ミハイロ ペトロヴィッチ監督が率いて4年目。2015年の浦和レッズは、まさに完成へと近づきつつあった。
その証拠にチームは12勝5分で、史上初の無敗で1stステージ優勝を達成した。
湘南ベルマーレとのリーグ開幕戦でゴールを記録した興梠慎三を筆頭に、第2節のモンテディオ山形戦で目の覚めるようなミドルシュートを決めた阿部勇樹と柏木陽介が中盤で存在感を発揮。那須大亮をセンターに、右を森脇良太、左を槙野智章が務める3バックも、体を張ったプレーで失点を大幅に減らした。
サイドでは宇賀神友弥とプロ2年目の関根貴大が躍動。ミシャが標榜するサッカーを熟知する選手たちを支えるように、武藤雄樹、ズラタン、石原直樹、青木拓矢、高木俊幸といった新戦力たちが、早々に融合したことも大きかった。
なかでも出色の活躍を見せたのは、この年に仙台から加入した武藤だろう。
1stステージ第6節の横浜F・マリノス戦で挙げた加入後の初ゴールを皮切りに、リーグ戦だけで13得点をマーク。チーム屈指のスプリント回数に象徴された豊富な運動量とハードワークは、ミシャ・サッカーにおける最大のアクセントとなった。
決定力でいえば、ズラタンの存在も光った。
1stステージ第5節の川崎フロンターレ戦では試合終了間際にFKから同点弾を奪取。第9節のガンバ大阪戦では、宇賀神のクロスをボレーで沈め、チームを勝利に導いた。
試合を重ねるたびに連動性は高まり、当時の流行を借りれば、まさにチームはスペクタクルなサッカーを披露していた。
加えて、粘り強さや勝負強さも体現。指揮官は「勝った試合にも必ず反省するべき材料があり、課題を乗り越えてきた。その積み重ねが安定し、攻撃的なサッカーを貫くことができた要因」と、選手たちの成長を讃えた。
2ndステージに入り、第3節のサンフレッチェ広島戦、第4節の名古屋グランパス戦(ともに1-2)に連敗。第9節の横浜FM戦では0-4で大敗するなど、この頃から1stステージ優勝時の強みだった堅守が徐々に薄れていった。
結果的に、2ndステージ優勝は広島にさらわれ、チャンピオンシップには準決勝から出場することになった。
それでも、積み重ねた年間勝ち点はクラブ史上最多タイとなる72。リーグ戦わずか4敗は、年間1位の広島(6敗)を上回る数字だった。それだけ自信を持って迎えたG大阪とのチャンピオンシップ準決勝だった。
11月28日——聖地・埼玉スタジアムのピッチに選手たちは以下の通りだった。
FW:⑳李忠成
MF:③宇賀神友弥、⑦梅崎司、⑧柏木陽介、⑲武藤雄樹、㉒阿部勇樹、㉔関根貴大
DF:④那須大亮、⑤槙野智章、㊻森脇良太
GK:①西川周作
47分に一瞬の隙を突かれて失点した浦和レッズは、途中出場していたズラタンが72分にセットプレーから押し込み追いつくと、延長戦に突入。その118分だった。
G大阪が自陣でのバックパスを誤り、あわやオウンゴールという事態に陥る。ただ、そこをしのいでカウンターに打って出られると、最後は藤春廣輝にゴールを許したのである。
先制点と同じく、まさに一瞬の隙を突かれた失点だった。延長後半アディショナルタイムにも失点した浦和レッズは、1-3で埼玉スタジアムのピッチに散ったのである。
武藤は「敗因は僕が決められなかったこと」と、再三あった決定機を相手GKに防がれたことを猛省した。
途中出場から同点弾を決めたズラタンは「今は答えが出ない」と肩を落とした。
それでも指揮官は「今日の試合での頑張り、今季を通しての頑張りに監督としては大きな感謝を持っている」と、120分を通して奮闘した選手たちを讃えた。
天皇杯でも決勝に進出した浦和レッズだったが、やはりG大阪に1-2で敗れ、あと一歩のところで栄冠を逃した。
間違いなく攻撃は活性化していた。守備も粘り強さを見出していた。足りなかったのは、サッカーという競技の怖さでもある隙を見せないことの徹底だっただろうか。したたかさこそが次に求められる課題となった。
また11月22日のホーム最終節では、浦和の男がまたひとり、ユニフォームを脱ぐ決断をした。
浦和レッズ一筋で16年、プレーしてきた鈴木啓太である。
他のクラブからのオファーもあったというが、背番号13は「僕の心には、浦和以上に愛せるチームがありません」と、現役引退を発表した。
「だから、浦和の男として始まり、浦和の男で終わります」
涙を堪えながら伝えた言葉は、多くのファン・サポーターの心に響いた。
Jリーグ・1stステージ:優勝
Jリーグ・2ndステージ:4位
ナビスコカップ:ベスト8
天皇杯:準優勝
ベストイレブン:西川周作、槙野智章
(取材/文・原田大輔)