが、電力会社が積極的な手を打っている一例といえます」と、ジェンキンスは説明する。

米国の中部大西洋沿岸地域と中西部で電力会社6社を傘下に置くExelonは、グリーンエネルギー関連のある新技術への投資を進めている。その新技術を利用すれば、CO2のリサイクルによって天然ガスの燃焼をさらにクリーンにできる可能性があるからだ。Exelonが投資している新技術とは、次のようなものだ。

従来の天然ガス発電所は、燃焼の副産物としてCO2を排出する。これに対してテキサス州ヒューストン郊外にあるNET Powerの発電所では、CO2を再利用している。発生したCO2を超臨界状態の流体に変換し、それでタービンを回すことでも発電しているのだ。この技術では、残った流体のCO2を大気中に排出せず地下に貯蔵できるほか、炭酸飲料に注入したり、化学プロセスで用いるなどして転用できる。

「無炭素エネルギー」という目標の現実味

無炭素エネルギーを目指す流れに徐々に方向転換している電力会社もある。米南東部の6州に電力会社7社を擁するSouthern Companyは5月、ノースカロライナ州を拠点とするDuke Energy、ヴァージニア州を拠点とするDominion Energyとともに、供給する電力を50年までにすべて無炭素エネルギーにする計画を発表した。

Southern Companyの最高経営責任者(CEO)トム・ファニングは、同社が石炭火力発電から天然ガス発電への転換のみならず、植林を進め、大気からCO2を除去する直接空気回収(DAC)という技術に投資することを表明した。ファニングは「わたしたちが将来にわたり、顧客、従業員、地域社会、出資者の需要に応じるための準備と態勢を整えていること、CO2排出量実質ゼロの未来への移行に成功することを確信してやみません」と述べている。

とはいえ、一部の環境保護団体はSouthern Companyの発表に懐疑的だ。その主な理由は、ジョージア州、アラバマ州、ミシシッピー州の電力会社が、気候変動に関連するCO2排出削減の問題にこれまでほとんど関心を示してこなかった点にある。「電力各社がCO2排出を重大な問題として話題にしているのはいいことですが、こうした動きは長年なかったことですから」と、シエラクラブのステットソンは言う。

アラバマ州の当局者は6月中旬、Southern Companyが保有する電力会社1社に対して、新型の風力発電や太陽光発電への投資ではなく、天然ガス発電プラントの新設を許可している。その電力会社は、いまだに9カ所の石炭火力発電所を操業している。ステットソンはSouthern Companyとその傘下の電力会社について、「気候変動の解決に必要で経済的側面から妥当といえる計画をまったく示していません」と指摘する。

これに対してSouthern Companyの広報担当スカイラー・ベーマンは、同社のCO2全排出量は19年に07年と比べて44パーセント減だったと説明する。「わたしたちが目標とする2030年よりも前、早ければ2025年に50パーセント削減を達成できる見込みです」と、ベーマンは言う。「監督官庁の支援を得ながら、こうした数々の目標の達成に努めます。というのも、このような目標は得意先である顧客や地域社会のためになるからです」

新たな方法の推進に向けた好機に

無炭素エネルギーという目標は新しい技術のみならず、州や連邦政府による適切なインセンティヴによって達成が早まる可能性があると考えるエネルギー問題の専門家もいる。

カリフォルニア大学バークレー校環境政策センターの研究員とコンサルティング会社2社が作成した新たな報告書には、電気代を上げたり、化石燃料の発電所を新設したりせずに、35年までに全米の電力の90パーセントをクリーンな無炭素電力にするために必要な方法の概要が記されている。

この報告書によると、風力および太陽光発電所や蓄電施設の構築は、1兆7,000億ドル(約181兆6,800億円)の経済投資となる。これによって電力産業の雇用が2035年の1年間で53万人まで増えるはずであると、ソニア・アガワルは指摘する。アガワルは6月第2週に発表されたこの報告書の作成にかかわったエネルギー関連コンサルティング会社Energy Innovationのヴァイスプレジデントで、同社の政策プログラムを率いている。

