浦和レッズは2006年にJリーグ初優勝を果たしたが、その年をはさんだ前年の9月から翌07年4月まで、25試合連続ホーム無敗というJ1記録を打ち立てている。その成績の背景には、埼玉スタジアムが05シーズンにJリーグのベストピッチ賞を受賞したこともあっただろう。埼スタはその後、09年、13年、16年にもベストピッチ賞を獲得している。
その埼スタのピッチで、01年のオープン前から20年にわたり芝草の管理をしてきたグラウンドキーパーのチーフ、輪嶋正隆さん(65)が今月30日で退職する。
大宮公園サッカー場で芝の管理をしていた輪嶋さんは01年、翌年のワールドカップ会場になることが決まっていた埼玉スタジアムの担当になった。それまでとは全く違う環境の新しい施設で、大会までに芝がしっかりと生育するのか。過去の実例やデータなどがほとんどない状況で、手探りの作業が始まった。
01年10月にオープニングマッチとして開催されたJリーグ・浦和レッズvs横浜F・マリノス、11月の日本代表vsイタリア代表。ワールドカップ開催時のシミュレーションを兼ねて2試合が行われたが、この時期のピッチは芳しい状態ではなかった。
「ワールドカップという大きな大会を迎える前に、交通の問題やお客さんの動向などをある程度把握しておく必要があったので、あの時期に埼スタで試合をすることもやむを得なかったと思いますが、振り返ってみると芝がまだ子どもの時期に大人の仕事をさせたようなイメージがあります」と語る輪嶋さん。
「本番は大丈夫なのか」「芝を全面的に張り替えた方がいいのではないか」など、さまざまな厳しい意見にさらされたが、輪嶋さんには「翌年の春には根も充実して芝草の密度も上がり、大会は問題なく行えるだろう」という確信があった。結果は周知のとおり。埼スタではワールドカップのグループリーグ3試合と準決勝が立派に行われた。
輪嶋さんたち埼スタのグラウンドキーパーチームは、芝の生育が天候に左右され、時には試合開催が集中する中で、「いつも同じく高いクオリティーのピッチを提供する」ことを目指している。
「メンテナンスの手法の中で、直近の状態と極端に変えるということはしていません。変えるにしても期間をとって徐々に変えていきます。だから毎試合ホームで使っているレッズの選手たちも違和感なくプレーができたのかな、と感じています」と輪嶋さんは語る。全国の同業者たちと情報交換しながら、埼スタ独自の取り組みもあるという。
「芝刈りは轍ができないローラー駆動の小型の機械を使うとか、肥料や薬剤を散布するときも大型の機械を芝の中に入れないとか、なるべく芝にダメージを与えない方法があるなら、そちらを選択しています」。
試合中は選手の足もとに注目し、どの時間帯にどの部分がどれくらいダメージを負うかデータを取っているから、プレーそのものはほとんど見ていないという輪嶋さんだが、レッズや日本代表の勝利はもちろん喜ばしい。
「自分が作った作品の上で、記憶に残る選手たちが数々のタイトルを獲得しているわけです。そこに立ち会えたというのは私の人生の中でも大きなことだと思います」
長雨と高温の今年は芝にとって厳しい環境だった。本来であれば東京五輪が最後の仕事になっていたはずだったが、新型コロナウィルスの影響でそれがなくなり、レッズのホームゲームが続いている。くしくも最後の勤務となる30日はFC東京戦が行われ、しかも3連戦の真っただ中だ。
「タイトなスケジュールは選手にとっても大変ですが、我々にとっても大変です。しかし約20年間の経験によって、引き出しがいくつかありますから、楽ではないですが、こうすればこうなるだろうというものはあります」
社会人になってからの半分にあたる20年を、埼スタの芝と付き合ってきた輪嶋さんに感謝を込めて、9月30日のウェブMDPにインタビューを掲載する。ぜひ多くの人に読んでいただきたい。
(取材/文・清尾 淳)