3戦ぶりに勝利の笛を聞いても、笑みがこぼれることはない。熱帯夜の空を見上げた顔は、疲労でゆがんだままだった。
8月15日のサンフレッチェ広島戦でリーグ再開後、初めてフル出場を果たした関根貴大は、試合翌日のリカバリートレーニングを終えたあと、苦笑交じりに前夜のことを振り返った。
「晴れやかな気持ちにはなれなくて……。僕らが本来やりたいサッカーではなかったですから。それはみんなも共有しています」
浦和のシュート3本に対して広島は20本。埼玉スタジアムを沸かせる決定機はほぼなく、虎の子の1点を死守するのが精いっぱいだった。
関根も最初から最後まで守備に奔走していた。後半途中からはシステムの変更で右サイドハーフから5バックの右ワイドに持ち場を移し、自陣で守備固めに徹する。サイドに展開されれば素早くスライドして体を寄せ、歯を食いしばって相手のボールを追い続けた。試合内容に満足はしていないが、与えられた役割をこなした自負はある。
「僕の顔は死んでましたけど、任務はやり切れました。守り切れたことは自信になります。90分間、出た選手にしか味わえないものもある」
攻撃一辺倒のドリブラーという印象を持たれていることに違和感を覚え、一部の評価には首をかしげていた。
「いろいろな見方はありますが、守備のできない人と言われるのは分からない。むしろ、ハードワークはチームでも一番やれていると思っています。僕の強みの一つです。仲間を助けるために走り続けています。いまの浦和では大前提だし、そこができないと試合には出られません」
リーグ再開直後は、4試合連続でベンチスタート。足の状態が万全ではなく、フラストレーションを溜める時期もあったが、すぐに割り切った。大槻監督とコミュニケーションを取り、ピッチでやるべき仕事をしっかり整理。開幕当初に比べると、サイドハーフのポジション取りは相手ゴールから遠ざかり、必然的にドリブルで仕掛ける回数も限られる。
「現状のチームで何ができるのかと考えました。その答えが守備でのハードワークでした。自分への評価の良し悪しよりも、勝つことが最も大事。僕はそのために走り続けているんです」
本拠地にこだまする拍手に後押しされれば、終盤に重たくなる足も自然と動く。上限5000人の制限付きではあるが、会場に詰めかけたファン・サポーターの姿を見て、12歳から浦和のアカデミーで育ってきた男が奮い立たないわけがない。
「まだ不細工ながらも頑張っている僕らを応援してくれている人たちがいるのだから、勝利を届けないといけません」
もちろん、気合いだけで体は動かない。90分間走り通すスタミナは一朝一夕では身につかない。妥協せずにトレーニングに打ち込んできた証である。プロ1年目の頃は90分間もたず、足がつって途中交代することも珍しくなかったが、キャリアを重ねるごとに体力をつけてきた。
練習場では常に全力を注ぐ。それが関根の信念。特に18年7月から約1年間プレーしたベルギー時代(シント=トロイデン所属)の経験が生きている。キャンプでは3部練習で5時間近くみっちり汗を流し、1日の走行距離は30キロを超えた。オフなしで1週間ぶっ続けでしごかれ、シーズン中も当たり前のように2部練習で鍛えられた。いまも体が忘れていない。
「あのときは人生で一番練習しました。死ぬほど走りましたから。そのおかげか、帰国してからはロスタイムまでパワーを使えるようになったと思います」
燃料タンクが大きくなった分だけ、得意の攻撃に費やしたいところだが、現況ではそうもいかない。守備に多くの時間を割きながらも、どうにか楽しみを見いだそうとしている。
「相手の攻撃を防ぐのも楽しいですよ。1対1でしっかり止めたり、体を張ってボールを奪ったりできると、うれしいので」
ただ、最大の武器を生かす機会も虎視眈々と狙っている。広島戦では前半40分に食いついてきた柏好文をドリブルでかわし、鋭いクロスを供給。たった1回だけだったかもしれないが、手応えを感じていた。
「忘れてはいけない感覚です。1試合でも1回か2回は必ずチャンスが来ますから。そこでのプレーの質を上げていきたい」
もどかしい思いを抱えつつも、いまは土台をつくっている最中。あえて「我慢」という言葉は口にしたくないという。目指すべきは主体的なサッカー。攻守両面で自分たちからアクションを起こし、ゲームの主導権を握る。ヨーロッパから浦和に戻り、復帰2年目。シーズン開幕前から誓っていたことがある。
「まだ二桁ゴールを取ることはあきらめていません。こういう状況で取ったらすごいと思う。そこをモチベーションに頑張っています」
ガンバ大阪戦で今季2得点目を挙げた関根。ゴールに飢えている浦和の男は、ここから一気に巻き返す。ヒーローは、いつも遅れてやって来る。
(取材/文・杉園昌之)