現在の景気後退はエネルギー産業において、いまとは違う方法を将来どのように推進するのか考える好機ではないかと、アガワルは分析する。クリーンエネルギーの税額控除の促進、エネルギー基準の設定、既存の化石燃料発電所が抱える負債償還のための政府融資の実行に関して、グリーンエネルギー技術産業は立法者の支援も必要とするはずだ。

「この報告書の背景にあるのは、わたしたちの目の前にあるチャンスについて考えるべきであるということです」と、アガワルは語る。「わたしたちが景気回復のための投資法を理解しなければならなくなっている状況を、このチャンスと結びつけて考えるべきです。このチャンスは米国にとって素晴らしいものなのです」

現状を楽天的に捉えられる理由

アガワルは石炭火力発電がさびれつつあるいま、新しい天然ガス発電と再生可能エネルギーとの間で競争が発生していると指摘する。「無炭素エネルギーと多くの新しい天然ガスエネルギーとの競争が生じています。発電所の経営は難しいですし、気候変動解決という目標もいまだに達成できていません」と、アガワルは語る。

「ただ、風力発電、太陽光発電、蓄電装置がとても安価になっているので、無炭素エネルギーを軌道に乗せるためのコストはそれほどかからなくなっています。無炭素エネルギーは実現可能なのです」

一部の州議会や連邦議会で政治的な障害があるにもかかわらず、アガワルは現状を楽天的に捉えている。ワシントンD.C.でエネルギー政策に関する新たな考えが生まれていることや、市場原理がきっかけとなって今回の危機を脱しうるのではないかと考えているからだ。

「驚くべき時代になりました」と、アガワルは再生可能エネルギーの存在感の高まりと石炭エネルギーの減少について言う。「この問題は、わずか数年前には話題にすらならなかったのですから」


TEXT BY ERIC NIILER

TRANSLATION BY MADOKA SUGIYAMA

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cat_7_issue_oa-wired oa-wired_0_t1fnovpslgjl_写真家ヴォルフガング・ティルマンスが語る、「アーティストの責任」とパンデミック t1fnovpslgjl t1fnovpslgjl 写真家ヴォルフガング・ティルマンスが語る、「アーティストの責任」とパンデミック oa-wired 0

写真家ヴォルフガング・ティルマンスが語る、「アーティストの責任」とパンデミック

2020年6月24日 17:00 WIRED

新型コロナウイルスのパンデミックによって、大きな打撃を受けているアートシーン。次がどうなるか予測もつかない未曾有の危機のなかで、いち早く自らの手で世界中のアートスペースを支援するプロジェクトを打ち出したのが、ベルリンに拠点を置くアーティスト、ヴォルフガング・ティルマンスだ。

彼が支援として始めたのは、ポスターを使ったベネフィットプロジェクト「2020Solidarity」。世界各国50人のアーティストが手掛けたポスターを、寄付を必要とするアート関連団体に無償で提供するものだ。各団体はそれを1枚50ユーロ(6,000円)で販売し、その収益を活動費に充てられる仕組みになっている。日本でも9つの団体(amala、ASAKUSA、Clinic、IACK、POST、torch press、twelvebooks、Utrecht、ダイトカイ)が参加しており、6月30日まで各団体のサイトを通じてポスターを購入可能だ。

これまでも、民主主義、国際理解、LGBTの権利推進など、アートを通じて社会と向き合い、問いを投げかけてきたティルマンス。彼は今回何を見据えて「2020Solidarity」を始めたのか。そしてアーティストたちは、このような危機に際して何をなすべきなのか。また彼がパンデミックのなかで感じた世界の変化とは──。外出制限が緩和された初夏のベルリンで、ティルマンスに訊いた。

台湾とベルリンで感じた意識の違い

──現在ベルリンとロンドンを拠点に活動されていますが、3月にパンデミックが宣言されたころはどこにいましたか?

3月1日に台湾からベルリンに戻ってきました。高雄市で開催された、イングリッシュナショナルオペラによる「戦争レクイエム」の舞台デザインを担当していたので、その上演で8日間台湾にいたのです。世界は感染拡大の真っただ中で、感染者数が比較的少なかった台湾でもあらゆる場所であらゆる人がマスクを着用していました。バーやレストランなどの店舗は営業していましたが、ドイツのように新型コロナウイルスを軽視した発言をする人はいませんでした。「わたしたちはSARSも経験したし、そのうえでこういう対策をとっている」という共通理解があったと思います。

──欧米では新型コロナウイルスへの対策が違ったということですか?

