「阪神0-4巨人」(10日、甲子園球場)
今季限りで現役を引退する阪神・藤川球児投手(40)が、甲子園で行われた巨人戦で4点ビハインドの九回からラスト登板に臨んだ。代打・坂本&中島らを連続三振に仕留めるなど、最後の力を火の玉ストレートに込めて三者凡退で現役生活に幕を下ろした背番号「22」。ファンに数多くの感動を残した右腕が、惜しまれつつタテジマを脱いだ。
なじみのメロディーが流れると、甲子園にファンの絶叫がこだました。「球児ー!」。タオルを揺らし、涙を流す人もいた。0-4の九回、藤川がラストマウンドへ。矢野監督から笑顔でボールを受け取ると、代名詞の“火の玉ストレート”で真っ向勝負を挑んだ。
巨人ベンチも粋な演出で花を添える。先頭は伝統の一戦で名勝負を繰り広げてきた代打・坂本だ。初球148キロでストライク。1球ごとに大歓声が響く中、148キロで空振り三振を奪った。続く代打・中島との対戦ではワインドアップ投法で驚かせ、2者連続三振。スタンドは「あと1人コール」だ。3人目の重信を二飛に打ち取り、三者凡退で現役生活に終止符を打った。全12球の最速は149キロ。引退セレモニーでは感謝と共に、“火の玉”の秘密を明かした。
「僕の投げる火の玉ストレートにはチームの思い、タイガースファンの熱い思いが詰まっています。それは打たれるはずがありません。バットに当たるはずがありません。野球選手・藤川球児というのは皆様の気持ちの塊だったんだと思います。僕にとってファンの皆様は誇りです!」
プロの第一歩を刻んだ22年前の入団会見で「10年で3回くらい優勝している」と未来を語った。05年はJFKを結成してリーグ優勝に貢献。06、09年のWBCでも2大会連続世界一に輝いた。球界屈指のセットアッパー、クローザーとして新時代を切り開いてきた。
小3の頃、1歳上の兄・順一さんと同じ野球チームへ。中学時代、夏休みの作文に「甲子園出場」ともう一つの夢をつづった。「プロ野球選手になって、母を楽にしたい」-。幼少期から、仕事と育児に明け暮れる母の背中を見て育った。高2夏に兄弟バッテリーで甲子園に出場、プロ入りの夢もかなえた。契約金は全て母へプレゼント。プロ野球選手になってからも、連絡するのはうれしい報告だけ。「オールスター決まったよ」。「今度また阪神に入るよ」。心配はかけたくない。喜ぶ顔が見たかった。今季、横浜で初セーブを挙げた6月27日は母の誕生日だった。
メジャー挑戦、右肘手術を経て、再起に選んだ地は故郷・高知。四国ILp・高知ファイティングドッグスに入団し、週に一度、日が暮れると母校・高知商のグラウンドまで車を走らせた。野球部の練習後、懐かしのブルペンへ。兄のミットを響かせ、再出発を図った。もう一度NPBへ-。原点回帰が決意の表れだ。故郷の空はいつも背中を押してくれる。「前向きであり続けたことが良かった。本当はそんなに強くない人間なんですけど…」。この夜まで「粉骨砕身」の覚悟で走り続けた。
スタンドには家族、恩師、大勢の仲間が駆けつけた。愛する猛虎の未来は後輩たちに託す。「矢野監督を日本一の監督にしてあげましょう!」。藤川は何度も何度もスタンドへ手を振った。これでお別れだ。悔いのない22年間。最後はベンチ前で肩をふるわせながら深々と一礼し、聖地、そしてタテジマにサヨナラを告げた。
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