前年の2ndステージ3位という好成績を受け、原博実監督2年目を迎える1999年シーズン、浦和レッズは優勝を視野に入れていた。
ところが……。
あのような結末が待っていようとは、開幕前には誰も想像しなかったに違いない。
J2が創設されたこのシーズン。J1は16チームによる2ステージ制で争われ、年間順位の下位2チームが自動降格することになった。
攻撃サッカーを掲げるレッズはこの年、多くの新卒選手を獲得。駒澤大のFW盛田剛平(ハートフルクラブコーチ)、明治大のMF宮沢克行(U-13コーチ)、習志野高のMF吉野智行、清水商業高のDF池田学(ハートフルクラブコーチ)、帝京第三高のGK西部洋平が赤のユニホームに袖を通した。
なかでも期待されたのが「大学ナンバーワンストライカー」と称された盛田だった。ストライカー出身の原監督がマンツーマンで指導する熱の入れぶり。実際、ガンバ大阪との1st開幕戦で、盛田を3トップの中央でスタメン起用する。
福永泰(ユースコーチ)と福田正博(元コーチ)のゴールで2-1と勝利し、幸先の良いスタートを切ったものの、盛田は60分に途中交代。その後はサブに回ることになり、原監督の3トップ構想に狂いが生じる。
さらに小野伸二がU-20日本代表としてワールドユース・ナイジェリア大会に参加するため、4節から6試合を欠場。この間に3連敗を喫するなど、チーム状態は下降し、1st最終節となった5月29日の名古屋グランパスエイト戦では1-8の大敗を喫してしまう。
1stステージは3勝4分8敗の13位。6月19日のナビスコカップ・大分トリニータ戦後、原監督は解任され、オランダ人のア・デモスが新監督に就任した。
低迷した要因のひとつに、中心選手となった岡野雅行が1月からオランダのアヤックスに練習参加し、レッズを離れていたことも挙げられる。その岡野は6月にレッズに復帰したものの、7月にチームを揺るがすアクシデントが起きた。
シドニー五輪アジア1次予選のフィリピン戦に出場した小野が悪質なファウルを受け、左膝内側副靭帯断裂の大怪我を負うのだ。
ア・デモス監督の初陣となったのは、7月20日のヤマザキナビスコカップ準々決勝第1戦の鹿島アントラーズ戦。ベギリスタインと大柴健二のゴールで2-0と勝利したが、第2戦は0-3で敗れ、ナビスコカップはベスト8で敗退する。
横浜F・マリノスから路木龍次、ヴェルディ川崎から中村忠と2人の元日本代表選手を獲得して臨んだ2ndステージは開幕4連敗。5節のG大阪戦はベギリスタインと福田のゴールで2-1と勝利したが、その後4連敗を喫し、崖っぷちに追い込まれてしまう。
ア・デモス監督はラスト5試合を「ファイナルファイブ」と名付け、「すべて決勝戦のつもりで戦う」と宣言。このタイミングで小野も復帰した。
初戦でヴィッセル神戸に敗れたが、そこからレッズは意地を見せる。ジェフ市原、ベルマーレ平塚に連勝し、ヴェルディ川崎と2-2で引き分ける。
こうして迎えた最終節のサンフレッチェ広島戦。残留を争う市原の結果に関係なく、90分以内に勝利すれば残留が決まる。そんな大一番で、異変が起きた。
スターティングメンバーの中に、福田の名前がない!
この年、リーグ戦でここまで12得点をあげ、「ファイナルファイブ」でも2点をマークしていたエースの名は、リザーブメンバーの中にあった。
運命の一戦にア・デモス監督が送り込んだのは、この11人だった。
GK:⑯田北雄気
DF:②山田暢久、㉒城定信次、㉗池田学、㉞路木龍次
MF:⑥ペトロヴィッチ、⑧小野伸二、㉑石井俊也、㉝中村忠
FW:⑪ベギリスタイン、㉚永井雄一郎
ゲームは0-0のまま進み、54分に大柴が、63分に盛田が投入されたが、スコアは動かない。真っ赤に染まった駒場スタジアムに「どうして」「まだか」の悲痛な思いが充満していく。
ようやくエースに声が掛かったのは81分。城定信次(ジュニアユースコーチ)と代わった福田は「絶対に勝つんだ!」とチームメイトを鼓舞してピッチに入った。
85分には福田の右サイドからの折返しを盛田が頭で狙い、88分にも右CKから盛田がヘディングシュートを見舞ったが、枠を捉えられない。
0-0のまま90分が終わり、ベンチに戻ってきた選手たちに市原の勝利が伝えられた。降格を知ったゼリコ・ペトロヴィッチ(元監督)は、ボトルを地面に叩きつけた。
「世界で一番悲しいゴール」が生まれたのは106分のことだった。
小野のショートコーナーから、ペトロヴィッチがふわりと浮かせたパスをゴール前に送ると、飛び込んだ福田が右足で決めた。勘違いをして抱きつく若手を振りほどく福田。涙に暮れる選手たちが、ロッカールームに消えていった。
再び姿を現した選手たちが沈黙のなか、場内一周を始める。スタンドもピッチも誰もが泣いている。ほどなくしてスタジアムは涙声の「WE ARE REDS」コールに包まれ、選手たちもそれに応え、1年でのJ1復帰を心に誓うのだった。
J1リーグ・1stステージ:13位
J1リーグ・2ndステージ:14位
ヤマザキナビスコカップ:ベスト8
天皇杯:4回戦敗退
(取材/文・飯尾篤史)