ここでは、マスクの着用は各個人が何を信じているのかを表現するものとして扱われていました。その違いに、非常に驚かされましたね。そもそも欧米諸国にとって、これまでのパンデミックは遠い国のことでした。鳥インフルエンザはアジアのことで、エボラ出血熱はアフリカのこと。ここでは誰もそんなこと誰も気にしない、とね。

今回の感染拡大も最初はそう捉えられていたので、国内で感染が始まったころにはもう遅かったんです。慌ててマスクを手に入れようにも、もう法外な値段のものしかなかった。それから2カ月半以上の時が過ぎ、マスクが簡単に手に入るようになったいまも、マスクの着用はオプションであるように感じます。

米国ではどの政党を指示しているかも、マスクの着用にかかわってくるようです。右派の共和党支持者はマスクをつけない人が多く、民主党はマスクをつける人が多い。そんなふうになるなんて、3月の段階ではまったく想像もつきませんでした。

──欧米の人は、これまでの習慣を簡単には変えられないのかもしれません。

今回予期せずヨーロッパにもウイルスが到来し、数万人の人命を優先するためにヨーロッパ全土であらゆる公共生活がストップすることになりました。これまで地中海で何万人という人が亡くなっても、マラリアでひどい数の人が毎年亡くなっていても、欧米は関係ないという顔をしていたのに。

優先順位が変わったことが、文化的に新しいことだなと興味深く思っています。これまでは、何があっても自分たちの生活が続いていくことが重要だったのにね。

──シャットダウンの間は、どのように過ごしていましたか?

とても慎重に答えなければならない質問ですね。社会的状況が異なる国々で次々とシャットダウンが起こり、それに伴い各地でいろいろな変化や面倒ごとが起きています。その人が社会的にどういう立場にあるかでもかなり違いがあり、ホームオフィスで快適に働ける人もいれば、仕事で外に出なければならない人もいます。シャットダウンの影響は、各人の立場も露見させますよね。無邪気に「こういう時間を楽しんだ。何もかもが新しくて、いつもと違っていて、本質を見直したよ」とは答えられません。

何をしていたかという質問ですが、そうですね……。わたし自身、とても特異な状況だと感じました。なので、この特別な状況をある程度楽しんでみよう、しっかり五感で捉えてみようと思ったんです。ロックダウンの異常な静けさに動揺もしましたが、同時に不安でいることは何の助けにもならないと思っていました。動揺と落ち着きの両方を感じながら、自分の写真を見る時間をとり、同じ通りにあるパートナーの音楽スタジオで音楽をつくりました。あるいは、ベルリンに厳格なロックダウンがないという状況を利用して、そこらじゅうを歩き回って春の始まりを感じたりもしていましたね。

「ポスター」という支援のかたち

──コロナ禍の影響を受けているアートスペースを支援するために始めた「2020Solidarity」プロジェクトについて教えてください。もともとどのようなきっかけで、このプロジェクトを始められたのでしょうか。

新型コロナウイルスが、民間の文化施設やクラブ、国の支援を受けられない音楽関係の人たちに破滅的な影響を与えることがわかったとき、自分が負っている責任を果たさなくてはと感じたんです。

それからわずか数日で、「2020Solidarity」のアイデアが浮かびました。アーティストが1人1枚ポスターをつくり、そのポスターを数多くの施設が寄付を集めるために使う。ポスターは一律50ユーロと安価に抑え、多くの人に入手してもらいやすいようにと考えました。

今回のプロジェクトには、ギャラリーなどの文化施設だけでなく、ベルリンの「Griessmuehle」、ロンドンの「Cafe OTO」、ポーランドの「Pogłos」といったクラブや、「サンフランシス・クイア・ナイトライフ基金」などの団体も参加しています。香港でも17のインディペンデント・アート・スペース、アテネでも8つの施設が結束して参加しているんです。「2020Solidarity」によって、施設や団体同士の絆が深まったり、新たなムーヴメントにつながったりしてくれればと思っています。このプロジェクトはまだまだポテンシャルがあると思うので、今年は必要な限り続けていくつもりです。

──「2020Solidarity」に参加している約50名のアーティストは、どのようにして集まったのでしょうか?

