前年の1995年シーズンは年間4位と大躍進した浦和レッズにまたひとり、ワールドクラスの選手が加わった。
元フランス代表のバジール・ボリ——。
「ゴール前の殺し屋」との異名を持ち、マルセイユ時代にはチャンピオンズリーグ制覇を経験した屈強なセンターバックだ。
ホルガー・オジェック監督とは、マルセイユ時代にアシストコーチと選手の間柄。「オジェックとまた一緒に仕事ができるのは光栄だ」と、歴戦の雄は闘志を漲らせて来日した。
もっとも、実力者の獲得は、このボリだけ。それは、現有戦力に対する自信の表れだったか。さらに、仙台大から内舘秀樹(ジュニアユース監督)、国士舘大から大柴健二、静岡学園高から石井俊也、市立船橋高から城定信次(ジュニアユースコーチ)、浦和ユースから鈴木慎吾(ハートフルクラブコーチ)らフレッシュなパワーを加え、オジェック体制2年目の幕が上がった。
16チームに増えたJリーグ96年シーズンは、これまでの2ステージ制をやめ、全30試合の1ステージ制を採用した。
レッズのターゲットは、もちろん、リーグ初優勝。ところが、いきなりピンチを迎える。ギド・ブッフバルト(元監督)と福田正博(元コーチ)という攻守の要が負傷のため、開幕に間に合わなかったのだ。
この事態に代役として起用されたFWの福永泰(ユースコーチ)とリベロの広瀬治(元ユース監督など)が奮闘。前年に自信を付けていたチームは、開幕5連勝を達成する。司令塔ウーベ・バインのキラーパスも健在で、得意の堅守速攻から白星を重ねた。
10節の横浜フリューゲルス戦では3-1で迎えた77分、岡野雅行に待望のシーズン初ゴールが生まれた。スルーパスを受けて独走するあたりは岡野らしいプレーだったが、最後は切り返して左足でコースに流し込む、テクニカルなゴールだった。
12節の清水エスパルス戦では、主役がついにピッチに戻ってきた。
負傷が癒えたエースの福田である。
戻ってきただけではない。後半の頭から途中出場すると、延長に入った98分にVゴールを決めてエースの力を見せつけるのだ。
シーズン前半となる15節を終えた時点で、レッズは10勝5敗の3位。初優勝に向けて好位置につけていた。高卒3年目の山田暢久(元ユースサポートコーチ)と大卒2年目の福永が完全に主力となり、高卒3年目の岩瀬健、大卒ルーキーの大柴もハツラツとしたプレーを見せた。
6月から8月にかけてはリーグが中断。ナビスコカップが行われたが、レッズはグループステージで敗退。しかも福田が練習中に骨折し、再び長期離脱となってしまう。
だが、9月に再開したリーグ後半戦では、初優勝に向けて勢いよく走り出した。16節から22節までの7試合で6勝1敗の好成績をマークする。
その22節の横浜マリノス戦は記念すべきゲームとなった。ブッフバルトのPKによるゴールを守り切り、1-0と勝利すると、Jリーグ開幕以来、初めて首位に立ったのだ。
93年から続いたJリーグブームが落ち着いたこの年、他クラブのスタジアムは空席が目立つようになっていたが、駒場スタジアムは別世界だった。どの試合もスタンドは真っ赤に染まり、Jリーグ開幕当初と変わらない熱気が渦巻いていた。
その後、首位からは陥落したものの、優勝の可能性を残していた28節、国立競技場でのホームゲームで、首位の鹿島アントラーズと相まみえる。
大一番にオジェック監督が送り込んだのは、このメンバーだ。
GK:①田北雄気
DF:③田口禎則、④山田暢久、⑥ブッフバルト
MF:②杉山弘一、⑤堀孝史、⑧広瀬治、⑨ニールセン、⑪福永泰
FW:⑦岡野雅行、⑩岩瀬健
雨中の激闘は120分を終えて0-0。勝敗はPK戦に委ねられることになる。ここで頼みのブッフバルトとバインがまさかの失敗……。優勝の望みが完全に消滅してしまう。
横浜Fを駒場スタジアムに迎えた30節の最終節では、バインと岡野のゴールで2点を先行。79分に岡野がPKを獲得すると、指揮官の指示でペナルティスポットに立ったのは、なんとGKの田北雄気。これを確実に決めた田北はJリーグ史上初のGK得点者となり、レッズは19勝11敗の6位でリーグを終えた。
チームを2年連続上位に導いたオジェック監督だったが、クラブは堅守速攻から脱却するため、契約を延長しなかった。最終節終了後、退任の挨拶をしたオジェック監督が場内を一周すると、スタンドからの「オジェック」コールが鳴り止まなかった。指揮官はハンカチで目頭を拭い、熱いサポーターに手を振って感謝を示した。
Jリーグ:6位
ナビスコカップ:グループステージ敗退
天皇杯:ベスト4
ベストイレブン:ブッフバルト、岡野雅行
(取材/文・飯尾篤史)