「もともとプロ野球選手になって、巨人に入団することを夢見ていたんですけど、サッカーに目覚めましたね。最初は学校の近くにあるスクールに週1回通っていたんですけど、中学に進学すると同時に新宿FCというクラブチームに所属して、本格的にサッカーをやるようになりました」
「芝生の上でのサッカーを経験したことで、帰国後はもっと本格的にサッカーをやりたいと思ったんですよね。当時はJリーグが2年目を迎えた頃で、Jリーグのユースチームに入れないかなと。自分はどこでも突っ込んで行っちゃう性格だったので……」
「読売(ヴェルディ川崎)、日産(横浜マリノス)は難しいだろうと思って、(横浜)フリューゲルスに連絡したら教えてくれたので、そのままグラウンドに行きました。みんな『誰だ、こいつ?』って感じでしたけど、『入りたくて来た』と言って。足はめちゃくちゃ速かったんで、『1週間だけ見てやる』と言われて、そのまま入団できました」
「タッパもあったので、僕に放り込んでから展開、というサッカーが多かったです。ヘディングは嫌いなんですけど、なんとか頑張りました(苦笑)」
「ちょうど僕がサテライト(セカンドチーム)に参加した頃、ゾノさんが怪我をして、サテライトの練習場でジョギングしていましたね。あと、嘉悦(秀明)さん、アツさん(三浦淳宏)、ジャンボさん(上村崇士)と、サテライトにも個性的なメンバーがいました」
「でも、そこで踏ん張れなかったんですよね。若いので、いろんな“お誘い”があって、心がなびいてしまって(苦笑)。あそこで踏ん張っていれば、もっと濃厚なサッカー人生を歩めたのかなって思うんですけど……」
「『二兎を追う者は一兎をも得ず』という諺がありますけど、僕はプロのサッカー選手とラッパー、両方になってやると思っていたんです。それがカッコいいなって」
「このときは、サッカーと音楽を天秤にかける必要がありました。このままJFLでサッカーを続けていて、上のステージに辿り着けるのかどうか。くすぶっていたので、音楽業界に飛び込もうって。多少お金の約束もありましたし、親に迷惑も掛けられませんし」
「昼間は音楽を作って、夜はクラブなどでライブをさせてもらって、すごくありがたい環境でした。でも、サッカー好きが多い業界なので、昼間にいろんな人とサッカーをしたり、元プロの人と出会ったり、サッカー界でのコネクションは逆に広がりましたね」
「矢野とはおもしろい関係で、矢野はプロサッカー選手、僕はプロのミュージシャンになって、お互いにないものを持ったふたりがくっついた感じ。『お前はいいよな、プロサッカー選手になれて』『お前こそ、音楽の世界でプロじゃん』みたいな(笑)」
「僕もいい年齢になっていて、音楽でミリオンっていうわけではなかったので、そろそろ地に足を付けなきゃいけないなって。母親も『あなた、どうするの?』って心配していましたし。もともと体を動かすことが大好きなので、本能に従うじゃないけど、サッカーの世界に戻ろうと」
「そうやって、いろんなところで可愛がってもらいながら、仕事の幅を広げていきました。海外サッカー留学支援やエージェント業をメインとしている会社にお世話になって、海外からスペイン人コーチ、ドイツ人コーチを招いてクリニックをやったり、NIKEエリートトレーニングに携わったり」
「西野さんとはマンチェスター・ユナイテッドのスクールなど、いろいろと仕事をさせていただいて。常に自分を見てくれている感覚があったので、西野さんとの仕事は常に100%でやろうって。もちろん、他も手を抜くことはないですよ。でも、西野さんから振っていただく仕事は意識が別枠でしたね」
「『興味はあるか?』と言っていただいて。こんな素晴らしい環境でサッカーに携わらせてもらえるのは、本当にありがたい。他の仕事も多少あったんですけど、迷わず飛び込むことにしました」
「僕が送り迎えをしているから、一緒にいる時間はすごく長いです。彼は本当にナイスガイ。グロインペインを患って苦しかったと思うけど、芯がブレないというか。自分のやるべきことをやるのみで、怪我を治すというより、体のバランスを整えたいと。以前よりパワーアップして復帰するという意志をすごく感じましたね」
「昨年の終わりに、新シーズンのコーチングスタッフを告げられて、『おおー!』って。やっぱりサッカー畑って狭いなと思いましたけど、縁も感じましたね」
「音楽でどうこうという考えは、まったくないですね。もういい年なので(笑)。ずっとサッカーの世界で生きていきたい。本当はゴン中山さん(中山雅史)みたいに、いつまでも現役にこだわっていたいんですけど、肉離れしているようではダメですね(苦笑)」
「楽しくなっちゃって、調子に乗ったらやってしまった。悔しいです。でも、通訳が一番の任務ですけど、やれることはなんでもやりたい性格なので。選手との距離が近いのが自分の長所でもあると思うので、試合に出られない選手のモチベーションをキープしてあげられるような存在にもなりたいんですよね」
(取材/文・飯尾篤史)