2シーズン連続最下位から年間4位へジャンプアップ――。
Jリーグ開幕3年目となる1995年は、浦和レッズにとって伝説のシーズンとなった。
前年までの低迷が嘘のように、得点と白星を積み上げていく。そこに、負けが込んで自信喪失していた弱小チームの面影はなかった。
この大躍進の背景には、クラブ史上初の外国人監督、ホルガー・オジェックの手腕があった。
西ドイツ代表が3度目の優勝を成し遂げた1990年イタリア・ワールドカップ。この大会でフランツ・ベッケンバウアー監督のもと、アシスタントコーチを務めたのがオジェックだった。ドイツの指導者ライセンスをトップの成績で卒業した新進気鋭の指揮官は、レッズの監督に着任すると、「規律」と「堅守速攻」の戦術を植え付けた。
リベロにギド・ブッフバルト(元監督)、ストッパーに田口禎則と曺貴裁を起用して役割分担を明確化。最強の守備者が後ろに控える安心感から、ふたりのストッパーは相手FWを潰すことに専念すればよかった。
ボランチには、三菱重工時代から在籍する広瀬治(元ユース監督など)のパートナーとして、国士舘大から加入したルーキーの土橋正樹(U-10コーチ)を抜擢。こうして長らく課題であった守備の安定が図られた。
トップ下ではウーベ・バインが攻撃のタクトを振るう。90年のワールドカップに出場したゲームメーカーは、ドリブルしながらキョロキョロしたかと思うと、左足から一撃必殺のスルーパスを繰り出す。
これに反応するのが、エースの福田正博(元コーチ)だ。前年の負傷が完治した若大将は、過去2年のうっぷんを晴らすかのように次々とゴールネットを揺らす。
このホットラインを遮断するため、相手DFはファウルも辞さない覚悟で潰しに来たが、そこで得たPKを福田が確実にゴールに叩き込む。
戦い方自体はシンプルだったが、自陣ゴール前での迫力のある守備と高速カウンターは相手チームを恐怖に陥れた。そして、そのハイスピードサッカーは、観る者の血を沸騰させ、熱狂を生んだ。
サントリーシリーズ(第1ステージ)では序盤こそ1勝5敗だったが、7節のセレッソ大阪戦に福田のシーズン初ゴールで1-0と勝利したのが反撃ののろし。3連勝を飾ったあと3連敗を喫して迎えた5月3日の13節は、記念すべきゲームになった。
国立競技場に5万6652人を集めたホームゲームで、王者のヴェルディ川崎からバインと岡野雅行がゴール。2-2の激闘からPK戦の末に4-3と勝利し、リーグ2連覇中の王者を下すのだ。
栄えある勝利を掴んだ先発メンバーは、この11人だ。
GK:①土田尚史
DF:②曺貴裁、③田口禎則、⑥ブッフバルト
MF:④山田暢久、⑤杉山弘一、⑦池田伸康、⑧広瀬治、⑩バイン
FW:⑦岡野雅行、⑨福田正博
3連勝を飾ったのち、19節のC大阪戦からは6連勝を達成。25節のV川崎戦で1-2と敗れてステージ優勝を逃したが、14チーム中3位の好成績を収めた。
8月に開幕したニコスシリーズ(第2ステージ)1節では、清水エスパルスから期限付き移籍で加入したブラジル人FWトニーニョのゴールを含む大量6得点で横浜フリューゲルスを撃破する。
2節の清水戦は、リニューアルされた駒場スタジアムでホームゲームを開催。壮大なセレモニーが行われたが、1-2と敗れてしまう。相手チームのレッズ対策が進んだこのステージは苦しめられ、中位の8位に終わったが、福田のゴールは止まらなかった。
「オーオーオオ福田! ゲットゴール福田!」
お馴染みのチャントが鳴り響くなか、52試合中49試合に出場した福田は、32ゴールをゲット。31ゴールを記録したサルバトーレ・スキラッチ(ジュビロ磐田)とのデッドヒートを制し、初の日本人得点王に輝くのだ。
一方、プロ2年目の岡野と山田暢久(元ユースサポートコーチ)、大卒ルーキーの土橋がレギュラーに定着し、同じく大卒ルーキーの福永泰(ユースコーチ)も才気溢れるプレーを披露し、レッズを背負って立つ将来性を感じさせた。
「Jリーグのお荷物」から「ライジングレッズ」へ――。大きな変貌を遂げたシーズンとなった。
Jリーグ・サントリーシリーズ:3位
Jリーグ・ニコスシリーズ:8位
天皇杯:ベスト8
ベストイレブン:ブッフバルト、福田正博
得点王:福田正博(32得点)
(取材/文・飯尾篤史)