わたしが全員にメールを書きました。友人や知人もいましたが、展覧会を見て気になっていた作家に声をかけたりもしています。国際的に有名なジェフ・クーンズのような人もいれば、まだベルリンでしか知られていないような人もいて、面白い顔ぶれになったのではないかと思います。描き下ろしもあれば、いまこのためにと彼らが自分のスタジオで選んだ作品もあり、どれも非常に特別な作品です。開始から2カ月半ほどで、約33万ユーロ(約3,941万円)の寄付が集まっています。

──あなたは過去のプロジェクトでも「ポスター」という手法をよく使われていますが、何かあなたにとって特別な媒体でもあるのでしょうか。

紙に印刷されたものに対する信頼感はあります。ポスターを印刷して貼れば、たいていは次の日も、1週間後も目に触れますよね。でもSNSの投稿は、1時間もすればほかの投稿に埋もれて見られなくなってしまう。

とはいえ、紙であることにこだわっているわけではありません。よく、オンラインやデジタルに対するアナログや物理的なモノというふうに両者は対立させて語られますが、そこまでの違いは感じていないんです。例えばInstagramに流れてくる画像も、小さなポスターのようなものです。同じモチーフが広められるということに関しては、対立するものではないし、違いもないと思います。

──コロナ禍で、オンラインの可能性を発見されたということはありますか?

以前は、アートを広めるためにネットを使うなんて絶対あり得ない!と言っていた人たちが、今回のことでオンラインのよさを発見していますね。もちろん、実際にギャラリーやコンサートに足を運ぶことは肉体的な体験であり、オンラインと同等には語れません。とはいえ、オンラインに「モニターの画面より先にいけない」という大きな制限があるというのは、逆に言えば文章を読んだり、作品を見たりすることに集中できるということでもあります。例えば、今年オンライン開催されたアートバーゼルのようなフェアでもそうですね。


アートが社会を前進させている

──このプロジェクトを率いている「Between Bridges」は、あなたが2006年にロンドンで始めた非営利団体ですが、どのようなきっかけで始めたのでしょうか。もともとは非営利の展示スペースとして、いまは財団として運営されていますよね。

まずは、自由に研究や実験ができる楽しさがあるからですね。また、ほかの作家のアートへの愛も理由のひとつです。わたしはアートが自分にどのような作用を及ぼすかを観察していますが、これはほかの人も行なっている行為です。つまり、そこからコミュニケーションが生まれるわけです。

また、肩書きを取り払ったひとりの人間として、あるいは単にドイツにいる8,000万人、世界にいる77億人のなかのひとりとして、自分自身を見つめてみたいとも思いました。人間は誰しも、巨大な関係性のなかで生きる政治的な人間なので。

──「政治的な人間である」とは、どういうことでしょうか?

「あなたは、どんな世界を生きたいのか?」という問いをもつということです。例えば、わたしは若いころから、皆で共に生きる世界をつくること、政治や政治に興味をもつことの重要性を大きく感じていました。

アートは直接的に、社会的、政治的である必要はありません。例えば、花が美しくて好きとか、この音楽が気に入ったとかでもいいのです。その一方で、アートは常に、アーティストが世界をどう見ているか、どのように他人を見ているのかということについて、伝えるものでもあります。

ここ100年の社会の発展を考えてみてください。すべての動きがアートに伴走されています。それどころか、アートが社会を前進させている。プロテストソングやファッションのステートメント、アーティストの絵もそうでしょう。長くなりましたが、これがわたしが「Between Bridges」を始めようと思った理由と言えるかもしれません。


アーティストには、声がある

──Between Bridgesも「政治的なプロジェクト」なのでしょうか?

Between Bridgesの展示スペースでは、政治的なものに限らず、何らかのかたちで社会に正面から取り組んでいる作品を展示しています。Between Bridgesは2014年にベルリンに拠点を移し、2018年に財団のかたちにしたのですが、これは財団にすればもっとほかのプロジェクトを企画したり、アーティストの支援をしたりできると思ったからです。

ここ4年間は、政治的にもアクティヴに活動しています。例えば、ブレグジットに反対するキャンペーンや、連邦議会選挙と欧州議会選挙への投票を促すキャンペーンなどを行なってきました。

──先ほど「2020Solidarity」を始められたきっかけを伺ったとき、「自分が負っている責任を果たしたい」とおっしゃっていましたが、アーティストが負っている責任とは何だと思われますか?

わたしたち人間は、誰もがお互いに対する責任を負える存在であり、負うことを許された存在であり、負うべき存在でもあります。アーティストだからといって、ほかの人より多く何かをしなければならないということではないですし、アクティヴィストである必要もありません。ただ、われわれアーティストには表現する言葉や声があり、メディアをもっているのです。それを使わない手はありません。

ヴォルフガング・ティルマンス|WOLFGANG TILLMANS
1968年レムシャイト(ドイツ)生まれ。現在ベルリンとロンドンを拠点とする。80年代後半より写真を使った作品を発表するとともに「i-D」などの雑誌メディアに寄稿。93年ケルンの画廊で初の本格的な個展を開催して以降、その特徴的なイメージや展示方法が注目され、世界各地の画廊で数多くの個展を開く。2000年にターナー賞を受賞。15年ハッセルブラッド国際写真賞受賞。tillmans.co.uk

TEXT BY HIDEKO KAWACHI

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ウイルスと共存する時代、わたしたちが「列に並ぶ」ことは新しい日常になる

2020年6月24日 08:00 WIRED

いま、どこに行っても行列ができている。

サンフランシスコでは、新型コロナウイルスの感染対策のためにテイクアウトのみで営業している人気レストランの前には、長い長い列ができている。ニューヨークでは今回のパンデミックを受けてアルコールの持ち帰りが特別に許可され、列に並んで談笑しながら待つ客の姿が見られる。

そして全米の各地では、フードバンクに並んで食料の提供を待つ家族がいる。オフィスでの勤務を再開する企業が増えるなか、ビルの入口で従業員に並んでもらって体温測定への協力を求める職場もある。

入館できたら、さらなる関門があるかもしれない。定員を減らしたエレヴェーターに乗るための列だ。乗り込めば、エレヴェーターの床には乗る人の立ち位置を示すステッカーが四隅に貼ってある。

一度に入れる買い物客の数を制限しているスーパーなどでは、入店を待つ人の列が駐車場を取り囲むように伸びている。まるでディズニーランドの長い列のようだが、列の先にあるのはアトラクションではない。

並んで待っていると退屈だ。

いらいらもする。

これからの季節、暑くもなる。

それが「ニューノーマル(新しい日常)」なのだ。

店舗を訪れる人がいなくなる?

並んで待つ光景が日常になったことから、ビルを管理する側は対策を探している。これに応えるのが、人の数を数えるシステムを開発する企業だ。

新型コロナウイルス感染症の流行が2月下旬に北米に到達し、パトリック・トゥオは会社への影響を真っ先に気にかけていた。というのも、彼が経営するカナダのケベック州が拠点のSMS Store Trafficでは、半世紀近くにわたりシンプルなテクノロジーを提供している。店舗などに入ってくる人の数を数えるシステムだ。「一般の人は気づきませんが、大型チェーンの多くは入店者数をカウントしています」

小売店の場合、訪問客をカウントするシステムの導入は、客の流れを追跡し、計画的に従業員を配置する狙いがある。競技場の運営サイドなら、トイレに並ぶ人の列が長くなる時間帯を調査したい。バーやクラブのような小規模な店なら、消防の基準を満たしているか確認するために使う。図書館などの公共施設なら、利用者数を把握する必要がある。

コンサルティング会社のGlobal Marketing Insightsは2018年、来客数カウントシステムの市場規模を世界全体で9億ドル(約965憶円)と推定した。小売業でデータ分析への熱が高まっている状況を受け、25年までに20億ドル(約2,100億円)に達すると予測している。

トゥオが恐れたのは、感染拡大によって「店舗を訪れる人がいなくなる」ことだった。店に客が来なければ、来客カウンターの需要はなくなる。SMS Store Trafficが扱うのは、入口のドアにカメラとセンサーを取り付け、来訪者数をソフトウェアで管理するシステムだ。同業他社では、出入りする人のWi-FiやBluetoothを追跡して人の動きを把握するシステムもある。


待ち時間を知りたいニーズに合致

ところが、人が集まりすぎないようにするために政府や慎重な経営者が人数制限の規定を設けたおかげで、こうした会社もひとまずは救われた。SMS Store Trafficではすぐさま機能の見直しを実施し、外出制限中も来客のある事業者に向けたプロダクトへとつくりかえた。

システムを導入したクライアントのなかには、データをウェブサイトやSNS上で更新し、来店を考えている顧客が混雑状況を確認できるようにしているところもあるという。システムと連動させたディスプレイを店舗の外に掲げ、外で並んでいる人に待ち時間の目安を知らせている店もある。「残念ながら、もはや列に並ぶことは必須ですから」と、トゥオは言う。

実店舗向けのデータ解析サーヴィスやマーケティング用ソフトウェアを扱うSkyfiiでは今年4月、来客数カウントシステムへの問い合わせが前年同月の2倍以上に増えたという。同社のようなシステムは、安心して入店できる状態かどうかを管理者側に知らせることで、列の管理に役立てることができる。

最高経営責任者(CEO)のウェイン・アーサーは待ち時間を耐えている人にも活用してほしいと考えている。「並ぶ側としては、どのくらい待たされるだろうという心配があるわけです。このシステムで、それが軽減されればと思います。状況が読めないとフラストレーションになりますから」

入店可能な人数を検知

小売店やオフィス、レストラン、バーなど、収容できる人数は従来から決まっている。ただ、一般的に商売としては人に来てほしい。食事をする人、カクテルを楽しむ人、服を買う人は多ければ多いほど売り上げは増える。

ところが、いまはソーシャル・ディスタンシング(社会的な距離の確保)が推奨されている。客同士の距離を6フィート(約1.8m)開けることで、ウイルスの拡散を防ぐ取り組みが推進されているのだ。

例えばシカゴでは、6月初めに経済活動再開の第3フェーズ「慎重に再開」の段階に入った。「必要不可欠ではない」と分類される屋内の小売店舗では、通常の25パーセントの客数で営業が認められ、「必要不可欠」な業種では50パーセントまで客を入れられる。カンザスシティの美容室やネイルサロンでは定員の半分を上限に、6フィートの距離をとって営業している。

オハイオ州とケンタッキー州で6店舗を展開するディスカウント店「HomeBuys」では、80,000平方フィート(約7,400平方メートル)の店舗で収容できる買い物客を600人と定めている。ネットワークを担当するホルヘ・アレクサンドルによると、現時点で一度に入店できるのは80人までだ。

感染拡大中は、スタッフを入口に配置して対応したこともあった。現在は来客数カウンターを入口に設置し、店内の客数が上限に近づくとマネジャー陣に通知が届く。

混雑はレジ前から店外へ

テキサス州サンアントニオのコンヴィニエンスストア「Jefferson Bodega」にとって、パンデミックは最悪のタイミングでやってきたと言える。店は半年前、テキサスに感染者が出る少し前に開店したばかりだったからだ。

ビールや食料品、輸入菓子を揃えた店舗は22人が入れる広さだが、いまは11人が上限となっている。店ではサンフランシスコを拠点とするDensityという企業の来客数カウンターを導入し、店内の客数を11人までに抑えるようにしている。店の共同オーナーのルーク・ホーガンとリサ・ホーガンはメディアとテック分野の知識があり、ソフトを使ったデータ解析にも熱心だ。

Jefferson Bodegaの前にできる客の列は、概してそれほど長くはない。平日の忙しい時間帯でも待つのは5分ほどだ。ルークは次のように受け止めているという。「お客さんが店の外で待ってくれているおかげで、レジ前の混雑が減っています」

つまり、いずれにしても待っていることには変わりないのである。


TEXT BY AARIAN MARSHALL

TRANSLATION BY NORIKO ISHIGAKI

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